三木富雄-EAR
1992年
三木富雄著
三木富雄の経歴
三木富雄は1937年東京に生まれた。武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)で学び、1960年代に日本前衛美術の最前線へ登場した。彼は若い頃から既存彫刻に強い違和感を持っていた。当時の日本彫刻界は、未だロダン的塑像や抽象彫刻の延長線上にあり、人体全体を扱うことが主流であった。しかし三木は、人間を全体像ではなく断片で捉えようとした。そして1960年代半ば、突如として巨大な耳の彫刻を制作し始める。EARシリーズである。巨大化された耳は、美術界に衝撃を与えた。人体の一部分だけを切り離し、巨大なアルミニウム彫刻として提示するという発想は、日本では前例がほとんどなかった。三木は生涯を通して耳を作り続けた。彼自身、耳が私を選んだと語っている。1978年わずか41歳で急逝した。しかし短い生涯にもかかわらず、日本現代彫刻史に極めて強い痕跡を残した。


本書の内容
本書は三木富雄が執拗に作り続けた耳シリーズを網羅的に収録した重要なカタログレゾネ的資料である。単なる作品写真集ではなく、なぜ耳なのかという根源的問いを巡る思想書に近い。内容は大きく、EARシリーズ図版、制作スケッチ、三木自身の断章的言葉、美術評論家による論考、展覧会記録によって構成されている。特に重要なのは、耳が単なる奇抜なモチーフとして扱われていない点である。本書では耳が、身体の断片であると同時に、存在の象徴として論じられる。耳は、目のように外界を能動的に見る器官ではない。むしろ受動的に世界を受け取る器官である。そのため三木の耳には、沈黙、孤独、不安、外部世界への感受性といった感覚が宿っている。巨大な耳、小さな耳、切断された耳、群集化した耳。その反復はアンディ・ウォーホル的ポップ感覚にも見えるが、実際には極めて静かで暗い。そこには大量消費社会への皮肉というより、人間存在そのものへの執着がある。1960年代日本前衛美術の記録としても価値が高い。当時の日本美術界では、ネオ・ダダ、反芸術、ハプニングなど過激な運動が渦巻いていた。しかし三木は、それらの騒々しさから距離を置き、沈黙の中で耳を作り続けた。本書は、その孤絶した姿勢をよく伝えている。
三木富雄の彫刻作品
三木富雄を語る上で、EARシリーズは絶対的中心である。1965年前後に制作された巨大な耳のアルミ彫刻は、日本現代美術に大きな衝撃を与えた。高さ170センチ近い作品も存在し、人間の身体感覚を完全に狂わせる。耳は本来、人体のごく小さな一部分にすぎない。しかし三木は、それを巨大化し、人体から切り離し、自立した物体へ変えた。この時、耳は単なる身体器官ではなくなる。それは、未知の生物の断片、機械部品、象徴記号、精神の残骸、存在の痕跡のように見え始める。
1.素材と質感
三木はアルミニウムやFRPを多用した。冷たく鈍い金属光沢は、生身の人体とは正反対である。そのため作品には、生々しさと無機質さが同時に存在する。しかも耳の表面は極めて滑らかで、美しい。だが同時にどこか不気味である。この美しさと不安の両立こそ、三木作品最大の特徴である。

2.反復と差異
三木は同じ耳を繰り返し制作した。しかし完全な複製ではない。微妙な歪み、厚み、左右差、表面処理の違いがある。彼の彫刻は、単なる量産ではなく、同じものを繰り返しながら、決して同じにはならないという現代美術的問題を内包している。

三木富雄の彫刻史上の位置づけ
三木富雄は、日本戦後彫刻史において極めて特異な存在である。高村光太郎以来、日本彫刻は人体全体を理想化する傾向を持っていた。しかし三木は、人体を断片へ解体した。これはフランシス・ベーコンの身体解体にも通じるが、三木は更に静謐である。彼の耳には暴力的絶叫がない。むしろ沈黙がある。1960年代世界美術との比較で見ると、彼はポップ・アート、ミニマル・アート、シュルレアリスムと接点を持ちながら、そのどれにも属さない。その独自性こそ重要である。耳という極めて限定されたモチーフを、生涯反復し続けた結果、三木は身体の断片をめぐる存在論を切り開いた。彼の彫刻は奇抜なアイデアでは終わらなかった。現在見てもなお、EARは強烈な存在感を放つ。1960年代前衛美術の中で、流行や時代性を超えて生き残った数少ない作家である。
