ジョージ・ワシントン伝

Washington
A Life
2010年刊
Ron Chernow著

ロン・チャーナウの経歴

ロン・チャーナウは1949年、ニューヨークのブルックリンに生まれたアメリカの歴史家、伝記作家である。イェール大学を卒業した後、ケンブリッジ大学でも学んだ。元々ジャーナリストとして活動し、やがて伝記作家として高い評価を得るようになった。チャーナウの伝記の特色は、偉人を英雄として礼賛するのでも、一人の人間として再構成するところにある。本書はその手法をジョージ・ワシントンに適用した代表作であり、ピュリッツァー賞を受賞した。

本書の内容

1.神話となった人物を人間に戻す

本書の最大の特徴は、アメリカ史においてほとんど神話的人物となったジョージ・ワシントンを、血の通った一人の人間として描き直したことである。後世のワシントン像は、感情をほとんど表さず、常に沈着冷静で、私欲を持たない建国の父という大理石像のような人物になった。しかしチャーナウが描くワシントンは、非常に強い野心を持ち、名誉を求め、怒りや嫉妬や不安を抱え、自分が他人からどう見られているかを常に意識する人物であった。重要なのは、ワシントンが最初から聖人だったのではなく、強烈な感情や野心を自ら統御することによって、徐々にワシントンという公的人格を作り上げていったという点である。

2.若きワシントン-野心と失敗

1732年にヴァージニア植民地で生まれたワシントンは、後世のイメージとは異なり、恵まれた教育を受けた知識人ではなかった。父を早く失い、異父兄たちのように英国で教育を受けることもできなかった。そのため若いワシントンには、社会的上昇への強い欲求があった。測量技師として西部へ入り、土地を取得し、軍人として名声を得ようとする。フレンチ・インディアン戦争では若くして軍事経験を積む一方、判断の誤りや敗北も経験した。チャーナウは、この若き日の失敗を非常に重視する。ワシントンの偉大さは失敗しなかったことではなく、失敗から学習し、自分自身を作り替える能力にあった。若き日の功名心の強い軍人が、長い時間をかけて慎重で忍耐強い指導者へ変化していく。

3.マウント・ヴァーノンと地主ワシントン

1759年、ワシントンは裕福な未亡人マーサ・ダンドリッジ・カスティスと結婚し、ヴァージニアを代表する大地主となる。ここからチャーナウは、政治家や軍人だけではない経営者としてのワシントンを描く。ワシントンは農園経営、土地投資、作物改良などに強い関心を持ち、マウント・ヴァーノンを巨大な農園として経営した。同時に、この経済生活を支えていたのが奴隷制度であった。ここに本書の重要な矛盾がある。自由を求めて英国と戦った人物自身が、多数の奴隷を所有していた。チャーナウはこの矛盾を回避しない。ワシントンは奴隷制度に次第に疑問を深めていったが、生涯にわたってそこから経済的利益を得続けた。最終的にワシントンは遺言によって、自分が直接所有する奴隷を妻マーサの死後に解放するよう定めた。これは当時のヴァージニアの大農園主としては異例であったが、だからといって彼の奴隷所有という事実が消える訳ではない。チャーナウはここにワシントンの道徳的進歩と限界の双方を見る。

4.独立戦争-勝つ将軍ではなく負けない将軍

1775年、アメリカ独立戦争が始まると、ワシントンは大陸軍総司令官に任命された。本書で興味深いのは、ワシントンを軍事的天才として描いていない。彼は戦術面では何度も失敗した。ニューヨークでは英国軍に敗れ、軍が崩壊しかねない危機にも直面した。しかしワシントンには、戦争全体の目的を理解する能力があった。アメリカ側は英国軍を完全に撃破する必要はない。大陸軍が存在し続け、植民地側が降伏しない限り、英国は政治的勝利を得られない。ワシントンにとって最も重要なのは軍を失わないことであった。1776年末のデラウェア川渡河とトレントン攻撃、続くプリンストンの戦いは、軍事的規模以上の政治的・心理的意味を持った。敗北続きだった革命に希望を取り戻させた。更にヴァレー・フォージの厳しい冬を耐え、フランスとの同盟を利用し、1781年にはヨークタウンで英軍を降伏させる。チャーナウが描くワシントンの軍事的才能とは、華麗な戦術ではなく、敗北しても軍隊と政治目的を維持し、最後まで戦争を継続する能力であった。

5.最大の偉業-権力を手放したこと

独立戦争に勝利したワシントンの偉大さが最も明確に現れたのは、勝利ではなく、その後である。1783年、ワシントンは軍の最高司令官という巨大な権力を自ら返上し、マウント・ヴァーノンへ帰った。当時の世界では、革命戦争を勝利に導いた軍事指導者がそのまま独裁者や君主となることは珍しくなかった。しかしワシントンはそうしなかった。ここで古代ローマのキンキナトゥスになぞらえられるワシントン像が成立する。権力を得る能力以上に、権力を自ら手放す能力こそ共和政の指導者に必要であることを行動によって示した。

6.憲法制定-強い国家を必要としたワシントン

戦後、ワシントンは連合規約の下でのアメリカ政府があまりにも弱いことに危機感を抱く。各州がばらばらに行動し、中央政府には十分な徴税能力も軍事力もなかった。1787年の憲法制定会議でワシントンは議長を務める。その存在自体が新憲法への信頼を高める政治的資産となった。ワシントンは自由を守るには政府を弱くすればよいとは考えなかった。むしろ自由な共和国を維持するためには、秩序を維持し、財政を安定させ、外交と国防を遂行できる強力な連邦政府が必要だと考えた。

7.初代大統領-大統領という制度を作った人物

1789年、ワシントンは初代アメリカ合衆国大統領となる。ここで重要なのは、彼が単に最初の大統領だったのではなく、前例のない大統領という職務そのものを作ったことである。どこまで議会に関与するのか。閣僚をどのように使うのか。外国との関係をどう処理するのか。大統領は国王のように振る舞うべきなのか、それとも議会の代理人なのか。すべてが未確定であった。ワシントンはハミルトン、ジェファーソン、ノックスらを政権に集める。しかしハミルトンとジェファーソンは、中央政府、財政、外交、フランス革命などをめぐって激しく対立した。ワシントンはその対立を完全に解決した訳ではない。むしろ彼の政権下で、後の連邦党と共和党につながる党派対立が形成されていった。それでも彼は対立する有能な人物を政権内部に置きながら、最終判断を自ら下した。チャーナウはここにワシントンの政治的才能を見る。彼自身があらゆる分野で最も優秀だったのではない。自分より知識のある人間を集め、その意見を聞きながら、自らが最終責任を負う指導者だったのである。

8.二期で去る-共和政最大の前例

1796年、ワシントンは三選を求めず引退を決断する。これは後世から見る以上に重要な決断であった。当時は大統領任期に憲法上の二期制限がなかったため、ワシントンが望めば更に大統領を続けることも可能だった。しかし彼は再び権力を手放した。独立戦争後の軍事権力返上と、大統領二期後の自主的退任。この二つの行為によって、ワシントンは国家は一人の人物より長く存続しなければならないという共和政の原則を実践した。二期退任はその後長く歴代大統領が従う慣例となった。

9.ワシントン最大の矛盾-自由と奴隷制

しかしチャーナウはワシントンを理想化しない。すべての人間の自由を掲げる革命の指導者が奴隷所有者であったという矛盾は、本書全体を貫いている。ワシントン自身は晩年になるほど奴隷制度に対して道徳的疑問を抱くようになる。しかし大統領として奴隷制度廃止を政治課題にすることはなかった。南部諸州との対立によって誕生したばかりの連邦が崩壊することを恐れたためでもある。ここにはワシントンの政治的現実主義と道徳的限界が同時に存在する。チャーナウは、この矛盾を消して英雄像を守ろうとはしない。むしろ矛盾を抱えたまま巨大な歴史的役割を果たした人物として描くことによって、ワシントンをより深く理解しようとする。

本書が言いたかったこと

偉大な指導者とは、生まれながらに完成された人格者なのではなく、自分自身を統御することによって偉大になった人間である。ワシントンには野心があり、虚栄心があり、判断の誤りもあった。奴隷所有という重大な道徳的矛盾も抱えていた。したがってチャーナウのワシントンは聖人ではない。しかし彼には、自分の感情や利益よりも、自分が担っている役割を優先する驚くべき自己統制力があった。そしてワシントンの歴史的偉大さは、権力を獲得したこと以上に、権力に限界を設けたことにある。軍を率いて革命に勝利しながら軍事独裁者にならず、大統領として圧倒的な権威を持ちながら終身権力を求めなかった。自分自身が国家になるのではなく、自分がいなくなっても機能する制度を残そうとした。その意味でワシントンがアメリカに残した最大の遺産は、独立戦争の勝利だけではない。強い指導者であっても法と制度の下にあり、最後には権力を手放さなければならないという政治文化そのものを、自らの行動によって作ったことである。チャーナウが描いたワシントンの本当の偉大さとは、完全無欠だったことではない。強烈な野心を持ちながら野心を抑え、巨大な権力を手にしながら権力を私物化せず、自分より国家と制度を長く生き残らせようとしたことである。それこそが建国の父と呼ばれる最大の理由である。

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