The First Tycoon
The Epic Life of Cornelius Vanderbilt
2009年刊
Alfred A. Knopf著
T・J・スタイルズの経歴
T・J・スタイルズは1964年、米国ミネソタ州に生まれた歴史家・伝記作家である。カールトン大学で歴史を学び、その後コロンビア大学大学院で学んだ。特に19世紀アメリカ、南北戦争期、フロンティア、資本主義形成史などを研究対象としてきた。コロンビア大学で教えたほか、ニューヨーク公共図書館の研究フェロー、PBSの歴史番組の顧問などを務めている。最初の本格的伝記では、西部劇の無法者として神話化されたジェシー・ジェームズを、南北戦争とその後の政治・社会状況の中に置き直して分析した。その後、約6年間にわたってヴァンダービルトを研究し、本書を刊行した。スタイルズは、伝記と歴史を融合させ、一人の人物を通してアメリカという国家の変化を描くことを得意とする歴史家である。
本書の内容
1.スタテン島の少年-資本なき起業家
コーネリアス・ヴァンダービルトは1794年、ニューヨークのスタテン島に生まれた。ジョージ・ワシントンが大統領だった時代である。家庭は裕福ではなく、父は小さな船を使って農産物などをニューヨークへ運ぶ仕事をしていた。ヴァンダービルトは高度な学校教育を受けず、若くして家業を手伝うようになる。そして十代で小型船による輸送事業を始めた。ここからスタイルズが強調するヴァンダービルトの特徴が現れる。彼は単に船を操るのがうまかったのではない。運賃を下げれば利用者が増え、利用者が増えれば競争相手を圧倒できるという価格競争の論理を直感的に理解していた。
2.蒸気船革命-新技術を事業に変える
19世紀初頭、蒸気船という新しい輸送技術が登場する。帆船は風に左右されるが、蒸気船なら定期的な運航が可能になる。これは単なる船舶技術の進歩ではなく、人と物資の移動速度を根本から変える交通革命であった。ヴァンダービルトは早い段階でこの可能性を理解する。彼は蒸気船事業家ギボンズの下で働き、ニューヨークとニュージャージーを結ぶ航路を運営した。当時、ニューヨーク州では特定企業に蒸気船航行の独占権が与えられていたが、ギボンズ側はこれに挑戦する。その争いから生まれたのが、アメリカ憲法史上重要な1824年の連邦最高裁判決ギボンズ対オグデン事件である。州境を越える通商に対する連邦政府の権限が確認され、独占的特権に打撃を与えた。スタイルズの調査は、ヴァンダービルト自身もこの独占をめぐる法廷闘争に深く関係していたことを明らかにしている。この経験はヴァンダービルトの思想を決定づける。彼は政府から独占権を与えられて利益を得るのではなく、自由競争によって競争相手を打ち負かすことを信奉した。
3.コモドア-価格競争という武器
独立後、ヴァンダービルトはニューヨーク周辺で次々と蒸気船航路を開設する。彼の最大の武器は徹底した低価格戦略であった。既存企業より大幅に安い運賃を提示し、時には採算ぎりぎりまで料金を下げる。それによって乗客を奪い、競争相手に巨大な圧力をかける。この戦略は単なる値下げではない。ヴァンダービルトには、輸送量を増やし、船の稼働率を高め、効率化すれば、低価格でも利益を出せるという発想があった。現代的に言えば、規模の経済と価格競争を組み合わせた経営である。やがて彼は巨大な船隊を支配し、コモドア(提督)と呼ばれるようになる。
4.ゴールドラッシュ-世界規模の交通事業へ
1848年、カリフォルニアで金が発見されると、西海岸へ向かう人々が急増した。まだ大陸横断鉄道は存在しない。ニューヨークからカリフォルニアへ行くには南米大陸を迂回するか、中米を横断する必要があった。ヴァンダービルトはここに巨大な事業機会を見る。彼はニカラグアを経由して大西洋と太平洋を結ぶ輸送ルートを開拓した。蒸気船、河川、陸路を組み合わせ、東海岸からカリフォルニアへ人々を運んだのである。この事業はヴァンダービルトを単なるニューヨークの船主から国際的な交通事業家へ変えた。スタイルズは、彼が交通革命を促進し、ゴールドラッシュの拡大にも大きな役割を果たしたと位置づける。
5.競争相手を倒すのではなく買わせる
ヴァンダービルトの競争戦略には、更に興味深い側面があった。彼は競争相手の航路へ参入し、料金を大幅に下げ、相手企業を苦しめる。そして競争相手がヴァンダービルトに市場から撤退してもらうため、多額の補償金を支払う場合があった。事業そのものから利益を得るだけでなく、競争をやめることからも利益を得た。ここには現代の企業買収、競争戦略、交渉術にも通じるヴァンダービルトの独特な資本主義観が現れている。市場とは穏やかに共存する場所ではない。資本、価格、速度、情報を使って相手に圧力をかけ、自分に有利な条件を作り出す戦場だった。
6.蒸気船から鉄道へ-成功事業を自ら捨てる
ヴァンダービルトの生涯で最も驚くべき決断の一つが、60歳を過ぎてから主力事業を蒸気船から鉄道へ転換したことである。通常、大成功した経営者は自分を成功させた産業に執着する。しかしヴァンダービルトは、アメリカ経済の中心が水上交通から鉄道へ移りつつあることを見抜いた。1850年代から鉄道株への投資を拡大し、やがてニューヨーク・アンド・ハーレム鉄道、ハドソン・リバー鉄道、ニューヨーク・セントラル鉄道などを支配下に置いていく。ここに彼の経営者としての最大の強みがあった。自分を成功させた過去の事業を守ることより、次の時代を支配する産業へ移ることを選んだのである。
7.南北戦争-企業家と国家
1861年に南北戦争が始まると、ヴァンダービルトと連邦政府との関係も重要になる。彼は巨大蒸気船ヴァンダービルト号を北軍に提供し、南軍の通商破壊艦対策などに利用された。リンカーン政権も彼の海運知識を重視した。これはヴァンダービルトの存在が単なる民間事業家の範囲を超え、国家戦略に影響を与える規模になっていたことを示している。
8.ニューヨーク・セントラル-鉄道帝国の形成
南北戦争後、ヴァンダービルトは鉄道事業を急速に拡大する。特に重要なのがニューヨーク・セントラル鉄道である。当時の鉄道網は多数の会社に分断されていた。路線ごとに経営会社が異なれば、運賃体系、時刻表、貨物輸送、乗り換えなどが複雑になる。ヴァンダービルトは複数の鉄道会社を統合し、ニューヨークから五大湖方面へ延びる巨大な鉄道ネットワークを形成した。ここで彼は単に鉄道を所有したのではない。バラバラだった輸送路を一つの巨大システムとして統合した。スタイルズは、この過程を近代的大企業成立の重要な段階として捉えている。ヴァンダービルトの生涯は、ウォール街、株式会社、大企業がアメリカ経済の中心となる過程そのものでもあった。
10.グランド・セントラル-ニューヨークを変える
ヴァンダービルトはマンハッタンの鉄道網も再編し、1871年にグランド・セントラル・デポを完成させた。現在のグランド・セントラル・ターミナルの前身である。鉄道は単なる交通手段ではない。駅の位置が人の流れを変え、土地価格を変え、商業地区を変え、都市を作り替える。ヴァンダービルトの鉄道帝国は、アメリカ全土の市場統合だけでなく、ニューヨークという都市の形成にも巨大な影響を与えた。
11.ウォール街-企業経営者から金融権力者へ
ヴァンダービルトのもう一つの重要な側面が、ウォール街との関係である。鉄道会社は巨額の資本を必要とする。そのため株式市場と債券市場が重要になる。ヴァンダービルトは株式の買い集め、買収、株価操作への対抗などを通じて、19世紀のウォール街を代表する存在になっていった。特に有名なのがエリー鉄道をめぐるエリー戦争である。ヴァンダービルトはエリー鉄道を支配しようとして株式を大量に買い集めたが、ドリュー、グールド、フィスクらは新株を大量発行し、ヴァンダービルトの買収攻勢に対抗した。この争いは、株式会社という新しい制度が巨大な経済力を生み出す一方、その仕組自体が投機や権力闘争の道具にもなることを示した。
12.個人資本家から株式会社へ
ヴァンダービルトが若かった時代、アメリカ経済の中心は個人商人、農民、小規模事業者だった。ところが彼が死去する1877年頃には、鉄道会社を中心に巨大株式会社が登場し、株式市場、債券市場、広域輸送網が経済を動かすようになっていた。ヴァンダービルトは単にその変化に乗ったのではない。彼自身が、その変化を作り出した人物の一人だった。
13.自由競争の信奉者という矛盾
しかしスタイルズはヴァンダービルトを単純な英雄として描かない。若い頃のヴァンダービルトは政府による独占特権と戦い、自由競争を主張した。ところが自分自身が巨大企業を支配するようになると、市場に対して圧倒的な影響力を持つようになる。競争によって独占を破壊した人物が、成功した結果、自ら巨大な市場支配力を持つようになった。これはアメリカ資本主義が抱える矛盾でもある。自由競争は企業を成長させる。しかし競争の勝者が巨大になれば、今度はその勝者自身が市場を支配するようになる。
14.家族-成功者のもう一つの顔
彼は非常に強い家父長的性格を持ち、妻や子供たちに対して支配的だった。特に息子たちについては、自分の巨大な財産を任せられる能力があるかどうかを厳しく見極めた。長男を長く軽視していたが、最終的にはその経営能力を認め、後継者とする。一方、家族関係には深刻な対立もあり、死後には遺産をめぐる裁判に発展した。スタイルズはヴァンダービルトを偉大な企業家として美化するのではなく、荒々しく、競争心が強く、時には冷酷で、家族に対しても複雑な人物として描いている。
15.巨大な富とヴァンダービルト大学
1877年に死去した時、ヴァンダービルトはアメリカで最も裕福な人物の一人であり、その財産は当時として想像を絶する規模に達していた。しかし後のカーネギーやロックフェラーのような体系的慈善活動には、必ずしも積極的ではなかった。大きな例外がヴァンダービルト大学である。南北戦争後の南部に大学を設立するため100万ドルを寄付し、それが1873年創設のヴァンダービルト大学へつながった。大学は今日まで彼の名前を残す最も明確な社会的遺産となっている。
本書が言いたかったこと
ヴァンダービルトという一人の人間の人生を通して、近代アメリカ資本主義が誕生する過程を見る。ヴァンダービルトが生まれた1794年のアメリカは、農業と小規模商業を中心とする若い共和国だった。交通は遅く、市場は地域ごとに分断され、巨大株式会社もウォール街も現在とは全く異なる存在だった。ところが彼が死去した1877年には、鉄道が大陸を結び、巨大株式会社が誕生し、株式と債券によって巨額の資本が集められ、ニューヨークの金融市場が国家経済を動かすようになっていた。ヴァンダービルトの人生は、まさにこの変化と重なっている。スタイルズ自身も、彼の生涯を一人の男と国家が共に成長していく物語として捉え、ヴァンダービルトが近代的経済世界の形成に重要な役割を果たしたと位置づけている。本書が特に興味深いのは、資本主義を単純に善とも悪とも評価していないことである。ヴァンダービルトの激しい競争は運賃を下げ、交通を高速化し、市場を拡大した。鉄道網の統合は地域ごとに分断されていたアメリカ経済を一つの全国市場へ変えた。彼が追求した私的利益が、結果として公共的な経済インフラを形成したのである。しかし同じ競争原理は、勝者に巨大な富と権力を集中させる。ここにスタイルズが描く資本主義の根本的な逆説がある。自由競争は既存の特権を破壊する力を持つ一方、その競争の勝者自身が、それまで以上に巨大な経済権力を持つ。更にヴァンダービルトの最大の才能は、単に金を稼ぐ能力ではなかった。帆船から蒸気船へ、蒸気船から鉄道へ、個人企業から株式会社へ、地域市場から全国市場へと、経済の中心が移動する瞬間を見抜き、自分自身をそのたびに変化させる能力だった。彼は成功した事業を守ることに執着せず、次の産業がより大きくなると判断すれば、自ら築いた事業からさえ離れた。この点でヴァンダービルトは、単なる19世紀の富豪ではなく、技術革新によって産業構造が変わるたびに資本を移動させ、新しい市場を作った近代的企業家の原型だった。スタイルズがヴァンダービルトを最初のタイクーンと呼んだ意味は、彼が最初の大金持ちだったということではない。個人の事業能力、技術革新、巨大資本が、全国的インフラを結びつけ、企業が社会を変える近代資本主義の時代を最初に体現した人物だったのである。
