日本の税制

目次

日本の税制と外国の税制

日本は高税率国家というより、勤労・資産承継・社会保険に過重な比重をかかる国家である。日本の税制を諸外国と比較すると、日本は税金が高い国であるという単純な評価では実態を捉えられない。日本の特徴は、消費税率自体は欧州より低く、平均的勤労者の税負担も必ずしも世界最高水準ではない一方、社会保険料への依存が大きく、高所得者に対する所得課税、相続・贈与課税、法人への実効的な負担が比較的重いことにある。更に重要なのは、日本の税制が所得を得た時、会社で利益を出した時、個人に移した時、次世代へ移した時という資産形成の各段階で課税する構造を持つことである。この点では、シンガポールや香港、スイスの一部など、資本蓄積を政策的に促す国とはかなり思想が異なる。

1.日本は単純な高負担国家ではない

まず税・社会保険料を合わせた租税負担をGDP比で比較すると、日本は2023年で約33.7%である。OECD平均は2024年で34.1%程度であり、日本は全体としてはほぼOECD平均圏に位置する。フランスやデンマークなどの高負担国よりかなり低い一方、米国、韓国、スイスなどよりは高い。したがって、日本は世界でも突出した高税率国家であるという認識は正確ではない。しかし日本には別の特徴がある。2010年から2023年までの租税負担率の上昇幅はOECDでも最大級であり、2025年版OECD統計では2010年比7.5ポイント程度上昇した。日本人が昔より負担が重くなったと感じることには、一定の統計的根拠がある。

2.日本の社会保険料

日本の税制を見る際、所得税や消費税ばかりに注目すると本質を見失う。2023年の日本の税収構造では、社会保険料が税・社会保険収入全体の39.1%を占め、最大の財源となっている。これに対しOECD平均では社会保険料の割合は約25.5%である。これは非常に大きな違いである。日本人はしばしば、所得税はそれほど払っていないと感じる。しかし、健康保険、厚生年金、介護保険、雇用保険などまで含めれば、勤労所得に対する負担はかなり大きい。しかも社会保険料は税という名称ではないため、心理的には税負担として認識されにくい。ここには日本税制の一つの特徴がある。日本は税率を表面的に高く見せず、社会保険料や別な形で大きな公的負担を徴収する国である。

3.所得税はかなり高い

日本の国税としての所得税は5%から45%までの累進税率である。最高税率は45%であり、これに住民税の所得割約10%が加わるため、高所得者の限界税率は概ね55%近くになる。この水準は国際的にも高い。英国の最高所得税率は45%、米国連邦税は37%を中心とし、これに州税が加わる。フランスやドイツも高所得者への課税は重いが、日本は明確に高税率国のグループに入る。ただし興味深いのは、平均所得者である。OECDが用いるtax wedge(所得税・社会保険料などを合計した労働コスト)と手取り額との差を見ると、OECD平均は2025年でも約35%程度であり、日本は欧州大陸諸国ほど極端な水準ではない。日本の所得課税は、中所得者には中程度、高所得者になると急速に重くなる構造である。

4.消費税は意外にも低税率国

日本の消費税率は標準10%、一定の飲食料品等には8%である。日本国内では10%が高いという議論が頻繁に行われるが、国際比較ではむしろ低い。欧州では標準VATが、英国20%、フランス20%、ドイツ19%、イタリア22%、スウェーデン25%という国が多い。OECDも日本の10%をOECD諸国の中で低い水準と評価している。日本の財・サービス課税収入もGDP比6.8%で比較的低い。したがって日本は、欧州型の消費に広く高率課税する国ではない。ただしガソリン税のように税金に消費税が課税される隠れた課税制度が存在することには留意が必要である。

5所得税と消費税の組み合わせ

ここから税制思想の違いが見えてくる。北欧諸国では、高い所得税+高いVAT+高い社会保障という構造を取る。ドイツやフランスでもVATは20%程度である。それに対して日本は、比較的低い消費税+比較的高い社会保険料+高所得者には高い所得税という組み合わせである。その結果、現役世代の給与所得者に負担が集中しやすい。高齢者を含めて社会全体から広く徴収できる消費税よりも、勤労者から徴収する社会保険料への依存が大きい。これは少子高齢化社会としては大きな構造問題である。

6.法人税は国際競争力がない

日本は長年法人税の高い国とされてきた。法人税改革によって国・地方を合わせた実効税率は30%を下回る水準まで低下してきた。財務省自身も2016年度以降30%未満としている。しかし国際的には法人税率は更に低下している。OECDの2025年の法定法人税率平均は21%程度であり、日本はそれを上回る。例えば、シンガポール17%、英国25%、米国連邦21%、アイルランド12.5%などと比べれば、日本は依然として高い。ただし実際の企業負担は研究開発控除、欠損金、設備投資、地方税などによって異なるため、法定税率だけで判断することはできない。それでも外国企業がアジア拠点を決める際、日本は税制だけを見ればシンガポールより不利という現実は否定できない。

7.際立つ相続税

国際比較で日本が本当に高税率国と言える分野の一つが相続税である。日本の相続税最高税率は55%である。しかも基礎控除縮小によって相続税の対象となる世帯も以前より増えた。これに対して世界では相続税自体を廃止した国も少なくない。スウェーデン、ノルウェー、オーストラリア、ニュージーランドなどでは相続税が存在しないか、一般的な相続課税が廃止されている。OECDでも相続・贈与税を持つ国と持たない国が大きく分かれている。米国には連邦遺産税があるが、大きな基礎控除があるため相続税の対象者は極めて限定される。このため日本は、相続による富の集中を抑えるという思想が非常に強い国である。

8.厳しい贈与税

贈与税も相続税と連動している。年間110万円の基礎控除を基本として、累進税率によって課税される。更に相続開始前の贈与を相続財産へ加算する期間について、制度改正によって段階的に7年間へ延長される。2031年以降の相続では原則として死亡前7年間が対象となる。これは日本の税制哲学を象徴している。死亡直前に贈与して相続税を回避することを認めないという考え方である。資産を次世代へ移すことに対する課税は、国際的に見てもかなり強い。

9.一方で比較的寛容な金融所得

ここには日本税制の面白い矛盾がある。給与所得の最高限界税率は住民税を含め55%近い。ところが上場株式の配当や譲渡益などの金融所得には、原則として約20%の分離課税が適用される。そのため所得が非常に高くなると、給与として稼ぐ人より、株式を大量に保有してキャピタルゲインや配当を得る人の方が限界税率が低いという現象が起こり得る。いわゆる1億円の壁の背景である。これは米国などにも見られる現象であり、資本所得を労働所得より低率で課税する制度は珍しくない。理由は、資本が国境を越えて移動しやすいためそれを回避する制度である。

10.シンガポールとの比較

日本と対照的なのがシンガポールである。シンガポールは基本的に、資本を蓄積させ、企業と富裕層を呼び込む税制思想を持つ。法人税は低く、キャピタルゲインへの一般的課税も原則存在せず、相続税も廃止されている。日本は反対に、所得を得る→法人に利益が出る→個人へ移す→相続するという各段階で課税する。日本の税制は富を国内に呼び込む税制というより、国内で発生・蓄積した所得を社会保障と再分配へ回す税制である。

11.北欧との比較

日本と北欧を比較する際には税率だけを見るべきではない。例えばデンマークでは所得税も消費税も極めて高い。2023年の個人所得税収はGDP比25.2%にも達した。しかし医療、教育、育児、失業保障、介護などの公的サービスが大きい。国民は、高い税金を払い、その代わり多くのサービスを受ける。日本では税・社会保険料負担は北欧ほど高くない一方、医療・介護・年金を支える高齢化コストが急増している。このため現役世代から見ると、負担増の割に自分自身が受けるサービスが増えている実感を持ちにくい。ここが政治的には極めて大きな違いである。

12.米国との比較

米国は日本より租税負担が低い。しかし、それだけで米国の方が生活負担が軽いとは言えない。医療保険、大学教育、老後資金などを私人が負担する割合が日本より大きいからである。日本では、税金・社会保険料として強制的に払う。米国では、保険料・学費・401kなどとして自分で払うという違いがかなり大きい。したがって国際比較では税率だけでなく、税+社会保険+民間医療+教育費+老後準備まで含めて比較する必要がある。

13.日本税制最大の問題は構造

以上を総合すると、日本税制の最大の問題は単純に税金が高いことではない。むしろ、誰から、何に対して、いつ取っているかに問題がある。日本は高齢化しているにもかかわらず社会保険料への依存が大きく、その結果、現役勤労世代の負担が重い。企業には国際競争上高い法人税負担が残る。高所得給与所得者には55%近い限界税率を課す。資産承継には最高55%の相続税を課す。ところが金融所得には約20%の分離課税を認めている。一方、消費税は国際的には低い。この組み合わせは必ずしも一貫した税制思想とは言いにくい。日本は、欧州型社会保障を維持しようとしながら、欧州ほど消費税を上げず、その不足を社会保険料・所得税・法人税などに分散して負担させている国と表現するとかなり実態に近い。そして日本の最大の特殊性は、少子高齢化が世界最先端で進んでいるにもかかわらず、税制・社会保障制度が依然として勤労世代が高齢世代を支えるという高度成長期以来の構造を強く残していることである。このため今後の日本の税制改革で本当に問われるのは、税金を上げるか下げるかではない。勤労所得への負担を軽くし、消費・資産・所得・相続のどこに負担を移すのか。そして税負担によって成長や資本流入を阻害しない制度をどう作るのか。ここが日本税制の核心的課題である。

日本の税制と国際競争力

日本の税制と国際競争力を考える場合、単に法人税や所得税が高いか低いかという比較だけでは不十分である。現代では企業、資本、研究者、起業家、投資家が国境を越えて移動できるため、税制は財源調達の制度であると同時に、どの国に企業を置くか、どこで研究開発を行うか、どこで起業し、どこに資産を保有し、どこで生活するかを左右する国家間競争の重要なインフラとなっている。この観点から見ると、日本の問題はすべての税金が高すぎるということではない。むしろ、企業が利益を上げること、高度人材が高所得を得ること、起業家が資産を形成すること、企業や資産を次世代に承継することなど、成長や資本形成の過程に比較的重い負担が生じる一方、少子高齢化による社会保障費が増大しているため、大幅な減税にも踏み切れないという構造的矛盾にある。

1.法人税と企業誘致

日本は長い間、主要国の中でも法人課税の重い国であった。その後の法人税改革によって負担は大幅に引き下げられたものの、国税と地方税を合わせた実効税率は依然として概ね30%前後にある。これに対し、シンガポールの法人税率は17%、英国は25%、米国の連邦法人税率は21%である。実際の負担には地方税や各種控除が関係するため単純比較はできないが、日本が税率を武器として企業誘致を行える国ではないことは明らかである。最も、企業が拠点を選択する際には税率だけを見ている訳ではない。市場規模、政治的安定、電力価格、人材、研究機関、物流、規制、サプライチェーンなどが総合的に判断される。その意味では、巨大な国内市場と優れた産業集積を持つ日本には依然として大きな魅力がある。問題は、同程度の条件を備えた国との比較になった場合である。シンガポールなどとアジア地域統括拠点を争えば、法人課税の差が最終的な投資収益率の差として効いてくる。日本にとって法人税は、以前ほど決定的な弱点ではないものの、依然として競争力を高める要因にはなっていない。

2.対日直接投資の少なさ

日本の国際競争力を考える上で非常に重要なのが、外国企業による対日直接投資の少なさである。日本への直接投資残高はGDP比で主要先進国の中でも極めて低い水準にある。最も、その原因を法人税だけに求めることはできない。日本語という言語障壁、独特の商慣行、企業間関係、規制、労働市場の流動性の低さ、意思決定の遅さ、外国企業によるM&Aの難しさなど、多くの要因が重なっている。しかし外国企業から見れば、日本市場は参入するだけでも難しいのに、税負担も特に軽くないということになる。したがって日本の競争力を考える際には、法人税率単独ではなく、税制、行政手続、労働市場、規制、言語、企業慣行を合わせた日本で事業をする総コストを考える必要がある。

3.研究開発税制の強み

一方、日本にも国際競争力を強化する方向に働く税制が存在する。研究開発税制、設備投資促進策、半導体やGX、AI関連投資に対する優遇などである。これは重要な方向性である。すべての企業の法人税率を一律に引き下げるよりも、研究開発を行う企業、革新的な設備へ投資する企業、国内に新しい産業基盤を作る企業などに重点的な税制優遇を与える方が、限られた財源で産業政策上の効果を高めることができるからである。ただし優遇制度が複雑化すると、大企業は専門部門を使って利用できても、スタートアップや中小企業には使いにくい。税制優遇を設けること自体よりも、企業が実際に簡単に利用できる制度にすることが重要である。

4.国際競争と人への課税

今後、日本にとって法人税以上に重要になる可能性があるのが個人所得課税である。日本では所得税の最高税率が45%であり、住民税を含めると高所得者の限界税率は概ね55%に達する。これは世界的に見ても高い水準である。かつてであれば、企業が日本にある以上、そこで働く経営者や専門家も日本に住むのが当然であった。しかし現在では事情が異なる。AI研究者、ファンドマネジャー、起業家、エンジニア、投資家などは、東京、シンガポール、ドバイ、香港、ニューヨーク、ロンドンなどを比較して生活拠点を決めることができる。一般的な所得水準であれば税率差が居住地を決定するほど大きな問題にならなくても、年収数億円あるいはそれ以上の高度人材にとって、税率が10ポイント、20ポイント違うことは年間数千万円から数億円の差になる。したがって現代では所得税は単なる所得再分配制度ではなく、国家による世界的人材獲得競争の条件にもなっている。

5.長期的な資本誘致障害

更に日本特有の問題が相続税である。日本の相続税最高税率は55%であり、世界的に見ても高い水準にある。相続税には、富の固定化や世襲を抑制し、社会的な機会均等を確保するという重要な役割がある。したがって相続税そのものを否定する訳ではない。しかし国際競争という観点から見ると別の問題が生じる。世界の起業家や資産家に対して、日本へ移住し、日本に会社を作り、日本に資産を置いて長期間生活してくださいと呼びかけながら、最終的な資産承継段階では非常に重い相続課税が発生するとすれば、日本を恒久的な生活・資産拠点として選択するインセンティブは弱くなる。相続税には、国内的な公平という観点と、国際的な資本誘致という観点との間に明確な緊張関係が存在する。

6.スタートアップ税制

スタートアップ政策では特に発想を変える必要がある。創業直後の企業は利益を出していないことが多いため、法人税率を数ポイント下げても大きな恩恵を受けない場合が多い。スタートアップにとって重要なのは、ストックオプション、株式譲渡益、エンジェル投資、研究開発費、欠損金、そしてM&AによるExitに関する税制である。起業家の最大の報酬は給与ではなく、自ら保有する株式価値の上昇である。そのため、成功した時に最終的にどれだけ資産を残せるかが起業活動のインセンティブに大きく影響する。日本では上場株式などの金融所得が原則約20%で課税されるため、55%近くになる給与所得の最高限界税率より有利である。この点はスタートアップ育成にとってプラスである。更に重要なのは、日本のExit市場をIPO中心からM&Aも活発な市場へ変えることである。米国ではスタートアップの多くが大企業への売却によって創業者、従業員、投資家に利益をもたらし、その資金や人材が次の起業へ循環していく。日本でもM&AによるExitを税制・制度両面から促進することが、スタートアップ・エコシステム形成には不可欠である。

7.社会保険料

日本の国際競争力を議論する際に見落とされやすいのが社会保険料である。企業が一人の社員に1,000万円の給与を払うとしても、企業側の実際の負担は1,000万円ではない。健康保険、厚生年金、雇用保険などの事業主負担が上乗せされる。一方、社員の側でも社会保険料、所得税、住民税などが差し引かれる。その結果、企業が実際に負担している総人件費と、労働者が受け取る手取り所得との間にはかなり大きな差が生じる。これは国際的な人材獲得競争では無視できない。特に日本では高齢化が急速に進んでいるため、医療、年金、介護を維持するための社会保険料負担が重くなりやすい。法人税率を引き下げても社会保険料が上昇すれば、企業から見た雇用コストは思ったほど下がらない。したがって国際競争力を高めるためには、法人税だけではなく社会保険制度まで含めた改革が必要になる。

8.高齢化と減税余地制約

それでは法人税、所得税、社会保険料を一斉に引き下げればよいかというと、現実には難しい。日本には急速な高齢化という問題がある。医療、介護、年金などへの支出が増え続ける中で大幅な恒久減税を行えば、財政赤字が更に拡大する可能性が高い。したがって日本は、国際競争力を高めるためには税負担を軽くしたい一方で、高齢化社会を維持するためには大きな税収が必要であるという、非常に難しい立場にある。ここが日本の税制改革を考える上で最大の制約条件である。

9.問題は何に課税するか

この矛盾を解決するには、税収総額だけを見るのではなく、税負担の対象を変える必要がある。日本の消費税率10%は欧州主要国と比べれば低い。一方、高所得の給与所得者への課税や社会保険料負担は比較的大きい。国際競争力という観点だけから考えれば、働くこと、研究開発すること、設備投資すること、企業を設立することなどへの課税を軽くし、その分を消費課税などへ移すという考え方には合理性がある。消費税は所得税や法人税と異なり、働いた、投資した、企業を作ったという行為に直接課税するものではないため、経済活動への歪みが比較的小さい。ただし消費税には低所得層ほど負担感が重くなる逆進性がある。そのため消費税率を引き上げるのであれば、給付付き税額控除や低所得世帯への直接給付などと組み合わせる必要がある。

10.資本課税

一方で、国際競争力の名の下に金融所得や資産所得への課税を一律に軽くすればよいというものでもない。日本では給与所得の最高限界税率が55%近いのに対し、株式譲渡益や配当など多くの金融所得は約20%で課税される。この差があまりに大きくなると、新しく働いて高所得を得た人より、既に巨額の金融資産を持つ人の方が低い税率で所得を得られるという問題が生じる。したがって重要なのは、資本所得を一律に優遇するのではなく、新規投資、起業、研究開発、リスクテイクなど将来の経済成長につながる資本形成を優遇し、既存資産から得られる受動的所得とは区別することである。

11.制度の単純性と予見可能性

国際的な企業や投資家にとって、税率と同じくらい重要なのが制度の分かりやすさである。外国企業が嫌うのは単に税率が高いことではない。実際にどの税金がいくらかかるのか分からない、数年ごとに制度が大きく変わる、税務当局の解釈次第で負担が変わる、専門家を大量に雇わなければ制度を理解できないといった不確実性である。その点でシンガポールなどが強いのは、法人税率が低いだけではない。税制、会社設立、外国人人材、金融、行政手続などが、一つの企業誘致政策として統合されている。日本でも最終的には、法人税率が何%であるか以上に、日本で事業を始めた場合、投資家や企業が最終的にどの程度の利益を手元に残せるのかを簡単に予測できる制度を作ることが重要である。

12.日本経済の問題と税制

ただし、日本の国際競争力低下をすべて税制のせいにすることも正しくない。日本の生産性停滞には、デジタル化の遅れ、企業経営の保守性、低収益企業から成長企業への資源移動の遅さ、労働市場の硬直性、M&Aの少なさ、スタートアップの不足、AI導入の遅れなどが関係している。したがって法人税率を25%に下げただけで日本経済が突然成長する訳ではない。税制改革は、企業統治改革、労働市場改革、規制改革、デジタル化、大学改革、ベンチャー投資政策などと一体でなければ大きな効果を持たない。

13.税制改革を活かせる巨大な潜在力

しかし逆に考えると、日本には依然として非常に大きな強みが残されている。巨大な国内市場、優れた治安、政治的安定、法制度、交通・通信インフラ、高度な製造業基盤、素材、精密機械、半導体製造装置、ロボット、自動車、大学、研究機関、そして膨大な個人金融資産である。日本は、資源も市場もほとんどない国が低税率だけを武器に企業を誘致するのとは条件が違う。既に強力な産業基盤が存在するため、税制や行政制度による摩擦を少し取り除くだけでも、対日投資や起業活動を大きく増加させられる可能性がある。日本への直接投資が依然として極めて少ないということは、日本の弱点であると同時に、将来大きく伸ばせる余地が残っていることでもある。

14.日本が目指すべき方向

日本がシンガポールやUAEと同じような低税率国家を目指すことは現実的ではない。1億人を超える人口を持ち、巨大な社会保障制度を維持する日本には、相応の税収が必要だからである。むしろ目指すべきなのは、税負担全体を単純に減らすことではなく、成長を生み出す経済活動への課税を軽くすることである。企業が新しい設備へ投資すること、研究開発を行うこと、AIや半導体へ投資すること、起業家が会社を作ること、外国の優秀な人材が日本へ移住すること、スタートアップがM&Aによって成長することなどについては、思い切った税制優遇を設ける価値がある。一方で社会全体を維持するための財源については、消費、既存資産、金融所得などを含めて広い課税ベースから調達する方向が考えられる。

15.日本税制の課題は成長への課税

日本の税制が国際競争力という観点から抱える最大の問題は、単純に税金が高いことではない。企業が利益を生み、人を雇い、高度人材が高所得を得て、起業家が資産を形成し、それを次世代へ承継するという経済活動の各段階に比較的大きな負担が存在する。一方、日本では欧州に比べれば消費税率は低く、少子高齢化に伴う社会保障費を企業と現役世代の社会保険料によって大きく支えている。この構造は、人口が増加し経済が国内で完結していた時代には成り立ったが、人、企業、資本が自由に国境を越える時代には徐々に不利になっている。したがって今後の日本税制改革で問われるのは、増税か減税かという二者択一ではない。どの経済活動への課税を軽くし、どの税源から財源を確保するかという税体系の組み替えである。日本がAI、半導体、バイオ、ロボット、スタートアップ、金融などの分野で世界の企業・資本・人材を呼び込みたいのであれば、税制を単なる徴税制度ではなく、産業政策、人材政策、投資政策と一体化した国家戦略として再設計する必要がある。これから日本が競争する相手は、ドイツやフランスのような従来型先進国だけではない。シンガポール、スイス、米国、UAEなど、企業・人材・資本が国を選択するという前提で制度を設計している国々でもある。日本の税制も、国内にいる人や企業からどのように税金を徴収するかという発想から、世界の企業・人材・資本に、なぜ日本を選んでもらうのかという発想へ転換することが、国際競争力を取り戻すための重要な条件である。

国際競争力削減重税の謎

なぜ日本の税務当局は競争力を削いでまで重い負担を維持するのか。その本当の理由は税務署が取りたいからではなく、国家財政の構造にある。まず重要なのは、重税を決めている主体を正確に分けることである。税務署や国税庁は、基本的には国会で成立した税法を執行する機関であり、税率を自由に決めている訳ではない。実際に税制を設計するのは政府・与党・財務省を中心とする政治過程である。したがって、なぜ税務署は競争力を犠牲にしてまで税金を取るのかという問いは、より正確には、なぜ日本国家は国際競争力を損なう可能性を認識しながらも、税・社会保険料の負担を大きく下げられないのかという問題である。その本当の理由を掘り下げると、単なる官僚の徴税志向ではなく、人口構造、政府債務、政治構造、行政組織のインセンティブが重なっていることが見えてくる。

1.固定費国家

2026年度の一般会計歳出は約122.3兆円である。そのうち社会保障が約39.1兆円、国債費が約31.3兆円、地方交付税交付金等が約20.9兆円であり、この三つだけで歳出の約4分の3を占める。これは非常に重要な数字である。日本政府は毎年100兆円を自由に使える訳ではない。予算編成を始めた時点で、年金、医療、介護、地方財政、過去の借金の元利払いなどによって、巨額の支出が事実上決まっている。日本は既に、成長のために税率を自由に設計できる国ではなく、過去に作った制度を維持するための税収をまず確保しなければならない国になっているのである。これが重税を下げにくい最大の理由である。

2.高齢化と将来の欠乏

日本の財政問題は一時的なものではない。OECDは日本の政府総債務が2024年時点でGDP比約206%とOECD最高水準にあり、今後は高齢化による医療・介護支出や国債費が更に増加すると指摘している。IMFも同様に、長期的には高齢化による医療・介護費の増加と国債利払いの増大によって財政圧力が強まると警告している。しかも財務省自身の試算では、国債費は2026年度の31.3兆円から2029年度には41.3兆円へ、利払費だけでも13.0兆円から21.6兆円へ増える可能性が示されている。したがって政策担当者から見れば、法人税や所得税を下げれば成長率が上がるかもしれないという効果は不確実であるのに対し、減税すれば来年度の税収は確実に減るという効果は目の前にある。この非対称性が大きい。

3.官僚組織と今年の税収責任

ここには行政組織のインセンティブという非常に重要な問題がある。例えば法人税率を5ポイント引き下げたとする。その結果、10年後に外国企業が増え、スタートアップが成長し、GDPが拡大して税収が増えたとしても、その因果関係を証明することは難しい。しかし減税した翌年に税収が数兆円減少すれば、財源はどうするのかとすぐに問われる。行政官にとって、減税による損失は明確で短期的、成長による利益は不確実で長期的である。制度上、財務当局が慎重になるのはある意味で合理的である。しかし国家全体から見れば、この合理性が積み重なることで、短期的には財政を守るが、長期的には成長力を弱めるという結果を生む。これが日本税制の重要なジレンマである。

4.取りやすいところから取る力学

税制には理想論だけでなく徴税技術の問題もある。給与所得者は源泉徴収される。国内法人は決算書を作り申告する。土地や建物は登記される。銀行・証券会社には多数の報告義務がある。税務当局から見れば、これらは極めて捕捉しやすい。これに対して国際的に移動する資本や、多国籍企業の利益配分、新しいデジタル取引などは把握も課税も難しい。その結果、国家には自然と、捕捉しやすく、逃げにくい税源へ依存する傾向が生まれる。典型的なのが給与所得と社会保険料である。給与所得者は課税から逃れにくく、徴収コストも低い。したがって制度を変更しない限り、現役勤労世代への負担が積み上がりやすい。これは悪意ではなく、徴税行政上の容易さが制度を固定化する現象である。

5.将来の企業より現在の有権者

税制は経済合理性だけでは決まらない。年金、医療、介護などの受益者は現在存在し、有権者である。一方、日本に来るかもしれない外国企業、将来生まれるスタートアップ、将来日本へ移住するかもしれないAI研究者には、現在の日本の選挙権がない。この差は大きい。例えば、相続税を下げて世界の起業家を日本へ誘致するという政策より、高齢者医療費を維持するという政策の方が、短期的には政治的支持を得やすい。民主政治には本質的に、現在の有権者の利益を、まだ存在しない将来の成長より優先しやすいという性質がある。高齢者比率の高い日本では、この傾向が特に強くなる。

6.競争力低下コストの過小評価

かつて日本企業や富裕層はそれほど簡単に国外へ移動できなかった。大企業は日本に本社を置き、経営者も日本に住み、技術者も国内で働くのが当然であった。そのため税率を多少上げても税源が国外へ逃げる可能性は小さかった。しかし現在は違う。企業はアジア本社をシンガポールへ置ける。起業家はドバイへ移住できる。ファンドマネジャーは香港やシンガポールへ行ける。AI研究者は米国へ移動できる。富裕層は世界中に資産を分散できる。課税対象が移動可能になった。ところが日本の税制思想には依然として、日本にいる企業・資産・人は基本的には日本に留まり続けるという高度成長期以来の前提がかなり残っている。ここに国際競争時代とのズレがある。

7.財務健全性と国家信用

もう一つ見逃してはならないのが国債市場である。日本は巨額の政府債務を抱えているため、政府が無制限に減税し、その穴を国債で埋め続けることはできない。市場が、日本政府には将来税収を確保する意思がないと判断すれば、国債金利上昇を通じて財政負担が更に増える可能性がある。IMFも、債務を持続的に低下させ、市場の信認を維持するために中期的な財政調整が必要だと指摘している。財務当局にとって税収確保は単なる徴税ではなく、日本国債への信用を維持する行為でもある。この点は、政府債務が小さいシンガポールなどとの大きな違いである。

8.日本税制の最大の矛盾

問題は、財政を守るために経済成長を阻害すれば、最終的には税源が縮小することである。これは非常に重要である。税率を上げれば短期的には税収が増える。しかし企業投資が減り、人材が国外へ移動し、起業が減り、賃金が伸びず、GDP成長率が下がれば、中長期的には税収の基盤が弱くなる。税収を守るための税制が、税収を生み出す経済を弱くするという逆説が発生する。OECDも日本について、財政健全化だけでなく、生産性向上、イノベーション、高度人材、スタートアップへの資源移動などを同時に進める必要性を強調している。したがって増税か減税かという議論だけでは問題の本質に到達しない。

9.税務当局の本音

ここまでを極端に単純化して、国家財政を管理する側の本音を推測して言葉にすれば、次のようになる。法人税を下げれば投資が増えるかもしれない。しかし増えないかもしれない。ところが税率を下げれば税収は確実に減る。所得税を下げれば高度人材が来るかもしれない。しかし何人来るか分からない。一方、今いる高所得者から徴収すれば税収は確実である。相続税を下げれば富裕層が日本へ来るかもしれない。しかし政治的には富裕層優遇と批判される可能性がある。社会保険料を下げれば企業と勤労者は助かる。しかし医療・年金・介護の支払いは今年も発生する。消費税を上げれば安定財源になるが、国民の反発が強い。こう考えると、なぜ日本の税制が現在の形になっているのかがかなり理解できる。日本政府は必ずしも重税が正しいと考えているのではない。むしろ、どの税も下げたいが、どの支出も減らせず、その結果として既存の税源から取り続けているという面が非常に強い。

10.本当の問題は国家の意思決定構造

したがって、日本が国際競争力を失ってまで重い負担を維持する最大の理由を一言で言えば、成長を最大化する国家より既存制度を破綻させない国家になっているからである。財務省は財政破綻を避けたい。厚生労働省は社会保障制度を維持したい。地方自治体は地方交付税を確保したい。政治家は有権者の給付を削りにくい。国税庁は成立した税法を確実に執行する。それぞれの行動には合理性がある。しかし、それらを合計すると、企業・人材・資本から見た日本の魅力を最大化する主体が存在しないという問題が生じる。ここが最も根深いところである。

11.日本の重税の本質は恐怖

したがって日本の税制を最も深いところまで掘り下げれば、重税を維持する根本動機は国がもっと金を取りたいという強欲だけではない。むしろ、税収が減ることへの恐怖、社会保障制度が維持できなくなる恐怖、国債市場の信認を失う恐怖、財源不足を政治的に批判される恐怖の方が大きい。その結果、日本の政策は、将来もっと豊かになるために短期的な税収を犠牲にするより、将来の成長率が多少低くなっても、現在の税収を確保する方向へ傾きやすい。これこそが、国際競争力との関係で見た日本税制の本当の弱点である。そして最大の改革は、単に法人税や所得税を下げることではない。税率を下げても経済成長によって税収を回復させるという長期戦略を政府全体で引き受けられる意思決定制度を作ることである。言い換えれば、日本が変えるべきなのは税率以上に、今年の税収を守る国家から10年後の税源を育てる国家への発想である。

税務使途と効率を改善しない謎

なぜ日本は徴税には熱心なのに、税金の使い方の合理化には同じほど熱心に見えないのか。その核心は徴税能力より歳出を削り、組み替える国家能力にある。日本の税財政を見ていると、一つの大きな非対称性が存在する。国税庁は申告漏れ、海外資産、相続・贈与、富裕層、無申告などについて高度な情報収集と調査を行い、徴税の精度と効率を高めようとしている。他方、集められた税金について、この支出は本当に必要なのか、投入した税金に見合う社会的成果が生まれたのか、もっと少ない予算で同じ効果を得られないのかという検証は、徴税ほど厳格かつ継続的に行われているようには見えない。日本国家全体として、税金を集める側には強い効率化の力が働くのに、税金を使う側には同程度の合理化圧力が働きにくい制度になっている。

1.徴税成果と歳出効果

第一の理由は、成果測定の容易さがまったく異なることである。徴税の場合、税務職員を何人投入し、何件を調査し、いくら申告漏れを発見し、いくら追徴したかを数字で示すことができる。情報システムに投資した結果、申告漏れの発見が増えれば、その成果も比較的把握しやすい。ところが歳出はそうではない。教育に1兆円を投入した結果、日本経済が将来いくら豊かになったのかを正確に測定することは難しい。医療費を1兆円投入したことによって国民の健康寿命がどの程度延びたのか、防衛費の増額によって戦争の危険が何%低下したのか、地方創生予算によって人口減少がどれだけ抑えられたのかについても、単純な数字にはできない。徴税では投入した行政コストと回収した税額の関係が比較的明瞭であるのに対し、歳出では、予算を投入してから行政サービスが提供され、それによって人々の行動が変化し、最終的に社会的・経済的成果が生まれるまでに長い因果関係が存在する。この測定の難しさが、徴税に比べて歳出効率化を難しくしている。徴税を増やすことは成果になるが、自分の予算を減らすことは成果になりにくい。

2.行政組織のインセンティブ

税務当局が徴税額を増加させれば、国家財政に貢献したと評価しやすい。ところが、ある省庁がわれわれの1,000億円の事業は500億円でも同じ成果を上げられると自主的に申し出た場合、国家全体としては非常に優れた行為であるにもかかわらず、その組織にとっては翌年度の予算縮小につながる可能性がある。予算が減れば、事業規模が縮小し、担当部署の人員や権限も小さくなる。行政組織では予算規模が組織の影響力と結びつく面があるため、自分の組織の予算を自主的に削減することへのインセンティブが弱い。民間企業であれば、同じ売上やサービスを維持しながらコストを30%削減した経営者は高く評価される。しかし行政では、30%の予算を削減して同じ行政サービスを実現した官僚が、必ずしも組織内部で最も高く評価されるとは限らない。この違いは非常に大きい。

3.単年度予算制度

予算制度にも問題がある。企業であれば、1億円の予算を8,000万円で済ませれば、2,000万円の節約として評価できる。しかし行政組織では、同じことをすると8,000万円でできたのだから、来年度も8,000万円でよいと査定される可能性がある。もちろん現実の国家予算には基金や複数年度にまたがる制度もあり、すべてが単年度主義だけで説明できる訳ではない。それでも基本的な予算獲得競争の中では、節約した組織が翌年度の予算を失う可能性がある。その結果、国家全体としては節約した方がよいのに、個々の組織から見ると予算を予定どおり執行した方が合理的であるという、奇妙なインセンティブが生じる。

4.歳出改革より歳出廃止

最も、日本政府が歳出合理化をまったく行っていないという評価も正確ではない。行政事業レビューやEBPM、すなわち証拠に基づく政策立案が導入され、政策の有効性を検証する仕組は整備されてきた。近年ではデータやAIを行政評価に利用する方向も進められている。問題は制度が存在するかどうかではない。評価の結果、効果が乏しいと判定された政策を実際に廃止できるかどうかである。行政事業レビューで改善が必要と評価することと、何十年も続いてきた制度を終了させることとの間には大きな距離がある。日本の問題は評価能力以上に、評価結果に基づいて既存制度を終了させる政治的・行政的能力にある。

5.自由に削れる部分が少ない

更に歳出合理化を難しくしているのが、日本の予算構造である。一般会計歳出の大きな部分を社会保障、国債費、地方交付税交付金等が占めている。国債費は過去の借金に基づく支払いであるため、行政効率化によって簡単に削減することはできない。社会保障費も年金、医療、介護など国民生活に直接結びついている。したがって、日本の財政問題を本格的に解決しようとすると、役所の人員を多少減らしたり、無駄な備品購入をやめたりする程度では到底足りない。本当に数兆円、十数兆円単位で支出構造を変えるのであれば、年金給付、医療費の自己負担、高齢者医療、介護給付、地方行政などに踏み込まなければならない。ここから問題は行政の無駄遣いではなく、現在国民が受け取っている給付やサービスをどこまで見直すのかという政治問題へ変わる。

6.政治的反発

これは一見逆説的だが、重要である。増税の場合、負担を数千万人に広く分散させることができる。ところが特定の補助金や給付制度を廃止すると、損失を受ける人が明確になる。例えば年間1,000億円の補助金を10万人が受けているとすれば、一人当たり100万円の利益になる。その制度を廃止しようとすれば、その10万人は強く反対する。しかし1,000億円を国民1億人で負担していると考えれば、一人当たりでは年間1,000円にすぎない。一人1,000円の節約のために、大規模な政治運動を起こす国民は少ない。そのため一度成立した歳出制度には、制度を守ろうとする人々の利益は集中する一方、それを廃止して得られる国民一人一人の利益は分散するという構造が生まれる。補助金、公共事業、各種給付、租税特別措置などが長期間存続しやすい理由がここにある。

7.税金には強力な所有者がいない

民間企業では、無駄遣いによって最終的に損失を受ける主体が明確である。株主である。株主は経営者に対して、不要事業を売却し、コストを削減し、資本効率を上げるよう要求する。経営者がそれを怠れば、株価下落、株主総会、取締役交代、企業買収などの圧力がかかる。国家の場合、形式的な株主は国民である。しかし一人の国民が100兆円を超える国家予算を継続的に監視することはできない。会計検査院、国会、財務省、行政事業レビューなどが監視機能を担っているものの、企業の大株主ほど直接的な経済的利害を持つ訳ではない。そのため、徴税側には国税庁という徴収専門組織が存在するのに対して、納税者の立場から政府支出全体の費用対効果を常時監視し、効果の低い支出を強制的に終了させる強力な主体が相対的に弱い。

8.正しい使い方と賢い使い方

行政監査にはもう一つ重要な問題がある。伝統的な行政監査が得意としてきたのは、予算どおり使われたか、法律に違反していないか、入札や契約は適正だったかという確認である。しかし財政効率という観点から本当に重要なのは、そもそもこの事業を行う必要があったのか、100億円を投入して、それ以上の社会的価値を生み出したのかという問題である。100億円の事業が法律にも予算にも完全に従って執行されたとしても、10億円程度の社会的効果しか生まなかったのであれば、財政効率の観点では失敗である。これから必要なのは正しく使ったかという評価から、何を生み出したのかという評価への転換である。

9.高齢化と総支出増加

日本には更に特殊な事情がある。例えば医療サービスを10%効率化できたとしても、高齢者人口が増えれば医療費総額は増加する。介護も同様である。一人当たりの行政サービスを効率化しても、サービスを必要とする人口が増えるため、国家全体の支出額が増えるという現象が起こる。このため、政府支出が増えているから行政改革を何もしていないと単純に判断することもできない。むしろ日本の場合、行政効率化と人口高齢化による支出増加が同時進行していると考えるべきである。

10.歳出責任の分散

徴税については国税庁という明確な執行主体が存在する。ところが、日本国全体として税金を最も効率的に使う責任者は誰かと問うと、答えは急に曖昧になる。財務省は予算を査定するが、医療政策の専門家ではない。厚生労働省は社会保障を担当し、経済産業省は産業政策、国土交通省はインフラ、文部科学省は教育や研究を担当する。更に地方自治体にも巨大な予算がある。最終的には国会が予算を承認する。歳出については権限と責任が多数の組織に分散している。その結果、各組織は自分の政策分野を最適化しようとするが、国家全体としてこの1兆円を医療から教育へ移した方が日本全体には有益ではないかと判断する全体最適の機能が弱くなりやすい。

11.税金の使い方と価値判断

徴税と歳出には、もう一つ根本的な違いがある。100億円の税収を追加的に確保すれば、基本的には100億円の財源増である。しかし、その100億円を医療、教育、防衛、科学研究、子育て支援のどこへ配分すべきかについて、唯一の客観的な答えは存在しない。GDP成長率を最大化するなら研究開発投資が優先されるかもしれない。一方、所得格差の是正を優先すれば低所得者支援が重要になる。国家安全保障を優先すれば防衛費になる。したがって税金の使い方には、効率性だけでなく、公平性、安全保障、地域維持、世代間配分などの政治的価値判断が不可避である。このため国家財政を企業経営とまったく同じように利益率だけで管理することはできない。

12.大きな合理化余地

以上の事情を考慮しても、現在の歳出構造をそのまま維持してよいという結論にはならない。むしろ人口が減少し、税や社会保険料を負担する現役世代が減少する日本だからこそ、税金1円からどれだけ社会的価値を生み出すかという財政生産性を徹底的に高める必要がある。重要なのは、単純な一律削減ではない。効果の高い教育、科学技術、研究開発、AI、インフラ更新などにはむしろ予算を増やし、社会的効果が小さくなった制度、時代的役割を終えた補助金、重複行政、費用対効果の低い事業などから財源を移すことである。必要なのは歳出削減よりも歳出の新陳代謝である。

13.徴税能力と廃止能力

ここまで考えると、日本の税財政問題の本質が見えてくる。日本は税金を徴収する能力については非常に高度な国家である。源泉徴収、金融機関情報、マイナンバー、国外財産情報、国際的な金融口座情報交換などによって、その能力は更に高まっている。しかし歳出側で最も難しいのは、新しい政策を始めることではない。既存の政策をやめることである。一度成立した年金制度、医療制度、補助金、地方交付制度、公共事業、税制優遇などには、それぞれ受益者、行政組織、地方自治体、業界、政治家などが関係する。そのため日本には税金を取る仕組は非常に強力に存在する一方、効果の低くなった政策を終了させ、その予算を別の分野へ強制的に移す仕組みは相対的に弱い。

14.歳出効果を最大化する国家へ

日本の税財政における最大の問題は、単純に税金を使いすぎていることでも、行政が合理化をまったく行っていないことでもない。より根本的な問題は、徴税する側には税収を増やす明確なインセンティブが存在する一方、歳出する側には同じ行政サービスをより少ない予算で実現することを強く報いる制度が弱いことである。極端に言えば、徴税には成果があるが、節約すると翌年度の予算を減らされることさえある。この制度的非対称性が、徴税と歳出合理化の温度差を生んでいる。今後必要なのは、単なる行政経費の削減ではない。主要な政策について投入した税金と実際に生み出した社会的成果を継続的に測定し、成果の低い政策は縮小・廃止し、そこで生まれた財源を成果の高い教育、科学技術、子育て、AI、産業育成などへ自動的に移していく仕組である。日本に不足しているのは税金を集める能力ではない。既存制度をやめる能力、予算を組み替える能力、そして税金1円当たりの社会的価値を最大化する国家経営能力である。したがって日本の財政改革の本質は、もっと税金を取るか、もっと歳出を削るかという二者択一ではない。集めた100兆円をどう使えば、10年後の日本を最も豊かにできるのかという発想を予算制度の中心に置くことである。

日本財政の重要論点

特別会計、日銀保有国債、対外資産、医療既得権益
これまでは一般会計と歳出効率の問題を中心に論じたが、それだけでは日本財政の全体像を十分に捉えられない。特に、特別会計の巨大さ、日銀による国債保有、巨額の対外資産、外貨準備・米国債の政策的性格、医療制度における利益集団の影響を視野に入れると、日本は巨額債務国だから増税と歳出抑制しかないという一般的な説明はかなり単純化されていることが分かる。

1.特別会計と日本財政の全体像

日本の財政議論は一般会計を中心に行われることが多い。しかし国家財政には特別会計が存在し、年金、国債整理、外国為替資金、財政投融資、エネルギーなど、多額の資金が一般会計とは別の勘定で動いている。2026年度予算でも一般会計と特別会計はそれぞれ別に編成されている。特別会計の歳出総額をそのまま政府が実際に使っている金額とみなすことはできないが、特別会計が重要なのは間違いない。一般会計では毎年国会で細かな予算論争が行われる一方、特別会計では長期間継続する資金循環が存在し、一般国民から見れば制度の透明性が低くなりやすい。特に国債整理基金、外国為替資金、財政投融資などは、日本政府の巨大なバランスシートに関係する。したがって日本財政を一般会計の歳入と歳出だけで評価することには限界があり、政府全体の資産・負債を統合した連結貸借対照表的な見方が不可欠である。日本国債を家計の借金と同じように考えることにも問題がある

2.日本国債

日本銀行は長期にわたる大規模金融緩和によって大量の国債を保有している。日銀は現在も保有国債残高を銘柄別に公表しており、2026年にも巨額の保有が続いている。このため、政府と中央銀行を一つの統合政府として見ると興味深い構造になる。政府が国債を発行し、日本銀行がそれを保有している場合、政府は日銀へ利息を払い、日銀の利益の一部は最終的に国庫へ納付される。したがって、民間や外国人が保有する国債と、中央銀行が保有する国債をまったく同じ経済的意味で扱うのは適切ではない。政府は自国通貨建て国債を発行しており、中央銀行も存在するため、外貨建て債務で財政破綻する新興国とは構造が異なる。

3.日銀保有国債の償還・永久保有

理論的には、かなりのことが可能である。例えば日本銀行が満期まで国債を保有し、償還された資金で新しい国債を再び購入し続ければ、経済的には長期的なロールオーバーに近くなる。政府と日銀の統合バランスシートで考えれば、日銀保有国債の一部を事実上永久保有するという議論には一定の論理がある。中央銀行の国債保有は、最終的にはマネタリーベースや通貨供給と表裏一体である。この点は日本財政論で非常に重要である。日本政府は円建て国債について、円を発行できない民間企業と同じ意味で資金繰り破綻する訳ではない。むしろ現実的な限界は、国債を中央銀行が吸収し続けた結果、通貨供給やインフレ期待が高まり、円安や物価上昇、金利上昇が生じることである。日本財政について本当に問うべきなのは、国債を返せるかではなく、どこまで貨幣化しても物価と通貨への信認を維持できるかにある。従来の国の借金を国民一人当たりで割るという説明は論外である。

4.政府保有外貨資産

政府部門により近い資産として外貨準備がある。2026年5月末の日本の外貨準備は約1.31兆ドルである。これは非常に大きな資産である。外貨準備には外国証券、外貨預金、金などが含まれる。その主要な管理主体の一つが外国為替資金特別会計である。したがって日本政府の財政を論じるのであれば、国債という負債だけでなく、外貨準備などの政府金融資産も同時に見るべきである。一般企業の財務分析で、負債だけを見て資産を無視することが不適切なのと同じである。ここから米国債問題が出てくる。日本の外貨準備の大きな部分はドル建て証券で運用されており、その中では米国債が重要な位置を占める。この資産には二つの性格がある。一つは外貨準備としての金融資産である。もう一つは外交・通貨政策上の戦略資産である。日本政府が大量の米国債を保有する背景には、過去の為替介入によって取得したドル資金を安全性・流動性の高いドル資産で運用する必要があったことがある。したがって米国を支援するためだけに米国債を買ったと理解するのは単純化しすぎる。しかし同時に、これほど巨額のドル資産を保有することは、日米関係そのものでもある。外貨資産を売却し円へ転換し、その資金を政府債務の縮減に利用するという発想そのものは成立するが、実際には障害があり複雑である。日米外交関係にも影響し得る。また外貨準備を大幅に縮小すれば、将来の為替介入能力や国際金融危機への対応力も低下する。米国債は、持っているのに使えない無駄な財産でも、絶対に触れてはいけない聖域でもないが、日本の財務戦略、安全保障、為替政策、国債管理を含めて最適保有額を検討すべき資産である。ここは確かに日本財政論ではこれまで十分に議論されていない。

5.政府バランスシート

この観点から日本財政を見ると、国債残高GDP比という単一指標への依存には限界がある。本来は、政府国債、日本銀行保有分、政府金融資産、外貨準備、国有財産、公的年金資産、財政投融資資産、政府保証債務などを含めた統合的なバランスシートで考える必要がある。もちろん年金資産を国債償還に自由に使える訳ではなく、それぞれ用途・負債対応がある。しかし少なくとも、負債1,000兆円以上という数字だけを取り出して国家財政を説明するのは不完全である。

6.医療費

これまで医療費増加を主に高齢化との関係で説明した。しかし、それだけでは不十分である。日本の国民医療費は既に年間45兆円を超える規模に達している。厚生労働省資料でも2023年度の国民医療費は約47兆円規模となっている。その背景には高齢化だけでなく、診療報酬制度、医療提供体制、病床配置、薬価、検査、診療所経営など、供給側の制度設計も関係する。日本では医療サービスの価格が市場で自由に決まるのではなく、診療報酬として全国的に公定される。したがって診療報酬をどう設定するかによって、何科の医師が増えるか、どの医療行為が増えるか、病院と診療所の収益構造がどうなるかまで変わってくる。これは巨大な産業政策でもある。日本医師会を含む医療提供者側が診療報酬改定などに強い政策的発言力を持つのは事実である。政府自身の規制改革会議や社会保障改革の議論でも、医療制度における既得権益の固定化を防ぐ必要性が明示的に議論されてきた。診療報酬を決める制度の中で、患者・保険料負担者・納税者より供給者側の発言力が過度に強くなっていないかを問う必要がある。医療には強い情報の非対称性が存在する。患者は、自分に行われた検査が本当に必要だったのか判断しにくい。保険料負担者は、診療報酬のどの項目がどの医療機関の利益になっているか分からない。行政も従来、各医療機関の詳細な収益構造を完全には把握していなかった。このため政府は近年、医療法人の経営情報を収集するデータベースを整備している。これは逆に言えば、これまで医療費を何十兆円も支出しながら、誰がどれだけ収益を得ているかを十分把握してこなかったことを意味する。ここには大きな改革余地がある。医療費改革は単純な医師報酬削減ではなく成果払いに移すべきである。医療費合理化で最も重要なのは、一律に診療報酬を削減することではない。優秀な医師、救急医療、地方医療、産科、小児科、高度医療などにはむしろ十分な報酬が必要である。問題なのは、診療行為を多く行うほど収入が増える仕組である。出来高払いが強ければ、検査、投薬、診療回数を増やす方向へ経済的インセンティブが働く。したがって、医療の質、治療成果、再入院率、患者の健康状態などを評価する包括払い・成果払いを拡大していく必要がある。医療をどれだけ行ったかから、患者をどれだけ健康にしたかへ報酬体系を変えていくべきである。

7.日本財政の資産と税金

以上を総合すると、日本財政にはもう一つ重要な問いが生まれる。政府は増税や社会保険料引上げを議論する前に、政府保有資産を本当に最適に運用しているのか、外貨準備の規模は適正か、財政投融資資産を有効利用しているか、国有財産を有効活用しているか、特別会計に不要な資金が滞留していないかを検証すべきである。税率を1%上げることと、政府資産を1%効率化することを同じテーブルで比較すべきである。現在の日本財政論では前者が圧倒的に大きく議論され、後者が相対的に小さい。ここには確かに問題がある。日本財政の問題は金がないのではなく国家バランスシートを十分に経営していないことにある。日本は税収不足だけに悩んでいるのではない。一般会計、特別会計、政府資産、日本銀行、外貨準備、対外資産、社会保障制度を別々に管理し、国家全体として資産と負債を最適化する発想が弱いことが大きな問題である。政府債務だけを強調すれば増税論に傾く。日銀保有国債だけを見れば国債は問題ないという結論に傾く。対外純資産だけを見れば日本は世界一豊かな国だから問題ないとなる。医療費だけを見れば高齢化だから仕方がないとなる。しかし本当に必要なのは、これらを一つの国家バランスシートとして見ることである。その上で、日銀保有国債をどこまで事実上長期固定化できるのか、外貨準備は現在の規模が本当に最適なのか、米国債を安全保障資産としてどこまで持つべきか、特別会計の資産は十分活用されているのか、医療費のうち健康成果ではなく制度的既得権によって維持されている部分はどこなのかを、検証する必要がある。したがって日本財政改革の本質は、単なる増税か歳出削減かではない。国家の資産、負債、中央銀行、外貨準備、社会保障を統合して管理し、国民負担を増やす前に既存の国家資産と制度を最大限効率化することである。この視点を欠いたまま国債が多いから増税が必要であるとだけ説明することも、逆に日銀と海外資産があるから財政問題は存在しないと説明することも、どちらも日本財政の実態を十分に表してはいない。

産業と投資に関する考察

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