Civilizing Rituals
Inside Public Art Museums
1995年刊
Carol Duncan著
著者キャロル・ダンカンの経歴
キャロル・ダンカン(Carol Duncan)は、アメリカの美術史家であり、特に美術館史、美術館制度の研究者である。コロンビア大学で博士号を取得した。ニュージャージー州のラマポ・カレッジで教鞭を執り、現在は同大学名誉教授である。従来の美術史が作品の様式、作者、制作年代などを中心に研究していたのに対し、ダンカンは誰が芸術を選び、誰が展示し、誰の価値観によって芸術の序列が作られるのかという社会的・政治的問題を美術史に導入した。美術館全体を一つの文化的テクストとして読み解く。
本書の内容
1.美術館は芸術の神殿である
本書の出発点は、美術館とは単に優れた美術品を保管して一般に公開する施設ではないという認識である。ダンカンは美術館を一種の儀礼の場として捉える。近代の美術館がしばしば古代神殿や宮殿を思わせる荘厳な建築として造られてきたことは偶然ではない。鑑賞者は日常生活の空間から美術館へ入り、静粛な展示室を歩き、選ばれた名作を順番に眺める。この一連の行為によって、日常とは異なる精神的・文化的経験へと導かれる。美術館は宗教施設ではないにもかかわらず、ある意味では近代社会の世俗的神殿として機能する。何を傑作と認め、何を人類の文化遺産として保存するかを美術館が決定することによって、社会が共有すべき文化的価値が形成される。鑑賞者は自由に作品を見ているように思えるが、実際には建築、展示順序、作品の分類などによって用意された物語の中を歩いている。
2.王侯のコレクションから国民の美術館へ
第二の重要な問題は、王侯貴族のコレクションが近代的公共美術館へ変化した過程である。ダンカンはルーヴル美術館とロンドンのナショナル・ギャラリーを比較する。フランス革命以前、美術品の大規模な収集は王侯の権力と富を示すものであった。しかし革命後、旧王室コレクションは国民の財産として再定義され、ルーヴルは公共美術館となった。ここで重要なのは、所有者が王から国民へ変わっただけではない。王の権威を象徴していた芸術が、今度は共和国や国民国家の文明性を象徴するようになった。美術館の公共化とは、権力が消滅することではなく、権力を表象する方法が変化することであった。王がこれほどの名画を所有していると示した宮殿は、近代になると国民がこれほど偉大な文化を共有していると確認する場所になった。
3.公共空間の背後にある富豪の力
ダンカンは次に、ニューヨークやシカゴの美術館を取り上げ、ヨーロッパとは異なるアメリカ型美術館を分析する。特にメトロポリタン美術館やシカゴ美術館では、美術館は公共的施設でありながら、その形成に富裕な実業家、銀行家、コレクター、理事、寄贈者が大きな影響を与えてきた。ここからダンカンは公共空間、私的利益という逆説を指摘する。美術館は万人に開かれているが、何を収集し、どの作品を重要とし、どのような文化を文明として提示するかには、設立者や寄贈者を中心とする社会的エリートの価値観が反映される。したがって公共美術館は、民主主義と富裕層の力が奇妙に共存する場所である。富豪が個人的に蓄積した富によって美術品を購入し、それを寄贈することで公共文化が形成される。しかし同時に、寄贈者自身の名前と社会的威信も永続化される。
4.美術館はコレクターの記念碑
ダンカンが注目するのが、フリック・コレクションやモルガン・ライブラリーなどに代表される寄贈者型美術館である。大富豪が生涯をかけて集めた美術品を社会に残す行為は、一見すると純粋な慈善行為である。しかしダンカンは、それをもう一段深く読み解く。コレクションと邸宅を公共美術館として残すことによって、コレクター自身も文化的記憶の中に残り続ける。フリックの名を冠した美術館を訪れる者は、レンブラントやフェルメールなどを見るだけでなく、ヘンリー・クレイ・フリックという人物の趣味、富、邸宅、社会的位置を経験する。美術館は作品の永続性を利用しながら、コレクター自身を永遠化する装置にもなる。
5.MoMAと近代美術史
最後にダンカンはニューヨーク近代美術館(MoMA)を分析し、近代美術館に潜むジェンダーの問題へ踏み込む。近代美術館は伝統的権威から芸術を解放し、前衛的で自由な芸術を紹介する場所と考えられてきた。しかしダンカンは、その自由な近代美術の歴史が主として男性芸術家を中心に構成されてきたことを問題にする。特に女性裸体像などをめぐって、誰が見る主体であり、誰が見られる対象であるのかを分析する。近代美術館は一見すると普遍的な人間の文化を展示しているように見えるが、その普遍的人間像の背後には男性中心的な価値体系が存在する。
6.美術館が作り出す文明
文明化の儀礼とは、美術館が人々に芸術知識を教えるというだけの意味ではない。美術館を訪れることによって、人々は何が美しいのか、何が偉大な芸術なのか、どの文化が保存されるべきなのか、文明人とはどのような価値観を持つ人間なのかという社会的規範を無意識のうちに学ぶ。そのため美術館には、国家、富裕層、コレクター、学芸員、芸術家、階級などの力関係が凝縮されている。美術館は美術史を展示しているだけではなく、展示することによって美術史を作っている。本書が、美術館を政治権力、社会的利害、文化形式の歴史が交差する場所として位置づけている点は、この議論を端的に示している。
本書が言いたかったこと
美術館は決して中立ではない。我々は美術館に入ると、そこに展示されている作品が当然偉大な芸術であり、その展示順序が当然美術の歴史であるように感じる。しかし、その作品を収集した者がおり、寄贈した者がおり、展示する作品を選択した者がおり、それらを一定の歴史として構成した者がいる。そこには国家の理念、富裕層の美意識、学芸員の美術史観、社会の階級構造、更にはジェンダー観までが入り込んでいる。しかしダンカンの議論は、美術館を単純に権力者の宣伝装置として否定するものではない。むしろ重要なのは、美術館が作品を公共のものにすると同時に、社会が自分自身について語る場所でもあるということである。王侯の宮殿が国民の美術館となり、大富豪の個人コレクションが公共財となる過程では、私的な権力や富が公共的文化へ変換される。その変換が近代美術館の重要な機能である。したがって美術館を見るとは、壁に掛けられた絵だけを見ることではない。誰が集めたのか、なぜこの作品が選ばれたのか、なぜこの順番で展示されているのか、誰の名前が建物に残されているのか、そして美術館が我々にどのような文明の物語を経験させようとしているのかを見ることである。この視点を身につけると、ルーヴルもメトロポリタンもMoMAもフリックも、それまでとは全く違って見えてくる。本書が美術館研究の重要文献とされる理由は、美術作品から一歩離れて美術館を鑑賞・分析の対象にするという視点を鮮明に提示したところにある。
