坪庭 隠された雪・月・花

坪庭 隠された雪・月・花
1989年3月刊
横山正監修

目次

執筆者の経歴

監修者である横山正は、建築史・建築論を専門とした研究者であり、日本建築や空間構成を歴史と思想の両面から考察してきた。坪庭を単に狭い土地につくられた庭としてではなく、日本の住居と都市文化の中から生まれた独特の空間として捉えている。本書全体もこの問題意識を基礎として構成されている。

野村勘治は1950年愛知県生まれの作庭家であり、重森三玲に師事した。古庭園の実測調査と作庭の双方を行ってきた人物で、本書では京都の坪庭の写真構成を担当している。理論だけではなく、実際に石を組み庭をつくる作庭家の視点が本書に加わっている。

日向進は日本建築史、とりわけ京町家を研究してきた建築史家である。本書では壺庭から坪庭へを担当する。坪庭を理解するためには、庭だけでなく、京都の都市構造や町家建築の成立過程を理解しなければならないという歴史的視点を提示している。

出江寛は1925年京都生まれの建築家で、伝統的な日本建築の感覚を現代建築へ取り込むことを追求した。本書では坪庭・間合いの美学を担当し、物と物との間に生まれる間を日本空間の重要な特徴として論じる。

伊東ていじ(1922-2010年)は建築史家であり、日本の民家、町並み、伝統建築、都市景観を研究した。本書ではすまいと坪庭を担当し、坪庭を住宅の一部として考察する。

本書の内容

1.坪庭は小さいことに意味がある

本書は、坪庭を単純に一坪程度の小さな庭と定義して終わらない。京都の町家では、間口が狭く奥行きの長い建物が密集していた。その内部へ光と風を取り込むため、建物と建物の間に小さな空地が必要となった。しかし京都の人々は、その空間を単なる採光・通風設備として扱わなかった。石を置き、木を植え、苔を育て、水鉢や灯籠を配し、小さな自然をつくり出した。坪庭は、都市の物理的制約から生まれながら、その制約を逆に美へと転換した空間である。

2.壺庭から坪庭へ

壺という言葉は元々建物に囲まれた小さな空間を意味し、必ずしも現在のような庭園を意味していた訳ではない。日本建築では複数の建物の間に生じる小空間があり、それが時代とともに庭園化されていった。京都の町家では、その空間が生活上の必要性と結びつく。採光、通風、排水、防火など都市住宅に必要な機能を担いながら、同時に植栽や石を配置する鑑賞空間へと発展した。したがって坪庭は、最初から美術作品として発明されたのではなく、生活の必要から生まれ、長い時間をかけて美的空間へ発展した。

3.小さな空間の多様性

坪庭と呼ばれていても一つとして同じ庭がない。石を主役とする庭がある。苔を中心にした庭がある。一本の木だけを強調する庭もある。蹲踞や灯籠を配して茶庭的な雰囲気を持たせる庭もある。しかし共通しているのは、限られた面積に多くのものを詰め込もうとしないことである。一本の木、一個の石、わずかな水。それらを選び抜くことによって、小さな空間に大きな自然を感じさせる。

4.間合いの美学

坪庭では、物そのもの以上に、物と物との間が重要になる。石と石の間、木と壁の間、建築と庭の間、光と影の境界である。庭が狭いからといって、空いている場所をすべて石や植物で埋めてしまえば、庭は息苦しくなる。むしろ何も置かない場所を意識的につくることで、一個の石や一本の木が強く見える。これは水墨画における余白とよく似ている。描かれていない白い部分が空や霧や水を表現するように、坪庭でも何も存在しない空間が庭を成立させる。坪庭の美とは、物の美だけではなく、間の美である。

5.住まいと坪庭

坪庭は庭だけを見ても完全には理解できない。どの部屋から見えるのか。廊下を歩いた時、どの角度で現れるのか。障子を開けた時、何が最初に目に入るのか。こうした建築との関係によって庭の印象は大きく変わる。窓や障子、柱は額縁のような役割を果たす。その内側に一木一石が配置されれば、坪庭は一幅の絵画のようになる。したがって坪庭を設計することは、庭を設計するだけではなく、室内にいる人間の視線を設計することである。

6.雪・月・花

本書の副題隠された雪・月・花は非常に象徴的である。雪月花とは、日本文化において四季や自然美を象徴してきた言葉である。しかし都市の中心にある坪庭では、山野の大自然をそのまま取り込むことはできない。そこで自然そのものを持ち込むのではなく、その気配を取り込む。一本の木に積もった雪を見る。水鉢に映った月を見る。一輪の花によって春を知る。坪庭では、自然の全景を見せる必要はない。自然の一部分を切り取り、それによって背後にある大きな自然を想像させる。隠された雪・月・花とは、自然を全面的に見せず、断片から全体を感じさせる日本的美意識を象徴している。

7.小さな場所に別世界をつくる

壺中の庭は、本書を単なる日本庭園論から更に広い東アジア思想へつなげる論考である。壺中とは中国の神仙思想に由来する言葉で、小さな壺の中に外界とは異なる広大な世界が存在するという壺中天の思想につながる。外から見れば小さな壺にすぎない。しかしその内部には別天地が広がっている。これは坪庭を説明する非常に優れた比喩でもある。実際には数平方メートルしかない。しかし石を山と見なし、水鉢を湖と見なし、苔を大地と見れば、その小さな場所に広大な自然を想像することができる。坪庭とは、現実の面積によって測る庭ではない。

8.現代建築と坪庭

現代建築家がつくる坪庭は、坪庭が京都の古い町家だけに属するものではないことを示す。現代住宅で坪庭をつくるからといって、必ず竹垣、石灯籠、蹲踞、飛石を置く必要はない。コンクリート、ガラス、鉄といった現代建築の素材の中にも坪庭は成立する。重要なのは伝統的な形をコピーすることではなく、建築の内部に自然を挿入し、外部とは異なる静かな場所をつくるという坪庭の原理を受け継ぐことである。一本の木と砂利だけでもよい。石と水だけでもよい。現代住宅であれば、むしろ要素を更に削ぎ落とした抽象的な坪庭の方が建築と調和する場合もある。

9.庭を構成する細部

京の坪庭百科は、坪庭を構成する具体的な要素へ視線を向ける。石、飛石、灯籠、蹲踞、水鉢、竹垣、植栽などは、一つ一つが長い日本庭園文化の中で発展してきたものである。しかし坪庭では、それらすべてを置く必要はない。むしろ限られた空間だからこそ、どの要素を選び、どの要素を捨てるかが重要になる。この選択と省略によって、坪庭独特の密度が生まれる。

本書が言いたかったこと

坪庭とは単に狭い庭ではなく、限られた空間の中に別の世界をつくり出す日本独特の空間思想である。坪庭の出発点には、京都の町家に光と風を取り込むという現実的な必要があった。しかし日本人は、その小さな空間に石を置き、木を植え、水を配し、単なる設備を精神的な場所へと変えていった。そこに坪庭の本質がある。広い庭では自然そのものを見せることができる。しかし坪庭では、それができない。だからこそ一部分だけを示し、残りを人間の想像力に委ねる。一個の石から山を想像する。一鉢の水に月を見る。一枚の紅葉から秋全体を感じる。この部分から全体を感じるという感覚こそ、副題の隠された雪・月・花が示唆する世界である。また坪庭では、置かれたものだけでなく、置かれていないものが重要になる。石と石の間、木と壁との間、光と影の間に生まれる余白によって、実際の面積以上の広がりが生まれる。したがって坪庭は、庭を小さくしたものではない。むしろ自然を極限まで削ぎ落とし、その断片から無限の自然を想像させる空間芸術である。これは現代住宅にも十分応用できる思想である。京都の古い町家を再現する必要はない。一木、一石、水、光、影、そして余白を建築と一体化させれば、数平方メートルの空間にも壺中天をつくることができる。本書は、坪庭を庭園技術としてだけでなく、小さな空間の中に大きな自然を感じる日本人の美意識として捉え直した本である。

魯山人の庭(付記)

作庭家がつくった庭より、なぜか私には魯山人が自らの家に作った庭の方が美しく感じられた。

魯山人春風萬里荘
魯山人の春風萬里荘

未来の輪郭

目次