光を透過するアート
硝子芸術の歴史は、単なる器物製造の歴史ではない。硝子は透明性、光、色彩、反射、屈折という他の素材にはない性質を持つため、時代によって宝石の代用品、王侯貴族の器、宗教建築を彩る光、産業製品、装飾芸術、更には独立した彫刻へと役割を変化させてきた。その歴史の大きな転換点として、紀元前後の吹きガラス技術の成立、15世紀のヴェネツィア、17~18世紀のクリスタル文化、19世紀末のアール・ヌーヴォー、そして1960年代以降のスタジオ・グラス運動を挙げることができる。中でも19世紀末から20世紀初頭のフランスでは、エミール・ガレ、ドーム兄弟、ルネ・ラリックによって、それまで主として工芸と考えられていたガラスが近代美術へと大きく開花した。
ガラス芸術の誕生
人工ガラスの起源は、およそ4000年前のメソポタミアやエジプトにまで遡る。初期には砂、ソーダ、石灰などを高温で溶かし、鋳型に流し込む鋳造法や、泥などで作った芯の周囲に溶融したガラスを巻き付けるコア成形が用いられた。香油瓶、装身具、ビーズ、象嵌などが主な用途であり、ガラスは日用品というよりも宝石に近い非常に高価な素材であった。紀元前3世紀頃のヘレニズム時代になると、異なる色のガラス棒や断片を組み合わせて加熱し、一体化させるモザイク・ガラスが発展する。これは後世のミルフィオリ※にもつながる技法である。この段階で既にガラスは単なる透明素材ではなく、人間が自由に色彩を生み出すことのできる人工的な美術素材として認識され始めていた。
※ミルフィオリ(Millefiori)とは、イタリア語で千の花を意味するガラス装飾技法である。色の異なるガラスを何層にも組み合わせて長い棒状にし、それを引き伸ばして輪切りにすると、断面に花、星、幾何学模様などが現れる。この小さな断片を多数並べ、加熱して一体化することで、色とりどりの花が密集したような模様を作る。
ローマと吹きガラス革命
ガラス史上最大の技術革命の一つが、紀元前1世紀頃に東地中海地域で成立した吹きガラスである。中空の吹き竿の先に溶融ガラスを付け、息を吹き込んで膨らませることによって、それまでよりはるかに短時間で薄く軽い器を作ることが可能になった。ローマ帝国の道路網と海上交易網を通じて、この技術はヨーロッパ各地へ急速に普及した。それまで王侯や富裕層に限られていたガラスは、杯、瓶、壺、香油瓶、更には窓ガラスとして一般社会にも広まっていった。同時に高度な美術技法も発展した。特に重要なのがカメオ・ガラスである。異なる色のガラスを層状に重ね、上層を彫り込むことによって浮彫のような図像を表現するもので、大英博物館所蔵のポートランドの壺はその代表例である。この古代ローマの技法は19世紀に再発見され、近代ヨーロッパのガラス芸術に大きな影響を与えることになる。

イスラム世界とステンドグラス
西ローマ帝国崩壊後、西欧では高度なガラス製造が一時的に衰退したが、ビザンティン帝国とイスラム世界では技術が継承され、更に発展した。イスラム世界では、金属酸化物によって表面に金属的な輝きを与えるラスター彩、カット、金彩、エナメル彩などが高度化した。12~14世紀には、動物や植物、幾何学模様、アラビア文字を描いた華麗なエナメル彩ガラスが作られ、交易を通じてその技術と美意識がヨーロッパへも伝えられた。一方、中世ヨーロッパで最も重要なガラス芸術となったのがステンドグラスである。シャルトル大聖堂やサント・シャペルに代表されるように、ガラスはここで器から建築の一部へと変わった。色ガラスを透過する光が宗教的な意味を持ち、ガラスは神聖な光を建築空間に導く素材となった。
ヴェネツィアの黄金時代
ルネサンス期になると、ヴェネツィア、とりわけムラーノ島が世界のガラス芸術を牽引するようになる。15世紀半ばには極めて透明度の高いクリスタッロが開発され、天然水晶に近い透明感を持つガラスが誕生した。更にムラーノでは多種多様な装飾技法(乳白ガラス、フィリグラーナ、レース・グラス、カルセドニオ、ミルフィオリなど)が発達した。ガラス職人の技巧そのものが芸術として評価され、ムラーノ島は一種のガラス技術研究所のような役割を果たすようになった。ヴェネツィア政府は高度な技術が国外へ流出することを恐れ、ガラス職人をムラーノ島に集めて管理したが、それでも職人は次第にヨーロッパ各地へ移住した。その結果、ヴェネツィア風ガラスはヨーロッパ各地(ボヘミア、フランス、オランダ、イギリスなど)に広がり、独自のガラス文化が形成されていった。
クリスタル文化の発展
17世紀以降、北ヨーロッパでも透明度の高いガラスが発達した。特にボヘミアでは硬質で彫刻に適したガラスが作られ、カットやエングレーヴィングが高度化した。透明な器の表面に人物や風景、紋章などを彫刻する文化が発達し、ガラスは絵画や彫刻に近い表現力を獲得していった。一方、イギリスでは17世紀後半に鉛を加えた鉛クリスタルが発達する。鉛クリスタルは屈折率が高いため光を強く反射し、カットすることで宝石のような輝きを放った。この特性を生かして酒器やシャンデリアなどが作られるようになった。18世紀にはフランスのサン=ルイや、後に世界的ブランドとなるバカラなどの工房が成長し、ボヘミアとともにヨーロッパの宮廷文化を象徴する高級ガラス産業が形成されていった。
産業革命とアートガラス
19世紀は、古代ローマ以来ともいえるガラス芸術の大転換期であった。産業革命によって炉、化学、研磨、型押し、大量生産などの技術が飛躍的に発展し、ガラス製品は一般家庭にまで普及した。しかし、大量生産が進めば進むほど、それに対する反動として職人の手仕事を芸術へ高めるべきであるという思想も強くなった。イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動なども、こうした問題意識から生まれたものである。更にポンペイなどの考古学発掘によって古代ローマのガラスが大量に発見され、カメオ・ガラス、モザイク・ガラス、金箔ガラスなどの古代技法が再評価された。19世紀のガラス芸術は、一方では近代工業化によって発展し、もう一方では古代技法の復興によって美術性を取り戻すという、二つの方向から刺激を受けた。そして19世紀末になると、その動きがアール・ヌーヴォーへと結実する。なかでもフランス東部のナンシーはガラス芸術の中心地となり、エミール・ガレとドーム兄弟が登場した。
エミール・ガレ

1.自然科学と芸術
エミール・ガレ(Émile Gallé、1846–1904年)は、近代ガラス芸術史を代表する人物である。フランス東部ナンシーの工芸家の家庭に生まれ、父の工房でガラスや陶器について学んだ後、ドイツやパリ、ロンドンなどで幅広い文化と美術に触れた。1870年代以降は家業の芸術部門を主導し、1880年代から1890年代にかけて独自のガラス表現を確立していった。ガレの特異性は、単なるガラス職人やデザイナーではなく、植物学者、文学愛好家、思想家としてガラスを捉えていたところにある。植物を非常に詳細に観察し、その生命の変化を人間の感情や人生と重ね合わせた。
2.植物という言語
ガレの作品には蘭、アザミ、クロッカス、藤、菊、睡蓮、昆虫、蝶などが繰り返し登場する。しかし、それらは単なる装飾模様ではない。花が芽吹き、咲き、衰え、枯れていく過程を通じて、生と死、愛、孤独、時間、無常といった人間存在の問題を表現した。ガレの作品は、花瓶でありながら一種の象徴主義絵画でもあり、同時に詩でもあった。作品に文学者の文章や詩句を刻み込むこともあり、ガラスを文学的な表現媒体へと変えていった。
3.被せガラスと酸化腐食
ガレを代表する技法が被せガラスである。異なる色のガラスを何層にも重ね、その表面を酸で腐食したり、研磨や彫刻によって削ったりすることによって、植物や風景を浮かび上がらせた。この方法では、表面に単純に絵を描くのではなく、ガラスの内部に存在する異なる色の層を利用して造形する。光が作品を透過することで、絵画とはまったく異なる深みのある色彩が生まれた。
4.ガラスの象嵌
ガレは更にガラス象嵌(マルケトリー・ド・ヴェール)を発展させた。家具の木材象嵌のように、異なる色のガラス片を熱いガラスの本体へ埋め込み、その後彫刻や研磨によって一体化させる技法である。これによって花弁や昆虫などを、表面に描くのではなく、ガラスの内部に存在させることが可能になった。ガレにとって重要なのはガラスをキャンバスとして扱うことではなく、素材を絵画化することであった。
5.日本美術の影響
ガレにはジャポニスムの影響も極めて強い。浮世絵や琳派に見られる非対称な構図、余白の利用、植物や昆虫の大胆な切り取り方を積極的に取り入れた。西洋の伝統的な装飾では、モチーフを左右対称に整然と配置することが一般的であったが、ガレは枝が画面の外から伸びてきたり、花が器の片側に偏って配置される。この日本的な感覚は、その後アール・ヌーヴォー全体の重要な特徴となった。
6.ナンシー派
1901年、ガレを中心にルイ・マジョレル、ドーム兄弟らが集まり、ナンシー派が形成された。この運動が目指したのは美術と工芸、更には芸術と産業を結びつけることであった。ガレの歴史的重要性は、ガラスを単なる高級工芸から、自然観、文学、哲学を表現する芸術へと変えたことにある。ガレによって、ガラス作品は美しい器であるだけでなく、芸術家個人の思想を表現する作品となった。
ドーム兄弟


1.ナンシーの工房
ドームの工房は1878年、ジャン・ドームによってナンシーに設立され、その後息子のオーギュスト・ドームとアントナン・ドームが事業を発展させた。特にアントナンは1890年代以降、本格的な美術ガラス部門を整備し、アール・ヌーヴォーを代表する工房へと成長させた。ガレが一人の強烈な芸術家として工房を方向づけたのに対し、ドームでは多くの職人、デザイナー、化学技術者が協働した。その意味でドームは、個人芸術家の工房というよりも、ガラス技術と芸術の総合研究所に近い存在であった。
2.ガレとの違い
ガレとドームは同じナンシー派に属し、植物や自然を主題としたため一見よく似ている。しかし作品の本質には違いがある。ガレでは植物や風景が文学や哲学の象徴として用いられ、作品全体に詩的、内省的な雰囲気がある。それに対してドームは、ガラスという素材からどこまで豊かな色彩や景色を生み出せるかという技法面への探究が強かった。そのためドーム作品には夕暮れ、森林、湖、雪景色、秋の風景などが多く登場し、ガラスでありながら印象派や象徴主義の風景画を見るような作品が作られた。
3.酸化腐食とエナメル
ドームでは複数色の被せガラスを酸によって腐食し、その上にエナメル彩や彫刻を重ねる方法が高度化した。こうした複数技法の組み合わせにより、霧の向こうに見える森や、夕日に染まる湖など、従来のガラスでは難しかった微妙な大気表現が可能になった。ガレがガラスを詩へ近づけたとすれば、ドームはガラスを絵画へ近づけたともいえる。
4.1900年パリ万博
1900年のパリ万国博覧会でドームはグランプリを受賞し、国際的評価を決定的なものとした。この時期はガレの活動も最盛期を迎えており、ナンシーはパリと並ぶフランス・アール・ヌーヴォーの中心都市となった。ガレ、ドーム、マジョレルらが互いに刺激し合ったことによって、家具、ガラス、陶器、建築を総合したナンシー独自の装飾芸術が形成された。
5.パート・ド・ヴェール
ドームの歴史で特に重要なのがパート・ド・ヴェールである。細かく砕いた色ガラスの粉を型に詰めて加熱し、焼結させる方法である。通常の吹きガラスとは異なり、完全に透明なガラス塊にはならず、粒子感のある半透明の質感が残る。そのため翡翠、瑪瑙、宝石、蝋などを思わせる柔らかい光を生み出すことができた。20世紀初頭にはアマルリック・ワルターらによってこの技術が本格化し、ドームの重要な特色となった。更に第二次世界大戦後にはロストワックス法を応用したパート・ド・クリスタルへと展開し、ガラス彫刻へ発展していった。
6.現代へ続くドーム
ガレが1904年に死去したのに対し、ドームは企業・工房として存続し続けた。1920年代にはアール・ヌーヴォーの植物的曲線から離れ、アール・デコの幾何学的な造形へ移行した。戦後には更にガラス彫刻へと進み、サルバドール・ダリ、セザール、アルマンなどの現代芸術家とも協働した。このためドームの最大の歴史的意義は、19世紀末のアール・ヌーヴォーから20世紀後半の現代ガラス彫刻までを一つの工房の歴史として結びつけたところにある。
ルネ・ラリック
1.宝飾から出発
ルネ・ラリック(René Lalique、1860–1945年)は、ガレやドームとは異なり、もともとは宝飾デザイナーとして出発した。1880年代からパリで活躍し、ダイヤモンドなど高価な宝石の価値だけに依存せず、角、象牙、エナメル、半貴石、ガラスなどを自由に組み合わせたジュエリーを制作した。女性、蛇、蜻蛉、孔雀、植物などを官能的に組み合わせた作品によって、1900年前後にはアール・ヌーヴォー宝飾の第一人者となった。

2.香水瓶という革命
ラリックが本格的にガラスへ向かった大きな契機が、香水商フランソワ・コティとの出会いであった。1907年頃から香水瓶をデザインするようになり、香水だけでなく、その容器も商品の魅力を構成するという考え方を確立した。これは現代の高級ブランドに通じる考え方である。香り、瓶、ロゴ、箱、広告というすべてを一体としてデザインするブランド戦略の原型を、ラリックは20世紀初頭に実践していた。



3.ガレとの違い
ガレとラリックの違いは非常に重要である。ガレは一点物に近い高度な芸術作品を追求し、ガラスを個人的な思想表現へと高めた。それに対してラリックは、優れたデザインであれば型によって複製して多くの人々に提供できると考えた。ラリックにとって工業生産と芸術は対立するものではなく、むしろ工業技術によって優れたデザインを社会へ普及させることに近代的な価値を見いだした。
4.型と光のデザイン
ラリックは型吹きや型押しを巧みに利用し、植物、女性像、鳥、魚などをガラス表面のレリーフとして表現した。更に透明な部分と艶消しされた部分を組み合わせることで独特の陰影を作り出した。いわゆるサチネ仕上げでは、透明部分は光を通し、艶消し部分は光を柔らかく散乱させる。この違いによって、無色透明に近いガラスだけでも豊かな立体感を生み出すことができた。ガレが色を複雑に重ねたのに対して、ラリックは光と表面処理によって造形を生み出した。
5.アール・デコへの転換
ラリックの重要性は、アール・ヌーヴォーだけにとどまらない。第一次世界大戦後になると、植物的で流動的な曲線から、幾何学、反復模様、左右対称、単純化された動植物などへと作風を変化させ、アール・デコを代表する芸術家となった。1920年代にはアルザスに大規模な工場を整備し、美術性を維持しながら本格的な量産を実現した。1925年のパリ現代装飾産業美術国際博覧会では、その評価を決定的なものとした。
6.建築へ広がるガラス
ラリックは花瓶や香水瓶だけにとどまらず、照明器具、壁面パネル、噴水、豪華列車や客船の内装、自動車のラジエーター・マスコットなどへ活動範囲を広げた。日本では現在の東京都庭園美術館である旧朝香宮邸の正面玄関ガラス扉などにラリックの作品が用いられている。ここではガラスが単独の美術品ではなく、建築空間を構成する要素となっている。この意味でラリックは、ガラスを器から建築、インテリア、産業デザインへと広げた。
ティファニーとロエッツ
同じ時期、アメリカではルイス・コンフォート・ティファニーが重要な役割を果たした。ティファニーは金属的な虹色光沢を持つファヴリル・グラスを発展させ、ランプ、花瓶、ステンドグラスなどで独自の世界を築いた。フランスのガレが植物の象徴性を追求したのに対し、ティファニーはガラス表面の光の変化を芸術として扱った。特にティファニー・ランプは、色ガラスを小さく分割して組み合わせることにより、電灯という新しい近代技術と伝統的なステンドグラスを結びつけた。またオーストリア=ハンガリー帝国圏のボヘミアではロエッツがイリデッセント・ガラスを発展させ、玉虫色に輝く幻想的な作品を数多く制作した。1900年前後には、フランスのガレ、ドーム、ラリック、アメリカのティファニー、ボヘミアのロエッツ、イタリアのムラーノという複数の中心が成立し、ガラス芸術は初めて本格的な国際美術運動となった。
ムラーノと北欧デザイン
第二次世界大戦後、ムラーノは再び世界のガラス芸術の中心の一つとなった。特にヴェニーニを中心として、カルロ・スカルパ、フルヴィオ・ビアンコーニ、ディノ・マルテンスなどが、抽象彫刻に近い革新的なガラスを制作した。同時期、フィンランドを中心とする北欧でもガラス・デザインが大きく発展した。アルヴァ・アアルト、タピオ・ヴィルカラ、ティモ・サルパネヴァ、カイ・フランクなどは、装飾を表面に加えるのではなく、ガラスの輪郭、厚み、透明度、光の屈折をデザインした。ここに至って、ガラス芸術は何を表面に描くかから、ガラスをどのような形にするかというモダニズム的な発想へ移っていった。
スタジオ・グラス革命
現代ガラス史における最大の転換点の一つが、アメリカの芸術家ハーヴェイ・リトルトンや技術者ドミニク・ラビーノらによって、芸術家自身が小型炉を使い、自分のスタジオでガラスを溶かして制作できる環境が整えられたことである。それまでガラス制作には大規模な炉と多数の職人を持つ工場が必要であり、芸術家が一人で自由にガラスを扱うことは困難であった。しかし小型炉の登場によって、画家が自分のアトリエで絵を描くように、ガラス作家も自分自身の工房で作品を制作できるようになった。これがスタジオ・グラス運動である。この運動によって、ガラスは工場製品や工芸品という枠組から解放され、芸術家個人の思想を直接表現する現代美術の素材となった。
ガラス彫刻の発展
スタジオ・グラス運動から登場した最も世界的に知られる作家の一人がデイル・チフーリである。チフーリは巨大な花、海洋生物、螺旋、シャンデリアなどを思わせる色鮮やかな吹きガラスを大量に組み合わせ、建築空間全体を覆うようなインスタレーションを制作した。ここでは一つの花瓶や一つの彫刻を見るという従来の考え方が消え、観客自身がガラス作品の内部に入っていくような空間芸術が成立している。一方、旧チェコスロヴァキアではスタニスラフ・リベンスキーとヤロスラヴァ・ブリフトヴァなどが大型の鋳造ガラス彫刻を発展させた。厚いガラスの塊の内部へ光が入り込み、透過、反射、屈折を繰り返すことによって、物体の内部が空間として知覚される作品が生まれた。こうしてガラスはもはや透明な器ではなく、光と空間を含んだ彫刻になった。
現代美術としてのガラス
1990年代以降になると、ガラスはガラス工芸という独立したジャンルに収まらなくなった。ガラス専門の作家だけでなく、彫刻家、インスタレーション作家、建築家、デザイナーなどが普通にガラスを使用するようになった。鋳造ガラス、巨大吹きガラス、光学ガラス、鏡、建築ガラス、光ファイバー、LED、映像などが組み合わされ、ガラスは物質と光、実体と虚像、内部と外部、存在と不在などを表現する素材として利用されるようになった。特に現代美術では、ガラスが透明でありながら確実に物質として存在しているという矛盾した性質が重要視されている。見えているのに掴みどころがなく、光を通しながら同時に反射するというガラスの特質が、哲学的なテーマを表現するために用いられている。
光を造形する芸術へ
硝子芸術の歴史を通して見ると、その意味は時代とともに大きく変化してきた。古代においてガラスは宝石のように珍しい人工物であった。ローマ時代には吹きガラスによって器となり、中世にはステンドグラスとして神聖な光を建築へ取り込む素材となった。ルネサンス期のヴェネツィアでは超絶的な職人技巧の象徴となり、17~18世紀にはクリスタルとして宮廷文化を代表する高級工芸となった。19世紀になると産業化によって大量生産される一方、ガレによってガラスは自然と文学を表現する詩となり、ドームによって技術と芸術を結びつける素材となった。ラリックは更にガラスをデザインと産業へ結びつけ、建築やインテリアまでその領域を広げた。そして1960年代のスタジオ・グラス運動以降、ガラスは完全に彫刻や現代美術の素材として自立した。この長い歴史を一つの流れとして考えるならば、硝子芸術とは次第にガラスという物体を作る芸術から、ガラスを通じて光を造形する芸術へと変化してきた。その中で近代ガラス芸術の転換を決定づけたのがガレ、ドーム、ラリックである。ガレはガラスを芸術家個人の思想を語る詩へ変え、ドームは技術革新によってガラス表現の可能性を拡大し、ラリックは芸術、デザイン、産業、建築を結びつけた。そしてその延長線上に、今日のガラス彫刻やインスタレーションが存在している。硝子芸術の数千年の歴史とは、人類が透明な物質を通して光をどのように形にするかを追求し続けてきた歴史である。
現代の高級ガラスメーカー(付記)
1.ヴェニーニ(VENINI)
1921年、ヴェネツィアのムラーノで創業したヴェニーニは、現代ガラス芸術史で最重要メーカーの一つである。単に伝統的なヴェネツィアン・グラスを継承するのではなく、建築家や芸術家を積極的に工房へ招き、ガラスを現代造形へ変えてきた。カルロ・スカルパ、ジオ・ポンティ、フルヴィオ・ビアンコーニ、タピオ・ヴィルカラ、エットレ・ソットサス、アレッサンドロ・メンディーニら多数の著名作家と協働している。特にムッリーネ、ソンメルソ、バットゥートなどムラーノの伝統技法を前衛デザインと結びつけた点が重要である。メーカーというより、**著名芸術家がガラス作品を実現する工房兼出版社に近い存在である。

2.バカラ(Baccarat)
1764年にフランス東部で創業し、1816年には本格的なクリスタル生産を確立した世界最高峰のクリスタルメーカーである。シャンデリア、花瓶、テーブルウェアなど宮廷的な豪華さを基本としながら、現代ではサルバドール・ダリ、エットレ・ソットサス、フィリップ・スタルク、マルセル・ワンダース、ハイメ・アジョン、ヴァージル・アブローなどと協働してきた。 ガラスを彫刻化するヴェニーニとは異なり、バカラは透明クリスタルの輝き、カット、重量感、光の屈折を極限まで高める豪華さの芸術に特色がある。特に大型シャンデリアや限定作品になると、工芸品というより建築的な光の彫刻に近づく。

3.サン=ルイ(Saint-Louis)
1586年を起源とし、1767年にルイ15世から王立ガラス工房の称号を得たフランス最古級の名門である。1781年にはフランスでクリスタル製造を確立し、現在も吹き、カット、彫刻、24金やプラチナによる装飾など高度な手仕事を維持している。 近年は伝統保存だけでなく、ノエ・デュショフール=ローランスら現代デザイナーとの協働を積極的に進め、照明、オブジェ、大型作品へ領域を拡大している。 バカラが華麗で国際的なラグジュアリーを志向するのに対し、サン=ルイは伝統的なカット技術と色彩を現代化する職人芸の最高峰という性格が強い。

4.ドーム(Daum)
1878年にナンシーで始まったドームは、ガレとともにアール・ヌーヴォーとナンシー派を代表した歴史的工房である。しかし現在のドームを特徴づけるのは、パート・ド・クリスタルによる色彩豊かなガラス彫刻である。1960年代末からサルバドール・ダリ、セザール、アルマンらとの協働を本格化させ、その後400人を超える芸術家と作品を制作してきた。型の中でクリスタルを溶融するため、吹きガラスとは異なる半透明の質感と複雑な色彩が生まれる。現在のドームは花瓶メーカーというより、彫刻家の作品をクリスタルへ翻訳し、限定番号付き作品として制作するガラス彫刻の美術工房である。
5.ラリック(Lalique)
ルネ・ラリックが確立した、透明部分とサチネ加工による乳白色部分を組み合わせる独特の表現を現在まで継承している。花瓶、動物彫刻、照明、建築装飾などに加え、現在はLalique Artを展開し、ザハ・ハディド、ダミアン・ハースト、イヴ・クライン、ジェームズ・タレル、マグリットなどの作品をクリスタルで制作している。 2026年にもマグリット作品のクリスタル化や、中国現代美術の方力鈞との新作を発表しており、現代美術との協働を現在進行形で続けている。 ラリックはアール・デコ、高級デザイン、現代美術の中間に位置するメーカーである。
6.コスタ・ボダ(Kosta Boda)
1742年以来スウェーデンのコスタで制作を続ける北欧ガラスの代表的メーカーであり、特にKosta Boda Art Glassとしてガラスを明確に美術作品として位置づけている。代表的な作家はベルティル・ヴァリーン、オーサ・ユングネリウス、エレン・エーク・オーケソンらである。特にヴァリーンは、砂型鋳造などを利用した船、人間、顔、象徴的形態を厚いガラス内部に封じ込める作品で知られ、世界的な現代ガラス作家となった。フランスのクリスタルメーカーが豪華さと職人技を重視するのに対し、コスタ・ボダは作家個人の思想や実験性を優先する北欧型スタジオ・グラスに近い。
7.ムラーノの現代ガラス工房
イタリアのムラーノにはヴェニーニ以外にも、バロヴィエ&トーゾ、セグーソ、ナソンモレッティなど、歴史ある工房が現在も活動している。ムラーノの特色は、一社のブランドだけで完結するのではなく、マエストロと呼ばれる吹きガラス職人、デザイナー、建築家、現代芸術家が共同制作する文化にある。20世紀にはカルロ・スカルパ、ジオ・ポンティ、ディノ・マルテンスらによって、伝統的な吹きガラスがモダニズムや抽象芸術と結合した。その意味でムラーノは現在でも、単なるガラス産地ではなく、世界最大級のガラスによる造形実験の集積地である。
