L’Art Abstrait
1956年(日本語版1968年)刊
Marcel Brion
著者の略歴
著者マルセル・ブリヨン(Marcel Brion)は、20世紀フランスを代表する美術史家・批評家であり、特に近代から現代にかけての美術動向に精通していた。彼は単なる様式史ではなく、芸術の精神的・哲学的基盤を重視し、抽象芸術を歴史の断絶ではなく必然的展開として捉えた。翻訳者の滝口修三は、日本におけるシュルレアリスム運動の中心人物であり、詩人・美術評論家として前衛芸術の紹介に尽力した。彼の翻訳は単なる言語の移し替えではなく、日本の芸術思想に抽象や前衛の概念を根づかせる重要な役割を果たした。日本語版の抽象芸術は、日本における抽象芸術理解に大きな影響を与えた一冊である。
本書の内容概要
本書は、抽象芸術の歴史と思想を体系的に整理したものである。ブリヨンはまず、19世紀末から20世紀初頭にかけての芸術の変化を、自然再現からの離脱を出発点とする。そして、印象派、ポスト印象派、キュビスムや表現主義を経て、抽象芸術がどのように成立したかを跡づける。抽象芸術を突然の革命としてではなく、長い内的必然の結果として捉えている。芸術は外界の模倣から次第に解放され、形態・色彩・リズムといった純粋な要素へと向かう過程の中で、抽象へと到達した。本書は、カンディンスキーやマレーヴィチといった主要作家を取り上げ、それぞれの思想と作品を通して抽象の多様な方向性を示している。
抽象絵画の本質
ブリヨンによれば、抽象絵画の本質とは再現の否定ではなく、内的現実の表現である。外界の対象を描かないこと自体が目的なのではなく、目に見えない精神的秩序や感情、宇宙的な構造を可視化する試みである。ここで重要なのは、抽象絵画が何も描いていないのではなく、より深いものを描いているという点である。具体的対象が消えることで、逆に色や形そのものが直接的な意味を帯びるようになる。色は感情となり、形は力となり、構成は音楽のようなリズムを生み出す。抽象絵画は、見る者に対しても新しい態度を要求する。従来の絵画が何が描かれているかを理解するものであったのに対し、抽象絵画はどのように感じるか、どのように体験するかを問うのである。ここにおいて鑑賞は受動的な理解から能動的な参与へと転換する。ブリヨンは、抽象を単なる形式的遊戯とはみなさない。むしろそれは、世界の秩序や存在の根源に迫ろうとする精神的営為であり、宗教的とも言える深さを持つ表現なのである。
抽象絵画の価値と意義
抽象絵画がもたらした最大の価値は、芸術を再現の技術から存在の探究へと転換させたことである。これにより芸術は、現実を写す手段ではなく、現実を超えて新たな世界を構築する行為となった。抽象絵画によって芸術の自律性が確立された点が重要である。絵画はもはや外部の対象に従属せず、独自の論理と構造を持つ存在となった。また芸術表現の可能性が飛躍的に拡大した。具象という制約から解放されたことで、無限の形式や構成が開かれた。人間の内面や精神の深層に直接触れる手段が獲得された点も重要である。抽象絵画は言語や物語を超えて、より根源的なレベルで人間に作用する。しかし同時に、抽象絵画はその純化故に理解の困難さや、意味の不確定性という問題も孕む。それでもなお、抽象絵画は現代芸術の基盤として不可欠な位置を占めている。
日本における抽象絵画の進展(付記)
日本の抽象絵画は、西欧からの影響を受けつつも、独自の感性と思想の中で発展してきた。出発点は大正末から昭和初期にかけてであり、欧州の前衛芸術、とりわけカンディンスキーやキュビスム、構成主義の動向が紹介されたことにより、日本でも非再現的な表現への関心が高まった。この時期には、幾何学的抽象や構成的表現を試みる作家が現れ、抽象は知的で先鋭的な芸術として受容された。戦後になると、日本の抽象絵画は大きな転換を迎える。とりわけ関西を中心に結成された具体美術協会の活動は決定的であった。吉原治良のもと、これまでにないものを作れという理念が掲げられ、絵画は単なる平面表現から解放され、行為や物質そのものが作品となった。絵の具を投げつける、身体で描くといった手法は、抽象を結果ではなく過程として捉え直すものであり、日本独自の身体性を強く打ち出した。白髪一雄や田中敦子らは、身体の動きや時間性を作品に取り込み、抽象表現を空間的・体験的な領域へと拡張した。これは欧米の抽象表現主義と共鳴しつつも、より直接的で即興的な表現として独自性を持っていた。戦後の東京では、モダニズムの流れの中で洗練された抽象絵画も展開された。菅井汲は国際的な構成的抽象を追求し、都市的で記号的な画面を築いた。一方で、斎藤義重らは素材や構造そのものを問い直し、絵画の枠組を拡張した。このように日本の抽象絵画は、単なる西欧の模倣にとどまらず、身体性、物質性、行為性といった独自の要素を強調しながら展開してきた。現代においては、デジタル技術やインスタレーションと結びつき、抽象はさらに多様な形態へと広がっている。
抽象絵画の未来(付記)
抽象絵画の未来は、単なる形式の発展ではなく、現実との関係をいかに再編するかという問いの中で展開していくと考えられる。20世紀において、カンディンスキーやマレーヴィチが切り開いた抽象は、再現からの解放という大きな使命を果たした。しかしその徹底は、やがて意味の希薄化や形式の自己循環という限界にも直面した。今後の抽象絵画は、この限界を乗り越える方向に進まざるを得ない。純粋な形式の探求にとどまるのではなく、再び現実や身体、社会との接点を取り戻す動きが強まるであろう。すでにその兆しは、デジタル技術や生成AI、インタラクティブアートの中に見られる。抽象はもはやキャンバス上の静的な構成ではなく、時間的・空間的に変化し続ける体験へと拡張されつつある。重要なのは、見ることの再定義である。従来の抽象絵画が視覚中心であったのに対し、未来の抽象は触覚、聴覚、更には身体感覚全体を巻き込む総合的な知覚の芸術へと向かう可能性がある。ここでは抽象とは、形や色の問題ではなく、知覚の構造そのものを問い直す装置となる。現代社会における情報過多や現実の不確実性の中で、抽象はむしろ新たなリアリティの表現手段となる。具体的な像では捉えきれない複雑な世界を、関係性やパターンとして提示する役割を担うのである。
