欲望の資本主義

欲望の資本主義
2018年刊
丸山俊一著

目次

著者の経歴と問題意識

本書の著者である丸山俊一氏は、NHKのディレクターであり、主に経済と社会を横断するドキュメンタリー制作に従事してきた人物である。現代資本主義の本質を思想的・哲学的に問い直す試みで高い評価を受けている。彼の問題意識は一貫している。それは、資本主義は単なる経済システムではなく、人間の欲望そのものを駆動力とする構造であるという認識である。従来の経済学が合理性や効率性を前提としてきたのに対し、彼はむしろ非合理で際限のない欲望こそが資本主義を肥大化させてきたと捉える。そしてその欲望が、金融危機や格差拡大、環境破壊といった現代的問題を引き起こしていると考える。

欲望が動かす資本主義の構造

本書は、世界の思想家・経済学者・投資家たちへのインタビューを通じて、資本主義の本質を多角的に描き出す構成をとっている。登場するのは、トマ・ピケティやジョセフ・スティグリッツ、金融市場の実務家などであり、それぞれの立場から資本主義の光と影が語られる。本書の中心にあるのは、欲望の拡張というテーマである。資本主義は人間の欲望を刺激し、それを増幅させることで成長してきた。消費は単なる必要の充足ではなく、より多く、より新しく、より優位にという欲望の連鎖によって支えられている。この欲望の増幅装置として、金融資本主義は極めて重要な役割を果たす。金融は未来の価値を現在に引き寄せ、欲望を先取りすることで、現実以上の膨張を可能にする。しかしその結果として、バブルや格差、経済の不安定化が生じる。資本主義は本質的に自己増殖する欲望のシステムであり、その制御は極めて困難であるという構図が浮かび上がる。

欲望の制御なき拡張の危うさ

本書が最も強く主張しているのは、欲望は無限であり、それ自体は制御されない限り暴走するという点である。近代経済学は、人間を合理的な存在としてモデル化してきた。しかし実際の人間は必ずしも合理的ではない。むしろ模倣・競争・不安といった感情によって動く存在である。この非合理な欲望が市場に持ち込まれることで、資本主義はしばしば暴走する。金融危機はその典型例であり、誰もが利益を求めて同じ方向に走ることで、結果的に全体が崩壊する。さらに現代においてはテクノロジーと結びついた欲望が加速している。インターネットやSNSは、人間の比較欲求や承認欲求を極限まで刺激し、欲望の拡張速度を飛躍的に高めた。その結果、資本主義はかつてない規模で人間の内面にまで入り込み、欲望そのものを設計する段階に至っている。したがって問題は、資本主義をどう修正するかという制度論にとどまらない。人間の欲望そのものをどう捉え、どう扱うかという倫理的・哲学的問題にまで踏み込まざるを得ない。

資本主義の時代における主体性の回復

欲望の資本主義が提示する本質的な問いは、人は欲望の奴隷であり続けるのか、それとも欲望を見つめ直す主体となり得るのかという点にある。資本主義は今後も続くであろう。しかしその中で人間がいかに生きるかは、制度ではなく個々人の意識に委ねられている。欲望を無批判に拡張するのではなく、それを理解し、時に制御し、選び取ること。この主体性の回復こそが、これからの時代における最も重要な課題である。

欲望との距離をいかに取るか(個人)

本書の示唆を踏まえるならば、これからの個人に求められるのは、欲望を否定することではなく、欲望との距離を自覚的に取ることである。

第一に必要なのは、自らの欲望がどこから来ているのかを見極めることである。多くの欲望は自発的なものではなく、社会や他者によって植え付けられたものである。他者との比較や広告によって生まれた欲望に無自覚に従う限り、人は常に不足感に追われ続ける。

第二に重要なのは、十分であるという感覚を取り戻すことである。資本主義は常にまだ足りないと語りかけるが、人間の幸福は必ずしも無限の拡張の中にあるわけではない。むしろ有限性を受け入れ、自らの基準で満足を定義することが、精神の安定をもたらす。

第三に、長期的視点を持つことである。欲望は短期的には強い駆動力を持つが、それに振り回されると人生全体の方向性を見失う。短期の快楽ではなく、持続的な意味や価値を重視する姿勢が必要である。

強欲との距離をいかに取るか(国家)

個人にとって重要なのが欲望との距離を自覚的に取ることであるならば、国家にとって重要なのは、社会全体が欲望の暴走に巻き込まれないよう、制度として節度を保つことである。国家は市場そのものを否定することはできないし、すべきでもない。市場は革新を生み、技術を進歩させ、生活を豊かにしてきた。しかし同時に、市場は放置すれば、短期利益・金融偏重・過剰消費・格差拡大へと傾きやすい。それ故国家の役割は、欲望を全面的に解放することではなく、欲望を秩序の中に組み込むことである。

1.制御された共存

日本が取るべき道は、強欲資本主義と全面対決することでも、逆に全面降伏することでもない。必要なのは、距離を取りつつ利用するという、成熟した妥協である。資本主義の活力は使うが、その価値基準を国家の最上位の原理にはしない。この線引きが重要である。国家運営の目的を経済成長率だけに置けば、教育、文化、家族形成、地域共同体、国土保全といった、数値化しにくいが国家の基礎である領域が切り捨てられていく。他方で、経済合理性を軽視し過ぎれば、財政基盤も技術競争力も失われる。したがって日本は、経済を国家目的そのものとせず、国家を支える手段として位置づけ直すべきである。経済成長は必要であるが、それは国民生活の安定、文化の継承、技術主権の確保、安全保障の強化のためにあるのであって、それ自体が絶対ではない。

2.短期利益中心の国家運営

強欲資本主義の最大の問題は、短期の収益を長期の基盤より上に置く点にある。企業でいえば、設備・人材・研究開発を削って目先の利益をつくることであり、国家でいえば、将来世代への投資を削って今の数字だけを整えることである。日本がこれから最も警戒すべきなのは、この短期主義である。足元では賃金上昇と物価上昇の循環が徐々に強まりつつあるが、同時に海外経済や通商政策の不確実性も大きい。日本経済は回復の芽を持ちながらも、外部環境に大きく左右される脆さを依然として抱えている。こうした状況で国家がすべきことは、景気の波に一喜一憂することではなく、教育、研究開発、人的資本、インフラ、安全保障といった長期資産を厚くすることである。この意味で、日本の国家運営は単年度主義から、十年後二十年主義へ転換すべきである。選挙に有利かどうかではなく、十年後二十年後に国民が安心して暮らせる国土と制度を残せるかどうかを基準に政策を組むべきである。

3.国家の豊かさをGDPで測らない

強欲資本主義は、豊かさを貨幣価値へと還元する。しかし国家は、それだけでは測れない。育児に希望を持て、地方でも生活が成り立ち、文化と風景が守られている。そうしたものもまた国の豊かさである。日本は人口減少社会である。日本は小さくなることを敗北としてではなく、成熟の条件として受け止めるべきである。量の成長が鈍るほど、質の成長が重要になる。長寿社会にふさわしい都市設計、地域医療、治安、自然環境など、生活の密度そのものを高める方向へ国家目標を切り替えるべきである。これからの日本が目指すべき国家像は、国民の生活基盤が安定し、必要な基幹技術を自ら保持し、外圧に対して一定の自立性を持つ国である。それは生活大国であり、同時に技術主権国家であるべきである。

4.足るを知る国家戦略

個人において十分であるという感覚が重要であったように、国家にもまた足るを知る感覚が必要である。これは停滞を正当化する思想ではない。何を増やし、何を抑え、何を守るかの優先順位を明確にすることである。日本は、無限成長の幻想よりも、持続可能な繁栄を選ぶべきである。都市の過密と地方の空洞化を放置したままGDPだけを追うのではなく、地域分散型の国土、災害に強いインフラ、子どもを育てやすい生活圏、高齢者が安心して暮らせる地域、そして高度技術と文化を両立させる社会を構想すべきである。経済成長はそのための条件ではあるが、目的ではない。

国家を超える個人への対処法(付記)

21世紀に入り、国家を凌駕する影響力を持つ個人が出現し始めた。かつて国家が独占していた通信、宇宙、金融、情報といった領域において、個人が直接的に関与し、その意思が世界の政治や経済を揺るがす事態すら現実となっている。この変化は単なる富の集中ではなく、統治の主体が国家から逸脱し始めているという構造的問題である。したがって問われているのは、富裕個人の善意や倫理に依存することではない。国家がいかにして、こうした個人を制度の内側に位置づけ、無制御な影響力を抑え込むかという、統治能力である。

1.問題の本質は富ではなく無制御である

まず認識すべきは、問題の本質は富そのものではないという点である。歴史的にも、国家は王侯貴族や財閥といった巨大な富を持つ主体と共存してきた。問題は、それらが国家秩序の内部に組み込まれているか、それとも外部で独自の論理に従って動くかにある。現代において危険なのは、富と技術と情報と政治影響力が一人の個人に集中し、その人物が国家の統制を受けずに意思決定を行う状態である。国家が対処すべき対象は富裕個人ではなく、無制御の力である。

2.インフラと個人の分離が不可欠である

現代における最大の問題は、個人が社会インフラを直接的に支配しうる点にある。通信、クラウド、AI、決済といった基盤が特定の個人の影響下にある場合、その人物の判断が社会全体に直結する。したがって国家は、インフラの所有、運用、アクセス権を制度的に分離しなければならない。民間企業が運用すること自体は問題ではないが、最終的な制御権限(停止や優先順位の決定)に関しては、国家が関与できる仕組を保持する必要がある。これは国有化ではない。あくまで公共性の高い領域において、最終決定権を国家が保持するという原則の確立である。

3.力の集中を分解する

強欲な個人が真に危険となるのは、複数の力を同時に掌握した場合である。金融、情報、技術、政治的影響力が一体となることで、国家すら対抗困難な存在が生まれる。国家は、この集中を制度的に分解する必要がある。金融とメディア、プラットフォームとAI基盤、民間事業と軍事技術といった領域を切り分け、一人の個人がすべてを同時に支配できない構造をつくることが求められる。これは過去における財閥解体の現代的再解釈とも言える。

4.対立ではなく取引関係に組み込む

国家が超富裕個人を完全に排除することは現実的ではない。むしろ重要なのは、彼らを国家との取引関係の中に組み込むことである。市場アクセスや規制緩和を与える代わりに、国内投資や技術移転、公共分野への貢献を求める。個人の自由な活動を認めつつ、その活動が国家に利益をもたらすよう誘導する。これは対立ではなく、統治である。国家は道徳的優位を主張するのではなく、実利に基づいて関係を設計すべきである。

5.国際連携による逃げ場の縮小

超富裕個人に対して一国で対応するには限界がある。彼らは容易に拠点を移し、最も規制の緩い場所へ移動することができる。したがって国家は、主要国との間で最低限のルールを共有し、どこか一国に逃げれば無制限の自由が得られるという状況を防がなければならない。税制、データ管理、AI規制、資産凍結などにおいて協調を図ることが不可欠である。これは完全な統一ではなく、最低限の足並みを揃えることに意味がある。

強欲資本主義崩壊のシナリオ(付記)

資本主義が完全に消滅するという形での崩壊は起こりにくいだろうが、現在のような欲望の無制限な拡張を前提とした資本主義は、形を変えていく可能性が極めて高い。資本主義は歴史的に見ても、常に危機を内包しながら変容してきた。19世紀の産業資本主義、20世紀の福祉国家型資本主義、そして現在の金融・データ資本主義へと姿を変えてきた。したがって問うべきは崩壊するかではなく、どのような形で転換するかである。

1.崩壊の引き金となり得る構造的要因

第一に、格差の臨界点である。富が極端に集中し、中間層が崩壊すると、消費基盤そのものが弱体化し、経済の持続性が損なわれる。加えて、社会不安や政治的分断が深まり、制度への信頼が崩れる。

第二に、金融の過剰肥大化である。実体経済を離れた資金の増殖は、バブルと崩壊を繰り返し、最終的には信用そのものを毀損する。信用が崩れたとき、資本主義の根幹も揺らぐ。

第三に、テクノロジーによる雇用の代替である。AIと自動化によって労働が不要になる領域が拡大すると、働いて所得を得て消費するという資本主義の循環が成立しにくくなる。

第四に、地球環境の制約である。無限の成長を前提とするモデルは、資源や環境の有限性と根本的に矛盾する。

これらはすべて、欲望の無限拡張という資本主義の前提を揺るがす要因である。

2.想定される崩壊・転換シナリオ

【シナリオ1】
金融信用の崩壊による急激な収縮
最も古典的でありながら現実的なのは、金融システムの崩壊である。過剰なレバレッジと信用創造が限界に達した時、連鎖的な破綻が発生し、資産価格が急落する。これにより実体経済も深刻な打撃を受け、国家が大規模介入を余儀なくされる。この場合、資本主義は消滅しないが、強い規制と再分配を伴う形へ回帰する。

【シナリオ2】
格差による政治的転覆
格差が社会の許容範囲を超えると、ポピュリズムや急進的政治勢力が台頭し、既存の制度を破壊する可能性がある。これは革命という形をとる場合もあれば、民主主義の内部から制度が変質する形をとる場合もある。この場合、資本主義は形式的には残っても、実質的には強い国家統制と再分配を伴う体制へと変化する。

【シナリオ3】
テクノロジーによる静かな変質
最も現実的で、かつ既に進行しているのがこのシナリオである。AIとデータを握る巨大企業や個人が経済の中枢を支配し、国家すらそれに依存する構造が生まれる。この場合、資本主義は崩壊するのではなく、プラットフォーム資本主義あるいはデータ封建制とも言うべき形へと変質する。市場は存在するが、そのルールは一部の主体によって実質的に決定される。

3.資本主義の代替は存在するのか

では資本主義に完全に代わる制度は存在するのか。結論として、単一の代替モデルは存在しない。むしろ現実的なのは、資本主義を基盤としながら、その性質を大きく変える方向である。

【代替的方向1】
制御された資本主義
株主利益の最大化ではなく、労働者、地域社会など多様な利害関係者を重視するモデルである。企業の目的を短期利益から長期的価値へと転換し、国家が適切な規制と誘導を行う。これは資本主義を否定するのではなく、欲望の方向を修正する試みである。

【代替的方向2】
分配を前提とした経済
AI時代において労働が減少するならば、所得を労働にのみ依存する仕組は限界を迎える。そのため、最低限の生活を保証する仕組が必要となる。これは単なる福祉ではなく、消費と社会安定を維持するための経済政策である。

【代替的方向3】
国家主導型資本主義
安全保障や基幹産業については、市場に任せず国家が主導するモデルである。エネルギー、半導体、通信、医療などを国家戦略として管理する。これは完全な計画経済ではないが、市場と国家の役割分担を再設計する。

【代替的方向4】
定常経済・循環型社会
成長を絶対視せず、資源の循環と生活の質を重視するモデルである。消費の拡大ではなく、持続可能性を中心に据える。これは特に人口減少社会において現実的な方向である。

未来の輪郭

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