機械式以前の太陽・水・砂時計
人類最古の時計は、太陽の影を利用した日時計である。古代エジプトでは紀元前1500年頃には日時計や水時計が使用されていた。水時計は一定量の水が流れる時間を利用するため、太陽の出ていない夜間でも時間を測ることができ、日時計に比べて大きな進歩であった。また砂時計も、一定量の砂が細い穴を通過する時間を利用するという意味で、同じ発想から生まれた時間計測装置である。しかし、これらはいずれも太陽、水、砂などの自然現象に依存しており、自ら一定の周期を作り出す機械ではなかった。現在につながる時計史の本当の出発点は、13世紀末から14世紀頃のヨーロッパに登場した機械式時計である。重錘を動力とし、その力を歯車に伝え、脱進機によって少しずつ解放することで一定の速度で時計を動かす仕組が成立した。時計はここで初めて、自然現象を観察する道具から、人間が人工的に時間を刻ませる機械へと変わったのである。
持ち運べる時計の誕生
15-16世紀
初期の機械時計は重錘を動力としていたため、塔や建物などに固定する必要があった。この制約を突破した歴史的発明が、ゼンマイである。金属製のゼンマイを巻き、その復元力を利用して時計を動かすことによって、重錘を必要としない小型時計が可能になった。15世紀末から16世紀初頭になると、ドイツを中心としてゼンマイを動力とする小型時計が登場した。ニュルンベルクの時計師ペーター・ヘンラインは、初期の携帯時計を代表する人物として知られている。時計は建物に据え付けられた公共設備から、個人が持ち歩くことのできる道具へと変わり始めた。ただ、ゼンマイには大きな欠点があった。巻き上げ直後には強い力を発するが、ほどけるにつれて力が弱くなり、それが時計の精度を狂わせるのである。この問題を補正するためにフュジーと呼ばれる鎖引き機構が発達した。ゼンマイの力の変化を機械的に均等化する仕組であり、携帯時計の精度向上に大きく貢献した。ここに現代のウォッチにつながる基本的な発想が成立した。
ホイヘンスが時計を科学に変える
17世紀
時計史上最大級の転換をもたらした人物が、オランダの科学者クリスティアーン・ホイヘンスである。ホイヘンスは1656年に振り子時計を実用化した。振り子には一定の周期で往復する性質があり、この物理法則を時計の調速に利用することによって、それ以前の時計とは比較にならないほど精度が向上した。更に重要なのが、携帯時計の精度向上である。振り子は重力を利用するため、持ち歩く時計には適さない。そこで17世紀後半には、テンプと呼ばれる往復回転する輪と、ひげゼンマイを組み合わせて一定周期の振動を作り出す方式が発達した。ホイヘンスは1675年にひげゼンマイを用いた調速機構を発表し、携帯時計の精度を大きく向上させた。現在の高級機械式腕時計も、基本的にはテンプ、ひげゼンマイ、脱進機の組み合わせによって時を刻んでいる。17世紀に、現代機械式腕時計の心臓部となる基本原理がほぼ成立した。
海洋時計と大英帝国
18世紀
次の大きな革命は、英国の時計師ジョン・ハリソンによって起こされた。大航海時代の最大の問題の一つは、船舶が自らの経度を正確に把握することであった。緯度は太陽や星の高度から比較的容易に求められるが、経度を知るためには基準地点の正確な時刻と船上の時刻を比較する必要があった。ところが船は激しく揺れ、温度や湿度も大きく変化する。この環境でも正確に時を刻む時計を作ることは極めて困難であった。ハリソンはこの問題に挑み、高精度海洋時計を開発した。温度変化による金属の伸縮を補正する技術を導入し、実用的なマリン・クロノメーターへの道を開いた。この発明によって船舶は自らの位置を正確に把握できるようになり、長距離航海の安全性は飛躍的に高まった。正確な時計は単なる生活用品ではなく、航海、海軍、貿易、植民地経営を支える国家的な戦略技術となった。時計技術の発展が英国の海洋覇権を間接的に支えたという点でも、ハリソンの功績は極めて大きい。
現代時計を作った脱進機
18世紀後半
18世紀には、時計の心臓部ともいうべき脱進機にも重要な革新が起こった。1750年代、英国の時計師トーマス・マッジはレバー脱進機を考案した。脱進機とは、ゼンマイから歯車に伝えられるエネルギーを少しずつ解放すると同時に、調速機であるテンプに規則的な力を与える装置である。レバー脱進機は精度、安定性、耐久性に優れており、その後様々改良を受けながら19世紀に普及した。特にスイスで発達したスイス・レバー脱進機は、20世紀には機械式腕時計の事実上の標準となった。驚くべきことに、現在製造されている多くの高級機械式腕時計も、この18世紀に生まれたレバー脱進機の基本原理を受け継いでいる。時計技術においては、一度完成された優れた機構が数百年間にわたって生き続けている。
ブレゲという巨大な転換点
1775~1823年
時計史で一人だけ特別に扱うべき人物を挙げるなら、アブラアン=ルイ・ブレゲである。ブレゲは1775年にパリで工房を開き、現在の高級時計メーカー・ブレゲへと続く基礎を築いた。彼は単なる時計職人ではなく、時計という機械そのものを大きく進化させた発明家であった。ブレゲは1780年頃にはペルペチュエルと呼ばれる実用性の高い自動巻時計を完成させた。人間が時計を持ち歩く際の動きを利用して内部の重りを動かし、ゼンマイを自動的に巻くという発想である。ただし自動巻機構についてはアブラアン=ルイ・ペルレらの先行例があり、ブレゲの功績は自動巻を実用的な高級時計として高度に完成させた点にある。更にブレゲはリピーター用のゴング、時計を衝撃から守るパラシュート耐衝撃機構、ひげゼンマイの伸縮をより均等にするブレゲ・オーバーコイルなどを開発した。1801年には、時計史上最も有名な複雑機構の一つであるトゥールビヨンの特許を取得した。脱進機とテンプを回転するケージに収めることによって、重力による姿勢差の影響を平均化するという大胆な発明であった。1810年頃には、ナポリ王妃カロリーヌ・ミュラの注文によって腕に装着する時計を製作した。これは記録上最初期の腕時計とされる。自動巻、耐衝撃、ひげゼンマイ、トゥールビヨン、腕時計など、現代高級時計を特徴づける多くの概念にブレゲが関係している。
スイス時計産業の形成
19世紀
19世紀になると時計産業は、天才的な時計師による個別の発明から、高精度時計を継続的に製造する産業へと発展していった。1833年にはジャガー・ルクルトの源流となる工房が創業し、1839年にはパテック・フィリップがジュネーブに誕生した。1847年にはカルティエ、1848年にはオメガ、1860年にはパネライ、1865年にはゼニスが創業し、1875年には後のオーデマ・ピゲにつながる工房が設立された。中でもパテック・フィリップは、永久カレンダー、ミニッツリピーター、クロノグラフなどの複雑機構を高級時計の世界で発展させた。時計は単に時間を知る機械ではなく、職人技術、装飾、複雑機構を結合した工芸品となっていった。一方、19世紀後半の米国ではウォルサムなどが部品の規格化と機械生産を進めた。これによって時計は熟練時計師による一点製作だけではなく、互換性を持った部品によって大量生産できる精密工業製品へと変化した。スイスが高級時計の方向へ進む一方、米国では時計の工業化が進んだ。
懐中時計から腕時計へ
20世紀初頭
腕時計は当初、主として女性用の装身具と考えられており、男性は懐中時計を使用することが一般的であった。しかし軍事と航空がこの常識を変えた。戦場で懐中時計をポケットから取り出すより、腕を見るだけで時刻を確認できる方がはるかに便利だったからである。第一次世界大戦前後を境として男性用腕時計が急速に普及した。この転換を象徴するメーカーがカルティエである。1904年、ルイ・カルティエは飛行家アルベルト・サントス=デュモンのために腕時計を製作した。飛行中に両手を操縦に使いながら時刻を確認したいという要求に応えたものであり、後のサントスにつながっていった。ここで腕時計は女性の装飾品から男性の実用品へと性格を変えた。更に戦争と航空の発展によって、腕時計は20世紀を代表する携帯精密機械となっていった。
ロレックスと実用腕時計の完成
1920-30年代
20世紀時計史におけるもう一つの巨大な転換点がロレックスである。ロレックスの歴史的な重要性は、複雑機構を多数発明したこと以上に、腕時計を日常生活の中で安心して使用できる精密機械へと完成させたことにある。1926年、ロレックスはオイスターと呼ばれる防水・防塵性に優れた腕時計ケースを実用化した。1927年にはメルセデス・グライツが英仏海峡を泳いで横断した際にロレックスのオイスターを着用し、その防水性能が広く知られることとなった。1931年にはパーペチュアルと呼ばれる全回転ローター式自動巻機構を発展させた。腕の動きによって内部のローターが360度回転し、その力でゼンマイを自動的に巻き上げる方式であり、その後の自動巻腕時計の基本形となった。
スポーツ・軍事・航空時計
1930-60年代
1930年代以降、腕時計は用途ごとに専門化していった。オメガは高精度時計やクロノグラフを発展させ、その代表作であるスピードマスターは後にNASAの有人宇宙飛行で使用され、月面に到達した時計として歴史に名を残した。ブライトリングは航空用クロノグラフの分野を発展させ、パイロットが速度、距離、燃料消費などを計算できる腕時計を作り上げた。IWCも航空時計で重要な地位を確立し、パネライはイタリア海軍との関係を背景として軍用潜水時計を発展させた。ロレックスも潜水用のサブマリーナーや探検用のエクスプローラーなどを通じて、腕時計を極限環境で使用できる道具へと進化させていった。時計はここで単なる時間表示装置ではなく、潜水、航空、軍事、モータースポーツ、探検、宇宙開発などを支える精密計器となった。
自動巻クロノグラフ
1969年
1969年は機械式腕時計史における特別な年である。この年、自動巻とクロノグラフという二つの複雑な機構を一つの腕時計に組み込む技術をめぐり、世界の時計メーカーが激しい競争を繰り広げた。ゼニスは一体型自動巻クロノグラフエル・プリメロを発表した。毎時36,000振動という高振動ムーブメントを採用し、機械式時計で1/10秒を計測できる能力を持たせた。同じ時期にはホイヤー、ブライトリング、ハミルトン=ビューレンなどの連合がクロノマチックを開発し、日本ではセイコーが独自方式の自動巻クロノグラフを実用化した。機械式腕時計はこの時期、一つの技術的頂点に達した。ところが皮肉なことに、その同じ1969年、時計産業を根底から覆す製品が日本から登場した。
セイコーのクォーツ革命
1969年
1969年12月、セイコーはアストロンを発売した。これは世界初の市販クォーツ腕時計として時計史を大きく変えることになった。従来の機械式時計は、ゼンマイに蓄積された力を歯車に伝え、脱進機を介してテンプを一定周期で振動させることで時間を測っていた。これに対してクォーツ時計は、電池を動力源とし、水晶振動子に電圧を加えた際に極めて安定した周波数で振動する圧電効果を利用して時間を測る。時計の心臓部は、ゼンマイとテンプを中心とした機械的なシステムから、電池、水晶振動子、電子回路を中心とする電子的なシステムへと変わった。クォーツ時計は機械式時計とは比較にならないほど高精度であり、しかも大量生産によって価格を大幅に下げることができた。そのため1970年代から1980年代にかけてスイス時計産業は深刻な危機に陥った。これがいわゆるクォーツ・クライシスである。時計史を技術史として考えるなら、セイコーのクォーツ腕時計は、それ以前の数百年間にわたる機械式時計の発展を一気に飛び越えた産業革命級の転換点であった。
スウォッチとスイス時計の復活
1980年代
クォーツ革命によって苦境に立ったスイス時計産業を立て直す象徴となったのがスウォッチである。1983年に登場したスウォッチは、クォーツ時計を単なる安価な時間計測機器としてではなく、色やデザインを楽しみ、服装に合わせて交換するファッション商品として再定義した。しかし、スイス時計産業の復活にはもう一つの重要な流れがあった。それが機械式時計の価値を再定義する動きである。精度と価格だけで競争すれば、機械式時計がクォーツ時計に勝つことは困難である。そこでパテック・フィリップ、オーデマ・ピゲ、ヴァシュロン・コンスタンタン、ブレゲ、ジャガー・ルクルトなどの高級時計メーカーは、機械式時計を精度だけでは測れない工芸品として位置づける方向へ進んだ。複雑な歯車が動き、数百もの部品を時計師が組み立て、磨き、調整する機械式時計そのものに文化的、芸術的、歴史的価値があるという考え方である。こうして機械式時計は、実用品としてクォーツに敗れながら、高級工芸品として復活するという極めて興味深い歴史をたどった。
素材革新とスマートウォッチ
21世紀
21世紀に入ると、機械式時計にも新しい素材と技術が導入されるようになった。ブレゲ、パテック・フィリップ、オメガなどはシリコン製のひげゼンマイや脱進機部品を導入した。シリコンは軽量で磁気の影響を受けにくく、摩擦を小さくできるため、従来の金属部品が抱えていた問題を改善することができる。数百年前に成立した機械式時計の基本原理に、半導体産業で発展した現代的な素材加工技術が導入された。2015年にApple Watchが登場すると、腕時計は再び大きな転換を迎えた。スマートウォッチは単に時刻を表示するだけではなく、通信、決済、運動記録、健康管理、位置情報、各種通知などを扱う身体装着型情報端末となった。時計は精密計器から電子時計へ、更にウェアラブル・コンピューターへと進化した。しかし興味深いことに、スマートウォッチが急速に普及しても、高級機械式時計は消滅しなかった。むしろ正確な時刻を知るだけならスマートフォンやクォーツ時計で十分となったことによって、機械式時計は時間を知る道具という実用的役割から解放された。今日の高級機械式時計は、工芸、文化、歴史、ブランド、希少性、機械技術を所有するものへと変化している。
世界の腕時計メーカー(付記)
1. Blancpain(1735年)
ブランパンは1735年、ジャン=ジャック・ブランパンがスイスのヴィルレで時計師として登録したことを起源とし、現存する最古級の時計ブランドである。19世紀には脱進機の改良や薄型時計製造を進め、20世紀には機械式時計専門メーカーとして独自の地位を築いた。最大の歴史的功績は1953年に登場した潜水時計フィフティファゾムスである。回転ベゼル、高い防水性能、暗所での視認性など、現代的ダイバーズウォッチの基本構成を確立した。代表モデルにはフィフティファゾムス、ヴィルレなどがある。ロレックスが実用スポーツ時計を大衆化したのに対し、ブランパンは伝統的高級機械時計と本格的ダイバーズウォッチを結びつけたブランドとして時計史上重要である。
2.Vacheron Constantin(1755年)
ヴァシュロン・コンスタンタンは1755年、ジャン=マルク・ヴァシュロンがジュネーブで創業した。創業以来ほぼ途切れることなく時計を製造してきた世界最古級のマニュファクチュールであり、高級時計の歴史を体現する存在である。19世紀以降、ミニッツリピーター、永久カレンダー、クロノグラフなど高度な複雑時計を発展させ、機械技術と装飾工芸を統合してきた。代表モデルにはドレスウォッチのパトリモニー、1970年代のスポーツ時計を源流とするオーヴァーシーズ、歴史的デザインを復活させるヒストリークがある。同社の重要性は特定の一発明よりも、18世紀の宮廷時計から21世紀の超複雑時計までジュネーブ高級時計製造の伝統を連続的に継承してきたことにある。
3.Arnold & Son(1760年代)
Arnold & Sonは、18世紀英国を代表する時計師ジョン・アーノルドの名を継承する特殊なブランドである。アーノルドは1770年代に海洋クロノメーターを開発し、デテント脱進機、バイメタル温度補償テンプ、ヘリカル・バランススプリングなどを発展させた。ジェームズ・クックの航海にもアーノルド製海洋時計が使用され、ブレゲとも交流があった。現代ブランドの代表作はTime Pyramid、Nebulaなどがある。時計史上ではハリソンからブレゲへ続く18世紀クロノメーター革命を象徴する英国時計史の重要な系譜である。


4.Breguet(1775年)
1775年にアブラアン=ルイ・ブレゲがパリで創業したブレゲは、時計史上最も発明家的なブランドである。創業者ブレゲは自動巻時計ペルペチュエル、耐衝撃機構パラシュート、ブレゲ式オーバーコイル、リピーター用ゴングなどを発展させ、1801年には重力による姿勢差を平均化するトゥールビヨンの特許を取得した。1810年代にはナポリ王妃のために初期の腕時計も製作している。代表モデルはクラシック、トラディションなどがる。時計史におけるブレゲの位置は単なる名門メーカーではない。今日の機械式時計を構成する主要概念の数多くを生み出した、近代時計技術の最大の発明者の名を継承するブランドである。
5.Girard-Perregaux(1791年)
ジラール・ペルゴは1791年にジャン=フランソワ・ボットがジュネーブで活動を開始したことを起源とする。ボットは時計師、彫金師、宝飾師など複数の専門職を一つの工房に集め、時計製造を統合化した先駆者であった。19世紀にはコンスタン・ジラールがトゥールビヨン技術を発展させ、三本の金色のブリッジをムーブメントの機能部品であると同時に意匠の中心としたスリー・ゴールド・ブリッジを完成させた。現代の代表モデルにはロレアート、ブリッジシリーズがある。同社の時計史上の意味は、内部に隠される機械構造そのものを美的表現として見せるという考えを早くから確立した点にあり、現代のスケルトン時計や機械美重視の高級時計にもつながっている。

6. H. Moser(1828年)
H.モーザーは1828年、スイス出身のハインリッヒ・モーザーがサンクトペテルブルクで創業した。ロシア帝国の富裕層向け高級時計で成功し、後にシャフハウゼンの工業化にも貢献した。現代では自社製ひげゼンマイを含む高いムーブメント製造能力を持ち、ミニマルな文字盤と複雑機構を融合する。代表モデルはエンデバー、ストリームライナー、パイオニア。伝統的スイス時計を現代的な簡潔さへ再構築する独立系マニュファクチュールである。
7.Longines(1832年)
ロンジンは1832年、オーギュスト・アガシがスイスのサンティミエで時計事業を始めたことを起源とする。当初は各地の時計師が部品を製造するエタブリサージュ方式であったが、後に工場生産を進め、高精度なクロノグラフや航法時計で名声を築いた。特に航空時代にはチャールズ・リンドバーグと協力してアワーアングル・ウォッチを開発し、時計によって航空機の位置測定を助けるという重要な役割を果たした。代表モデルにはマスターコレクション、スピリット、レジェンドダイバーなどがある。ロンジンの歴史的位置は、高級時計と大量工業生産の中間に位置しながら、スポーツ計時、航空、クロノグラフの発展に大きく寄与し、スイス時計を世界市場へ広げたことにある。
8.Jaeger-LeCoultre(1833年)
1833年、アントワーヌ・ルクルトがスイスのジュウ渓谷で創業した。1844年にはミクロン単位の計測を可能にするミリオノメーターを開発し、精密部品製造を大きく進歩させた。同社は完成時計だけでなくムーブメントの設計・製造に卓越し、多くの名門ブランドへ機械を供給してきた。1931年に誕生したレベルソは、ポロ競技中にガラスを守るためケースを反転させる独創的構造を持ち、時計デザイン史の傑作となった。代表モデルにはレベルソ、マスター・コントロール、ポラリスがある。時計史上では、完成品ブランドであると同時に機械技術の基盤を供給してきた巨大マニュファクチュールである。

ホワイトゴールド

ピンクゴールド
9.Patek Philippe(1839年)
1839年、ポーランド出身のアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックがフランチシェック・チャペックとジュネーブで事業を開始し、後に天才時計師ジャン・アドリアン・フィリップと組んで現在のパテック・フィリップとなった。フィリップは1840年代に鍵を使わず竜頭で巻き上げと時刻合わせを行うキーレス機構を発展させ、現代腕時計の基本操作につながる大きな革新をもたらした。同社は永久カレンダー、ミニッツリピーター、スプリットセコンド、ワールドタイムなど複雑時計の最高峰を築いてきた。代表作はカラトラバ、ノーチラス、アクアノートである。時計史上では機械式時計の最高級品とは何かという基準を形成したブランドである。

10.A. Lange & Söhne(1845年)
フェルディナント・アドルフ・ランゲが1845年、ドイツのグラスヒュッテに工房を設立したことに始まる。ドイツ時計産業の基礎を築き、3/4プレート、ゴールドシャトンなど独特の機械様式を確立した。戦後に途絶えたが、1990年に曾孫ウォルター・ランゲが再興した。代表作ランゲ1は大型アウトサイズデイトと非対称文字盤で現代時計史に新しいデザインを提示した。ツァイトヴェルク、ダトグラフも傑作であり、スイス中心の高級時計界にドイツ時計という別系統の最高峰を復活させた存在である。

11.Cartier(1847年)
カルティエは1847年、ルイ=フランソワ・カルティエがパリで創業した宝飾メゾンであるが、腕時計史においても極めて重要である。1904年、ルイ・カルティエは飛行家アルベルト・サントス=デュモンの操縦中に懐中時計を取り出せないという要望に応えて腕時計を設計し、後のサントスへ発展させた。これは男性用実用腕時計を普及させた先駆的存在である。1917年には戦車の形態から着想したタンクを生み出し、腕時計を単なる丸い小型懐中時計ではなく、ケースとブレスレットを一体化したデザインとして確立した。代表モデルはサントス、タンクである。時計史上では機械だけでなく腕時計の形を発明したブランドとして特別な地位を持つ。

12.OMEGA(1848年)
オメガは1848年、ルイ・ブランがスイスで時計工房を開いたことに始まる。19世紀末には部品を規格化した高精度ムーブメントを量産し、後にその代表的なOmegaキャリバーが会社名となった。20世紀にはオリンピック公式計時やクロノメーター競技で精度を追求し、1957年にスピードマスターを発表した。NASAは1965年に有人宇宙飛行用時計としてこれを認定し、1969年にはアポロ11号とともに月面へ到達した。また近年はジョージ・ダニエルズが考案したコーアクシャル脱進機を本格量産化し、摩擦低減と長期安定性を追求した。代表モデルはスピードマスター、シーマスター、コンステレーションであり、時計を地上、海中、宇宙へ拡張した総合精密時計メーカーである。
13.Panerai(1860年)
パネライは1860年、ジョヴァンニ・パネライがフィレンツェに時計店兼工房を開いたことに始まる。20世紀初頭からイタリア海軍へ精密機器を供給し、1916年には暗所で高い視認性を得る発光物質ラジオミールの特許を取得した。1930年代には海軍特殊潜水部隊向け大型防水時計を開発し、その際にはロレックス製ケースやムーブメントも用いられた。後にはより安全性の高い発光物質ルミノールを採用し、リューズを強く密閉する特徴的なプロテクターも生み出した。代表モデルはラジオミール、ルミノール、サブマーシブルである。時計史上では、視認性、防水性、頑丈さを徹底的に優先した軍用時計の機能美を、戦後の高級スポーツ時計へと転換したブランドである。
14.Chopard(1860年)
1860年、ルイ=ユリス・ショパールがスイスのソンヴィリエで高精度懐中時計とクロノメーターの工房を創業した。1996年以降はL.U.Cムーブメントによって本格的マニュファクチュールへ回帰し、マイクロローター、長時間駆動、ミニッツリピーターなどを発展させた。代表作はL.U.C、ミッレミリア、アルパインイーグル。宝飾ブランドでありながらムーブメントまで本格的に自社開発する点が特徴で、ジュエリーと伝統的高級時計製造を高水準で両立する数少ないメゾンである。



15.TAG Heuer(1860年)
エドワード・ホイヤーが1860年にスイスのサンティミエで創業した。1887年に改良・特許化した振動ピニオンはクロノグラフの始動・停止を簡潔にする重要機構で、現在も利用されている。20世紀には自動車レースとの関係を深め、高精度短時間計測をブランドの中心とした。代表モデルはカレラ、モナコ、アクアレーサー。時計史上ではクロノグラフを専門的計測機器からスポーツ腕時計へ発展させ、モータースポーツと腕時計を強く結びつけたメーカーである。

16.ZENITH(1865年)
ゼニスは1865年、ジョルジュ・ファーブル=ジャコがスイスのル・ロックルで創業した。当時としては珍しく時計製造に必要な多数の工程を一つの工場へ集約し、近代的なマニュファクチュール方式を推進した。最大の技術的功績は1969年に発表された自動巻クロノグラフエル・プリメロである。毎時3万6000振動という高速振動によって1/10秒単位の計測を可能とし、クロノグラフを一体型の自動巻ムーブメントとしてまとめた。クォーツ危機の際には製造中止寸前となったが、時計師シャルル・ベルモが製造設備と図面を密かに保存し、後に復活した。代表モデルはクロノマスター、デファイ、パイロットであり、高振動機械式クロノグラフを象徴するブランドである。
17.IWC Schaffhausen(1868年)
IWCは1868年、米国人時計師フロレンタイン・アリオスト・ジョーンズがスイスのシャフハウゼンで創業した。ジョーンズはスイス時計師の技術と米国式の機械化・規格生産を組み合わせ、高品質時計を効率的に製造する構想を持っていた。1880年代には数字を窓表示するパルウェーバー式ポケットウォッチを製造し、その後は航空時計や軍用時計で強い評価を得た。20世紀後半にはクルト・クラウスが操作性に優れた永久カレンダーを開発するなど複雑機構にも進出した。代表モデルはパイロット・ウォッチ、ポルトギーゼ、インヂュニアである。時計史上では、スイス伝統工芸と工業的エンジニアリングを融合し、道具として合理的な高級時計という独自の価値観を確立した。
18.Audemars Piguet(1875年)
オーデマ ピゲは1875年、ジュール=ルイ・オーデマとエドワール=オーギュスト・ピゲがスイスのル・ブラッシュで活動を始めたことを起源とする。ジュウ渓谷の複雑時計製造の伝統を継承し、永久カレンダー、ミニッツリピーター、超薄型時計などを得意としてきた。同社を時計史上決定的な存在にしたのが、ジェラルド・ジェンタの設計により1972年に発表されたロイヤルオークである。ステンレス鋼を高級素材として扱い、八角形ベゼルと一体型ブレスレットを組み合わせ、スポーツ時計を高級時計に変えた。この発想は後のラグジュアリー・スポーツウォッチという巨大市場を生んだ。代表モデルはロイヤルオーク、CODE 11.59であり、高級時計の素材と用途に関する常識を変えた。

スケルトン
19.SEIKO(1881年)
セイコーは1881年、服部金太郎が東京で服部時計店を創業したことに始まる。日本の時計産業を近代化すると同時に、世界の時計史を大きく変えた。最大の発明は1969年12月25日に発売した世界初の市販クォーツ腕時計クオーツアストロンで、水晶振動子、IC、ステッピングモーターを腕時計に収め、機械式時計を大幅に上回る精度を実現した。同じ1969年には垂直クラッチを備えた自動巻クロノグラフも商品化し、1999年には機械式ゼンマイと電子制御を融合したスプリングドライブを実用化した。代表モデルはアストロン、グランドセイコー、クレドール。時計史ではクォーツ革命によって数百年間続いた機械式時計中心の産業構造を転換させた最重要メーカーの一つである。
20.Breitling(1884年)
ブライトリングは1884年、レオン・ブライトリングがスイスのサンティミエで創業し、ストップウォッチとクロノグラフに専門性を築いた。20世紀初頭には自動車速度を測るタキメーターを開発し、1915年には腕時計クロノグラフの操作性を高める独立プッシュボタンを導入、その後二つのプッシャーによってスタート・ストップとリセットを分離する現代的クロノグラフ操作体系の形成に貢献した。1952年には回転計算尺を文字盤外周に備えた航空時計ナビタイマーを発表し、飛行時間、速度、燃料消費などの計算を腕上で可能にした。代表モデルはナビタイマー、クロノマット、スーパーオーシャンである。時計史上では、クロノグラフを専門計測機器から航空時代の実用腕時計へ進化させたブランドである。

21.BVLGARI(1884年)
1884年、ギリシャ出身の銀細工師ソティリオ・ブルガリがローマで創業した。宝飾メゾンとして出発したが、21世紀には機械式時計の技術革新でも重要な存在となった。特にオクトフィニッシモではトゥールビヨン、自動巻、ミニッツリピーター、クロノグラフなどの超薄型化を進め、複数の世界記録を樹立した。代表モデルはオクトフィニッシモ、セルペンティ、ブルガリ・ブルガリ。イタリアの造形美とスイスの機械技術を統合し、薄さを一つの高度な時計技術へ昇華させた。

22.Rolex(1905年)
ロレックスは1905年、ハンス・ウイルスドルフがロンドンでウイルスドルフ&デイビスを設立したことに始まる。同社最大の功績は、腕時計を壊れやすい装飾品から日常的に使える精密機械へ変えたことである。1926年には防水・防塵ケースオイスターを実用化し、1931年には360度回転するローターを利用したパーペチュアル自動巻機構を特許化した。サブマリーナー、エクスプローラー、デイトナなど、潜水、登山、航空、モータースポーツに対応する実用時計を次々と確立した。時計史上のロレックスは複雑時計の発明家というより、防水、自動巻、高精度、耐久性を統合し、現代の実用腕時計という形式を世界標準にしたメーカーである。

23.Van Cleef & Arpels(1906年)
ヴァン クリーフ&アーペルは1906年、パリのヴァンドーム広場で創業した。宝飾技術を時計に応用し、単なる時刻表示ではなく物語や自然、天文学を機械で表現するポエティックコンプリケーションを独自の分野として確立した。時計史上では精度競争とは別に、機械式時計を詩、物語、宝飾、オートマタを融合した動く芸術作品へ発展させた。

24.CITIZEN(1918年)
シチズンは1918年、山﨑龜吉によって設立された。日本で時計を国産化することから始まり、1924年にはCITIZENの名を冠した懐中時計、1931年には腕時計を製造した。同社の最大の革新は光を電気に変えて時計を動かす技術であり、1976年には世界初の太陽電池充電式アナログクォーツ腕時計クリストロン ソーラーセルを発売した。この技術は後にエコ・ドライブへ発展し、太陽光だけでなく室内光でも充電し、定期的な電池交換を不要にした。代表モデルにはエコ・ドライブワン、アテッサ、ザ・シチズンがある。時計史上では、クォーツ革命の次の課題であった電池交換からの解放を実現し、環境性と実用性を時計技術に導入した。
25.Hublot(1980年)
カルロ・クロッコが1980年に創業したウブロは、金製ケースに天然ラバーストラップを組み合わせるという当時としては異例の時計を発表した。これが後のArt of Fusionという思想につながり、2005年のビッグ・バンで決定的な成功を収めた。代表作はクラシック・フュージョン、ビッグ・バン。ゴールド、セラミック、カーボンなど異質な素材を積極的に融合し、伝統を重視してきたスイス高級時計に、素材革新と大胆な現代デザインという新しい競争軸を持ち込んだメーカーである。

26.CHANEL(1987年)
シャネルの創業は1910年だが、本格的な時計事業は1987年のプルミエールから始まった。最大の転換点は2000年のJ12で、当時まだ高級時計では珍しかったハイテクセラミックをケースとブレスレットの主要素材として採用し、セラミック時計の普及に大きな影響を与えた。その後は自社キャリバー開発にも進出している。代表作はプルミエール、J12、ボーイフレンド。ファッションブランドが時計を単なるライセンス商品ではなく、本格的な高級時計へ発展させ得ることを証明した。


27.NOMOS Glashütte(1990年)
ノモスはドイツ再統一直後の1990年、ローラント・シュヴェルトナーによってグラスヒュッテで創業された。バウハウスやドイツ工作連盟につながる機能的で簡潔なデザインを特徴とし、後に自社ムーブメント製造を本格化した。特に2014年発表の自社脱進機NOMOS Swing Systemは、スイス製脱進機への依存を減らした点で重要である。代表モデルはタンジェント、オリオン、ラドウィッグ、アウトバーン。比較的手の届く価格帯で本格的自社製機械式時計を実現し、ドイツ時計復興のもう一つの柱となったブランドである。

28.Roger Dubuis(1995年)
天才時計師ロジェ・デュブイとカルロス・ディアスによって1995年にジュネーブで創業された。創業当初から永久カレンダー、ミニッツリピーター、クロノグラフなど高度な複雑時計を製造し、伝統的ジュネーブ時計を大胆な現代デザインへ転換した。後にはダブル・フライング・トゥールビヨンなどをブランドの象徴とした。代表モデルはエクスカリバー。パテック・フィリップなどで培われた古典的複雑時計技術を、スケルトン構造による攻撃的デザインと融合した。
29.Parmigiani Fleurier(1996年)
古時計修復の名匠ミシェル・パルミジャーニがサンド・ファミリー財団の支援を受け、1996年に創設した。修復によって蓄積した古典時計の知識を現代設計へ応用することで、最初の腕時計から高度な複雑機構を採用した。その後、ケース、歯車、脱進機、ひげゼンマイなどをグループ内で製造する垂直統合体制を確立した。代表作はトリック、トンダPF。大量生産とは対極にある、時計修復から新しい時計を生み出す現代独立系高級時計の代表格である。

シエナ
30.Richard Mille(2001年)
リシャール・ミルは2001年に最初の時計RM 001 トゥールビヨンを発表した。腕時計のF1マシンという思想のもと、航空宇宙、自動車レースなどの先端素材と設計思想を機械式時計へ導入した。チタン製地板、カーボンTPT、極端な軽量化、耐衝撃トゥールビヨンなどを発展させ、実際にトップアスリートが競技中に着用できる複雑時計を実現した。代表作はRM 001、RM 011、RM 027、RM 67。機械式時計を伝統工芸からハイテク機械へ再定義し、超高価格帯時計市場の構造を変えたブランドである。

31.Laurent Ferrier(2009年)
ローラン・フェリエは、パテック・フィリップで約37年間勤務した時計師ローラン・フェリエが2009年に独立して創業した。2010年発表のガレ クラシックトゥールビヨン・ダブルスパイラルで注目され、後には摩擦を抑えるナチュラル・エスケープメント系の脱進機やマイクロローターを採用した自社ムーブメントを開発した。代表作はクラシック、ガレ、スポーツオート。外観は控えめでありながら内部機構と仕上げを最高水準まで追求し、現代独立時計師による静かな高級時計を代表するブランドである。


32.BIANCHET(2017年)
ビアンシェは2017年に創設された比較的新しいスイス独立系高級時計ブランドであり、トゥールビヨンを中心に据えている。黄金比1.618を時計の設計思想に採り入れ、ケース、文字盤、ムーブメントの比率を数学的な美しさから構成する点が特徴である。代表作にはウルトラフィーノがある。歴史的な発明を持つ老舗ではないが、軽量素材、防水性、スポーツ性能とトゥールビヨンを融合し、従来は繊細な芸術機構だったトゥールビヨンを日常的なスポーツ・ラグジュアリーへ移そうとする新世代ブランドである。

