James Joyce
1959年刊(改訂版1982年)
Richard Ellmann著
リチャード・エルマンの経歴
エルマン(1918-1987年)は、アメリカ・ミシガン州に生まれた文学研究者、批評家、伝記作家である。イェール大学で学んだ後、オックスフォード大学に留学し、アイルランド文学と20世紀モダニズム文学の研究者として名声を確立した。エルマンの研究対象となった中心人物は、イェイツ、ジョイス、ワイルドである。エルマンはヨーロッパへ繰り返し赴いてジョイスの親族や友人を訪ね、文学遺産管理者ウィーヴァーをはじめ多くの関係者から協力を得て、本書を書いた。
本書の内容
1.ダブリン-すべての出発点
ジェイムズ・ジョイスは1882年、アイルランドのダブリン郊外ラスガーに生まれた。父は話術に長け、歌を愛し、強烈な個性を持つ人物であったが、経済観念に乏しく、一家の生活は次第に困窮していった。一方、母は敬虔なカトリック信者であった。この父と母、そしてダブリンという三つの存在は、ジョイス文学を生涯にわたって支配することになる。ジョイスはイエズス会系の学校で教育を受け、カトリックの思想と儀式を徹底的に身につけた。しかし成長するにつれて教会への信仰を失い、アイルランド・ナショナリズムにも距離を置くようになる。彼はあまりにも深くアイルランドとダブリンを知っていたからこそ、その政治、宗教、民族主義、社会的閉塞を批判したのである。
2.脱出-祖国を離れて祖国を書く
ジョイスの人生を理解する上で重要なのが、亡命である。彼はアイルランドを離れ、1904年、ノラ・バーナクルとともにヨーロッパ大陸へ向かった。その後、トリエステ、ローマ、チューリヒ、パリなどで生活し、人生の大部分をアイルランド国外で過ごすことになる。ところが奇妙なことに、国外へ出れば出るほど、彼の文学はダブリンへ集中していった。ジョイスは世界各地を舞台に小説を書くのではなく、ほとんど執拗なまでにダブリンを書き続けた。ジョイスはダブリンから逃れることによって、初めてダブリンを文学として所有することができた。
3.ノラ・バーナクル-文学を支えた現実世界
1904年6月16日、ジョイスとノラ・バーナクルは初めて本格的なデートをした。この日付は後にユリシーズの物語が展開する一日となり、現在ではブルームズデイとして世界中のジョイス愛好家によって記念されている。ノラは高度な文学教育を受けた女性ではなかった。しかしジョイスにとって、生涯を通じて最も重要な人間の一人となった。二人の関係には愛情、性的情熱、嫉妬、経済的困窮、喧嘩があり、決して理想化されたものではない。それでもノラは、ジョイスの不安定な生活を長年支えた。
4.タブリン市民
1914年に刊行された短編集ダブリン市民では、ダブリンに暮らす普通の人々が描かれる。そこには英雄的事件はほとんどない。日常生活が描かれる。しかしジョイスは、平凡な日常の一瞬に、人間の人生全体が突然見えてくる瞬間を捉えようとした。これがジョイス文学で重要なエピファニー(日常の中で真実が突然露呈する瞬間)である。エルマンは、ジョイスの作品に登場する人物や出来事の多くが、実際のダブリンの人物やジョイス自身の経験を素材としていることを丹念に明らかにした。
5.若い芸術家の肖像
1916年刊行の若い芸術家の肖像では、主人公スティーヴン・デダラスの成長が描かれる。スティーヴンは明らかにジョイス自身をモデルとしている。家庭の没落、カトリック教育、性的罪悪感、宗教への反抗、アイルランド社会への違和感、そして芸術家として生きる決意。ジョイスは自分の人生をそのまま告白するのではなく、現実の経験を選択し、変形し、構成することで文学へ変えた。エルマンの伝記の優れた点は、どこまでが現実で、どこからが創作なのかを単純に分離しないところにある。ジョイスにとって人生とは作品の材料であり、文学とは人生を別の形へ作り直す行為だった。
6.エズラ・パウンド-ジョイスを世に出した人物
ジョイスの才能を早くから認めた重要人物がエズラ・パウンドである。パウンドはジョイスの作品を高く評価し、雑誌への掲載、出版社との交渉、文学界への紹介などに力を尽くした。更にウィーヴァーの経済的支援も決定的に重要だった。ジョイスは後に20世紀最大級の作家と評価されるが、生涯のかなり長い期間、作品だけでは十分な収入を得られなかった。エルマンは、天才の誕生にも支援者、編集者、友人という人的ネットワークが不可欠であったことを明らかにしている。
7.ユリシーズ
ジョイス文学の頂点の一つが1922年刊行のユリシーズ(Ulysses)である。物語は1904年6月16日のダブリンで起こる。中心人物はレオポルド・ブルーム、妻モリー・ブルーム、そしてスティーヴン・デダラスである。大事件が起こる訳ではない。ブルームは街を歩き、食事をし、人と話し、葬儀へ行き、酒場へ行き、家へ帰る。しかしジョイスは、この一人の普通の人間の一日をホメロスのオデュッセイアと重ね合わせる。ここにジョイスの革命がある。英雄的な冒険だけが文学なのではなく、普通の人間が一日を生きること自体が巨大な叙事詩になる。更に章ごとに文体を変え、意識の流れ、新聞記事、戯曲、パロディなど多様な形式を用いることで、小説という形式を実験場に変えた。
8.人生と作品を切り離さない
エルマンの伝記が画期的だった理由は、ユリシーズを抽象的なモダニズム文学としてだけ理解しなかったことにある。ブルーム、スティーヴン、モリーをはじめ、作品世界にはジョイスが知っていた人物、家族、友人、敵対者、ダブリンの店、街路、会話が大量に変形されて取り込まれている。エルマンはダブリンやヨーロッパ各地で関係者を探し出し、こうした現実と作品との関係を再構成した。本書を読むと、ユリシーズが単なる難解な実験小説ではなく、ジョイスが自分の記憶の中に保存していた巨大なダブリンを再創造した作品であることが分かってくる。
9.パリ-モダニズム文学の中心へ
1920年代のパリで、ジョイスは世界文学の中心人物となっていく。彼の周囲にはパウンド、エリオット、ヘミングウェイ、ラルボー、フィッツジェラルドらがいた。またプルーストとも有名な対面を果たした。エルマンはこうした文学者との関係を通じて、ジョイスを孤立した天才ではなく、20世紀モダニズムという巨大な知的ネットワークの中に位置づけている。
10.フィネガンズ・ウェイク-言語を作り替える
ユリシーズの後、ジョイスは更に困難な実験へ進む。それが1939年刊行のフィネガンズ・ウェイクである。英語を基本としながら、多数の言語、語呂合わせ、神話、歴史、宗教、夢、音を重ね、通常の意味ではほとんど解読不能とも思える言語世界を作り上げた。ここでは文学はもはや物語を伝える手段だけではない。言葉が主人公になる。一つの単語の中に複数の言語、歴史、意味、音を重ねることによって、人間の夢や無意識、文明の循環を言語化しようとした。エルマン自身もこの難解な作品を深く読み込み、ジョイスの人生や人間関係がその内部へどのように入り込んでいるかを追究した。本書が単なる資料的伝記を超え、作品理解の鍵と評価された理由でもある。
11.家族の苦悩-娘ルチア
ジョイスの晩年を理解する上で避けて通れないのが娘ルチアの問題である。ルチアはダンサーを目指した才能ある女性だったが、次第に深刻な精神的不調を示すようになり、長期間の治療を受けることになった。ジョイスは娘の状態を簡単には精神疾患として受け入れようとせず、その才能を信じ続けた。この問題は家族全体に大きな苦痛をもたらした。エルマンはここでも偉大な作家という抽象的な像から離れ、父親として苦しみ、判断に迷い、希望を捨てられないジョイスを描いている。
12.失明への恐怖と創作
ジョイスは長年にわたり深刻な眼病にも苦しんだ。何度も手術を受け、痛みや視力低下に悩まされながら、それでも執筆を続けた。更に慢性的な金銭問題、出版をめぐる検閲、ユリシーズの猥褻文書扱い、娘の病気など、多くの問題を抱えていた。それでも彼は作品を書くことをやめなかった。エルマンが描くジョイスの本質は、超人的に安定した天才ではない。むしろ病気、借金、家庭問題、亡命生活に翻弄されながら、それら全てを文学の材料へ変えていく人物である。
13.最後の亡命と死
第二次世界大戦が始まり、1940年にドイツ軍がフランスを占領すると、ジョイス一家は再びチューリヒへ移る。1941年、ジョイスは十二指腸潰瘍の手術を受け、その後死去した。58歳であった。彼は故郷ダブリンから遠く離れたチューリヒに葬られた。しかしその文学世界は最後までダブリンを離れなかった。これはジョイスの生涯を象徴する逆説である。肉体はアイルランドを離れたが、想像力は生涯アイルランドから離れなかった。
本書が言いたかったこと
偉大な文学とは現実から離れて生まれるのではなく、作家が自分の人生を徹底的に観察し、それを別の世界へ変換することによって生まれる。ジョイスは決して世俗世界を超越した孤高の天才ではなかった。極めて個人的で雑多な現実が、彼の文学を構成している。しかしジョイスの偉大さは、単なる私小説を書いたことではない。極端に個人的な経験を徹底して掘り下げることで、逆に人間一般の普遍的経験へ到達した。ユリシーズで描かれるのは、英雄でも王でもなく、レオポルド・ブルームという普通の男の一日である。一人の人間の一日が人間存在そのものの物語になる。ここにエルマンが捉えたジョイス文学の核心がある。ジョイスにとって亡命とは、故郷を捨てることではなかった。故郷から物理的に離れることで、その支配から自由になり、記憶の中の故郷を文学として再創造する方法だった。
