共産主義の歴史概観
1.紀元前4世
プラトンが「国家」において、支配階級が私有財産を持たない共同体を構想。共産主義的発想の原型。
2.16世紀~18世紀
1516年トマス・モアが「ユートピア」を発表。私有財産の否定と共同生活社会を描写。18世紀(啓蒙期)ジャン=ジャック・ルソーが私有財産が不平等の起源であると批判。後の社会主義思想に影響。
3.思想の誕生(19世紀)
1848年カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが「共産党宣言」を発表。資本主義は階級闘争によって必然的に崩壊し、私有財産を廃した平等社会(共産主義)に至ると主張。共産主義は貧者の願望ではなく、歴史法則を装った理論(科学的社会主義)として誕生。
4実験国家(1917〜1920年代)
1917年ロシア革命でレーニンが政権奪取。1922年ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)成立。世界初の共産主義国家。理論が初めて国家権力と結合。革命を守る名目で一党独裁が正当化される。
5.全体主義への変質(1930年代)
1928年以降スターリンが権力掌握。強制的計画経済・粛清・言論統制。平等社会を目指した思想が強権的・全体主義体制へ転化。共産主義=独裁国家というイメージが定着。
6.冷戦と世界拡大(1945〜1970年代)
1945年以降第二次大戦後、東欧・アジアに共産主義国家が拡大。
1949年中華人民共和国が成立(毛沢東)。資本主義陣営(米国)との冷戦となる。国家ごとに解釈が分裂(中ソ対立)。
7.破綻と崩壊(1989〜1991年)
1989年ベルリンの壁崩壊。1991年ソ連解体。計画経済の非効率、経済停滞により制度としての共産主義が破綻。
8.現代の位置づけ(1991年以降)
中国・ベトナムでは共産党独裁+市場経済(事実上の修正資本主義)。
北朝鮮では共産主義から逸脱した世襲体制。
マルクスの資本論
共産主義の理論的支柱がカール・マルクスの「資本論」とされる理由は、この書物が共産主義社会の理想像を描いたからではなく、資本主義が内在的矛盾によって必然的に崩壊するという理論的根拠を与えた点にある。
「資本論」は政治的宣言書ではなく、資本主義経済の仕組みを分析する政治経済学の著作である。マルクスは、価値は労働によって生み出されるという労働価値説を徹底し、労働者が生み出した価値のうち賃金を超える部分(剰余価値)が資本家に帰属する構造を示した。これにより、貧富の格差は個人の能力や偶然ではなく、制度そのものが生む構造的搾取の結果であると論じられた。
さらに「資本論」は、利潤率低下の法則や資本の集中・独占、恐慌の周期的発生を通じて、資本主義が自らの内部矛盾によって行き詰まると主張した。この点が決定的である。共産主義革命は倫理的な願望や理想論ではなく、歴史法則として不可避な帰結だと位置づけられたからである。こうして「資本論」は、革命の必然性と正当性、そしてその主体をプロレタリアートに求める理論装置を提供し、共産主義運動にとって不可欠な科学的根拠となった。
一方で、「資本論」が必ずしも共産主義と不可分ではないという見解も妥当である。「資本論」は資本主義の診断書であって、共産主義社会の具体的な制度設計をほとんど示していない。国家の構造や計画経済の運営方法については沈黙しており、後に成立した共産主義国家の体制は、マルクス自身の詳細な構想というより、後継者たちの解釈と政治的判断の産物であった。またマルクスは強力な国家による恒久的統制を理想としておらず、国家は最終的に死滅すると考えていた。現実の共産主義国家に見られた官僚的全体主義は、マルクス理論からの逸脱と見ることもできる。
今日、「資本論」は共産主義の教典としてだけでなく、格差拡大や資本集中を分析する資本主義批判の古典として再評価されている。要するに、「資本論」は本質的には資本主義分析の書であり、共産主義はそれを自らの正当化に最も有効な理論として利用したに過ぎない。共産主義の理論的支柱と呼ばれるのは、その思想的内容よりも、歴史を必然として語る力を与えた点にある。
ロシア革命と共産主義の関係
ロシア革命と共産主義の関係は、思想としての共産主義が歴史上初めて国家権力と結合した転換点として理解されるべきである。共産主義はもともと、カール・マルクスが19世紀に提示した理論であり、資本主義は内在的矛盾によって必然的に崩壊し、その後に階級のない社会が到来するという歴史観に基づいていた。しかしマルクスは、その革命が主として高度に資本主義化した国で起こると想定しており、当時のロシアは農民が人口の大半を占める後進的帝国であった。この点で、ロシア革命はマルクスの理論をそのまま実現したものではなく、理論の大胆な転用であった。
1917年、帝政ロシアは戦時体制の疲弊、食糧不足、政治的抑圧の下で崩壊し、二月革命によって皇帝が退位した。その混乱の中で権力を掌握したのが、レーニン率いるボリシェヴィキである。彼らは同年の十月革命によって臨時政府を打倒し、労働者・兵士・農民の名において政権を樹立した。これがいわゆるロシア革命であり、ここに共産主義は抽象的理論から具体的な政治体制へと移行した。
レーニンは、ロシアの後進性という現実を踏まえ、マルクス理論を修正した。資本主義の成熟を待つのではなく、少数精鋭の前衛党が国家権力を掌握し、上から社会主義化を進めるという構想である。この結果、革命を防衛する名目で一党独裁が正当化され、言論の自由や多党制は否定された。1922年にはソビエト社会主義共和国連邦が成立し、共産主義は世界初の体制として制度化された。
この意味でロシア革命は、共産主義思想に二重の影響を与えた。一方では、資本主義以外の社会が現実に可能であることを示し、世界中の社会主義・共産主義運動を鼓舞した。他方では、国家権力の集中、官僚制、抑圧的統治と結びつくことで、共産主義=全体主義という否定的イメージを決定づけた。ロシア革命は、共産主義を歴史の舞台に登場させた原点であると同時に、その後の矛盾と破綻の出発点でもあった。
ロシア革命とユダヤ人
1917年のロシア革命によってそれまで抑圧されていたユダヤ人の自由度は高まった。帝政ロシアが制度として抱えていた差別が一挙に撤廃されたためである。革命以前、ユダヤ人は居住地・職業・教育に厳しい制限を受け、完全な市民権を持たなかった。革命後、レーニンとトロツキーが率いる新政権は、民族や宗教による法的区別を否定し、居住の自由、教育や就業の平等を原則として掲げた。これにより、都市移動や高等教育への参加が可能となり、抑圧されていた能力が社会の前面に現れた。その結果、ユダヤ系の人々が政治や知識層で目立つようになり、自由が急激に拡大したが、これは偶然ではない。
ロシア革命の中核人物がユダヤ系の人物であることは紛れもない事実である。理論的支柱となったマルクスはユダヤ系ラビの家系であり、軍事面の指導者であったトロツキーはユダヤ人であった。政治面の指導者であったレーニンはその家系を遡るとユダヤ系の血統を持つと言われている。共産主義の萌芽の段階から、その後の変遷を見る時、ユダヤ人の影響を抜きに語ることはできない。
スターリンのユダヤ人迫害
レーニンの死後、スターリンは一国社会主義を掲げ、国際革命を重視するトロツキーを最大の政治的脅威と見なし、暗殺している。スターリンはその後ユダヤ人を迫害する。その理由は第一に、権力闘争の論理である。スターリンは体制内の潜在的反対派を常に警戒し、標的を定期的に設定して恐怖を管理した。1930年代の粛清で旧ボリシェヴィキを排除した後、国際的つながりを持つと見なされた集団が疑念の対象になった。都市知識層に多かったユダヤ人は、体制不信の投影先として選ばれやすかった。
第二に、冷戦下の国際政治である。第二次大戦後、イスラエル建国(1948年)と米ソ対立の激化により、スターリンは二重の忠誠という虚構を用いて、ユダヤ人を西側と結びつけた。これは安全保障上の恐怖を煽る装置として機能した。
第三に、イデオロギー操作である。スターリンは露骨な民族主義を否定しつつ、反コスモポリタニズムという名目で事実上の反ユダヤ運動を展開した。文化人・学者・医師を西側の影響下にあるとして攻撃し、社会の統制を強めた。
要するに、スターリンの反ユダヤ政策は、体制の不安を外部化し、恐怖によって支配を固定するための政治的道具だった。ユダヤ人は権力を守るために選ばれた標的であったと言えるが、ロシア革命にユダヤ人が深く関わっていたが故の粛清でもあった。
共産主義と国家支配
共産主義はしばしば平等な社会を目指す思想として語られるが、歴史的実態を見ると、特定の人々が民衆を支配するための口実として機能した側面が強かったことは否定できない。この評価は単なる感情論ではなく、理論と実践の接合部に内在する構造的問題から導かれるものである。
理論上の共産主義、とりわけマルクスの思想は、本来、支配や特権を肯定するものではなかった。私有財産の廃止、階級の消滅、国家の死滅を通じて、人々が対等な関係で生きる社会を最終目標としていた点で、共産主義はむしろ既存の支配構造への徹底した批判として構想された思想である。
しかし問題は、この思想が革命という形で国家権力と結びついた瞬間に生じた。レーニンは、民衆が自然発生的に革命意識へ到達することはないと考え、少数の前衛党が民衆を代表して権力を掌握し、社会を指導する必要があると主張した。ここで初めて、民衆の名おいて、民衆を指導・統制する少数者という構造が正当化される。平等を実現するためには一時的な不平等や強制が必要だという論理が導入され、支配の芽が理論内部に組み込まれたのである。
さらに共産主義体制では、平等や自由は常に将来実現される目標として先送りされた。革命防衛、非常時、外敵の存在といった理由により、現実の政治では党・官僚・治安機構に権力が集中し、民衆はその名の下に統制され続けた。理想は未来に、支配は現在に固定されるという構造が形成され、結果として新たな特権階級が生まれた。
加えて、多くの共産主義国家では、権力を制限する制度が欠如していた。自由選挙、権力分立、司法の独立、言論の自由といった装置が否定または形骸化され、人民を代表する権力は人民によって監視されない存在となった。このことが、支配の自己増殖を止められない決定的要因となった。
以上を踏まえると、共産主義が実践において特定の人々が民衆を支配する口実となったという評価は、歴史的事実として相当程度妥当である。ただし重要なのは、それが単なる指導者の悪意や裏切りだけで生じたのではなく、理想を掲げて権力を集中させる構造そのものが、支配へ転化しやすかった点にある。平等という高い理念が、結果として新たな不平等を正当化する装置となったことこそが、共産主義の歴史が残した最も重い教訓である。
共産主義と独裁主義
共産主義と独裁主義は歴史的に親和性が高かったことは事実であり、スターリンや毛沢東の事例は偶然ではない。
共産主義は本来、階級支配の廃止と国家の死滅を最終目標としていた。マルクス自身は恒久的独裁を構想しておらず、むしろ国家権力を歴史的に克服すべき存在と見なしていた。しかし、革命は既存国家との全面対立を伴い、内戦・外圧・経済混乱の中で進められるため、非常時の統制が正当化されやすい。ここで導入されたのが、少数の前衛が民衆を代表して権力を行使するという構造である。
この構造を国家として固定化した代表例がスターリンである。スターリン体制では、革命防衛と社会主義建設を名目に権力が党指導部へ集中し、反対意見は反革として排除された。計画経済の失敗や社会的不満は敵の陰謀として処理され、粛清と恐怖が統治手段となった。ここでは共産主義の理念そのものよりも、理念を体現すると自称する権力が自己保存のために独裁化したと言える。
同様の構図は毛沢東の中国にも見られる。毛沢東は農民革命という独自路線を打ち出し、個人崇拝を通じて党と国家の上位に立った。大躍進政策や文化大革命では、理念への忠誠が事実や専門知を凌駕し、異論は人民の敵として排除された。ここでも平等や解放は未来に約束され、現在の強権は不可避の過程として正当化された。
共産主義と独裁主義の親和性が高まった最大の理由は、権力を制限する制度が実装されなかった点にある。多党制、自由選挙、司法の独立、言論の自由といった抑制装置はブルジョア的として否定され、結果として人民を代表する権力は人民からチェックされない存在となった。理想を独占的に解釈する主体が現れれば、独裁は制度的に止められない。
総じて言えば、共産主義は理念として必ず独裁を要請するわけではないが、革命・非常時・前衛主義・権力抑制装置の欠如という条件が重なると、独裁へ転化しやすい高い親和性を持っていた。スターリンや毛沢東はその極端な表現であり、20世紀の歴史は、平等という理念が、権力集中と結びついたとき、最も抑圧的な体制を生みうるという厳しい教訓を示している。
各国共産主義国の特色
1.ソ連の共産主義
ソ連の共産主義は、1917年の革命後、レーニンの前衛党理論を基礎に成立し、スターリン期に国家体制として完成した。特徴は、工業労働者を革命主体とする理論的正統性、国家主導の計画経済、一党独裁と強力な官僚制である。急速な工業化と軍事力の拡大を実現した一方、農業集団化や大粛清により甚大な人的被害を生んだ。自由や平等は革命防衛の名目で先送りされ、党と国家が融合した権力はチェックを欠いた。結果として、経済停滞と正統性の喪失が進み、1991年に体制は崩壊した。
2.中国の共産主義
中国の共産主義は、1949年の建国後、毛沢東の指導の下で確立された。最大の特徴は、農民を革命主体とする動員型革命と、民族主義・個人崇拝の強い結合である。大躍進政策や文化大革命では理念が現実を凌駕し、大混乱と犠牲を招いた。一方、1978年以降は市場経済を導入しつつ共産党の一党支配を維持する路線へ転換した。経済成長を通じて統治の正統性を確保し、体制は存続している点がソ連と大きく異なる。
3.ベトナムの共産主義
ベトナムの共産主義は、植民地支配からの独立闘争と結びついて形成された点に大きな特徴がある。指導者であるホー・チ・ミンは、マルクス主義を民族解放の理論として採用し、1945年の独立宣言、1975年の南北統一を通じてベトナム社会主義共和国を成立させた。体制面では共産党の一党支配と計画経済を基礎としたが、戦争と貧困により経済は停滞した。1986年以降、ドイモイ(刷新)政策によって市場経済を段階的に導入し、私企業や外国資本を容認しつつ、政治的独占は維持している。現在のベトナム共産主義は、イデオロギーよりも経済成長と社会安定を優先する実務的・現実適応型の共産主義と位置づけられる。
4.北朝鮮の共産主義
北朝鮮の共産主義は、ソ連型マルクス・レーニン主義を基礎としつつ、独自の主体思想へと変質した。建国指導者金日成は、抗日闘争と民族解放を正統性の源泉とし、国家主導の計画経済と一党支配を確立した。冷戦下では軍事と重工業を優先し、社会統制を強化した。1990年代の経済危機以降も改革開放は限定的にとどまり、体制維持を最優先している。現在は金正恩の下、共産主義の平等理念よりも、世襲的指導体制と核・軍事力を柱とする国家運営が前面に出ており、実態は共産主義というより世襲的全体主義国家と評価される。
中華人民共和国の共産主義の変質
中華人民共和国の共産主義は、建国以来一貫した思想体系として存続してきたというより、時代ごとに大きく変質しながら国家統治の正当化装置として再構成されてきた。
1949年の建国当初、中国の共産主義は毛沢東によるマルクス・レーニン主義の中国化を基礎としていた。革命主体を工業労働者ではなく農民に置き、民族解放と社会革命を結合させた点が特徴である。しかし毛沢東期の共産主義は、理念よりも政治闘争色が強く、大躍進政策や文化大革命では、平等や革命精神が絶対化された。その結果、甚大な人的被害と経済崩壊を招き、共産主義は社会の発展理論というより、権力闘争と個人崇拝を正当化する思想へと歪められた。
毛沢東死後、中国の共産主義は決定的な転換点を迎える。鄧小平は、黒猫白猫論に象徴されるように、イデオロギーよりも成果を重視し、市場経済を大胆に導入した。これにより私有財産、外国資本、格差の存在が事実上容認され、古典的意味での共産主義は放棄された。一方で、共産党の一党支配は維持され、政治改革は厳しく抑制された。この段階で中国は、経済は資本主義、政治は共産党独裁という二重構造を制度化したのである。
21世紀に入ると、この変質はさらに進む。習近平体制下では、市場経済は維持されつつも、国家と党の統制が再び強化され、共産主義は平等や階級廃止の思想というより、国家主義・民族主義と結合した統治イデオロギーとして機能している。反腐敗運動や思想教育は、社会主義の名を借りた統制強化の手段となり、党の指導は国家・企業・社会のあらゆる領域に及んでいる。
総じて中華人民共和国の共産主義は、革命期には動員思想、改革期には正統性の看板、現在では国家統合と権力集中の理念として変質してきた。今日の中国における共産主義は、マルクスが構想した平等社会とは大きく乖離し、共産党支配を正当化するための政治言語として存続しているのである。
共産主義から民族主義に転化したロシア
現在のロシアは共産主義国家ではなく、明確に国家主義(ロシア民族主義)を中核とする体制である。
ソ連崩壊後のロシアは、私有財産と市場経済を全面的に認め、資本家層やオリガルヒが経済を支配する体制へと移行した。この時点で、共産主義の根幹である階級闘争、私有財産の否定、国際主義は制度的に放棄されている。共産党による統治や計画経済も復活しておらず、マルクス主義は国家理念の中心ではない。
現在のロシア体制、とりわけプーチン体制を貫く思想の核は、ロシアの歴史的連続性にある。帝政ロシア、ソ連、ロシアを断絶した別の国家としてではなく、一つの連続した歴史として語り直し、ロシア固有の領土と資源を自分たちの国家のために利用しようとする民族主義的な国家感である。ここでは未来の平等社会よりも、国家の威信が動員の軸となる。
また、ロシア正教会の復権や伝統的家族観・保守的価値観の強調も重要である。これらは共産主義の無神論的・国際主義的価値観とは正反対であり、西欧のリベラル民主主義への対抗軸として用いられている。国民を結束させる単位も、階級ではなく民族と国家である。
総じて言えば、現在のロシアは共産主義から明確に離脱し、民族主義と国家主義を軸に再編された権威主義国家である。共産主義はもはや信奉される理念ではなく、国家の物語を補強するための歴史的資源として利用されているに過ぎない。この意味で、ロシアを民族主義国家と捉える視点は、現実を正確に捉えていると言える。
共産主義とグローバリズムの親和性
共産主義は理念のレベルではグローバリズムと高い親和性を持つが、実際の国家運営としてはしばしば反グローバリズムへ転化した、という二重構造を持っている。
まず理論面では、共産主義は本質的にグローバリズム的思想である。マルクスは、資本主義を国境を越えて展開する世界史的システムとして捉え、それに対抗する主体もまた国民国家を超えた国際的プロレタリアートであると考えた。万国の労働者よ、団結せよという有名なスローガンが示す通り、共産主義は民族・宗教・国家の枠組みを相対化し、人類を階級という普遍的基準で再編しようとする思想である。この意味で、共産主義は国境を超えた連帯を理想とする点で、思想的にはグローバリズムと強く共鳴する。
さらに、共産主義は普遍的真理を自認する思想であり、特定文化や歴史条件に限定されないと主張する。そのため、自らを世界史の必然と位置づけ、各国に輸出・適用されることを前提とした。この点も、価値の普遍化を志向するグローバリズムと共通している。
しかし、実践段階に入ると事情は大きく変わる。共産主義が国家権力と結びついた瞬間、国際主義は急速に退き、国家利益と体制維持が最優先されるようになった。ソ連の一国社会主義や、中国・北朝鮮・ベトナムに見られる強い主権意識はその典型である。現実の共産主義国家は、グローバルな統合よりも、むしろ国境管理、情報統制、経済的自立を重視してきた。ここでは共産主義は、グローバリズムの対極にある強固な国家主義と結びついた。
この矛盾は偶然ではない。共産主義は、グローバルな理想を掲げつつ、それを実現する手段として強力な国家権力を必要とした。その結果、理念としては脱国家的でありながら、現実には国家を極度に肥大化させるという逆説が生まれたのである。
総合すれば、共産主義は思想としてはグローバリズムと高い親和性を持つが、体制としてはむしろ反グローバリズムになりやすい。この二面性こそが、20世紀の共産主義が示した最大の特徴であり、また限界でもあったと言える。
米国における共産主義の浸透
米国における共産主義の浸透は、国家転覆を狙う大衆運動としてではなく、知識人・労働運動・文化領域を中心とした思想的影響として理解するのが実態に近い。
20世紀初頭、産業化が進む米国では貧富の格差や労働問題が深刻化し、社会主義・共産主義思想が一定の支持を得た。1919年には米共産党が結成され、労働組合運動や人種差別反対運動の一部に関与したが、選挙を通じて政権を担う規模には至らなかった。これは、米国の強い二大政党制と私有財産・個人主義を重視する政治文化が、共産主義の大衆化を構造的に抑制したためである。
1930年代の大恐慌期には、資本主義への不信から共産主義への関心が高まり、大学・芸術・ジャーナリズムの分野で影響力を持つ知識人が増えた。第二次大戦中には反ファシズムの文脈でソ連が同盟国となり、共産主義への警戒は一時的に緩和された。しかし戦後、冷戦が始まると状況は一変する。ソ連との対立の中で、共産主義は外来の脅威と見なされ、1950年代のマッカーシズムによって思想的影響は強く抑圧された。
その後、1960年代以降の反戦運動、公民権運動、学生運動では、マルクス主義や新左翼思想が再び参照されるようになる。ただしこれは革命を目指す共産主義というより、資本主義批判や権力構造分析の理論としての受容であった。冷戦終結後は、共産主義政党としての影響はほぼ消滅し、格差・人種・ジェンダー問題を論じる学術・文化領域で、マルクス的分析枠組みが部分的に生き残った。
総じて米国における共産主義の浸透は、体制転換をもたらす政治勢力ではなく、社会批判の理論資源として影響した現象である。強固な民主制度と市場経済の下で、共産主義は常に周縁的存在にとどまりつつ、思想史的には一定の足跡を残した。
ファシズムと共産主義
ファシズムと共産主義は感覚的に類似していると感じる。ファシズムと共産主義は思想の出発点は正反対だが、国家として実装された段階では驚くほど似た構造を持った。
1. 出発点は真逆だが、目標は全体の動員
共産主義はマルクスに由来し、階級の廃止と平等を掲げる国際主義思想である。一方、ファシズムはムッソリーニやヒトラーに代表され、民族・国家の優越を強調する排他的思想である。しかし両者はともに、個人より全体を優先する、社会を一つの意志に統合するという点で一致する。個人の自由や多様性は、いずれも目的達成のために抑制される。
2. 国家権力の集中と一党支配
実践において、共産主義もファシズムも権力分立を否定し、強力な中央集権体制を築いた。共産主義では党が人民を代表するという論理、ファシズムでは指導者が民族の意思を体現するという論理が用いられ、いずれも権力を制限する制度が欠如した。その結果、秘密警察、検閲、反対派弾圧が常態化し、恐怖が統治の手段となった。
3. 理念の独占と敵の創出
両体制は、自らを唯一の正義と位置づけ、異論を敵として排除する。共産主義では反革命分子、ファシズムでは非国民・劣等民族が設定され、社会不満は常に外部の敵に転嫁された。この構造が、大衆動員と指導者崇拝を維持する装置として機能した。
4. なぜ似てしまったのか
共通点の核心は、理想社会を短期間で実現しようとする革命思想にある。目的が絶対視されると、正しい目的のためには手段を選ばないという論理が生まれる。共産主義もファシズムも、この点で全体主義へ収斂した。ファシズムと共産主義は、理念は対極だが、権力の運用段階では兄弟のように似ていた。20世紀の歴史が示した最大の教訓は、崇高な理想であっても、権力を無制限に集中させれば、同じ抑圧的体制に行き着くという点にある。
AI時代に復活する共産主義
古典的な共産主義がAI時代にそのまま復活する可能性は低いが、共産主義的発想(再分配・計画・私有の相対化)は、AI時代に別の形で強く再浮上すると考えるのが最も現実的である。
ただし、それは20世紀に見られた国家独占型・一党独裁型の共産主義が再来するという意味ではない。共産主義が提起してきた問題意識や発想が、AI時代に新たな形で再浮上すると考えるべきである。
AIの普及は、労働の価値を急速に低下させ、生産や意思決定を人間からアルゴリズムへ移行させつつある。その結果、富や権力はデータ、計算資源、巨大プラットフォームを保有する少数者に集中し、格差は構造的に拡大する。この状況は、資本集中や労働の疎外といった、かつて共産主義が批判した資本主義の矛盾を、より先鋭な形で顕在化させる。こうした背景から、再分配、公共財としてのAI、最低生活保障といった共産主義的に見える政策が、理念ではなく合理的対応として語られ始めている。
しかし同時に、古典的共産主義が前提とした中央集権的計画経済や国家独裁は、AI時代にはむしろ不適合である。情報処理と革新は分散的な環境でこそ進み、国家がAIを独占すれば、平等ではなく監視と統制が極端に強化される危険が高い。AIと結びついた権威主義は、共産主義の復活ではなく、デジタル独裁を生みかねない。
現実的に想定されるのは、私有と市場を残しつつ、再分配と公共性を強化するポスト共産主義的なハイブリッド社会である。競争は維持されるが、最低限の生活は無条件で保障され、データやAI基盤は公共財に近づく。この形は、共産主義の理念と資本主義の制度を、AIによる最適化で接合する試みと言える。
AI時代に復活するのは共産主義そのものではない。復活するのは、富と権力を誰が持ち、技術の利益を誰が受け取るのかという共産主義が突きつけた問いである。その問いへの答え方次第で、未来はより包摂的な社会にも、より抑圧的な体制にもなり得ることを、肝に銘じなければならない。
