澁澤龍彦の記憶
2018年4月刊
巌谷國士他
澁澤龍彦とその周辺
本書は、澁澤龍彦の没後、その交友関係者や研究者によって編まれた回想・評論集である。編集・執筆には巌谷國士をはじめ、多くの文化人が関わっている。巌谷國士はフランス文学者・美術評論家として知られ、特にシュルレアリスムや幻想文学の紹介者として日本文化に大きな影響を与えた人物である。澁澤龍彦の精神的後継者とも言うべき存在であり、その思想的系譜を最も深く理解した一人である。
澁澤龍彦(1928–1987)は、フランス文学の翻訳者、評論家、小説家として活動し、日本における異端的知性の象徴的存在である。サド侯爵やハンス・ベルメールなどを紹介し、エロティシズム、幻想、異端、悪の美学を一貫して探究した。若き日に「悪徳の栄え」の翻訳で猥褻裁判に巻き込まれるなど、社会的論争の中心にも立ちながら、日本の知的風土に強烈な痕跡を残した。
記憶としての澁澤龍彦
本書は単なる伝記ではなく、記憶という形式を通じて澁澤龍彦という存在を多面的に浮かび上がらせる。友人、編集者、作家、批評家たちが、それぞれの立場から澁澤との出会い、対話、影響を語る。そこに描かれる澁澤像は一枚岩ではない。ある者にとっては冷静で博識な知識人であり、ある者にとっては少年のような好奇心を持つ蒐集家であり、別の者にとっては危険な思想の案内人である。本書は客観的評価を目指していない。むしろ断片的な証言の集積によって、澁澤龍彦という存在の不可解さを提示する。

澁澤龍彦とは何だったのか
澁澤龍彦とは何であったのか。それは単なる作家や評論家という枠を超えた、知の編集者であった。彼の本質は、既存の価値体系の外部にあるものを選び取り、それを日本語という文化圏に移植する。サド侯爵、錬金術、黒魔術、異端宗教、幻想文学。これらは本来、主流文化の外側に位置する領域である。しかし澁澤は、それらを単なる奇異なものとしてではなく、人間の深層を照らすものとして再評価した。彼の視線は常に二重であった。一方では冷徹な知性によって対象を分析しながら、他方ではその対象に美を見出す感受性を持っていた。この知性と感性の緊張関係こそが、澁澤の文章に独特の魅力を与えている。重要なのは、彼が境界を越える存在であった点である。文学と美術、学問と遊戯、理性と狂気、聖と俗。これらの境界を自在に横断しながら、新たな意味の連関を生み出していった。澁澤龍彦とは、体系を築く思想家ではなく、異質なもの同士を接続する媒介者であった。
日本芸術への影響と価値
澁澤龍彦が日本の芸術に与えた影響は極めて大きい。その核心は、想像力の解放にあった。戦後日本の文化は、しばしば合理主義や社会性を重視する方向に傾いていた。その中で澁澤は、非合理・幻想・エロティシズムといった領域を正面から取り上げ、それを知的に位置づけた。これにより、日本の芸術家や作家たちは、より自由に内面世界や無意識を扱うことが可能となった。特に美術分野においては、シュルレアリスムや幻想絵画の再評価に決定的な役割を果たした。彼の蒐集的態度や博物学的関心は、現代美術におけるインスタレーションやコンセプチュアル・アートにも通じる感覚を先取りしていた。彼の価値は、美とは何かという問いを拡張した点にある。美は調和や均整の中だけにあるのではなく、異形や逸脱、さらには禁忌の中にも潜んでいる。この認識は、日本の芸術観を大きく変えた。澁澤龍彦は、日本文化において長らく抑圧されてきた闇と異端を、知的かつ美的な領域として回復させた。その仕事は、単なる文学活動ではなく、日本の精神文化そのものを拡張する試みであった。
澁澤龍彦と金子國義(付記)
澁澤龍彦と金子國義の関係は、日本における幻想美術と文学の結節点を象徴するものである。澁澤はサドやボルヘス、シュルレアリスムなどを紹介し、異端・エロティシズム・幻想の美学を理論的に切り拓いた。一方、金子はその世界観を視覚的に具現化した画家であり、少女や少年の中性的身体、耽美的で退廃的なモチーフを通じて独自の幻想世界を構築した。両者の関係は単なる批評家と画家ではなく、相互に共鳴し合う創造的パートナーであった。澁澤は金子の作品に自身の思想の具体的イメージを見出し、金子は澁澤の言語によって自己の表現の深層を裏付けられた。特に金子の代表作群に見られる無垢と倒錯の共存は、澁澤的エロティシズムの視覚的展開といえる。この関係の重要性は、日本において言語とイメージが結びつき、幻想芸術が一つの潮流として成立した点にある。澁澤が概念を開き、金子がそれを可視化したことで、日本独自の耽美的幻想世界が確立された。

澁澤龍彦とハンス・ベルメール(付記)
澁澤龍彦とハンス・ベルメールの関係は、日本におけるエロティシズムと幻想芸術の受容を象徴するものである。ベルメールは球体関節人形によって知られ、身体を解体し再構成することで、欲望や無意識、そして美と不安の交錯する領域を可視化した。澁澤はこのベルメールの作品に強い共鳴を示し、単なる猟奇や倒錯としてではなく、エロティシズムの形而上学として評価した。彼にとってベルメールの人形は、身体の断片化を通じて人間存在の深層を暴く装置であり、理性では捉えきれない欲望の構造を明らかにするものであった。澁澤は著作や紹介を通じてベルメールを日本に広く知らしめ、その美学的意義を理論化した。この関係の本質は、視覚芸術と言語的思考の相互補完にある。ベルメールがイメージによって無意識を提示し、澁澤がそれを思想として言語化することで、幻想とエロスの領域は単なる異端から、芸術的探究の中心へと引き上げられた。
私の澁澤龍彦(付記)
澁澤龍彦に導かれた世界に耽溺して、私が模写した絵画をいくつか。

國井正人作
パステル

國井正人作
鉛筆
