チャールズ・ディケンズ ある生涯

Charles Dickens
A Life
2011年刊
Claire Tomalin著

クレア・トマリンの経歴

クレア・トマリン(1933年-)は、英国を代表する伝記作家である。ロンドンに生まれ、ケンブリッジ大学で英文学を学んだ。ジャーナリズムと出版の世界で経験を積み、本格的に伝記作家として活動するようになった。トマリンの特色は、歴史上の著名人物を英雄化するのでも、反対に私生活上の欠点を暴露して断罪するのでもなく、残された資料からその人物が実際にはどのような人間だったのかを復元しようとするところにある。

本書の内容

1.貧困の記憶-12歳の少年が受けた傷

チャールズ・ディケンズは1812年、英国ポーツマス近郊に生まれた。父は海軍給与局に勤めていたが、金銭管理が不得手で借金を重ね、1824年には債務者監獄マーシャルシーへ収監された。この時、12歳のチャールズは学校を離れ、ロンドンのウォーレンズ靴墨工場で働かされる。これはディケンズの人生を決定的に変えた。中流階級の家庭で育ち、自分には将来があると信じていた少年が、突然学校から引き離され、労働者の少年たちと一緒に長時間働かなければならなくなった。ディケンズはこの経験を深い屈辱として記憶した。しかも両親が自分を工場からすぐには救い出そうとしなかったことに対する怒りは、生涯完全には消えなかった。トマリンは、この少年期の貧困と屈辱を、後のディケンズの猛烈な上昇欲、金銭的不安、貧しい子供への共感を理解する重要な鍵としている。

2.新聞記者から作家へ

少年期の危機を脱したディケンズは、法律事務所の事務員を経て、新聞記者となった。ここで彼は、後の小説家として決定的に重要な能力を身につける。ディケンズは巨大都市ロンドンを歩き回り、人々の話し方、表情、服装、癖、階級差を観察した。やがてボズの筆名で都市生活のスケッチを書き始め、1836年にボズのスケッチを刊行する。そして同年、ピクウィック・クラブの連載が始まると、ディケンズは一躍人気作家となった。24歳にして結婚し、作家としても経済的成功への道を歩み始めた。

3.オリヴァー・ツイスト-社会の底辺を見る

成功したディケンズは、単なる娯楽小説家にはならなかった。オリヴァー・ツイストでは、孤児、児童労働、犯罪、売春、貧困といったヴィクトリア朝英国の暗部を描いた。ディケンズ文学には一貫した特徴がある。社会制度を抽象的な理論として批判するのではなく、制度によって苦しむ具体的な人間を登場させる。貧困という統計ではなく、オリヴァーという子供を描く。そのため読者は社会問題を政策としてではなく、人間の苦痛として経験する。この力こそディケンズ文学の社会的影響力の源泉であった。

4.驚異的な仕事量-止まることのできない人間

トマリンが繰り返し描くディケンズの特徴が、異常なほどのエネルギーである。彼は小説を書くだけではない。新聞や雑誌を編集し、記事を書き、慈善活動に関わり、芝居を演じ、旅行し、膨大な手紙を書いた。1838年にはオリヴァー・ツイストとニコラス・ニクルビーという二つの長編を並行して執筆していた。トマリンが描くディケンズには休むという能力がほとんどなかった。この猛烈な活動力は彼の成功の源泉だったが、同時に晩年の身体的崩壊につながっていく。

5.キャサリンとの結婚-家庭を求めながら家庭を壊す

1836年、ディケンズはキャサリン・ホガースと結婚する。二人の間には10人の子供が生まれた。しかし家庭生活は次第に悪化する。ディケンズは家庭的幸福を強く理想化する一方、現実の妻や子供たちに対しては非常に厳しい要求をする人物だった。妻キャサリンが年齢を重ね、出産を繰り返し、若い頃とは変わっていくと、ディケンズは彼女への愛情を失っていく。ここにトマリンが描くディケンズの重大な矛盾がある。小説では家庭、愛情、子供、弱者への思いやりを繰り返し描いた人物が、自分自身の家庭では必ずしも思いやり深い夫や父親ではなかった。

6.メアリー・ホガース-失われた理想の女性

ディケンズの人生に大きな影響を与えた人物が、キャサリンの妹メアリー・ホガースである。メアリーは1837年、わずか17歳で突然死した。ディケンズは激しい悲しみに襲われた。若く美しいまま死んだメアリーのイメージは、後の作品に繰り返し現れる純粋で理想化された若い女性の原型の一つとなった。骨董屋のリトル・ネルをはじめ、若くして死ぬ純粋な女性像には、メアリーの記憶が影を落としている。トマリンはこうした関係を通して、ディケンズが現実の人物や感情をどのように小説へ変換していったかを描く。

7.クリスマス・キャロル-社会改革と人間の再生

1843年のクリスマス・キャロルは、ディケンズの社会思想を最も分かりやすく示す作品である。守銭奴スクルージは、貧困や他者の苦痛に無関心な人物として登場する。しかし過去、現在、未来を見せられることで、自分の生き方を変える。ここにはディケンズの人間観がある。社会制度は重要である。しかし制度だけでは社会は変わらない。人間が他者の苦痛を想像する能力を持たなければならない。ディケンズ文学の根底にあるのは、法律や制度による改革とともに、人間自身の道徳的想像力を回復する必要があるという考えである。

8.社会改革家としてのディケンズ

ディケンズは作品だけでなく、現実の社会問題にも積極的に関与した。貧困、児童労働、教育、衛生、刑務所、売春などに強い関心を持った。特にアンジェラ・バーデット=クーツと協力し、売春から抜け出そうとする女性たちのための施設ユラニア・コテージの運営にも関与した。トマリンは本書の冒頭でも、1840年に嬰児殺しの容疑を受けた若い使用人エライザ・バージェスを救おうとしたディケンズの行動を取り上げている。彼の弱者への共感は単なる文学的ポーズではなかった。しかし同時に、ディケンズは全ての問題について現代的な意味で進歩的だった訳ではない。トマリンは彼を現代の価値観に合わせて理想化せず、ヴィクトリア朝の人間としての偏見や限界も描いている。

9.デイヴィッド・コパフィールド

1850年に完成したデイヴィッド・コパフィールドは、ディケンズの最も自伝的な小説である。主人公デイヴィッドの少年期には、ディケンズ自身の経験が色濃く反映されている。特に少年時代の労働経験は、長年他人に語ることのできなかった秘密だった。その屈辱を小説へ変換することで、ディケンズは自分自身の過去を文学として再構成した。トマリンが描くディケンズ文学の重要な特徴はここにある。彼は傷ついた記憶を忘れたのではない。忘れられなかったからこそ、それを物語に変えたのである。

10.社会批判の深化

中年期のディケンズ文学は次第に暗くなる。荒涼館では非効率で非人間的な司法制度を、リトル・ドリットでは官僚制度、借金、階級社会を批判した。若い頃の作品には、善良な人物が幸福になるという楽観的な側面が強かった。しかし年齢を重ねるにつれて、ディケンズは社会制度が人間を圧迫する構造をより深く描くようになる。個人の善意だけでは解決できない問題が存在する。それでもディケンズは、人間の思いやりや連帯への希望を完全には捨てなかった。

11.エレン・ターナン-人生を変えた恋愛

1857年、45歳のディケンズは18歳の若い女優エレン・ネリー・ターナンと出会う。この出会いは彼の人生を大きく変えた。ディケンズはネリーに強く惹かれ、やがて妻キャサリンとの結婚生活を終わらせる方向へ進む。1858年、夫妻は別居した。しかしその過程でディケンズはキャサリンに極めて冷酷な態度を取った。自らの立場を正当化するため、家庭問題について公的声明まで発表し、妻側に問題があったかのような印象を与えようとした。トマリンはこの部分でディケンズを厳しく評価する。貧しい者、子供、社会から排除された者に深い共感を示した作家が、自分にとって都合の悪い人間には驚くほど冷酷になり得たのである。

12.ネリーとの秘密生活

ディケンズとネリーとの関係は、ヴィクトリア朝社会では絶対に公にできないものだった。世界的な名声を持ち、家庭的道徳を作品で説いてきたディケンズにとって、若い女優との関係が知られれば社会的評価に重大な影響を及ぼす可能性があった。そのため二人の関係は徹底的に秘密にされた。

13.大いなる遺産-成功とは何か

1860年代に発表された大いなる遺産は、ディケンズ自身の人生とも奇妙なほど重なる。主人公ピップは貧しい少年から上流社会へ上昇することを夢見る。しかし富と地位を得れば幸福になれる訳ではない。この物語には、少年時代の貧困から自力で世界的名声と富を獲得したディケンズ自身の人生への問いが反映されている。ディケンズは成功し、金も名声も得た。しかし家庭生活は崩れ、秘密の恋愛を抱え、精神的にも身体的にも休むことができなかった。その意味で大いなる遺産は、成功とは何なのかというディケンズ自身への問いでもあった。

14.公開朗読-作家からスターへ

晩年のディケンズは、自作の公開朗読を大規模に行うようになる。これは単なる朗読会ではなかった。彼は登場人物ごとに声を変え、表情を変え、全身を使って演じた。何千人もの観客が集まり、ディケンズは現在でいう世界的エンターテイナーのような存在となった。朗読活動は莫大な収入をもたらした。しかし身体への負担は甚大だった。健康状態が悪化しても、ディケンズは舞台へ出ることをやめられなかった。観客の反応、拍手、収入、そして自分自身が物語を演じる喜びを必要としていた。

15.ステイプルハースト鉄道事故

1865年、ディケンズはネリーとその母親とともにフランスから帰国する途中、ステイプルハーストで重大な鉄道事故に遭遇した。多くの乗客が死傷したが、ディケンズは生き延びた。彼は負傷者の救助に努めた後、車両に戻って原稿を回収したとされる。事故後、鉄道旅行への強い不安など心的影響が残った。この出来事は、既に過労状態にあったディケンズの身体と精神に大きな負担となった。

16.最後まで書き続ける

1860年代後半、ディケンズの健康状態は急速に悪化する。痛風、神経痛などに苦しみ、軽い脳卒中も経験した。それでも彼は執筆と公開朗読を続けた。周囲が休養を勧めても、止まることができなかった。トマリンの描く晩年のディケンズには悲劇性がある。少年時代、貧困から逃れるために猛烈に働くことを覚えた男が、世界的成功を手に入れた後も働くことをやめられない。1870年、ディケンズは脳出血によって58歳で死去した。

本書が言いたかったこと

本書が描いているのは、単純な貧しい少年が努力して世界的作家になったという成功物語ではない。トマリンが最も重視しているのは、人間の偉大さと欠点は必ずしも別々に存在するものではなく、時には同じ性格から生まれるということである。ディケンズには驚異的なエネルギーがあった。それが傑作を次々に生み出した。しかし同じエネルギーが、休むことのできない生活を生んだ。彼には強烈な想像力があった。それによって貧しい子供、孤独な老人、犯罪者、債務者、売春婦など、ヴィクトリア朝社会から見捨てられた人々の苦しみを想像することができた。しかし同じ強烈な感情は、自分を傷つけたと感じた人間への執念深さにも変わった。彼には貧困への深い共感があった。しかしその根底には、自分自身が二度と貧困へ戻りたくないという強烈な恐怖も存在した。彼は家庭の幸福を文学の中で繰り返し描いた。しかし現実の家庭では、妻キャサリンを傷つけ、子供たちにも非常に厳しかった。この矛盾を消してしまえば、ディケンズという人間を理解することはできない。トマリンは彼を道徳的聖人にも偽善者にも還元しない。他者の苦痛を驚くほど深く理解できる人間が、自分に最も近い人間を深く傷つけることもあるという、人間の矛盾を描いている。ディケンズの文学は彼の人生から切り離せない。靴墨工場の少年はデイヴィッド・コパフィールドへ、債務者監獄の記憶はリトル・ドリットへ、社会の底辺で暮らす子供への関心はオリヴァー・ツイストへ、成功と階級への複雑な感情は大いなる遺産へと変わっていった。しかし彼は単に自分の経験を書いたのではない。自分自身の傷を、無数の他者が自分の問題として感じられる物語へ変換した。ここにディケンズの文学的偉大さがある。本書は、文学者の伝記であると同時に、欠乏と屈辱を原動力として巨大な成功を築いた人間が、成功によっても過去から完全には解放されず、その傷を芸術へ変える一方、自らの人生にも新しい傷を生み出していく物語である。そこにトマリンが描いたディケンズの偉大さと悲劇がある。

未来の輪郭