美術館の政治学

美術館の政治学
2007年4月刊
暮沢剛巳著

著者暮沢剛巳の経歴

暮沢剛巳は1966年、青森県生まれの美術・デザイン評論家である。慶應義塾大学文学部を卒業し、美術批評を中心に活動を始めた。美術だけでなく建築、デザイン、映画、メディア、社会思想などにも関心を広げ、領域横断的な評論・研究を続けてきた。東京工科大学デザイン学部教授であり、デザイン史、万国博覧会、オリンピック、デザインミュージアムなどを研究している。

本書の内容

日本の美術館は何を目指しているのか
序章では、韓国のサムスン・リウム美術館、世界の美術館事情、そして2007年に開館した国立新美術館などを取り上げ、日本の美術館が置かれていた状況を検討する。国立新美術館は独自の常設コレクションを持たず、大規模な企画展や公募展のための展示空間として設計された。この存在は、コレクションを収集・保存・研究するという伝統的美術館像と、展覧会を開催し多数の観客を集めるという現代美術館像の違いを象徴している。美術館とは建物なのか、コレクションなのか、展覧会なのか、文化政策なのかという問いが、本書の冒頭から提示される。

1.万国博覧会という劇場

第一章では万国博覧会が扱われる。暮沢は万博を単なる産業振興イベントではなく、国家が自国の未来像や社会像を演出する巨大なメディアと見る。特に1970年大阪万博は、戦後日本の高度経済成長、科学技術への信頼、国家的未来像を大規模な展示として表現したイベントであった。更に紀元二千六百年をめぐる博覧会計画や愛・地球博などを比較し、日本における博覧会と国家、技術、文化の関係を論じる。万博と美術館に共通するのは、世界をそのまま提示するのではなく、選択し、分類し、演出して観客に見せることである。この意味で展示が政治性を持つ。

2.日本民藝館

第二章では日本民藝館が扱われる。柳宗悦による民藝運動は、無名の職人が作った日用品に美を見いだすことで、近代的な美術の価値体系に異議を唱えた。暮沢は柳の思想を単純に称賛せず、その平和主義、東アジアへの関心、同時にそこに含まれるオリエンタリズムの問題まで検討する。日本民藝館が興味深いのは、建物、収集品、展示方法のすべてが柳宗悦の思想と結びついている。美術館とは必ずしも中立的施設ではなく、創設者の美意識を空間化する装置にもなりうることが、この事例によって示される。

3.上野公園

第三章では上野公園をミュージアムパークとして捉える。東京国立博物館を中心として多くの文化施設が集積する上野は、日本の近代化と深く関係している。町田久成による博物館構想、明治期の博覧会、博物館建設、国家による美術という概念の制度化などをたどることで、暮沢は上野が日本近代国家の文化政策の縮図であることを示す。美術館は物を保存するだけではない。何を国家の記憶として残すのかを決定する場所でもある。この美術と記憶の関係が上野を通して論じられる。

4.遊就館

本書で最も政治性が明瞭に現れるのが第四章戦争展示のポリティクスである。靖国神社に付属する遊就館では、戦争に関する武器、軍装品、遺品、資料などが展示されている。しかし戦争展示は、単なる歴史的事実の陳列では済まない。何を英雄的行為として説明するか、犠牲者をどう位置づけるか、加害と被害をどのように説明するかによって、歴史の意味が大きく変化する。暮沢は遊就館を単純に政治施設として切り捨てるのではなく、一種のミュージアムとして分析する。それによって、展示という行為に避けがたい政治性があることを明らかにする。

5.セゾン美術館と森美術館

第五章では西武美術館からセゾン美術館、更に森美術館へと続く流れを取り上げる。1970年代から80年代にかけて、西武・セゾングループは美術館、劇場、書店、出版、音楽などを結びつけ、独自の文化圏を形成した。百貨店が単に商品を売る場所ではなく、ライフスタイルや文化的価値を売る場所となった。この文化戦略の中核に美術館が置かれた。暮沢はこれを単なる企業メセナとは考えない。美術館が企業ブランドを構築し、消費者の文化意識を形成する役割を担っていたからである。

セゾン文化の衰退後に登場した代表的施設として、暮沢は森美術館を取り上げる。六本木ヒルズ最上部に設置された森美術館は、現代美術館であると同時に、巨大都市再開発の象徴である。美術館、オフィス、住宅、商業施設、ホテル、展望台が一体となり、文化が都市のブランド価値を高める。ここで美術館は、企業が文化事業を支援する施設から、文化によって不動産と都市空間の価値を高める装置へ変化している。この視点は、現代のトロフィー不動産や都市再開発と美術館の関係を考える際にも非常に示唆的である。

6.ICC

第六章ではNTTインターコミュニケーション・センター、ICCを取り上げる。メディアアートを中心とするICCでは、コンピューター、ネットワーク、映像、インタラクティブ技術など、急速に変化するメディアを扱う。そのため伝統的美術館とは違い、作品を何百年も保存するという考えが簡単には成立しない。更に企業文化施設としての公共性、情報開示、経営問題なども生じる。暮沢はICCを通して、現代美術館では何を保存するのかという従来の問いだけではなく、変化し続ける技術をどう文化として残すのかという新しい問題が生じていることを論じる。

7.金沢21世紀美術館と地域文化

第七章では山口情報芸術センターや金沢21世紀美術館など、地方都市における文化施設が扱われる。特に金沢21世紀美術館は、市民参加、開放的な建築、現代美術、地域再生を結びつけた新しい公立美術館のモデルとなった。ここでは美術館が名画を保管する場所ではなく、地域社会が人を呼び込み、都市のアイデンティティを作り、市民が集う公共空間として機能する。美術館の価値は所蔵作品の価格だけでは決まらない。都市や地域にどのような文化的関係を生み出すかも重要である。

8.国公立美術館と経営

第八章では独立行政法人制度や公立美術館の経営問題が論じられる。美術館には保存、研究、教育、展示という長期的使命がある。しかし行政側からは来館者数、収益、効率性などによって成果を測る圧力が強まる。そこで採算の取れない研究や収集に公費を投入する意味は何かという問題が発生する。逆に、美術館が人気展ばかりを開催して来館者数を増やすことを優先すれば、長期的な収集・研究機関としての使命が弱まる。暮沢はこの矛盾を、美術館が公共施設である以上避けて通れない政治的・経営的問題として論じる。

9.グローバリズムとミュージアム

最終章では、マルチカルチュラリズムとグローバリゼーションの中で美術館がどう変化するのかが考察される。近代美術館はヨーロッパを中心に形成された制度であり、その収集・分類方法にも西洋中心主義が入り込んでいる。しかしグローバル化によって、アジア、アフリカ、中南米などの美術が国際美術市場や美術館へ大量に入るようになると、従来の西洋美術を中心とした美術史では説明できなくなる。誰が世界美術史を作るのか。ニューヨークやロンドン、パリの美術館なのか。それとも地域社会自身なのか。ここで美術館をめぐる政治は、国家内部から世界規模へ拡大する。

本書が言いたかったこと

作品を一つ選んで展示すること自体が、この作品には見る価値があるという判断である。逆に展示しないことは、ある文化や歴史を社会の視野から外すことにもなりうる。美術館では、収集、保存、分類、展示、説明のすべてに価値判断が含まれている。その判断には国家だけでなく、企業、自治体、学芸員、コレクター、スポンサー、建築家、地域住民、観客など多くの主体が関係している。これらの力関係全体を暮沢は政治学として捉えている。したがって本書が本当に言いたかったのは、美術館は政治から離れた純粋な芸術空間ではありえない。しかし、それは美術館が権力者の宣伝施設にすぎないという意味はない。美術館には、国家の歴史観を問い直し、企業社会を批評し、地域の文化を再発見し、忘れられた人々の記憶を社会へ戻す力もある。美術館の政治性には二面性がある。権力を固定することもできれば、既存の価値体系を批判し、新しい見方を社会に提示することもできる。この視点から考えると、美術館を見る際に重要なのは、展示作品だけではない。誰がこの美術館を作ったのか、誰がお金を出しているのか、なぜこの作品が選ばれているのか、何が展示されていないのか、この美術館によって国家、企業、都市は何を語ろうとしているのかを見る必要がある。それこそが暮沢のいう美術館の政治学である。

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