ロボット・アート

Robot Art
A New Kind of Art
2013年刊
Leonel Moura著

レオネル・モウラの経歴

レオネル・モウラは1948年、ポルトガルのリスボンに生まれた芸術家であり、ロボティクスと人工知能を芸術へ本格的に導入した先駆者の一人である。元々は写真を中心とした作品を制作していたが、20世紀末から人工知能、人工生命、アルゴリズムなどへ関心を移し、2000年代以降はロボットによる自律的芸術制作を活動の中心とするようになった。大きな転機となったのが、マルコ・ドリゴが研究した蟻の行動を模倣するAnt Algorithmであった。蟻は一匹一匹が全体を設計している訳ではないにもかかわらず、フェロモンを介した局所的な相互作用によって複雑な経路や集団行動を形成する。モウラは、この単純な規則から予測できない複雑な秩序が生まれる創発に芸術的可能性を見いだした。2001年にはAnt Algorithmとロボットアームを結び付け、機械による独自の絵画制作を開始した。2003年には蟻に似た複数の小型ロボットからなるArtsbotを制作した。ロボット群はキャンバス上を移動しながら色を感知し、それぞれの単純な行動規則と相互作用によって、人間があらかじめ構図を設計していない抽象絵画を制作した。更に2006年にはRAP(Robotic Action Painter)を開発した。RAPはセンサーによってキャンバス上の色を認識しながら絵を描くだけでなく、作品が完成したと自ら判断して制作を終了し、最後に独自の署名まで行う。この作品はニューヨークのAmerican Museum of Natural Historyの展示のために制作された。同じ2006年には文字や単語を用いて詩と絵画を制作するISU(The Poet Robot)を開発し、2007年にはロボットと人工生命を展示するRobotariumを開設した。その後も彫刻、3Dプリンティング、拡張現実、舞台芸術などへ活動を拡張している。モウラの一貫した問題意識は、ロボットを芸術家が命令する単なる道具として使用するのではなく、人間が最終結果を完全には支配できない自律的な創造主体へ近づけることにある。

Leonel Moura
モウラのロボットアート制作風景

本書の内容

本書は、ポルトガルの芸術家レオネル・モウラが約10年間にわたって取り組んできたロボットによる芸術制作を、350点以上の図版、論考、二つのマニフェストなどによってまとめた著作である。人工知能、創発、群知能、ロボティクスを芸術制作へ導入し、機械は創造的になり得るという主張を、理論だけでなく実際にロボットが制作した作品によって示そうとした本である。

1.機械は芸術を作れるか

本書を貫く最大の問いは極めて単純である。機械は芸術を作ることができるのかという問いである。従来、機械を使った芸術でも作者は人間であった。カメラを使う写真家、コンピュータを使うデジタル・アーティスト、映像装置を使う映像作家など、機械はあくまで人間の意図を実現するための道具であった。モウラはここから更に一歩進む。機械自身が周囲の環境から情報を取得し、自分で行動を変え、人間が事前に決定していない作品を作った場合、その機械は依然として単なる道具と呼べるのか、と問う。本書の主張は明確である。一定の自律性と創発的行動を備えた機械は、少なくとも部分的には人間から独立した作品を生み出すことができ、それをモウラはA New Kind of Artと呼ぶ。

2.創発が芸術を生み出す

この思想を理解する上で最も重要なのが創発(emergence)である。創発とは、個々の要素には存在しない複雑な性質が、多数の単純な要素の相互作用によって全体として出現する現象である。蟻の巣が典型である。一匹の蟻が全体の設計図を持っている訳ではない。それでも多数の蟻が単純な規則に従って行動すると、複雑な巣や移動経路が形成される。モウラは、この自然界の原理を芸術制作へ導入する。芸術家が最終的な構図を設計するのではなく、ロボットに単純な行動原理だけを与え、そこからどのような作品が出現するかを見るのである。

3.ロボット絵画

モウラのロボット芸術の原点がAnt Algorithmである。人工的な蟻をコンピュータ上で動かすと、最初はランダムに見える点の運動から、次第に実際の蟻の移動経路に似たパターンが形成される。モウラはそこに一種の素描を見いだした。そこで2001年、このアルゴリズムをロボットアームへ接続し、コンピュータ画面内部の現象を現実の紙やキャンバス上へ移した。モウラ自身によれば、この実験によって創造過程から人間を部分的に外す可能性が見えてきた。これは現在の言葉でいえば極めて早い物理AIによる絵画の試みであった。デジタル画像を生成するだけではなく、アルゴリズムが物理的装置を動かし、現実世界に作品という物体を残すからである。

4.Artsbot

2003年のArtsbotでは、この思想が更に発展する。複数の小型ロボットがキャンバス上を動き、それぞれが色を描く。重要なのは中央のコンピュータが全体の構図を指揮している訳ではないことである。各ロボットには色を検知するセンサー、障害物を検知するセンサー、制御装置、移動用モーター、描画用のペンなどが搭載され、それぞれが周囲の局所的な状況に反応する。最初は無秩序に見える線や色が、ロボット同士とキャンバス上の痕跡との相互作用によって次第に集積し、全体として一つの抽象的構成が現れる。画家は一台のロボットですらない。ロボット群とキャンバスと色とアルゴリズムからなるシステム全体が作品を作るのである。

5.スティグマジー

ここでもう一つ重要になる概念がスティグマジー(stigmergy)である。これは、ある個体が環境に残した痕跡が、別の個体の次の行動を誘発する仕組である。蟻の場合にはフェロモンがその役割を果たす。モウラのロボット絵画では色がフェロモンに相当する。ロボットが色を置くと、その色をセンサーが検知し、それによって次の行動が変化する。したがってロボットは最初から完成図を持っているのではなく、自分たちが描いた絵を読みながら次の絵を描いている。この循環が、作品を予測不能な方向へ発展させる。

6.偶然だけでは芸術にならない

ロボットがランダムに動いて線を引くだけなら、それを芸術的創造と呼べるのかという疑問が生じる。モウラは単純なランダム性と創発を区別する。最初の行動には偶然性が含まれる。しかし、そこで生じた色や線が次の行動に影響し、正のフィードバックと負のフィードバックによって構成が発達していく。その結果、最初には存在しなかった秩序やパターンが出現する。したがって作品は完全に事前設計されたものでも、単なる偶然の汚れでもない。この秩序と偶然の中間に、モウラは機械的創造性を見る。

7.RAP

この思想を更に進めたものがRAP(Robotic Action Painter)である。RAPは九つのRGBセンサーなどを使って描画面の色の存在、形、強度を読み取り、ランダムな動きと色への反応を組み合わせながら作品を発展させる。重要なのは、単に描くだけではなく、一定の条件に達すると作品が完成したと判断して停止し、署名することである。伝統的な画家にとってもいつ筆を置くかは極めて重要な芸術的判断である。モウラはこの判断の一部まで機械へ委ねることによって、ロボットを単なる描画装置から創造主体へ近づけようとした。

8.同じ作品を二度と作れない

本書で重要なのは、ロボット作品が大量生産品ではないことである。同じロボット、同じプログラム、同じキャンバスを用いても、最初のランダムな動き、センサーが読み取る局所情報、ロボット同士の位置関係などが毎回異なるため、結果は同一にならない。したがってロボットが作る作品は、一点ごとに異なる。ここには興味深い逆説がある。通常、機械とは同じものを正確に反復生産する存在である。しかしモウラのロボットは、同じものを二度と作らないために設計された機械である。

9.作者はモウラかロボットか

当然ながら大きな問題が残る。ロボットを設計し、アルゴリズムを設定し、制作を開始させたのはモウラである。それなら最終的な作者もモウラではないかという批判である。モウラ自身もこの批判を認識している。しかし彼は、創発的なシステムでは、人間は制作の条件を設定できても最終結果までは支配できない。機械は環境を感知し、人間が予測できない行動を行い、最終的に独自の作品を形成する。そこでモウラは当初、人間か機械かという二者択一ではなく、人間と機械の共生的関係(symbiotic relationship)による芸術という考え方を提示した。作者は完全に消えるのではない。人間は作品を直接描く人から、自律的に作品を生み出すシステムを設計する人へ変わるのである。

10.ロボットは道具ではなく創造システム

ここに本書の芸術史的な主張がある。絵筆は画家の命令に従う。カメラも撮影者がシャッターを押す。しかし自律型ロボットは周囲を感知し、自分の行動を変え、人間が完全には予測できない結果を生み出す。したがって、ロボットを単なる新しい絵筆と考えるだけでは不十分である。モウラにとって重要なのは作品以上に、作品を作る主体の概念が人間から非人間へ拡張され始めたことである。後年の論考でも、モウラは自律性を人間の直接介入なしに課題を遂行する能力、創造的知性を環境を知覚して予測不能な形で変化させる能力として説明している。

11.新しい種類の芸術

したがって本書の副題 A New Kind of Art は、単にロボットを使った珍しい芸術という意味ではない。写真が登場したとき、芸術家が手で描かなくても画像が成立するようになった。20世紀にはデュシャンなどによって、芸術家自身が制作した物でなくても芸術になり得るという考えが生まれた。モウラは、その延長線上に人間自身が作品を直接制作しなくてもよいという次の段階を見る。人間が創造システムを作り、そのシステムが予測不能で独自の作品を生み出すなら、そこにも芸術が成立し得る。したがってロボット芸術とは単なる新技術ではなく、芸術は人間だけが作るものであるという前提への挑戦である。

本書が言いたかったこと

ロボットが人間の画家より上手に絵を描けるということではない。むしろ、芸術を人間だけに許された行為と考えてきた我々の常識を問い直す。モウラにとって創造性とは、頭の中に完成図を持ち、それを正確に実現する能力だけではない。単純な規則、偶然、環境からの情報、フィードバック、複数の主体の相互作用から、誰も事前には予測できなかった秩序が生まれることも創造である。この考え方に立てば、芸術家の役割も変わる。芸術家は一筆一筆を自分で描く人である必要はない。むしろ、予測不能な作品を生み出す条件やシステムを設計し、その後は機械の自律性へ委ねることができる。その意味で、本書が予見したものは現在の物理AIに非常に近い。生成AIがコンピュータ画面の中で画像を作る以前から、モウラはセンサー、アルゴリズム、モーターを備えた機械を現実世界へ送り出し、実際のキャンバスに作品を作らせていた。本書の本当の先見性は、AIが芸術家の道具になる未来だけでなく、人間と機械の境界に新しい創造主体が生まれる未来を構想したところにある。芸術の歴史とは表現方法の拡張だけでなく、誰が芸術を作ることができるのかという作者概念の拡張でもあり、ロボットはその境界を人間の外側へ押し広げる存在である。

未来の輪郭