Great Drawings from the Collection of the Royal Institute of British Architects
1983年刊
Jill Lever著
編者と英国王立建築家協会
英国王立建築家協会は1834年に創設された英国の建築家団体であり、長年にわたり建築図面、模型、写真、書籍、文書など膨大な建築資料を収集してきた。その素描コレクションにはイギリス建築家だけでなく、アンドレア・パッラーディオをはじめとするヨーロッパ建築史上重要な建築家の作品も含まれる。本書は、こうした巨大なコレクションから選ばれた作品を通して、建築家が何世紀にもわたり紙の上でどのように建物を考えてきたのかを示すものである。
本書を理解するうえで最も重要なのは、通常の美術素描集とは性格が異なることである。扱われているのは画家による人物素描や風景素描ではなく、主として建築家が建物を構想し、設計し、説明するために描いた建築素描である。編者のジル・レヴァーとマーガレット・リチャードソンは、英国王立建築家協会の建築素描・資料コレクションの整理、研究、公開に深く関わった研究者である。特にマーガレット・リチャードソンは後にサー・ジョン・ソーンズ美術館館長を務め、イギリス建築史と建築素描研究に大きな役割を果たした。序文を執筆したジョン・ハリス(John Frederick Harris, 1931-2022年)は、英国を代表する建築史家である。1956年に英国王立建築家協会の図書館・素描コレクションに入り、1960年から1986年まで素描コレクションのキュレーターを務めた。建築素描、カントリーハウス、パッラーディオ主義、建築保存史などを研究し、英国王立建築家協会の素描コレクションを単なる設計資料から美術史・建築史上の重要資料へと位置づける上で大きな役割を果たした。
本書の内容
1.まだ存在しない建物を描く芸術
本書の最大の魅力は、建築素描を単なる技術図面ではなく、独立した造形表現として見る点にある。絵画の素描では、画家は目の前にいる人物や風景を描くことが多い。しかし建築家が描くものは、多くの場合まだ存在していない。建物を建てる前に、その姿を紙の上に出現させる。平面図、立面図、断面図、透視図、スケッチなどを使いながら、建築家は頭の中にある空間を少しずつ可視化していく。建築素描とは、未来を紙の上に描く芸術である。本書はその歴史を、後期中世から20世紀までほぼ年代順に追っている。
2.建築家の手による最初の構想
本書の冒頭には、15世紀末頃の建築素描が置かれている。この時代には、今日のように建築家が大量の図面を描き、施工業者がそれを読み取って建物を建てるという設計制度はまだ確立していなかった。そのため現存する建築素描が少なく、一枚一枚が極めて貴重である。塔、装飾、柱頭などを描いた初期の素描を見ると、建築家が建物の形を紙の上で考え始めた瞬間を見ることができる。そこには完成した建築物とは異なる、不確実で生々しい構想の痕跡が残っている。
3.古代ローマを測り近代建築を作る
本書の初期を代表する存在がアンドレア・パッラーディオである。パッラーディオは16世紀イタリアを代表する建築家であり、古代ローマ建築を徹底して研究した。ローマの神殿、浴場、柱、柱頭などを実測し、それを紙の上に描く。ここで素描は単なる記録ではない。古代建築の比例や構造を分析し、そこから新しい建築を生み出すための研究手段となる。本書には、パッラーディオが1550年代初頭にローマのハドリアヌス神殿の柱頭を実測して描いた作品などが含まれることが研究資料から確認されている。古代を見る。測る。描く。そして自分の建築へ作り替える。この循環がパッラーディオ建築の根底にあり、本書は建築素描が知識を作るための道具であることを示している。

英国王立建築家協会所蔵

英国王立建築家協会所蔵
4.一本の図面が国境を越える
パッラーディオの思想は、後にイギリス建築へ巨大な影響を与えた。イニゴー・ジョーンズ、コーレン・キャンベル、ロード・バーリントンらによって、パッラーディオ建築は17-18世紀イギリスに移植される。本書では、この過程が建築素描を通して示される。ここで興味深いのは、建築の思想が文章だけではなく、図面によって伝達されたことである。柱の比例、ファサード、ポルティコ、平面構成などを描いた一枚の紙がイタリアからイギリスへ渡り、そこで新しい建築を生む。建築素描とは、建築思想を国境と時代を越えて伝える媒体でもあった。
5.紙の上で巨大建築を動かす
17世紀末から18世紀初頭のイギリス・バロックでは、建築素描は更に劇的になる。建築家たちは大きなドーム、柱列、階段、塔、宮殿などを紙の上に展開する。完成した建物では、石や煉瓦によってすべてが固定されている。しかし設計素描では建物はまだ動いている。塔を高くすることもでき、ドームを大きくすることもでき、入口を別の場所へ移すこともできる。図面の中では、建築はまだ可能性の状態にある。本書を見る面白さの一つは、われわれが実際に完成した建物ではなく、建てられる可能性があった別の建物を見ることができる点にある。
6.建築素描が理想を描く
18世紀イギリスではパッラーディオ主義が再び大きな力を持つ。ロード・バーリントンやウィリアム・ケントらは、古代ローマとルネサンス建築を理想として、新しい英国建築を作ろうとした。その際、建築素描は非常に重要な役割を果たした。実際の敷地条件や建築費から離れて、理想的な建築とは何かを紙の上で追究することができた。ここから建築素描には、実用的な設計図とは異なるもう一つの役割が生まれる。建てるために描くのではなく、建築について考えるために描くという役割である。
7.紙の上の巨大な幻想
18世紀後半になると、新古典主義建築の素描には壮大な幻想性が現れる。古代ローマを想像して描いた巨大建築、記念碑、宮殿、墓廟など、現実には建てられないほど巨大な建築が紙の上で構想される。建築素描が実際の建設を離れ、想像上の建築世界を作るようになった。ここでは建築家は画家に近づく。紙の上ならば、重力も建築費も施工技術も無視できる。建築家の想像力だけによって都市や宮殿を作ることができる。
8.建物と風景を一体として描く
18世紀末から19世紀初頭には、ピクチャレスクという考え方が建築と庭園に大きな影響を与える。建物だけを孤立して設計するのではなく、庭園、樹木、湖、丘、道路など周囲の風景と一体として考える。その結果、建築素描も変化する。単純な立面図ではなく、建物が風景の中にどのように見えるのかを水彩や透視図で描くようになる。設計図であると同時に、一枚の風景画としても成立する建築素描が生まれる。この時代になると、建築家と画家の境界は一段と曖昧になる。
9.過去を再発見する線
19世紀になると、中世ゴシック建築への関心が復活する。A・W・N・ピュージン、ジョージ・ギルバート・スコット、ウィリアム・バージェスらが代表的存在である。彼らは中世の教会、尖塔、ステンドグラス、装飾を研究し、それを近代建築として再生しようとした。この場合も素描は、過去を研究するための重要な媒体となる。細部を測り、装飾を描き、構造を理解する。そしてそこから新しいゴシック建築を作る。パッラーディオが古代ローマを描いてルネサンス建築を作ったように、19世紀の建築家は中世を描くことによって新しい建築を作った。
10.建築素描が巨大都市を描く
産業革命以降、建築の対象は急速に拡大する。教会や宮殿だけではなく、銀行、駅、商館、役所、博物館、学校など、新しい都市社会に必要な建築が次々に生まれる。本書は19世紀の建築世界がいかに多様化したかを示している。建築家はゴシック、古典主義、ルネサンス、異国趣味など様々な様式を組み合わせ、新しい都市の景観を作っていった。その試行錯誤が素描に残されている。完成した都市を見ると統一された歴史のように見えるが、図面を見ると、その背後に膨大な選択と競争があったことが分かる。
11.建築と暮らしの一体化
19世紀末のアーツ・アンド・クラフツ運動では、建築は単なる外観ではなく、人間の生活全体を設計するものとして考えられるようになる。C・F・A・ヴォイジーやエドウィン・ラッチェンズなどの作品では、住宅、家具、庭、室内装飾などが一つの世界として構想される。そのため建築素描も、建物の外観だけでなく、インテリア、家具、庭園などへ広がっていく。紙の上に生活を設計するという発想である。本書を通して見ると、建築素描が単なる建物の図面から、人間の暮らし全体を構想する媒体へ発展していったことが理解できる。
12.近代建築と新しい表現
本書の最後は20世紀建築へ至る。鉄、ガラス、コンクリートなど新しい材料が普及し、歴史様式から自由になった近代建築が登場する。それに伴い建築素描も変化する。伝統的な水彩透視図だけではなく、より抽象的なスケッチや構成図が使われるようになる。本書が20世紀で終わることには象徴的な意味がある。15世紀末には、建築家は紙の上で塔や柱を描いていた。20世紀には、同じ紙の上で近代都市、発電所、住宅、新しい空間を考える。技術は変わっても、まだ存在しない建築を紙の上に作るという根本的な行為は変わらない。
13.完成しなかった建築を見る面白さ
建築素描の最大の魅力の一つは、実現しなかった建物を見ることができる点にある。建築史では通常、実際に建った建物だけが語られる。しかし建築家は一つの建物を完成させるまでに、何十、何百という案を描く。そのほとんどは建てられない。塔が高すぎた。予算が合わなかった。施主が別案を選んだ。コンペで敗れた。しかしその建築は、紙の上には存在している。本書はこうした建てられなかった建築も建築史の重要な一部であることを教えてくれる。
14.建築素描を美術作品として見る
本書は建築図面を優れたドローイングとして評価している。ペンとインク、水彩、セピア、鉛筆などを用いた建築素描には、純粋な美術作品と同じように、線の美しさ、色彩、構図、空間、リズムがある。建物が完成したかどうかとは別に、一枚の紙作品として美しい。本書は建築図面を資料として読むと同時に、美術作品として見ている。
本書が言いたかったこと
建築は石や煉瓦やコンクリートから始まるのではない。建築の最初の姿は、多くの場合、一枚の紙の上の線である。建築家が一本の線を引く。その線が壁になり、柱になり、階段になり、屋根になり、やがて実際の建物となる。建築素描は完成した建築の影ではない。建築が存在する以前の、最初の建築である。そして紙の上では、現実よりも建築家は自由である。巨大すぎる宮殿も描ける。実現不可能な記念碑も描ける。建たなかったコンペ案も残る。建築家の理想や夢は、実際の建物以上に素描へ純粋に現れる。その意味で建築素描を見ることは、完成した建物を見ることとは全く異なる。完成建築を見ると何が建ったかが分かる。素描を見ると何を建てようと考えたのかが分かる。この違いこそが、本書の核心である。パッラーディオからヴィクトリア朝、アーツ・アンド・クラフツ、近代建築まで、建築家は時代ごとに異なる建物を作ってきた。しかしその根底には常に、まだ存在しない空間を頭の中に思い描き、それを紙の上に線として出現させるという行為があった。したがって本書は単なる美しい建築図面集ではない。建築とはまず想像することであり、描くことであり、その後に初めて建てるのである。本書は建築創造の本質を素描の歴史から示した本である。
