Le Dessin français au XIXe siècle
2011年刊
Louis-Antoine Prat編著
ルイ=アントワーヌ・プラットの経歴
ルイ=アントワーヌ・プラット(1944年-)は、フランスを代表する素描研究者・美術史家であり、同時に世界的に知られる素描コレクターである。その大きな特徴は、研究者として素描を研究するだけではなく、1970年代からフランス素描を実際に収集し、世界有数の個人素描コレクションであるプラット・コレクションを築いた。プラットはルーヴル美術館素描部門との関係も深く、フランス素描史について数多くの研究・展覧会に携わってきた。17世紀から19世紀を中心とするフランス素描について、作品の帰属、来歴、技法、制作過程を研究し、フランスにおける素描研究を代表する存在となった。本書はそうした長年の研究の集大成の一つであり、19世紀フランス美術を油彩画中心の歴史から解放し、紙の上で何が起こっていたのかを研究した大著である。
本書の内容
1.素描の世紀
本書の出発点となるのは、19世紀フランス美術を考える上で素描は決して周辺的な存在ではないという認識である。通常19世紀フランス美術といえば、ダヴィッド、アングル、ドラクロワ、クールベ、マネ、ドガ、セザンヌ、スーラなどの油彩画を中心に説明される。しかし、その背後には膨大な数の素描が存在する。画家たちは紙の上で人体を研究し、構図を考え、自然を観察し、旅先の風景を記録し、突然浮かんだアイデアを書き留めた。したがって19世紀美術を本当に理解するためには、完成された油彩画を見るだけでは十分ではない。芸術家が何を見て、どのように考え、それをどのように作品へ変えていったのかを見る必要がある。その過程を最も直接的に残しているのが素描である。
2.ダヴィッド
19世紀フランス美術の出発点として重要なのがジャック=ルイ・ダヴィッドである。ダヴィッドにとって素描は、巨大な歴史画を成立させるための設計図であった。人物の姿勢、手足の角度、衣服、群衆の配置、建築空間などを紙の上で繰り返し検討し、最終的な構図へ近づいていく。完成した歴史画だけを見ると、構図は最初から完璧に決まっていたように感じられる。しかし素描を見ると、ダヴィッドが何度も迷い、修正しながら作品を組み立てていたことが分かる。ここに素描を見る最大の意味がある。完成作品が画家の答えであるとすれば、素描は答えに到達するまでの思考である。
3.アングル
19世紀フランス素描を代表する存在の一人がアングルである。アングルにとって素描の中心は線であった。彼の肖像素描を見ると、驚くほど少ない輪郭線によって人物の顔、身体、衣服が表現されている。それにもかかわらず、その人物の性格、社会的立場、知性、緊張感まで伝わってくる。ここでは線は単なる輪郭ではない。一本の線が人物を成立させている。アングルの素描はたくさん描けばリアルになるという考え方とは正反対である。何を描かないかを決め、最も重要な線だけを残すことによって、対象の本質へ近づいていく。そのためアングルの肖像素描は、完成絵画の準備というより、それ自体が独立した芸術作品として高く評価されるようになった。
4.ドラクロワ
アングルと対照的なのがウジェーヌ・ドラクロワである。アングルの線が形態を確定するための線であるなら、ドラクロワの線は運動を捉える線である。馬、人間、動物、戦闘、異国の風景などを描いた素描では、対象を正確に輪郭で囲むことよりも、その瞬間の動きやエネルギーを捉えることが優先される。一本の線が次の線を呼び、紙の上で身体が動き始める。アングルとドラクロワの素描を比較すると、新古典主義とロマン主義の違いが極めて明確に理解できる。それは単なる様式の違いではない。世界を線によって固定するのか、それとも世界の運動を線によって捉えるのかという、見ることそのものの違いである。
5.想像力を描くロマン主義
19世紀になると素描は、目の前に存在するものを記録するだけではなく、芸術家の内面世界を表現する媒体となっていく。夢、幻想、恐怖、文学、歴史、宗教など、現実には存在しないイメージが紙の上に現れる。ここでは素描の速さが重要になる。油彩画では絵具を準備し、キャンバスを用意し、何日、何週間、場合によっては何か月もかけて作品を制作する。しかし鉛筆と紙ならば、頭に浮かんだイメージをその瞬間に記録することができる。素描は芸術家の想像力と紙との距離が最も短い芸術である。
6.クールベと写実主義
19世紀半ばになると、美術の対象が変化する。歴史、神話、宗教だけでなく、農民、労働者、普通の市民、身近な風景などが重要な主題となる。クールベをはじめとする写実主義の画家たちは、現実世界を芸術の対象として捉えた。素描においても、理想化された身体ではなく、現実の身体、現実の自然、現実の生活が重要になる。ここで素描は、芸術家の見る力を記録する媒体となる。何を美しいと考えるのかではなく、何を見る価値があると考えるのかという芸術家の判断が紙の上に現れる。
7.ドガ
19世紀後半に素描を最も根本的に追求した芸術家の一人がエドガー・ドガである。ドガは踊り子、浴女、競馬、女性の日常的な仕草などを繰り返し描いた。同じ身体を何度も描き、腕の角度、背中の曲がり方、脚の位置を研究する。ドガにとって素描は、一度見た対象を写すことではない。何度も見ることによって、最初には見えなかったものを発見する行為である。このためドガの素描には反復が多い。しかしそれは同じものを繰り返しているのではない。見るたびに対象を発見し直している。素描は見ることの訓練であるという19世紀的な考え方が、ドガにおいて一つの頂点へ達する。

プラット所蔵
8.素描とパステル
19世紀素描の特徴として、本書が扱う重要な領域がパステルである。パステルは線を引くこともできれば、紙面を色で覆うこともできる。そのため素描と絵画の中間に位置する独特の媒体となった。ドガ、ルドン、ルノワールなどによってパステルは高度な独立作品へ発展し、素描とは線で描くものという従来の定義を揺るがしていく。実際、オルセー美術館にはルノワールらの重要な19世紀パステルが収蔵されている。その多くは旧ルーヴル素描部門からオルセーへ移管された作品群に属している。ここから、19世紀後半には素描と絵画の境界が次第に曖昧になっていったことが分かる。
9.セザンヌ
セザンヌになると、素描の意味は更に変化する。彼は対象の外側に一本の輪郭線を引いて形を確定するのではなく、何度も線を重ねながら形を探していく。リンゴ、人物、山、樹木などが、一本の決定的な輪郭によって閉じられることはない。これは対象には絶対的な輪郭など存在しないという近代的な認識につながる。人間の眼は動きながら対象を見ている。したがって素描もまた、一つの固定された視点から対象を写すのではなく、見るという時間を紙の上に残す。この考え方はやがてピカソやキュビスムへつながっていく。
10線を描かないスーラの素描
19世紀素描の終着点の一つとして重要なのがジョルジュ・スーラである。スーラのコンテ素描では、人物の輪郭を明確な線で囲むという伝統的な方法が放棄される。黒いコンテをざらついた紙に擦り込み、暗闇と光の差によって人物や風景を浮かび上がらせる。人間は線によって存在するのではなく、光の中から現れる。ここまで来ると、ルネサンス以来の素描=線という概念が変わってしまう。アングルが一本の美しい輪郭線によって人物を成立させたのに対し、スーラは輪郭線を消すことによって人物を成立させる。この両者の間に19世紀フランス素描の巨大な変化が凝縮されている。
11.見る方法が変わった時代
本書を通して見ると、19世紀素描史とは単なる技法の歴史ではないことが分かる。ダヴィッドは構図を考え、アングルは線によって形を確定し、ドラクロワは運動を捉え、ドガは身体を繰り返し観察し、セザンヌは見ることそのものを疑い、スーラは光と闇によって対象を再構成した。同じ素描でありながら、その目的は百年間で大きく変化した。その変化の根底にあるのは、世界はどのように見えるのかという問題である。19世紀の画家たちは紙の上で、見るという行為を問い直した。
本書が言いたかったこと
19世紀フランス美術の革命は、巨大なキャンバスの上だけで起こったのではない。むしろ最も大胆な実験の多くは、一枚の紙の上で行われた。紙は安価であり、持ち運ぶことができ、すぐに描き始めることができる。失敗してもよく、途中でやめてもよい。その自由さゆえに、画家は完成作品では試すことのできない実験を紙の上で行うことができた。だから素描を見ると、完成作品以上に画家の個性が見える。アングルの線にはアングルの世界観があり、ドラクロワの速い筆致にはドラクロワの感情があり、ドガの反復には見ることへの執念があり、セザンヌの揺れる輪郭には視覚への疑問がある。19世紀を通して、素描は完成作品を作るための準備から、見ること、考えること、感じることを記録する独立した芸術へ変わった。そしてこの変化こそが20世紀美術への扉を開いた。ピカソ、マティス、ジャコメッティなど20世紀の芸術家が線を自由な表現として扱うことができた背景には、19世紀の画家たちが紙の上で行った百年間の実験が存在する。したがって本書が描いているのは19世紀の素描史であると同時に、近代美術はいかにして生まれたのかという物語である。
