坪庭のすすめ
小さな庭のプラン常識集
1994年7月刊
小埜雅章監修
本書の内容
1.小さな空間に自然を凝縮する
坪庭は単に面積の小さい庭ではない。狭い空間に自然の要素を選択して配置し、室内にいながら光、風、雨、四季の変化を感じられるようにする、日本住宅独特の空間である。特に京都の町家は間口が狭く奥行きが深いため、建物の内部まで自然光や風を導く必要があった。坪庭は美的な鑑賞空間であると同時に、採光、通風という実用的な機能も担ってきた。したがって坪庭には、見る庭と暮らしを支える庭という二つの性格が重なっている。
2.狭さを美に変える
第二章では、京町家に蓄積されてきた小庭園の知恵を、現代住宅に応用できる作庭術として読み解いていく。ここで重要なのは、坪庭では広い庭園と同じ発想をしてはならないということである。狭い場所に多くの樹木や庭石を置けば、かえって窮屈になる。そこで樹木、石、苔、砂利などを厳選し、それぞれの間に余白を設ける。一本の木を主役とする。一個の景石を中心にする。足元には苔や下草を配する。限られた空間だからこそ、何を置くか以上に何を置かないかが重要になる。
3.茶庭から学ぶ簡素の美
第三章中庭―露地の思想は、本書を単なるガーデニング本とは異なるものにしている。露地とは茶室へ至る庭である。そこでは豪華な景観を見せるのではなく、飛石、蹲踞、石灯籠、植栽などを控えめに配置し、茶室へ向かう人間の心を日常生活から徐々に切り離していく。飛石を歩けば自然に歩調が遅くなる。蹲踞で手を清める。樹木によって外界から視線が遮られる。庭の中を移動すること自体が、心を静める過程となっている。この露地の考え方は坪庭にも応用できる。狭い庭を華美に装飾するのではなく、必要な要素を絞り込むことで、静けさを生み出す。
4.名庭から学ぶ
本書には京都御所の藤壺から名刹、町家まで54点のカラー写真が掲載されている。これは単なる鑑賞写真ではなく、自分の庭を考えるための実例集として構成されている。ここで重要なのは、有名な庭をそのまま小さくして住宅に移すことではない。名庭から学ぶべきなのは、石の置き方、樹木の位置、視線の止め方、余白の取り方、建物との関係など、その背後にある構成原理である。たとえば寺院庭園の大きな石組を住宅の狭い庭にそのまま持ち込めば圧迫感が生じる。しかし、その石組の中心となる一石だけを取り出し、周囲に砂利や苔を配置すれば、限られた空間にも力強い景観をつくることができる。坪庭とは、大庭園の縮小版ではなく、小さな空間に適した独立した造形である。
5.玄関の坪庭
第五章では玄関の坪庭が独立して扱われている。住宅において玄関は、外部と内部を結ぶ境界である。そのため玄関から見える小さな庭は、住まい全体の印象を決める重要な役割を持つ。玄関正面やその脇に庭を設けることで、閉鎖的になりやすい玄関空間に光と自然を取り込むことができる。ここでも大切なのは要素を増やしすぎないことである。一枚の窓の向こうに一本の樹木と一個の石だけが見える構成でもよい。窓を額縁として考えれば、坪庭は一幅の絵画のようになる。坪庭を設計するとは、庭だけを設計することではない。家のどこから、どのように庭を見るかを設計することでもある。
6.水-小さな庭に動きと音を入れる
本書では水の扱いについても実践的に解説している。狭い庭では大きな池をつくる必要はない。蹲踞や水鉢にわずかな水を置くだけでも、空や樹木が水面に映り、雨滴が波紋をつくる。更に水音が加われば、視覚だけではなく聴覚によって庭を感じることができる。小さな空間だからこそ、一滴の水や小さな水面の存在が強く意識される。
7.植栽-四季を住宅へ取り込む
本書では、季節を感じさせる植栽の選択も重要なテーマとなっており、巻末には坪庭と小さな庭に適した樹木一覧が付されている。坪庭では樹木を大量に植える必要はない。むしろ限られた種類を選ぶことによって、一つ一つの季節変化が鮮明になる。春には新芽、夏には深い緑、秋には紅葉、冬には枝の姿が現れる。同じ庭でありながら一年を通して表情が変化する。この時間的変化こそ、人工物だけで構成された住宅に自然を取り込む坪庭の大きな意味である。
8.現代住宅の坪庭
第六章ではモダン感覚の実践が取り上げられる。坪庭というと、竹垣、石灯籠、蹲踞、苔といった伝統的な京都風の庭を想像しやすい。しかし本書は、坪庭の本質をそうした形式に限定していない。現代住宅であれば、建築の直線的なデザインに合わせ、石、砂利、樹木をより簡潔に構成することも可能である。重要なのは和風に見えることではなく、住宅内部に自然を取り込み、限られた空間に静けさと季節感をつくることである。この考え方は、現代のコンクリートやガラスを多用した住宅にも十分応用できる。
9.美しい庭を保つ
最後に本書は、坪庭をつくって終わりとは考えない。植栽は成長し、落葉し、苔や下草も変化する。水を使えば清掃が必要となり、樹木には剪定が必要となる。本書が維持管理まで扱っているのはそのためである。特に狭い坪庭では、一本の木が成長しすぎただけでも庭全体の均衡が崩れる。したがって最初から十年後の樹木の大きさを考え、管理可能な植栽を選択しなければならない。庭は完成した瞬間に完成するのではない。人間が手入れし、植物が成長し、石や苔が年月を重ねることによって、徐々に完成へ近づいていく。
本書が言いたかったこと
坪庭とは狭い土地に無理に庭園を押し込むものではなく、限られた空間だからこそ成立する日本独自の庭の芸術である。広い庭では多数の樹木や石を配置できる。しかし坪庭ではそれができない。そこで一本の木、一個の石、一鉢の水、わずかな苔、そして何も置かない余白を慎重に選ぶ必要がある。その制約が、逆に坪庭の美を生み出す。坪庭の目的は、外から眺めて美しい庭をつくることだけではない。窓や廊下の向こうに庭があることで、室内に光が入り、風が通り、雨を感じ、紅葉や新緑によって季節を知ることができる。坪庭は、住宅の内部と自然との境界をなくすための装置である。この考え方を現代住宅に応用するなら、京都の町家をそのまま模倣する必要はない。石灯籠や竹垣を置かなければ坪庭にならない訳でもない。現代的な建築であっても、建物の一角に余白をつくり、一本の樹木、一つの石、わずかな水を配置し、それを室内から美しく見せれば、そこには坪庭の思想が成立する。本書が最終的に教えるのは、庭の価値は広さでは決まらないということである。小さな空間だからこそ自然を選び抜き、一木一石に意味を持たせることができる。坪庭とは、最小の自然によって最大の広がりを感じさせる、日本住宅が生み出した高度な空間芸術である。
