Master Drawings from The Courtauld Gallery
2012年刊
Colin B. Bailey編著
コートールド・ギャラリー
コリン・B・ベイリーは、18世紀から19世紀のフランス美術、とりわけルノワールやフランス絵画、収集史を専門とするイギリス出身の美術史家である。フィラデルフィア美術館、キンベル美術館、カナダ国立美術館などで学芸職を歴任し、その後ニューヨークのフリック・コレクションで主任学芸員、副館長などを務めた。2015年からはモルガン・ライブラリー&ミュージアム館長を務めている。ベイリーの研究の大きな特色は、個々の作品を形式的に分析するだけでなく、作品が誰によって注文され、どのように収集され、どのような社会の中で鑑賞されたのかという作品と人間の関係に注目する点にある。
コートールド・ギャラリーは、ロンドン大学に属するコートールド美術研究所の美術館であり、1932年に実業家サミュエル・コートールドによって設立された。印象派・ポスト印象派の絵画で世界的に知られるが、実際には素描・水彩のコレクションも極めて優れている。その素描コレクション形成には、サミュエル・コートールドだけではなく、ロバート・ウィット、アントワーヌ・セイラーン伯爵、サー・ロバート・ウィット、パーシー・ムーア・ターナーなど、複数の個人コレクターの寄贈が大きな役割を果たした。このためコートールドの素描コレクションは、国家が体系的に集めたコレクションとは性格が異なる。それぞれの個人が自らの眼で選んだ作品が重なり合って形成されており、個人の審美眼が美術館を作ったことを示す代表的なコレクションである。
本書の内容
1.マンテーニャからマティスまで
本書はコートールド・ギャラリー所蔵の素描・水彩から約60点を厳選し、ルネサンスから20世紀まで500年以上にわたる素描史を一望する。マンテーニャ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、デューラーといったルネサンスの巨匠から始まり、レンブラント、ヴァトー、ターナー、セザンヌ、ゴッホ、スーラ、マティスへと展開する。しかし本書は単なる巨匠名品集ではない。500年間に、画家にとって線を引くという行為がどのように変化したのかを示している。ある時代には素描は完成作品のための準備であり、別の時代には自然観察の方法となり、近代には素描が独立した芸術作品へ変わっていく。その変化こそ、本書を貫く大きな主題である。
2.ルネサンス
ルネサンス期になると、素描は芸術家の創造過程において決定的な役割を持つようになる。マンテーニャ、レオナルド、ミケランジェロらにとって紙は、完成作品を単純に縮小して描く場所ではない。人物の身体を研究し、手足の角度を変え、構図を試し、頭の中にある曖昧なイメージを形へ変えていく場所である。素描を見ると、完成作品では隠されている画家の思考過程が露出している。一本目の線の横に別の線があり、更にその上に修正された線が残っている。その線の重なりは失敗ではなく、画家が考えた時間である。本書はルネサンス素描を通して、描くことと考えることが実は同じ行為であったことを示している。
3.見ることで研究するレオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルドにとって素描は特別な意味を持っていた。彼は人物を描くだけではなく、人体、動物、植物、水、光、機械など、世界のあらゆるものを紙の上で研究した。レオナルドの素描では、芸術と科学の境界がほとんど存在しない。対象を正確に描こうとすることは、その対象がどのような構造を持ち、どのような原理で動いているのかを理解しようとすることでもあった。したがってレオナルドの素描は美しい絵というだけではない。一人の人間が世界を理解しようとして残した思考の記録である。本書におけるレオナルドは、素描が知的探究の道具になり得ることを象徴する存在として位置づけられている。
4.ミケランジェロ
ミケランジェロの素描では、人間の身体が中心となる。筋肉、骨格、身体のひねり、腕や脚の緊張が、黒チョークや赤チョークなどによって研究される。しかし彼の目的は、人体を解剖学的に正確に描くことだけではなかった。身体の動きを通して、人物の苦悩、力、意志、精神的緊張まで表現しようとした。完成した彫刻やフレスコ画では巨大な人物像として現れるミケランジェロの世界が、素描では一枚の小さな紙の中に凝縮されている。その親密さこそ、素描ならではの魅力である。
5.デューラー
アルブレヒト・デューラーでは、線が驚異的な精密さを持つ。北方ルネサンスの芸術家であったデューラーは、人物、衣服、自然、動植物などを非常に細かな線によって捉えた。しかしその精密さは単なる写実ではない。一本一本の線を重ねることによって、対象の質感、光、重量、空間まで表現する。レオナルドが世界の構造を理解するために描いたとすれば、デューラーは世界の表面に存在する無数の差異を、線によって徹底的に見分けようとした画家である。ここでも素描は見ることの記録である。
6.レンブラント
レンブラントになると、素描は大きく変化する。デューラーの精密さとは対照的に、レンブラントは時として数本の線だけで人物や風景を成立させる。人物の顔が詳細に描かれていなくても、その姿勢、心理、周囲の空間が伝わってくる。ここで重要なのは描かないことである。優れた素描家は、何もかも描く必要がない。一本の線をどこに置けば人間が立ち上がり、どこを空白のまま残せば空間が生まれるのかを知っている。レンブラントの作品を通して本書は、素描とは情報量の多さではなく、必要なものだけを見抜く芸術であることを示している。
7.線に感情が宿るヴァトー
アントワーヌ・ヴァトーの素描では、線は更に繊細で感覚的になる。人物が座る姿勢、身体を少し傾ける動作、衣服の皺などが、黒、赤、白などのチョークによって描かれる。その人物が誰なのか、何をしているのかという物語以上に、その瞬間の姿勢が魅力となる。ヴァトーを見ると、素描が単なる物を描く技術ではないことが分かる。一本の線の速さ、柔らかさ、強さが感情を持つ。画家の人格が線に現れるという素描の魅力が、ここでは極めて明瞭になる。
8.線が光へ溶けていくターナー
イギリス美術を代表するターナーでは、素描と水彩の境界が曖昧になる。風景を描きながら、建物や山の輪郭を明確に固定するのではなく、光、大気、霧、水などを捉える。形を描く線が徐々に消え、代わって淡い色面が画面を支配する。ここで本書が示しているのは、素描という概念の拡大である。素描=輪郭線というルネサンス以来の考え方から、紙の上に残された色、光、気配までを含む表現へ変わっていく。
9.一本の正解を拒否するセザンヌの線
ポール・セザンヌの素描では、輪郭が一度で決定されることは少ない。一つのリンゴ、一人の人物、一つの山を描く際にも、複数の線が少しずつずれながら重なっていく。古典的な素描教育では、対象の正しい輪郭を見つけることが重要であった。しかしセザンヌは、その前提を疑う。人間は対象を一度に見るのではなく、視線を動かしながら少しずつ認識する。ならば素描もまた、一つの固定された輪郭ではなく、見続けた時間を残すべきではないか。セザンヌの揺れる線は、その問題を紙の上で追究した結果である。

コートールド美術館所蔵
10.線そのものが感情になるゴッホ
ゴッホにとって素描は、油彩画のための下絵というより、自分が世界をどのように感じているかを直接表現する媒体であった。樹木、畑、家、人物などを描く線が、対象の形を説明すると同時に、画家自身の感情を表している。短い線、うねる線、激しく反復する線が紙面全体を満たし、風景が動いているように感じられる。ここでは線=輪郭という考え方は完全に崩れる。線がリズムとなり、感情となり、画面を作る。近代素描の大きな転換が、ゴッホの作品には極めて明確に現れている。
11.線を消すことで素描を作るスーラ
ジョルジュ・スーラの素描は、更に根本的である。黒いコンテを粗い紙に擦り込み、人物や風景を明確な輪郭線ではなく、光と影によって浮かび上がらせる。ルネサンス以来、素描の中心は線であると考えられてきた。ところがスーラは、線をほとんど描かなくても素描が成立することを示した。形は線によって囲われるのではなく、暗闇から光へ移る明暗の差によって現れる。本書の500年という時間軸の中で見ると、スーラの革新性は特に鮮明になる。
12.一本の線にすべてを託すマティス
本書の終着点を象徴するのがアンリ・マティスである。マティスの素描では、ルネサンス以来蓄積された複雑な技法が、逆説的に極端な単純さへ向かう。人物を描くために何十本、何百本の線を使う必要はない。数本の線だけで顔や身体を成立させることができる。しかし、その一本の線を引くためには、対象を徹底して見なければならない。マティスの単純な線は、単純だから簡単なのではない。長い観察と修練の末に、余分なものをすべて捨てた線である。マンテーニャから始まった本書がマティスへ到達する時、素描とは何かという問いが一つの線を描いたことが分かる。
13.素描を集めるということ
本書をコレクションという観点から読むと、素描には油彩画とは異なる収集の魅力があることが分かる。油彩画の代表作は巨大で高価であり、多くがすでに大美術館に収蔵されている。しかし素描の場合、一流の巨匠であっても、小さな紙作品の中に極めて質の高い作品が残っている。しかもそこには完成された油彩画以上に、芸術家本人の手の動きが直接残されている。レオナルドの線、レンブラントの線、セザンヌの線は、複製や版画ではなく、その芸術家自身が何百年前に紙の上に実際に引いた線である。この芸術家の手との距離の近さが、素描収集の最大の魅力の一つである。
14.一枚の小さな紙に巨匠のすべてを見る
本書に掲載される作品の多くは、大型の油彩画と比べれば驚くほど小さい。しかし小さいから芸術的価値も小さい訳ではない。むしろ小さな紙だからこそ、画家と鑑賞者の距離が近くなる。巨大な歴史画を前にすると、われわれは名作を鑑賞しているという意識を持つ。しかし小さな素描を見ると、まるで画家の机の横から制作を覗いているような感覚になる。線を引く。止まる。描き直す。再び線を引く。その痕跡が紙の上に残っている。本書がマンテーニャからマティスまで500年以上の素描を集めて伝えようとしている最大の魅力は、まさにそこにある。
本書が言いたかったこと
西洋美術の歴史とは、完成された名画の歴史だけではない。マンテーニャ、レオナルド、ミケランジェロ、レンブラント、セザンヌ、ゴッホ、マティスという名前を聞くと、われわれは美術館に飾られた完成作品を思い浮かべる。しかし彼らも、最初から完成作品を頭の中に持っていた訳ではない。一枚の紙に最初の一本の線を引くところから始めた。そこから考え、迷い、観察し、描き直し、発見していった。その過程が最も直接的に残っているのが素描である。だから素描を見ることは、完成した名作の裏側を見ることではない。むしろ芸術が生まれる最初の瞬間を見ることである。そして本書には、更にもう一つの物語がある。これらの作品を後世に残したのは芸術家だけではない。作品の価値を見抜き、購入し、大切に保存し、最後に公共の美術館へ託した個人コレクターたちがいた。芸術家が線を選び、コレクターが作品を選び、美術館がそれを後世へ伝える。コートールドの素描コレクションは、この三者の選択が何世代にもわたって積み重なった結果である。その意味で本書は単なる巨匠素描60選ではない。一枚の小さな紙が、芸術家の手からコレクターの眼を経て美術館へ受け継がれ、500年後の我々まで到達するという、芸術の継承を描いた本である。
