リンカーン 南北戦争を勝利に導いた大統領

Team of Rivals
The Political Genius of Abraham Lincoln
2005年刊
Doris Kearns Goodwin著

グッドウィンの経歴

ドリス・カーンズ・グッドウィンは1943年、ニューヨーク市ブルックリンに生まれたアメリカを代表する大統領史研究者、歴史家、伝記作家である。コルビー大学を卒業後、ハーバード大学で博士号を取得し、同大学で政治学を教えた。若い時期にはホワイトハウス・フェローとしてジョンソン政権に入り、その後ジョンソン元大統領の回想録作成にも関わった。この経験から政治指導者を制度や政策だけでなく、その性格、人間関係、感情、競争心、家族関係まで含めて理解する歴史研究へ進んでいった。グッドウィンの伝記の特徴は、一人の偉人だけを孤立して描かず、その人物を取り巻く家族、友人、政敵、閣僚などとの人間関係の中から指導力を解明する点にある。本書は、その方法を最も鮮やかに示した代表作である。

本書の内容

1.無名に近かったリンカーン

本書は1860年、シカゴで開かれた共和党全国大会を重要な出発点としている。大統領候補の有力者はニューヨーク州選出上院議員スワード、オハイオ州のチェイス、ミズーリ州のベイツであった。彼らはいずれもリンカーンより政治経験が豊富で、全国的知名度も高かった。これに対してリンカーンは、イリノイ州出身の弁護士であり、連邦政治では下院議員を一期務めただけである。1858年のダグラスとの上院議員選挙にも敗れていた。ところがリンカーンは党内各派の対立を巧みに読み、自分を強く嫌う勢力を作らず、第二、第三候補として支持を広げ、最終的に大統領候補の指名を獲得する。グッドウィンは、この勝利を偶然とは考えない。リンカーンには他人の立場に自分を置き、その感情、野心、恐怖、利害を理解する特別な能力があった。

2.貧困と失敗が作った人間理解

グッドウィンはリンカーンの政治的才能の源泉を、その厳しい人生経験に求める。リンカーンは1809年、ケンタッキー州の貧しい開拓農民の家庭に生まれた。体系的な学校教育をほとんど受けず、独学で法律を学び、弁護士、州議会議員、連邦下院議員へと進んだ。その人生は決して成功の連続ではなかった。選挙で敗れ、恋人や家族の死を経験し、深い憂鬱にも苦しんだ。しかし、こうした経験がリンカーンに敗北した人間の気持ちを理解する能力を与えた。自分自身が何度も失敗したからこそ、他人の失敗を許し、敵対者の屈辱を理解し、相手に逃げ道を残すことができた。

3.ライバルを閣僚にする

1860年11月、リンカーンは大統領選挙に勝利する。ここで彼は驚くべき決断をする。共和党候補指名を争った最大のライバルたちを政権中枢に迎えたのである。スワードを国務長官、チェイスを財務長官、ベイツを司法長官に任命した。更に民主党出身のスタントンを後に陸軍長官に登用する。彼らの多くは当初、リンカーンを自分より格下の政治家だと考えていた。特にスワードは、自分こそ共和党を代表する政治家であり、経験の浅いリンカーンを事実上指導できると考えていた。普通の指導者であれば、自分の地位を脅かす有力者を遠ざける。しかしリンカーンは逆の行動を取った。国家が分裂するという非常事態において、自分への忠誠心よりもその人物が国家に必要な能力を持っているかを優先した。グッドウィンはここにリンカーンの並外れた自信を見る。

4.スワードとの対立から友情へ

この能力が最もよく表れるのがスワードとの関係である。政権発足当初、スワードは自分が事実上政権を動かせると考えていた。1861年には外交危機を利用して国内対立を外部へ転換する構想を示し、事実上、自分が政権を主導することを提案した。リンカーンはこれを拒否した。しかしスワードを侮辱したり罷免したりはしなかった。やがてスワードは、リンカーンの判断力、人間的寛容さ、政治的能力を理解するようになり、二人の関係は競争から信頼へ、そして友情へと変わっていく。これは本書を象徴する展開である。リンカーンはライバルを倒すのではなく、時間をかけて協力者に変えるのである。

5.チェイス-野心家を使い続ける能力

財務長官チェイスとの関係は更に難しかった。チェイスは優秀な政治家であり、奴隷制反対の強い信念を持っていたが、大統領への野心を捨てなかった。政権内部にいながら自らの政治基盤を築き、1864年にはリンカーンに代わって共和党大統領候補になろうとさえした。リンカーンはそれを知っていた。それでもチェイスが財務長官として必要な間は使い続けた。南北戦争という国家存亡の危機において、個人的忠誠より行政能力を優先した。最終的に関係が維持できなくなると辞任を受け入れるが、その後リンカーンはチェイスを連邦最高裁長官に任命した。個人的な恨みと公的な人事を分離する。この能力をグッドウィンはリンカーンの政治的天才の重要な部分として描いている。

6.南北戦争-人間を動かす大統領

1861年、南北戦争が始まると、リンカーンは国家史上最大級の危機に直面する。軍事的には将軍たちに悩まされた。特にマクレランは軍の組織化には優秀だったが、慎重すぎて攻撃を躊躇した。しかもリンカーン自身を軽蔑するような態度を示すことさえあった。それでもリンカーンは感情的に反応せず、必要である限り彼を使い続けた。リンカーンの特徴は、自分を侮辱した人間に対しても、国家にとって必要なら協力できることであった。一方で、グラントのように結果を出す将軍を見いだすと、批判があっても支持した。グッドウィンが描くリンカーンは、自分がすべてを知っている指導者ではない。むしろ誰が何に優れているかを見極め、その人物を適切な場所で使う指導者である。

7.奴隷解放-理想と現実の間

リンカーンの最大の歴史的決断は奴隷解放である。しかし本書は、リンカーンが最初から即時奴隷解放を目指して一直線に進んだという単純な物語にはしない。彼にとって当初の最優先課題は連邦の維持であった。また奴隷制に反対する急進派だけでなく、境界州の保守派、民主党員、北部世論、軍事状況などを考慮する必要があった。そのためリンカーンは正しい政策だけでなく実行可能になる時期を見極めようとした。1862年のアンティータムの戦いの後、予備奴隷解放宣言を発表し、1863年1月1日に奴隷解放宣言を発効させる。ここにグッドウィンが高く評価するリンカーンの政治観がある。道徳的目的を持つだけでは政治は動かない。目的を実現するには、世論、議会、閣僚、軍事状況を読み、最も効果的な瞬間を選ばなければならないのである。

8.第13修正-道徳を制度へ変える

奴隷解放宣言だけでは奴隷制度を恒久的に廃止するには不十分であった。そこでリンカーンは憲法修正第13条による奴隷制度廃止を目指す。この過程では、高邁な理念だけではなく、票の計算、説得、党派間交渉、人事、個人的関係など、極めて現実的な政治工作が必要となった。リンカーンは理想主義者であると同時に、優れた現実政治家であった。目的が正しければ政治的駆け引きは不要とは考えない。むしろ正しい目的を現実の制度に変えるためにこそ政治力が必要だと理解していた。この部分は後にスピルバーグ監督の映画「リンカーン」の中心的題材となった。

9.敵の能力を利用する

本書全体を通じて最も印象的なのは、リンカーンが政治的敵対者を完全に排除しようとしなかったことである。彼は人間には野心、虚栄心、嫉妬、怒りがあることを理解していた。それを道徳的に非難するより、その感情まで含めて人間を動かそうとした。自分を批判した人物にも役割を与える。部下が失敗した場合には自ら責任を負う。他人の功績は惜しまず認める。そして自分が間違えば修正する。グッドウィン自身、リンカーンの政治的天才を、過去の恨みを捨て、失敗から学び、部下の失敗には責任を負い、功績を他人と共有できた感情的な強さに求めている。

10.暗殺とチームの完成

1865年4月、南軍の事実上の降伏によって南北戦争の勝敗が決すると、その直後にリンカーンはブースによって暗殺される。本書の終盤で象徴的なのは、かつてリンカーンを見下し、大統領になる資格は自分たちの方にあると考えていたライバルたちが、最終的には彼の偉大さを認めていた。特にスワードとの関係はその象徴である。リンカーンはライバルたちを屈服させたのではない。彼らに自分を理解させ、尊敬させ、最終的には同じ目的のために働かせた。本書はリンカーン一人の英雄伝ではない。異なる能力、思想、野心を持つ強烈な個性を、一つの国家目的へ統合した指導者の物語である。

本書が言いたかったこと

優れた指導者とは、自分に忠実な人間を周囲に集める人物ではなく、自分に反対するほど強い人間さえ使いこなせる人物である。リンカーンの政治的天才は、演説力や政策立案能力だけにあったのではない。むしろ人間を理解する能力にあった。彼は人間が理性だけでは動かず、名誉、野心、嫉妬、屈辱、友情、承認欲求によって動くことを知っていた。そして相手の自尊心を必要以上に傷つけず、意見を聞き、自分への批判にも耐え、最終的には異なる人々を同じ目的へ向かわせた。ここから導かれるリンカーン型リーダーシップの核心は、最も優秀な人間を集めることと彼らをまとめることは別の能力であるということである。優秀な人物を集めれば、当然そこには対立が生まれる。しかし、その対立を恐れて凡庸なイエスマンだけを周囲に置けば、組織全体の能力は低下する。リンカーンは逆に、自分と競争できるほど強い人物を集め、彼らの対立を国家の力へ転換した。そしてもう一つ重要なのは、彼の政治力と道徳性が対立していなかったことである。グッドウィンが強調するのは、誠実さ、共感、寛容、他者への配慮といった通常は人格上の美徳と考えられるものが、強力な政治的資源になり得るということである。したがって本書が描くリンカーンの偉大さとは、敵を打ち負かしたことではない。敵を理解し、敵の能力を認め、必要なら敵を味方に変え、その力を国家の目的に使わせたことにある。

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