Plutarch, Parallel Lives
紀元1世紀末から2世紀初頭刊
Plutarch著
プルタルコスの経歴
プルタルコスは紀元45年頃、現在のギリシア中部に位置するボイオティア地方のカイロネイアに生まれた。ローマ帝国が地中海を支配していた時代のギリシア人であり、哲学者として活動した。アテネで哲学を学び、とりわけプラトン哲学の伝統に強い影響を受けた。後世には中期プラトン主義を代表する思想家の一人と位置づけられている。彼はギリシアだけにとどまらず、ローマやイタリアにも滞在し、ローマの政治家や知識人とも交流した。そのため、ギリシア文明とローマ文明の双方を内部から観察することができた。またプルタルコスは、故郷カイロネイアで公職を務める一方、デルフォイのアポロン神殿の神官を長年務めた。代表作には英雄伝のほか、モラリア(倫理論集)がある。プルタルコスの最大の関心は、歴史上の事件よりも、その事件を生み出した人間にあった。
英雄伝の内容
1.ギリシアとローマの英雄を一対にする
英雄伝最大の特徴は、著名なギリシア人とローマ人を一人ずつ組み合わせ、その人生を比較するという構成にある。現存する中心部分は、アレクサンドロス大王とカエサルなど、ギリシアとローマの人物を対応させて描く。伝承の仕方や数え方には若干の違いがあるが、現存作品の中核は20組以上の対比的人物伝と、単独伝(アルタクセルクセス、アラトス、ガルバ、オト等)から成っている。ここで重要なのは、単に同時代の人物を比較しているのではないことである。プルタルコスは時代を超えて、似た役割、性格、運命を持った人物を意図的に組み合わせている。例えばアレクサンドロス大王とカエサルは、ともに巨大な軍事的才能と野心によって世界秩序を変えた人物である。デモステネスとキケロは、卓越した雄弁によって政治に関与し、最後には政治闘争の犠牲となった。リュクルゴスとヌマは、それぞれスパルタとローマの制度形成に関わる立法者として比較される。こうして二人を並べることで、誰が何をしたかだけではなく、似た状況に置かれた人間が、性格の違いによってどのように異なる人生を歩んだかを考えさせる。
2.歴史書ではなく人間の肖像
プルタルコス自身が本書の性格を最も明確に説明しているのがアレクサンドロス伝の冒頭である。そこで彼は、自分が書こうとしているのは歴史ではなく生涯であり、大戦争や大事件よりも、何気ない言葉や冗談の方が人間の性格をよく示すことがあると述べている。これは英雄伝を理解する上で決定的に重要である。プルタルコスにとって、アレクサンドロスが何万人の軍隊を率いてどの戦争に勝ったかという事実だけでは、その人物を理解したことにはならない。彼が友人にどう接したのか、怒った時に何をしたのか、敗者をどう扱ったのか、酒席でどのように振る舞ったのか、といった小さな出来事の方が、その人物の本質を表す場合がある。プルタルコスは伝記作家を肖像画家になぞらえる。肖像画家が全身を均等に描くのではなく、人間の個性が最も表れる顔や眼差しを重視するように、自分も魂の徴候を捉えることで人物を描こうとするのである。
3.英雄を美化しない
英雄伝という日本語題からは偉人を称賛する本という印象を受けるが、実際にはそれほど単純ではない。プルタルコスが描く英雄たちは、優れた能力と同時に重大な欠点を持っている。アレクサンドロスには天才的な軍事能力と寛大さがある一方、成功と権力の拡大によって猜疑心や激しい感情が強まっていく。カエサルには卓越した政治的・軍事的能力がある一方、名誉と権力への巨大な野心がある。アルキビアデスには魅力、知性、勇気があるが、節操のなさと自己中心性もある。プルタルコスが描くのは、完全無欠の英雄ではない。偉大な才能と人間的弱点が同じ人物の中に共存し、それが歴史を動かしていく姿なのである。
4.人格が運命をつくる
本書には一貫して性格と運命の問題が存在する。同じような能力を持った人物でも、節制できる人物とできない人物では最後の運命が異なる。権力を手に入れた後、自分自身を制御できるかどうかが重要となる。勇気は長所であるが、無謀になれば破滅を招く。野心は偉業を生み出す力になるが、際限のない野心は本人だけでなく国家まで危険にさらす。したがって本書における最大の戦いは、必ずしもアテネとペルシア、ローマとカルタゴの戦いではない。英雄の内部で行われる、理性と欲望、節制と野心、公共心と私欲との戦いである。
5.政治における徳の重要性
プルタルコスにとって政治能力と人格は切り離せない。知性が高く、軍事的才能があり、雄弁であっても、自分自身を統御できなければ、その能力は国家を破壊する力にもなる。逆に、節制、勇気、正義感、責任感を備えた人物は、自分の能力を共同体のために使うことができる。この意味で英雄伝は政治家や軍人の成功物語ではなく、権力を持つ人間に必要な人格とは何かを考察した政治倫理の書でもある。
6.ギリシア文明とローマ文明の対話
もう一つ重要なのが、ギリシア人とローマ人を対等に並べたことである。プルタルコスの時代、政治的にはローマがギリシアを支配していた。しかし文化、哲学、文学、教育においてはギリシア文明が依然として巨大な権威を持っていた。そこでプルタルコスは、ギリシアの政治家、軍人、立法者、雄弁家とローマの人物を一対一で並べることによって、二つの文明を同じ人間的・倫理的尺度の上に置いた。英雄伝は人物伝であると同時に、ギリシア文明とローマ文明を人物を通じて比較する文明論でもある。そして、この構成だからこそ読者は自然に問いを突きつけられる。アレクサンドロスとカエサルのどちらが優れていたのか、デモステネスとキケロはなぜ似た悲劇的最期を迎えたのか、政治家にとって能力と人格のどちらが重要なのか、成功とは権力を獲得することなのか、それとも権力を正しく使うことなのか、という問いである。約二千年前に書かれながら英雄伝が読み継がれてきた理由は、まさにここにある。
本書が言いたかったこと
人間の運命は才能だけでは決まらない。勇気、節制、正義、虚栄心、怒り、野心、欲望といった性格が、重大な局面における決断を左右し、その決断の積み重ねが人生をつくり、時として国家や歴史を変えてしまう。しかも長所と短所は必ずしも別物ではない。強烈な野心がなければ大事業は成し遂げられないが、その野心を制御できなければ破滅する。強い自信は指導力を生むが、過剰になれば傲慢になる。勇気は英雄を生むが、理性を失えば無謀となる。だからこそ、他人を支配する能力以上に重要なのは自分自身を支配する能力である。英雄伝とは、過去の英雄を称えるためだけの書ではない。偉大な人物の成功と失敗を鏡として、読者自身に自分ならどう生きるか、権力や成功を得た時、自分を制御できるかを考えさせる書である。歴史を人間の人格から読み解こうとしたところに、二千年近く読み継がれてきた最大の理由がある。
