変貌する美術館

The Museum in Transition
A Philosophical Perspective
2000年刊
Hilde S. Hein著

著者ヒルデ・S・ハインの経歴

ヒルデ・S・ハインは1932年生まれのアメリカの哲学者であり、美学、博物館・美術館論などを研究した。マサチューセッツ州ウースターのCollege of the Holy Crossで哲学を教え、同大学教授となった。美術史家というより哲学者として美術館を研究した点に大きな特徴がある。ハインは美術館研究以前から、科学や知識がどのように社会の中で形成されるのかという問題に関心を持っていた。その関心から、科学博物館や体験型ミュージアムに研究対象を広げた。彼女のミュージアムは狭い意味での美術館だけではなく、科学館、歴史博物館、子供博物館などを含む広い概念である。

本書の内容

1.物から体験へ

本書の出発点は、20世紀後半に起こった美術館・博物館の根本的な変化である。ハインはこれを物から体験へという言葉で捉えている。伝統的な美術館・博物館にとって最も重要なものは物であった。絵画、彫刻、考古遺物、歴史資料、自然標本など、本物の物体を収集し、分類し、保存し、後世へ伝えることが美術館の基本的使命だった。ところが1970年代以降、美術館は次第に観客が何を経験するかを重視するようになる。展示には映像、音響、解説、再現空間、参加型装置などが導入され、物そのものより、それを通じてどのような物語を伝えるかが重要になった。ハインはこの変化自体を否定しているのではない。しかし、体験を重視するあまりなぜ美術館には本物の物が必要なのかという根本問題を忘れてはいけないと警告する。

2.そもそも美術館とは何なのか

続いてハインは、美術館・博物館という概念自体を問い直す。美術館、歴史博物館、科学博物館、子供博物館、科学センター、エコミュージアムなどを比較すると、ミュージアムを一つの定義に収めることは意外に難しい。更に体験型展示が増加すると、美術館とテーマパーク、教育施設、娯楽施設との境界まで曖昧になる。そこでハインが問題にするのが、美術館を美術館たらしめるものは何なのかという哲学的問題である。建物なのか。コレクションなのか。本物の物なのか。専門家なのか。教育なのか。それとも観客がそこで得る経験なのか。この問いは本書全体を貫いている。

3.美術館とコミュニティ

ここでは、美術館と社会との関係が論じられる。かつて美術館は専門家が価値あるものを選び、それを一般市民に見せる場所であった。専門家から観客へ知識が一方向に伝達される構造であった。しかし20世紀後半になると、この構造に疑問が生じる。少数の専門家が何が重要な文化なのかを決めてよいのかという問題である。そこで美術館は地域社会、少数民族、女性、子供など、それまで十分に代表されてこなかった人々の経験や記憶を展示に取り込むようになった。美術館は権威ある文化を市民に教える施設から、社会のさまざまな人々が自分たちの文化や記憶について語る公共空間へ変化していく。しかしここにも難問が生じる。すべての人々の要求を取り入れれば、美術館の専門的判断はどうなるのか。ハインは民主化の重要性を認めながら、専門性と公共性との緊張関係を問題にする。

4.物を超える展示

ここでは、物が美術館にとって本当に不可欠なのかという問題が更に深められる。現代の展示では、作品や資料より、その背景にある思想、社会問題、歴史、物語を伝えることが重視される。すると展示物は、それ自体を見るための対象というより、より大きなテーマについて考えるための媒体となる。これは美術館の可能性を大きく拡大した。しかし同時に、実物が単なる説明材料になってしまう危険も生まれる。本物の作品を見ることと、その作品について映像や文章で学ぶことは同じではない。ハインはこの差異を非常に重視する。

5.本物とは何か

この問題が最も哲学的に展開される。たとえばラスコー洞窟壁画の精巧な複製を見ることと、本物を見ることにはどのような違いがあるのか。ある絵画を高精細画像で見ることと原画を見ることは同じなのか。歴史的な部屋を完全に再現すれば、本物の歴史的空間と同じ経験を得られるのか。ここには真正性という問題がある。技術的には複製が限りなく本物に近づいたとしても、本物にはその物体が実際に歴史を生き延びてきたという固有性がある。美術館が体験産業化するほど、この問題は重要になる。体験だけならテーマパークでも作れるからである。美術館がテーマパークと異なる理由の一つは、まさに現実に存在した物と接触できることにある。

6.美術館の倫理的責任

ここでは美術館の倫理が論じられる。美術館は単なる娯楽施設ではない。何を保存し、何を展示し、どのように説明するかによって、人々の歴史認識や価値観に影響を与える。したがってキュレーターや美術館職員は、作品を管理するだけの専門家ではなく、公共的責任を負う存在である。この問題を象徴する事例として本書が取り上げるテーマの一つが、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下機エノラ・ゲイをめぐる展示論争である。戦争、植民地主義、人種、宗教など政治的に敏感な問題を扱うとき、美術館は単に客観的事実を並べればよい訳ではない。展示が既に一つの解釈だからである。だからこそ美術館には、自らの判断が社会に与える影響を自覚する倫理的責任がある。

7.美術館は学校ではない

ここでは、美術館の教育機能が論じられる。現代美術館では教育普及活動が重要になり、講演、ワークショップ、子供向けプログラム、参加型展示などが増加した。ハインはこれを評価しながらも、美術館教育を学校教育と同一視してはならないと考える。学校では一定の知識を体系的に教えることができる。しかし美術館では、観客が自由に歩き、自分の関心に従って物を見て、比較し、考える。その自由こそ美術館教育の特徴である。美術館は答えを教える場所というより、実物との遭遇を通じて、自分自身で問いを作る場所である。

8.美術館の美的次元

ハインは美術館を一種の美的経験として捉える。美的経験とは、単に美しい絵を見ることではない。展示室の空間、作品同士の関係、照明、歩行、沈黙、発見などを通じて、観客が日常生活とは異なる仕方で世界を見ることである。したがって、美術館の価値は何人来館したかだけでは測れない。むしろ重要なのは、美術館を出た後に、それまでとは違った仕方で世界を見ることができるようになることである。ここに美術館の教育、美学、倫理が結びついてくる。

9.収集から活用への転換

結論として、ハインは近代美術館に起こった変化を総括する。伝統的美術館の中心的行為は収集・蓄積であった。それに対して現代美術館では所蔵物をどのように活用し、意味を作り出すかが重要になったと指摘する。これは大きな進歩でもある。美術館は閉鎖的な文化の宝庫から、多様な人々が参加する公共空間になった。しかし、ここにハインの警告がある。体験、物語、社会参加、教育、娯楽を重視するあまり、実物そのものが持つ力を失えば、美術館はテーマパークやイベント施設と区別できなくなる。物だけでも不十分であり、体験だけでも不十分である。この二つをいかに結びつけるか。それこそが21世紀の美術館に課された最大の課題である。

本書が言いたかったこと

美術館の民主化や体験重視という変化は歓迎すべきものであるが、その変化によって美術館の存在理由を失ってはならない。かつての美術館には確かに問題があった。専門家が価値を決定し、観客はそれを黙って受け入れる。国家や支配的階級の文化が普遍的文化とされ、社会の多様な人々の声は十分に反映されなかった。その反省から現代美術館は開かれた。地域社会に参加し、教育活動を充実させ、映像やデジタル技術を導入し、観客が楽しみながら学べる場所となった。これは美術館史における重要な進歩である。しかしハインは、その成功の中に新しい危険を見る。美術館が観客を満足させる体験を提供することに夢中になると、ディズニーランドやテーマパークとの境界が曖昧になる。美術館が持っていた、本物の物と向き合い、時間をかけて観察し、自分自身で考えるという経験が失われかねない。したがってハインの立場は、伝統的美術館への回帰でも、体験型美術館の全面肯定でもない。重要なのは、物と経験、専門性と民主性、教育と自由、保存と社会参加を対立させず、両者の緊張関係を維持することである。美術館の最も重要な使命は、特定の価値観を一方的に教えることではなく、実物との出会いを通じて人間に考える機会を与えることである。美術館は過去の文化を保存する倉庫であるだけではなく、現在の社会が自らの価値を問い直す場所である。

未来の輪郭