逸脱する絵画
2002年刊
宮下誠著
著者について
宮下誠は、西洋近代美術史を専門とする日本の美術史家・批評家であり、特に19世紀から20世紀にかけての絵画の変容を思想的に読み解くことに定評がある。単なる様式史や作家論にとどまらず、芸術を制度、視覚、身体といった広い枠組の中で捉えている。そのため彼の議論は、美術史であると同時に思想史的な深みを持つ。
本書の内容
本書は、近代絵画がどのようにして従来の再現的な枠組から離脱し、新たな表現へと至ったかを、多様な作家を通して論じている。取り上げられる対象は、写実主義から印象派、20世紀の前衛芸術にまで及び、絵画が何を描くのかから、いかに存在するのかへと問題を転換していく過程が描かれる。遠近法や構図といった古典的秩序の崩壊、視覚の主観化、画面そのものの自律化などが主要なテーマとして扱われる。宮下は、逸脱という概念を通じて、絵画がいかにして自らの限界を押し広げ、新たな地平を切り開いてきたかを明らかにした。その結果として浮かび上がるのは、絵画とは固定された形式ではなく、常に自己を問い直し続ける運動であるという認識である。本書は、美術史を超えて、芸術とは何かを考える上で極めて示唆に富む一冊である。
逸脱が示す絵画の本質
宮下は本書において、逸脱とは単なる逸脱ではなく、絵画の本質を露わにする運動であるという。伝統的な絵画は長らく現実を正確に再現することを使命としてきたが、その枠組から外れることによって、かえって絵画の固有性が明確になるという逆説である。彼は、印象派における光の分解や、セザンヌにおける形態の再構築、抽象絵画における非再現性などを、逸脱の連鎖として捉える。そしてこの連鎖こそが近代絵画の核心であり、そこでは見るという行為そのものが問い直される。また宮下は、逸脱を単なる進歩や発展としてではなく、常に緊張と不安を伴う過程として描いている。絵画は既存の秩序を離れることで自由を得るが、同時に拠り所を失う。その危うさこそが近代芸術の本質である。
これからの逸脱(付記)
これまでの逸脱が再現からの離脱であったとすれば、これからの逸脱はより根本的に、絵画そのものの条件からの逸脱へと進むと考えられる。
1.平面からの逸脱
近代絵画は、最終的にキャンバスという平面そのものへと収束した。しかし今後は、その前提自体が揺らぐだろう。絵画は既にインスタレーションや空間表現になりつつあり、壁に掛けられるものではなく、空間全体として経験されるものへと拡張している。絵画は見るものから入り込むものへと変わる。
2.視覚中心からの逸脱
これまで絵画は基本的に視覚芸術であった。しかし今後は、音・触覚・時間と結びつくことで、視覚の特権性が崩れていく可能性が高い。鑑賞者の動きによって像が変わるといった形で、絵画は固定されたイメージではなく、体験としての出来事へと変化する。ここでは見るという行為そのものが再定義される。
3.作者からの逸脱
AIやアルゴリズムの登場により、誰が描いたのかという前提も揺らいでいる。絵画はもはや単一の主体による創造ではなく、人間・機械・環境が共同で生成するものへと変わりつつある。このとき逸脱は、表現の形式だけでなく、作者という概念そのものに及ぶ。
4.完成作品からの逸脱
従来の絵画は完成された静止物として存在していた。しかし今後は、変化し続けるプロセスそのものが作品となる方向が強まる。時間とともに変化する絵画、鑑賞者の関与によって更新される絵画は、完成という概念を失い、生成し続ける存在となる。
