瀧口修造と美術

瀧口修造と美術
2001年刊
世田谷美術館編

目次

瀧口修造の生涯

瀧口修造(1903–1979)は、詩人・美術評論家・翻訳者として、日本におけるシュルレアリスムや前衛芸術の受容に決定的な役割を果たした人物である。慶應義塾大学でフランス文学を学び、若くしてヨーロッパ前衛芸術に深く傾倒した。戦前にはシュルレアリスムの紹介と実践に関わり、戦後はマルセル・デュシャンをはじめとする国際的作家との交流を通じて、日本の現代美術の形成に影響を与えた。彼は単なる評論家ではなく、詩的思考によって芸術を媒介する存在であった。

本書の内容と構成

本書は単なる回顧展図録ではなく、瀧口修造の活動を作品、言葉、ネットワークという三層で捉えた総合的研究資料である。展示作品としては、彼の詩稿、デカルコマニー作品、書簡、蔵書に加え、彼が関与した展覧会資料などが含まれている。本書では瀧口を作家として扱っている。彼は評論家であると同時に、視覚的作品を制作する実践者でもあった。本書では、彼のデカルコマニーやコラージュが紹介され、言語とイメージの交差する領域に彼の創造の核心があることが示される。また、マックス・エルンストやデュシャンらとの関係、日本の前衛作家との交流が具体的資料によって示され、瀧口が国際的ネットワークの結節点であったことが明らかにされる。

瀧口修造とシュルレアリスム

瀧口修造の思想の核心は、シュルレアリスムの単なる紹介ではなく、その詩的変換にある。シュルレアリスムとは、理性による秩序を超え、無意識や偶然、夢の領域において真実を探求する運動であるが、瀧口はこれを日本的文脈へと再構成した。彼にとって重要であったのは、偶然と生成の概念である。デカルコマニーにおいて絵具の偶発的な広がりから形象を見出す行為は、意識を超えた創造の実験であった。それは単なる技法ではなく、世界は生成し続けるものであり、芸術はそれを受け取る行為であるという思想の表現である。また、デュシャンに対する深い共感も見逃せない。デュシャンが芸術の制度そのものを問い直したのに対し、瀧口は言語と詩によってその思考を媒介した。彼は、シュルレアリスムを翻訳する者であると同時に、再創造する者であった。

瀧口修造の書斎と創造の場

瀧口修造の書斎は、単なる生活空間ではなく、彼の思考と創造の中心であった。そこには膨大な書籍、海外の美術資料、作家からの書簡、そして彼自身の制作物が混在していた。この空間の特徴は、秩序と混沌の共存にある。一見雑然とした配置の中で、異なる文化や時代のイメージが交差し、新たな連想が生まれる。まさにシュルレアリスム的な思考が日常空間として具現化されていた。書斎は交流の場でもあった。多くの若い芸術家がここを訪れ、瀧口の言葉に触れ、影響を受けた。彼の書斎は一種の見えないサロンであり、日本の前衛芸術の生成拠点の一つであった。

瀧口修造の書斎
瀧口修造と書斎

瀧口修造のデカルコマニー作品

滝口修造のデカルコマニー作品は、シュルレアリスムの自動性(オートマティスム)を体現する重要な試みである。紙に絵具を置き、別の紙を重ねて偶然に生じる形象を引き出すこの技法において、作者の意図は極力排され、無意識や偶然が創造の主体となる。滝口はこの過程を単なる視覚的遊戯としてではなく、生成の瞬間を受け取る行為として捉えた。そこに現れるイメージは、風景とも生物ともつかぬ曖昧な形態をとり、観る者の想像力を喚起する。彼のデカルコマニーは、言語による詩と同様に、意味が固定される以前の流動的な状態を提示し、芸術を完成された表現ではなく、絶えず生成し続けるプロセスとして提示した。

瀧口修造のデカルコマニー
瀧口修造デカルコマニー
瀧口修造のデカルコマニー作品

超現実主義と絵画(1930年)

シュルレアリスムの衝撃
瀧口修造の出発点を示す代表的著作であり、日本にシュルレアリスム美術を体系的に紹介した先駆的な仕事である。アンドレ・ブルトンらの思想を背景に、シュルレアリスムを単なる奇抜な絵画様式としてではなく、人間の意識を解放する運動として捉えた。理性によって統制された現実だけが世界のすべてではなく、夢、無意識、偶然、欲望、幻想にも別の現実が存在する。芸術家の仕事とは、現実を忠実に再現することではなく、日常的な知覚の背後に隠された世界を発見することになる。後の瀧口が生涯追究する芸術とは未知の現実を発見する行為であるという思想の原点となった重要著作である。

近代芸術(1938年)

芸術はなぜ変わったのか
近代美術の大きな変化を、単なる様式の交代ではなく、人間の世界認識の変化として考察した著作である。近代の芸術家たちは、目の前にある世界を写実的に再現することから離れ、自己の内面、感覚、夢、無意識などを表現するようになった。瀧口はこうした動きを、芸術の崩壊ではなく新しい現実の発見として評価する。特にシュルレアリスムにとって、現実とは目に見えるものだけではない。偶然に生じた形や言葉、夢の中のイメージにも人間の意識を超えた意味が存在する。瀧口にとって近代芸術とは、何を描いたか以上に人間が世界をどのように見るようになったかを問い直す運動である。

幻想画家論(1959年)

見える世界の向こう側
幻想的・象徴的な表現を行う画家たちを論じながら、瀧口独自の美術観を展開した重要な評論集である。瀧口にとって幻想とは現実逃避ではない。むしろ通常の理性や常識によって覆い隠されている、もう一つの現実を発見する方法であった。芸術家は現実をそのまま模写するのではなく、物と物を思いがけず結びつけたり、偶然に生まれた形を受け入れたりすることで、未知のイメージを生み出す。そのため作品を見る側にも、既成の意味を当てはめるのではなく、作品との出会いによって自らの知覚を変化させることが求められる。幻想とは現実の反対ではなく、現実を拡張する力であるという瀧口の思想がよく表れた著作である。

点(1963年)

最小の形から宇宙を見る
点は瀧口修造の詩的・造形的思考を象徴する仕事の一つである。瀧口にとって点は単なる幾何学上の記号ではない。一本の線が始まる以前に存在し、文字にも絵にもなり得る可能性の状態である。そこには、完成した芸術作品よりも、作品が生まれる直前の瞬間に関心を寄せる瀧口の思想が表れている。彼は晩年になるにつれて、批評家が完成した作品を言葉によって説明するという従来の美術批評から離れ、自らデカルコマニー、ドローイング、オブジェなどを制作するようになる。点という極小の存在から無限のイメージが発生するという発想は、芸術とは完成品ではなく、何かが生まれようとする瞬間ではないかという瀧口晩年の問いにつながっている。

余白に書く(1966年)

批評と詩の境界
瀧口修造の美術評論・随想を考える上で重要な著作である。題名の余白は象徴的であり、既に意味によって埋め尽くされた中心ではなく、まだ何も決定されていない場所に瀧口は可能性を見いだした。通常の美術評論が作品の意味や美術史的位置を説明しようとするのに対し、瀧口の文章は作品を完全に説明することを避ける。作品には言葉によって回収できない部分があり、その沈黙を残すことこそ批評家の役割だと考える。そのため文章が次第に詩へ近づいていく。批評とは作品に結論を与えることではなく、作品を見る人の想像力を更に開く行為であるという、瀧口独自の批評観が示されている。

シュルレアリスムのために(1968年)

生涯を貫いた思想
瀧口が若い頃から関わり続けたシュルレアリスムについての文章を通して、その思想的意味を改めて問い直した著作である。瀧口にとってシュルレアリスムは1920年代のヨーロッパで流行した一美術運動ではなかった。それは人間の想像力を社会的常識や合理主義から解放し、未知の世界へ向かわせる永続的な精神運動であった。夢、偶然、無意識、自動記述などが重要なのも、それらが人間の意識による統制を一時的に解除するからである。戦前から戦後へと時代が大きく変化しても、瀧口がシュルレアリスムを捨てなかった理由はここにある。シュルレアリスムとは様式ではなく、未知のものに対して精神を開いておく態度であるという彼の生涯の思想を理解する上で重要である。

マルセル・デュシャン語録(1968年)

作品を作るとは何か
瀧口修造とマルセル・デュシャンとの精神的な交流を象徴する著作である。デュシャンは既製品を美術館へ持ち込むレディメイドなどによって、芸術とは美しいものを制作することであるという常識を覆した。瀧口はデュシャンの言葉や思想に強く惹かれ、芸術作品よりも、芸術という制度や見るという行為を問い直す姿勢を重視した。芸術家とは物を巧みに作る職人ではなく、これは芸術なのかと人間の認識を揺さぶる存在でもある。瀧口自身が晩年にオブジェや言葉、ドローイングを自在に往来するようになった背景を理解するうえでも重要な一冊である。

瀧口修造を貫くもの(付記)

瀧口修造の著作を通して一貫しているのは、芸術を既成の意味によって説明してしまうことへの抵抗である。超現実主義と絵画では夢や無意識によって現実を拡張し、幻想画家論では幻想の中に別の現実を発見し、余白に書くでは説明し尽くさない批評を求め、マルセル・デュシャン語録ではそもそも芸術とは何かという根本問題にまで到達した。瀧口は単なる海外美術の紹介者ではなかった。戦後には草間彌生、河原温、赤瀬川原平をはじめとする若い前衛作家たちにも目を向け、日本の現代美術が形成される重要な場面に立ち会った。批評家でありながら自らも造形制作へ向かった点も独特である。瀧口にとって芸術とは美しいものを作ること以上に、まだ名前のないものを発見することであった。だからこそ、夢、偶然、余白、点、言葉、オブジェといった、意味が確定する直前のものに生涯惹かれ続けた。

私のデカルコマニー(付記)

瀧口修造に触発されて、私が制作したデカルコマニーをいくつか。

國井正人作デカルコマニー
國井正人作
國井正人のデカルコマニー作品

未来の輪郭

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