Anselm Kiefer Studios
2013年刊
Danièle Cohn著
著者とアーティストの経歴
本書(Anselm Kiefer Studios)はフランスの哲学者・美術批評家であるダニエル・コーン(Danièle Cohn)によって著された。コーンは現代美術、とりわけ芸術と思想の関係に関心を寄せる批評家であり、本書においても単なる作品解説ではなく、空間としての制作行為を思想的に読み解いている。
スタジオの主であるアンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer)は、第二次世界大戦直後のドイツに生まれ、ナチズムの記憶、神話、宗教、錬金術といった主題を扱いながら、絵画と彫刻を横断する巨大な作品群を展開してきた。彼の制作は単なるキャンバスにとどまらず、建築やランドスケープへと拡張している。
ここでいうStudiosとは、一般的な意味での制作室ではない。キーファーにおいてスタジオとは、作品が生成される場であると同時に、それ自体が作品である空間を指す。ドイツ時代のホルンバッハ、南フランス・バルジャックのラ・リボート、そしてパリ近郊クロワシーのスタジオに至るまで、彼は場所そのものを作り変えながら制作を続けてきた。
本書の内容
本書は、キーファーの複数のスタジオを時間軸に沿って辿りながら、それぞれの空間がいかにして形成され、どのように作品と結びついているかを解明する。スタジオの変遷そのものが、キーファーの思想の展開を物語っている。初期のドイツ時代のスタジオでは、戦後ドイツの荒廃した風景と重なるように、重く閉ざされた空間の中で制作が行われていた。ここでは歴史の重圧が直接的に作品へと刻み込まれている。

南フランスのラ・リボートでは、スタジオは一挙に拡張され、地上と地下を貫く巨大な複合体へと変貌する。この場所は単なる制作拠点ではなく、時間・記憶・神話が堆積する人工的な遺跡として構築された。
パリ近郊のスタジオでは、より制度化された制作環境の中で、巨大作品を体系的に生産する体制が整えられる。この変化は、キーファーの制作が個人的記憶からより普遍的な宇宙論的テーマへと拡張していく。
Studiosの構成
キーファーのスタジオは、通常の建築概念では捉えきれない複雑な構成を持っている。とりわけラ・リボートにおいて、その特徴は顕著である。地上には、巨大な倉庫状の建物群や温室、展示空間が点在する。これらは一見すると工業施設のようであるが、内部には鉛、コンクリート、灰、藁などの素材が堆積し、制作途中の作品と完成作品が混在している。制作と展示の境界が存在しない。地下には、迷宮のように張り巡らされたトンネルが存在する。この地下空間は、単なる移動経路ではなく、象徴的な意味を持つ。暗闇、圧迫、閉塞といった要素は、歴史の深層や無意識を暗示している。敷地内には塔状の構造物が点在し、垂直方向への広がりが強調される。地下へと潜る動きと、天空へ向かう構造が同時に存在することで、時間と宇宙を貫く軸が形成されている。これらすべてが計画的に設計された都市ではなく、長年にわたり増殖するように作られてきた。このためスタジオは固定された形を持たず、常に未完成の状態にある。



Studiosの本質的意味
キーファーにとってスタジオは単なる制作の場ではない。それはむしろ、彼の芸術の核心そのものである。
第一に、スタジオは記憶の容器である。作品に用いられる素材は、時間の経過とともに変質し、空間全体が一種の歴史的層を形成する。スタジオは、作品が生まれる場所であると同時に、作品が風化し続ける場所でもある。
第二に、スタジオは思考の装置である。キーファーは空間を歩き、素材に触れ、構造を構築することで思考を進める。制作行為は、身体的であり空間的なプロセスとして展開される。
第三に、スタジオは作品そのものである。個々の絵画や彫刻は、巨大な空間作品の一部にすぎない。ラ・リボート全体が一つの作品であり、その中に無数の作品が内包されている。 キーファーにとってStudiosとは、単なる制作環境ではなく、芸術そのものの実体化された形態である。それはアトリエであり、都市であり、遺跡であり、宇宙である。そこでは時間が堆積し、物質が変容し、思想が空間として可視化される。キーファーの作品を理解するためには、個々の絵画や彫刻だけでなく、このスタジオという総体を読み解く必要がある。本書はまさにそのための鍵を提供するものであり、キーファー芸術の核心に迫る重要な一冊である。
キーファー作品(付記)
アンゼルム・キーファーの作品は、単なるジャンル分類を拒む性質を持つが、それでも理解のためにはいくつかの領域に分けることが有効である。彼の制作は一貫して、歴史・記憶・物質・宇宙をめぐる問いに向けられており、それぞれのジャンルは異なる側面から同じ核心に迫っている。
1.絵画
キーファーの絵画は、油彩に加えて藁、灰、土、鉛などを混ぜ込んだ極めて物質的なものである。画面はしばしば焼かれ、削られ、崩壊の痕跡を残す。彼にとって絵画とは、単なる視覚表現ではなく、歴史そのものを物質化する場である。彼は絵を描いているのではない。歴史の層を掘り起こしている。灰は破壊の後に残るものだが、しかしそこには再生の可能性も含まれている。ここには、ナチズム以後のドイツという重い過去と向き合う意志がある。美しい絵を描くのではなく、歴史の傷そのものを画面に刻み込んでいる。


2.彫刻
鉛の書物、巨大なパレット、コンクリート構造など、重く不安定な素材を用いた作品が多い。特に鉛は象徴的素材である。キーファーは物質そのものに意味を託す。鉛は重いが、それは精神の重さでもある。物質は死んでいない。そこには記憶が宿っている。鉛は錬金術において金へと変化する可能性を持つ素材であり、彼にとって重さ(歴史)は変容(再生)を同時に象徴する。彫刻は単なる立体ではなく、物質に宿る時間の圧縮体である。

3.本作品
鉛や紙で作られた巨大な本のオブジェは、しばしば読めない状態にある。本は知識の象徴であるが、同時に忘却の象徴でもある。閉じられた本は、語られない歴史を示している。キーファーの本は、読むためのものではなく、知識の限界と言語の不完全性を示すものである。本作品は、理解できない歴史そのものの象徴である。


4.インスタレーション
巨大な空間全体を作品化する。廃墟のような構造、塔、地下空間などが特徴である。
彼は空間の中で考える。作品は壁に掛けられるものではなく、歩かれるべきものである。ここでは鑑賞者は外部の観察者ではなく、作品の内部に入る存在となる。空間そのものが思考の構造となり、作品は体験へと変わる。これは彼のスタジオにも通じる思想であり、作品=空間=時間という構造が成立する。


5.建築ランドスケープ
彼は塔、トンネル、廃墟のような構造物を自ら建設し、自然と人工を融合させる。彼は遺跡を作っているのではない。未来のための記憶を作っている。すべての建築は、いずれ廃墟になる。キーファーにとって建築は完成を目的としない。むしろ、崩壊と風化と時間の侵食を前提とした芸術である。それは過去の遺跡ではなく、未来から見た現在の遺跡である。

6.すべてのジャンルを貫くもの
キーファーの作品は、ジャンルごとに異なる形態をとりながらも、すべて同じ核心に向かっている。それは、歴史と記憶、破壊と再生、物質と精神の関係である。彼自身の言葉を借りれば、芸術とは、理解できないものに形を与える試みである。彼の絵画も彫刻も建築も、本質的には同一である。それらはすべて、人間が背負う歴史の重さを、物質と空間によって可視化する行為なのである。
日本にあるキーファー作品(付記)
アンゼルム・キーファーの作品は、日本においては欧米ほど常設的に多数存在する訳ではないが、重要なコレクションと大型展覧会を通じて断続的に紹介されてきた。その特徴は、単なる作品展示ではなく、日本の歴史空間や精神性との対話として提示される点にある。
1セゾン現代美術館(軽井沢)
セゾン現代美術館は、日本においてキーファー作品を所蔵する数少ない美術館の一つである。この美術館では、キーファーはマーク・ロスコやマルセル・デュシャンと並び、精神性と物質性の両極を担う存在として位置づけられている。


セゾン現代美術館
2.京都二条城SOLARIS(2025年開催)
SOLARISは、日本におけるキーファーの最も重要な展開の一つである。約30点以上の絵画・彫刻が展示された。城郭建築と庭園全体を用いた構成で、アジア最大規模の展示である。この展覧会の核心は、キーファー作品と日本の歴史建築との対話にある。キーファー自身も、二条城の金の装飾について光を反射する金の使い方は啓示的であったと述べている。ここでは彼の作品は、廃墟・灰・鉛(西洋の歴史意識)と金・光・空間(日本の美意識)が交差する場として再解釈された。この展示は、単なる作品紹介ではなく、文明間の記憶の衝突と融合である。


Studiosに学ぶ生き方(付記)
アンゼルム・キーファーのStudiosは、単なる制作のための空間ではない。それは作品を生み出す装置であると同時に、時間・記憶・思想が堆積する生の構造そのものである。そこから画家や彫刻家が学ぶべきものは技術ではなく、むしろいかに生き、いかに創作と向き合うかという根本的態度である。
1.場をつくるという発想
キーファーの創作において最も特徴的なのは、作品そのものよりも、それを生み出す場を重視している点である。彼はアトリエを単なる作業場としてではなく、思考と素材と時間が交差する空間として設計し続けた。その結果、スタジオは単なる建物ではなく、一つの世界へと拡張していった。ここから導かれるのは、優れた作品は偶然に生まれるのではなく、必然的に生成される環境の中から立ち現れるという認識である。芸術家は、自らがどのような空間に身を置き、何に囲まれて制作するのかを、作品と同じ重みで考えなければならない。
2.時間とともに生成される作品
キーファーのスタジオは完成することがない。そこでは作品は固定された成果ではなく、時間の中で変化し続ける存在として扱われる。風化し、崩れ、再び組み替えられるその過程そのものが、創作の一部なのである。この姿勢は、現代の短期的な評価や成果主義とは対極にある。作品は瞬間的に完成するものではなく、長い時間の蓄積の中で徐々に形を成すものである。芸術家に求められるのは、時間を味方につけ、自らの表現を持続的に育てていく覚悟である。
3.素材との対話
キーファーは鉛、灰、藁、土といった素材を用い、それらの物質的特性だけでなく、歴史や象徴性を引き受ける形で制作を行う。ここに見られるのは、素材を単なる手段として扱うのではなく、対話の相手として向き合う態度である。素材は従属させる対象ではなく、抵抗し、変化し、意味を帯びる存在である。このような関係の中でこそ、作品は単なる形態を超え、深い厚みを持つようになる。
4.歴史と向き合う覚悟
キーファーの制作の根底には、ドイツの戦後史という重い歴史への直視がある。彼はそれを回避するのではなく、むしろ引き受けることで作品へと昇華してきた。この姿勢は、芸術が決して時代から切り離されたものではないことを示している。作家は自らの属する社会や歴史、個人的記憶から逃れることはできない。それらに向き合い、引き受けることによってのみ、表現は深度を持つのである。
5.スケールを拡張する思考
キーファーのスタジオは、物理的にも思想的にも巨大である。しかしそれは初めから与えられたものではなく、徐々に拡張されてきたものである。この過程が示しているのは、自らの表現のスケールを限定しないという態度である。ここでいうスケールとは、単なる大きさではない。思考の広がり、扱うテーマの深さ、世界観の構築力といった総体である。芸術家は自らの器を意識的に広げ続けなければならない。
6.未完成であり続けるという意志
キーファーのスタジオは常に未完成であり、その未完成性こそが本質である。完成とは停止であり、未完成とは生成であるという認識がそこにはある。芸術家は完成された状態に安住するのではなく、常に途上であり続けるべきである。問い続け、変化し続けることによってのみ、創作は生きたものとなる。
7.人生そのものをスタジオ化する
キーファーにとってスタジオとは制作の場ではなく、人生そのもののである。そこでは時間が蓄積し、素材と対話し、歴史と向き合いながら、自己の世界が徐々に形成されていく。画家や彫刻家にとっての本質的な課題は、作品を作ることではなく、自らの生き方そのものをスタジオとして構築することである。そうした生の積み重ねの中からはじめて、作品は単なる成果物ではなく、時間と存在の結晶として立ち現れる。
