スコット・リッターの経歴
スコット・リッターは米海兵隊の情報将校として勤務し、旧ソ連では軍備管理協定の履行に関わり、1991年の湾岸戦争ではシュワルツコフ将軍の幕僚としてイラクのスカッド・ミサイル探索に携わった。その後1991年から1998年まで国連大量破壊兵器査察に従事し、イラクの禁止兵器を調査する主任査察官を務めた。彼の思想を理解する上で重要なのは、単純な反米・反戦論者として出発した人物ではないことである。むしろ軍人、情報分析官、兵器査察官として大量破壊兵器を追跡する側にいた経験から、情報が政治目的によって選択・誇張され、それが戦争の根拠へ転化していく過程を問題視するようになった。イラク戦争前、リッターはイラクの大量破壊兵器能力について米政府の主張に強く異議を唱えた。その経験がTarget Iranの背景にある。彼にとってイラン問題とは、イラク戦争で起きた脅威の誇張が別の国を対象として再現される危険性を検証する問題である。
スコット・リッターの思想
以下の三冊は別々の著作というより、一つの長い議論として読むと理解しやすい。Target Iranでは、イラク戦争と同じように、疑わしい情報を政治化してイランとの戦争を始めてはならないと警告した。Deal of the Centuryでは、実際にJCPOAが成立したことを受け、敵対国であっても相互利益と検証制度を組み合わせれば戦争は回避できると評価した。そしてDealbreakerでは、トランプ政権がその合意から離脱したことについて、敵を信用できないから合意を破棄するという論理は逆であり、信用できない敵だからこそ査察可能な合意が必要なのだと批判した。この点では、リッターとミアシャイマーには興味深い共通点がある。両者とも米国の理想主義的・介入主義的外交に批判的であり、相手国の体制を変えることより、相手国が存在し続けることを前提として力と利益を調整する方が安全保障上現実的であると考えるからである。ただしミアシャイマーが国際政治の勢力均衡からこの結論に到達するのに対し、リッターは情報分析、兵器査察、核軍備管理という実務経験から同じ問題へ接近している。
標的イラン
Target Iran
The Truth About the White House’s Plans for Regime Change
2006年刊
Scott Ritter著
1.イラクの次はイランなのか
本書が出版された2006年は、ジョージ・W・ブッシュ政権下でイラク戦争が続く一方、イランのウラン濃縮問題が急速に国際政治の焦点となっていた時期である。リッターは、米国政府がイラン核問題を純粋な核不拡散問題として扱っているのではなく、より大きな政権転覆という戦略の一部として利用しているのではないかと疑う。本書自体が、ブッシュ政権によるイラン核兵器計画をめぐる主張と政権転覆政策を検証する国家情報評価のような試みとして構成されている。
2.核開発と核兵器開発の区別
本書の核心の一つは、核技術を持つことと核兵器を製造することを区別しなければならないという点にある。ウラン濃縮技術は原子力発電用燃料にも核兵器にも利用可能なデュアルユース技術である。したがって、濃縮施設を保有しているという事実だけから、核兵器製造を決定したと断定することはできない。リッターは、イランが核兵器を製造しようとしているという政治的主張と、査察・情報によって確認できる事実とを分離する必要があると主張する。
3.イスラエルから見たイラン
本書ではイスラエルがイランを最大級の安全保障上の脅威として認識していることを詳細に扱っている。イスラエルにとって問題なのは、イランが実際に核爆弾を完成させるかどうかだけではない。濃縮、ミサイル、科学技術、地域軍事力を組み合わせることで、イスラエルの圧倒的な軍事的優位を制約する潜在能力をイランが獲得すること自体が戦略上の問題となる。リッターはこのイスラエル側の安全保障認識が、米国の対イラン政策にも大きな影響を与えていると考える。
4.IAEAと査察の重要性
元兵器査察官であるリッターが特に重視するのがIAEA(国際原子力機関)である。政治家や情報機関がイランは核兵器を作っていると主張することと、査察官が現場で核物質や設備を検証することは別問題である。彼がイラクで経験した最大の教訓は、この両者を混同してはならないということであった。査察によって確認されていない仮説が政治の世界で確定した事実として扱われれば、政策が現実から離れていく危険がある。
5.政権転覆という問題
リッターは、米国の本当の目的が核問題の解決だけではなく、イスラム共和国という政治体制の変更に向かっていると見る。もしそうであれば、イランが核問題で譲歩しても米国との対立は終わらない。核問題が原因なのではなく、米国とイランの地政学的対立が原因だからである。この構図は極めて重要である。相手国が核計画を放棄すれば安全になると信じられなければ、核問題を外交的に解決するインセンティブが失われるからである。
6.イラク戦争を繰り返す危険
本書を貫いている最大の警告は、イラクで起きたことをイランで繰り返すなということである。脅威に関する情報を集め、それを最悪のシナリオで解釈し、政治家が断定的に語り、メディアが増幅し、世論が戦争を容認する。そして軍事行動が始まった後になって前提となった情報の信頼性が問題になる。リッターは、この順序を逆転させなければならないと考える。まず事実を査察し、脅威を評価し、それから政策を決定すべきである。
世紀の合意
Deal of the Century
How Iran Blocked the West’s Road to War
2017年刊
Scott Ritter著
1.本書成立の背景
本書を理解する上で重要なのは、Target Iranから約11年が経過していることである。2006年のリッターは、米国とイランが戦争へ向かう危険を警告していた。しかし、その後オバマ政権とイランのロウハニ政権の交渉を経て、2015年にJCPOAが成立した。リッターにとってこれは単なる核協定ではなかった。2006年に自らが懸念した戦争への道を外交によって封鎖した歴史的成果だった。
2.西側から見た核合意
リッターはまず、西側で広く語られた核合意成立の物語に疑問を呈する。一般的な説明では、イランが秘密裏に核兵器を開発しようとしたため、米国を中心とする国際社会が経済制裁を科し、その圧力に耐えられなくなったイランが交渉の席につき、核兵器開発を断念したという筋書きになる。しかしリッターは、この説明は実態を単純化しすぎていると主張する。本書は意識的にイラン側の視点から核交渉を再構成している。
3.イランが守ったもの
リッターが注目するのは、イランが最終的にウラン濃縮能力を放棄しなかったことである。2002年から2015年まで、イランの核心的要求は国内で一定のウラン濃縮能力を保有する権利を認めさせることであった。最終的な核合意でも、この原則は残った。その意味でリッターは、単純に制裁によってイランが降伏したという解釈を否定する。むしろ長期交渉によって、イランは自国の核技術基盤を一定程度維持しながら、国際社会が求める厳格な監視・制限を受け入れたと評価する。
4.核合意の本質は相互妥協
JCPOAではイランが濃縮活動、遠心分離機、濃縮ウラン在庫などに大幅な制約を受け入れる一方、国際社会は制裁解除へ進むことになった。重要なのは、一方が完全に勝ち、一方が完全に負ける構造ではなかったことである。イランは核技術そのものを放棄しない。米国側はイランが短期間で核兵器へ向かう可能性を大幅に制限する。IAEAは査察によってその履行を監視する。相手を信用するから成立する協定ではなく、相手を信用しないからこそ検証制度を作るという軍備管理の基本原理が働いている。
5.イランの勝利とは何か
本書のタイトルにあるDeal of the Centuryには、リッター独特の評価が込められている。彼によれば、イランは米国・イスラエルを中心とした強大な圧力を受けながらも、最終的には自国の濃縮能力を完全放棄することなく国際的承認を得た。しかし、より重要なのはイランが米国に軍事的に勝ったということではない。戦争という選択肢を外交によって遠ざけたことこそ最大の成果だった。
6.戦争か共存か
米国には最終的に難しい選択が残った。イランの核技術能力を完全に破壊しようとすれば、大規模な軍事行動が必要になる。しかし軍事攻撃を行っても、イランの科学者、技術、知識まで消滅させることはできない。したがって、完全な核能力消滅を目指すより、査察可能な制約の中にイランを組み込む方が現実的である。ここに元査察官リッターのリアリズムがある。
合意を壊した者
Dealbreaker
Donald Trump and the Unmaking of the Iran Nuclear Agreement
2018年刊
Scott Ritter著
Seymour Hersh(序文)
1.イラン核問題の起源
リッターは問題を1980年代まで遡って検討する。米国がイランへの核技術アクセスを制限した結果、イランは独自の核燃料サイクルを構築しようとし、海外から秘密裏に技術や資材を調達するようになった。この秘密性が、後に核兵器開発ではないかという疑念を生む一因となったというのがリッターの説明である。2002年に秘密核施設の存在が明らかになると、イランの核開発は国際問題となった。
2.米国・イスラエルとイラン
本書でリッターは米国だけでなくイスラエルを重要な主体として扱う。米国とイスラエルは外交圧力、経済制裁、秘密工作など様々な手段を使ってイランの核開発を阻止しようとした。しかしイランは核技術を放棄しなかった。その結果、米国には戦争によって核能力を破壊するか、一定の核能力を認めながら厳格に管理するかという選択が残された。オバマ政権が選択したのが後者であり、それがJCPOAだった。
3.核合意に残された弱点
しかしリッターはJCPOAが完全な合意だったとは考えていない。最大の弱点は、長年にわたって形成されたイランは核兵器を秘密裏に開発しているという政治的イメージが消えなかったことである。合意が成立しても、イランは信用できない、査察を欺いているのではないか、時間がたてば核兵器を作るのではないか、という疑念が米国政治に残った。リッターはこれを核合意のアキレス腱と位置付ける。
4.トランプとネタニヤフ
トランプは大統領選挙の段階からイラン核合意を強く批判し、撤退を公約していた。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相もJCPOAに一貫して反対した。ここでは、核問題だけでなく、イランの弾道ミサイル、シリアへの関与、ヒズボラ支援、イスラエルとの敵対関係など、より広い中東の勢力均衡が問題となる。JCPOAは核問題だけを切り離して管理するという合意だったのに対し、反対派はイランという国家の行動全体を問題にした。この目的設定の違いが核合意をめぐる対立の根底にあった。
5.米国の核合意離脱
2018年5月、トランプ政権はJCPOAから離脱した。リッターはこれを重大な戦略的誤りと評価する。核合意によって封じ込めていた問題を、合意を破壊することによって再び開放したからである。イランに核活動を制限させるには、イラン側にも見返りが必要である。米国が合意を守らず制裁を再開すれば、イラン側から見れば核活動を自主的に制限する合理性が失われる。したがって制裁を強化すれば必ずイランが譲歩するとは限らない。逆に核開発を促進し、軍事衝突の可能性を高める。
6.最大限の圧力の矛盾
ここからリッターは、米国外交に内在する矛盾を指摘する。相手国に最大限の圧力をかければ譲歩するという発想は、一見すると合理的である。しかし相手国にとって譲歩が体制崩壊や国家安全保障の喪失を意味するなら、圧力が強まるほど抵抗も強くなる。イランの場合、核問題だけでなく国家主権が問題になったため、圧力政策は逆効果になる可能性が高い。ここでもリッターの結論は軍備管理の原則に戻る。相手国を信用する必要はない。むしろ信用できない相手だからこそ、検証可能な合意を作るべきである。
スコット・リッターの戦争予想(付記)
2026年9月11日現在
スコット・リッターの最新の発言を見ると、彼の予想はかなり明確である。結論から言えば、米国・イスラエルは軍事力だけではイランを屈服させられず、戦争を継続すればむしろ米国・イスラエル側の戦略的損失が拡大する。したがって最終的には米国が勝利を演出しながら出口を探すしかない、という見方である。
1.既に戦略的には失敗した
リッターは現在の戦争を、単純に米国・イスラエル対イランのどちらが多くの施設を破壊したかという問題として見ていない。彼が重視するのは戦争目的を達成できたかである。リッターによれば、米国・イスラエル側の重要な目的は、イランの核能力を決定的に破壊し、弾道ミサイル能力を抑え、必要なら政権を動揺させ、イランを米国側の条件で交渉に戻すことにあった。ところが彼の評価では、イラン政府は崩壊せず、核・ミサイル能力も完全には除去されず、むしろ外国から攻撃されたことで国内の結束が強まった。このためリッターは、米国側は戦術的には大きな破壊力を持っていても、戦略的目標の達成という意味では既に失敗したと判断している。
2.最大の問題はミサイルの消耗戦
リッターが特に重視しているのが、イランの弾道ミサイルと米国・イスラエル側の迎撃ミサイルとの消耗戦である。米国とイスラエルには極めて高度なミサイル防衛能力がある。しかし迎撃ミサイルは高価で、在庫も無限ではない。これに対してイラン側が多数の弾道ミサイルやドローンを継続的に投入できれば、問題は一発を迎撃できるかではなく、何週間、何か月その迎撃を続けられるかになる。リッターは2026年8月のインタビューでも、米国側の弾薬・迎撃ミサイルの消耗を極めて深刻に評価している。彼は米国が長期的な地域戦争を継続するための弾薬備蓄に重大な問題を抱えていると主張している。ここが彼の戦争観の核心である。米国は一日の戦闘では圧倒的に強い。しかし数か月にわたるミサイル消耗戦になると、必ずしも圧倒的ではない。
3.イスラエルの弱点は国土の小ささ
リッターはイスラエルについて更に厳しい見方をしている。イスラエルは軍事的には極めて強力だが、国土が小さく、人口・発電・水・空港・港湾・通信・軍事基地など重要インフラが比較的狭い地域に集中している。したがってイランがイスラエル軍を撃破する必要はない。長期的にミサイル攻撃を継続し、防空網を消耗させながら、発電、港湾、空港、軍事基地など重要インフラへの攻撃能力を維持すれば、イスラエル社会の経済活動に大きな負担を与えられる。彼は米国・イスラエルが再び大規模攻撃を行えば、イランは以前より大規模なミサイル・ドローン攻撃によって重要インフラを狙う可能性が高いと予想している。
4.危険なのは湾岸諸国
リッターがイスラエル以上に脆弱と考えているのが、ペルシャ湾岸の米軍基地と湾岸諸国のインフラである。カタール、バーレーン、クウェート、UAEなどには米軍関連施設が存在する。一方、湾岸の大都市は発電、海水淡水化、港湾、空港など高度に集中したインフラに依存している。そのため戦争が全面化した場合、イランには米国本土を攻撃する必要はない。中東に展開する米軍と、それを支える地域インフラを攻撃するだけで米国に非常に大きなコストを負わせられる。特に彼は海水淡水化施設と電力インフラの脆弱性を強調しており、全面的なインフラ攻撃に発展すれば湾岸諸国が深刻な危機に陥ると警告している。
5.ホルムズ海峡が米国最大の弱点
もう一つの重要な要素がホルムズ海峡である。リッターは、米国が海峡を軍事的に支配できるという考えに懐疑的である。イランにはミサイル、ドローン、機雷、小型艦艇など複数の手段があり、海峡周辺を長期間不安定化させることが可能だと考えている。全面封鎖まで行かなくても、タンカーの航行リスクが上昇すれば、保険料、原油価格、LNG価格、海上輸送費が上昇する。したがってイランには、米国軍を直接撃破するより戦争継続の世界経済コストを耐えられない水準まで引き上げるという非対称的な戦略が可能になる。
6.米国はイランを占領できない
リッターの議論で重要なのは、米国がイランを空爆できることと、イランを政治的に屈服させられることを区別している点である。米国にはイランの軍事施設、核施設、指揮施設、インフラを大規模に破壊する能力がある。しかし人口規模、国土の広さ、山岳地形、軍事力などを考えれば、イラク戦争のように地上軍を投入してイラン全土を占領し、政権を転覆させ、新政権を樹立することは現実的ではない。したがって空爆によってイラン政府が崩壊しなければ、米国側には明確な戦争の終わらせ方がなくなる。これはリッターが最も問題視しているところである。
7.最終的にはトランプが出口を探す
そして2026年8月以降、リッターの分析には重要な変化が見られる。彼はトランプ大統領が戦争からのoff-ramp(出口)を探し始めていると分析している。「イランの核計画は十分破壊した。ホルムズ海峡についても米国の目的は達成した。したがって米国は勝利した」という政治的物語を作り、その上で戦闘を終結させる可能性である。これは必ずしもイランを軍事的に降伏させることを意味しない。むしろ米国が勝利を宣言して戦争を終わらせ、イランも体制と軍事力を維持したまま停戦するという形である。リッター自身は8月19日のインタビューで、米国にはもはや戦争に勝つ可能性はなく、長期的に持続可能な出口を探すべきだと述べている。一方でトランプ政権が敗北を認められなければ、合意が成立しても長続きしない可能性があるとも警告している。
8.リッターが最も恐れるシナリオ
したがって彼が最も危険視しているのは、米国・イスラエルが敗北を認められず、更に大規模な攻撃を行うシナリオである。そうなればイランは報復対象を拡大し、イスラエルだけでなく湾岸の米軍基地や重要インフラへの攻撃を強化する。それによって米国側は更に大規模な攻撃を行い、イランも報復を拡大する。空爆→ミサイル報復→ 防空ミサイル消耗→インフラ攻撃→ホルムズ危機→世界的エネルギー危機というエスカレーションである。リッターは4月の段階で既に、米国・イスラエルが再度大規模攻撃を行えば、前回以上のイランの報復を招くと予想していた。
9.リッターが予想する戦争の帰結
リッターの現在の予測を整理すると、米国・イスラエルがイランを完全に軍事的敗北へ追い込む可能性は低く、イラン政権も簡単には崩壊しない。長期戦になればミサイル・迎撃弾の消耗、イスラエルと湾岸諸国のインフラ、ホルムズ海峡、エネルギー市場が米国側の制約となる。そのため合理的な帰結は、米国が核施設破壊などの目的を達成したと勝利を宣言して政治的出口を作り、停戦・交渉へ移ることである。しかしリッター自身は、合理的な出口が存在することと、政治指導者がそれを選択することは別問題だと見ている。米国・イスラエルが軍事的勝利に固執すれば、戦争はイランを屈服させるより先に、中東全体のインフラと世界経済を巻き込む消耗戦へ変質する、というのが彼の最も深刻な警告である。
