Inner Vision
An Exploration of Art and the Brain
1999年刊
Semir Zeki著
セミール・ゼキの経歴
セミール・ゼキは1940年生まれの神経科学者であり、視覚脳研究と神経美学の研究者である。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で学び、長年同大学で視覚野の研究を行った。ゼキの初期研究で特に重要なのは、人間や霊長類の脳が視覚情報を一括して処理しているのではなく、色、形、運動などの異なる要素を、それぞれ機能的に専門化した複数の領域で処理していることを明らかにした点である。視覚とはカメラのように外界をそのまま脳へ写し取る受動的な行為ではなく、脳が外界から必要な情報を選択し、分析し、統合して世界像を構築する能動的な活動である。ゼキはこの視覚神経科学の研究を芸術へ拡張した。画家もまた色、形、線、運動、顔などを扱っている以上、芸術作品を理解するには、それらを受け取る脳の構造を無視できないと考えた。そこから美を感じる時、脳では何が起きているのか芸術家は無意識のうちに脳の視覚機構を利用しているのではないかという研究へ進み、神経科学と美学を結ぶNeuroesthetics(神経美学)という研究領域を切り開いた。
本書の内容
1.眼で見るという神話
本書の出発点は、人間は眼で世界を見ているという常識への疑問である。眼は外界から光を受け取る。しかし、それだけでは世界は見えない。網膜から送られた情報を脳が処理し、色、形、運動、奥行き、顔などを認識して初めて、私たちが経験する世界が成立する。したがって厳密に言えば、人間は眼で見るのではなく、脳で見ているのである。この考え方が、本書全体を貫いている。脳は世界をそのまま見ていない。視覚の目的は外界を写真のように忠実にコピーすることではない。外界は常に変化している。光の強さも、見る角度も、距離も変化する。それにもかかわらず、私たちは同じ人物を同じ人物として、同じ物体を同じ物体として認識できる。脳は変化する情報の中から、変わらない特徴を抽出している。ゼキはこの働きを、脳による本質の探求と考える。そして驚くべきことに、芸術家も同じことをしている。
2.芸術家も本質を探している
画家は現実をそのままコピーする必要はない。むしろ優れた芸術家ほど、現実の無数の情報を削ぎ落とし、その対象を成立させている本質的な形、色、線、動き、表情を発見しようとする。したがって芸術家の仕事と脳の仕事には共通性がある。脳は外界から本質的情報を抽出する。芸術家も現実から本質的情報を抽出する。ゼキはここに芸術と神経科学を結ぶ根本的な接点を見る。
3.フェルメール-曖昧さが脳を働かせる
ゼキはフェルメールを重要な例として取り上げる。フェルメールの人物は何を考えているのか、必ずしも明確ではない。微妙な表情、視線、光、人物間の距離などによって、複数の解釈が可能になる。通常なら曖昧さは情報不足と考えられる。しかし芸術では逆である。曖昧だからこそ、見る者の脳が積極的に意味を作ろうとする。作品の意味は画面の中だけに存在するのではなく、作品と鑑賞者の脳との相互作用によって生まれる。
4.ミケランジェロ-理想の身体
ミケランジェロの人体表現について、ゼキはプラトン的理想という問題から考える。現実の人間の身体は不完全である。しかし芸術家は個々の身体を観察しながら、その背後に存在する理想的な人体を作り出そうとする。これは脳が多数の異なる経験から共通する特徴を抽出し、一般化された概念を形成する働きと似ている。芸術家は単なる人体を描くのではなく、人体とは何かという脳内の理想像を表現する。
5.キュビスム-ピカソは何を壊したのか
通常の絵画は、一つの視点から見た世界を描く。しかし現実の人間は対象を一方向からしか理解している訳ではない。顔を正面から見たり横から見たりしながら、それらの情報を統合して一人の人物を理解する。キュビスムは、この脳内で行われている統合作業を絵画の表面へ引き出したとも考えられる。ピカソは現実を壊したのではなく、人間の脳が対象について持っている複数の情報を一枚の画面に再構成したのである。
6.視覚は一つではない
ゼキの神経科学上の重要な発見の一つは、視覚が単一の機能ではないということである。色を見る機能、運動を見る機能、形を見る機能などは、脳内の異なる領域で処理される。見るという一つの経験の背後では、複数の視覚システムが並行して働いている。この発見は美術を見る際にも重要である。なぜなら画家は、色、線、形、運動などを自由に分離できるからである。
7.モンドリアンとマレーヴィチ-線を見る脳
モンドリアンやマレーヴィチの抽象絵画は、一見すると現実世界から遠く離れている。しかしゼキから見ると、むしろ脳の基本的な視覚機能に直接働きかける芸術である。視覚野には特定の方向を向いた線や輪郭に強く反応する神経細胞が存在する。垂直線、水平線、正方形、長方形などを中心とするモンドリアンの作品は、具象的な物語を排除することで、視覚脳が形態を処理する基本機構へ直接働きかける。したがって抽象芸術は、現実から離れた芸術であると同時に、視覚の生物学的基盤へ近づいた芸術でもある。
8.キネティック・アート-運動を見る脳
動きを扱う芸術についても同様である。実際に物体が動いていなくても、線や形の配置によって運動しているように感じることがある。これは脳が網膜上の刺激をそのまま受け取るのではなく、運動を積極的に構築していることを示す。キネティック・アートやオプ・アートは、ある意味で視覚神経科学の実験装置のような働きをしている。
9.顔を見る特殊な能力
人間にとって顔は特別な視覚対象である。わずかな目や口の配置の違いから人物を識別し、感情を読み取ることができる。一方、脳の特定領域が損傷すると、眼も視力も正常なのに知人の顔を認識できなくなる相貌失認が起こる。この事実は、見ることと認識することが同じではないことを示している。肖像画は単なる顔の形態を描く芸術ではなく、人間の脳が他者を認識する極めて特殊な神経機構と関係する芸術である。
10.色は物体に存在するのか
ゼキが特に専門としてきたのが色覚研究である。私たちは赤いリンゴを見ればリンゴが赤いと考える。しかし物理的世界に存在するのは光の波長であって、私たちが経験する赤という感覚が物体に存在している訳ではない。色は脳が作り出した経験である。ここから美術史を見ると、色彩表現の意味が変わってくる。
11.フォーヴィスム-現実の色からの解放
マティスなどのフォーヴィスムでは、顔を緑色にしたり、現実とは異なる強烈な色彩を使用したりする。従来なら非現実的な色と説明される。しかしゼキの視点では、画家は物体固有の色から色彩を解放し、脳の色彩処理機構に直接働きかけていると考えられる。画家は神経科学を知らなくても、制作経験を通じて脳の視覚法則を経験的に発見していた。
12.モネの眼と脳
本書終盤ではモネが取り上げられる。モネは同じ対象を異なる時間、天候、光の条件で繰り返し描いた。ルーアン大聖堂や積みわらの連作では、対象そのものよりも、光によって変化する色彩と視覚経験が中心になる。ここには興味深い逆説がある。脳は本来、光が変化しても物体を同じものとして認識しようとする。しかしモネは、その恒常性を逆転させ、通常なら脳が補正してしまう光と色の変化を絵画の主題にした。モネは結果として、人間の視覚システムを研究するような絵画を制作した。
13.芸術家は無意識の神経科学者である
ここからゼキの最も刺激的な考えが導かれる。偉大な芸術家たちは神経細胞も視覚野も知らなかった。しかし何千枚もの絵を描き、色、形、線、運動を試す過程で、人間はどのような視覚刺激に反応するのかを経験的に発見してきた。したがって芸術史は、別の見方をすれば、人類が何千年にもわたって行ってきた巨大な視覚実験の歴史でもある。芸術家は科学的装置を使わず、作品制作を通して脳の法則を探究してきた無意識の神経科学者と見ることができる。
本書が言いたかったこと
美は眼の中にあるのではなく、脳と作品との関係の中で生まれる。私たちは世界をそのまま見ていると思っている。しかし実際には、脳が外界から色、形、線、運動、顔などの情報を選択し、それらを再構成することによって、私たちが経験する世界が成立している。芸術家もまた同じことをしている。現実をそのままコピーするのではなく、何を残し、何を捨て、何を強調するかを選択する。そして現実の背後にある本質を作品として提示する。したがって、優れた芸術作品が人間を強く惹きつける理由の一つは、芸術作品の構造と人間の脳が世界を理解する仕組との間に深い対応関係が存在するからである。この考え方は、芸術とは何かという問題にも重要な示唆を与える。芸術の本質は、単なる写実性でも、美しい色彩でも、技巧でもない。芸術家が人間の知覚の仕組を直観的に理解し、通常の世界の見方から余分なものを取り除き、見ることの核心を作品として提示するところにある。モンドリアンが線と色へ向かったこと、ピカソが一つの視点を破壊したこと、フォーヴィストが現実の色から離れたこと、モネが光による色彩変化を追究したことは、それぞれ異なる美術運動に見える。しかしゼキの立場から見れば、すべて人間の脳は世界をどのように見ているのかという問題に対する異なる実験である。本書が最終的に示したのは、芸術史と脳科学は遠く離れた学問ではなく、共に人間は世界をいかに見るのかを探究する営みである。そして芸術作品とは、単に画家の感情や思想を記録したものではない。それは、人類が長い歴史の中で自らの脳の働きを無意識に探究してきた記録でもある。
