現状の総括
1.政治的勝利につながらない戦争
現在(2026年8月3日現在)米国・イラン戦争は、米国が個々の戦闘では優勢でありながら、戦争全体を望ましい政治的結末へ導けていない典型的な状態にある。米国はイランの核施設、ミサイル関連施設、革命防衛隊の拠点などを攻撃し、大きな物理的損害を与える能力を持つ。しかし、施設を破壊することと、イランに核開発を恒久的に断念させること、現体制を倒して親米的な政権を成立させることは、まったく異なる課題である。開戦時には、核兵器取得の阻止に加え、イランの軍事力と地域的影響力を破壊し、国内の反体制運動を刺激して体制変動を促すという期待が、米国政府やその支持者の発言に混在していた。しかし現在、米国政府が公に強調する目標は、イランの核兵器取得阻止とホルムズ海峡の航行回復へと狭まりつつある。これは、体制転覆が短期間の空爆では実現できず、むしろ戦争の拡大と長期占領を必要とすることが明らかになったためである。米国人の69%が政府から戦争目的を明確に説明されていないと感じ、戦争支持も約3分の1に低下していることは、目標が曖昧になっている現状を示している。イランの政治体制は、最高指導者だけで支えられている訳ではない。革命防衛隊、正規軍、治安機関、宗教財団、地方行政、国営企業などが相互に結びついた複合的な権力構造である。指導者や軍司令官を殺害しても、直ちに国家機構が崩壊するとは限らない。更に、外国から大規模な攻撃を受ければ、体制に不満を持つ国民の一部までが、政府支持ではなく祖国防衛という理由から外敵に抵抗する可能性がある。米国が地上軍を投入して政権を倒そうとすれば、イラク戦争をはるかに上回る規模の占領統治が必要となり、現在の米国政治がそれを受け入れる可能性は極めて低い。
2.核武装の動機を強める逆説
この戦争の最大の逆説は、イランの核能力を物理的に後退させても、核兵器を必要とするという政治的動機をかえって強めている可能性があることである。IAEAが確認していたイランの濃縮ウラン在庫には、60%まで濃縮されたウラン440㎏が含まれていた。軍事攻撃後には施設、核物質、遠心分離機、技術者の所在について不確実性が増し、国際査察による全体像の把握も困難になっている。核施設への攻撃は、遠心分離機、電力設備、地下施設などを破壊し、核開発の日程を遅らせることはできる。しかし、濃縮技術、設計情報、技術者集団、地下ネットワークまで完全に消滅させることはできない。しかも、イラン指導部から見れば、核兵器を持たない段階で攻撃されたという経験は、核兵器を放棄すれば安全になるのではなく、核兵器を完成させなければ何度でも攻撃されるという教訓を強く得た。核能力を低下させる一方、核武装の誘因を過去最大級に高めた。したがって、米国が完全、検証可能かつ不可逆的な核放棄を要求し続ければ、イランはそれを軍縮交渉ではなく、体制を無防備にするための降伏要求と受け取るだろう。核問題を解決するためには、遠心分離機の数だけでなく、イランが核兵器を必要としないと判断できる安全保障環境をつくらなければならない。
3.米国に欠けている政治的継戦能力
米国が継戦能力に欠けるという表現には、一定の修正が必要である。米国には巨大な経済力、世界規模の兵站網、空母、長距離爆撃機、潜水艦、精密誘導兵器を継続投入する物質的能力がある。純粋な軍事・経済能力だけを比べれば、イランを圧倒している。しかし、米国の弱点は、限定された政治目的のために長期間、人的損失、原油高、財政負担、同盟国への攻撃を受け入れ続ける国内政治上の能力である。米兵の死亡者が出ていることに加え、2026年7月末の調査では戦争支持は約3分の1にとどまり、多くの国民が目的を理解していない。更に、66%が、すべての目標を達成できなくても早期に戦争を終えるべきだと答えている。民主国家が犠牲に耐えられないというよりも、達成可能な目的と明確な出口が示されていない戦争には耐えにくい。第二次世界大戦のように国家の存亡に関わる戦争であれば、米国社会も大きな犠牲を受け入れる。しかし、イランの体制転覆や核知識の完全消去といった達成困難な目的のために犠牲が増えれば、政権への支持は急速に失われる。一方、イランには米国と同じ意味での持続的な経済力や軍事力があるわけではない。制空権や通常兵器の正面対決では不利であり、インフラと市民生活への損害も極めて大きい。それでも、ミサイル、無人機、小型艇、機雷、サイバー攻撃、国外の武装組織などを組み合わせ、戦争の費用を米国と周辺諸国に転嫁する能力を残している。イランの勝利条件は米軍を撃破することではなく、体制を維持し、抵抗を継続し、米国に戦争目的を断念させることである。その意味では、イランは勝てなくても、容易には負けない戦略を採ることができる。
4.ホルムズ海峡のイラン拒否能力
ホルムズ海峡をめぐる状況も、米国の軍事的優勢と戦略的限界を象徴している。米国海軍は護衛艦隊を投入し、特定の船団を通過させることはできる。米国防総省も、護衛された米国商船と駆逐艦が海峡を通過したと発表している。しかし、海峡が開いているとは、数隻の船を軍艦が護衛して通過させることではない。多数の商船が通常の保険料と運賃で、恒常的かつ予測可能に航行できて初めて、自由航行が回復したといえる。2026年7月末のホルムズ海峡では、商品を運ぶ船舶の通過が一日わずか6隻程度にとどまる日もあり、通常の商業航行からは大きく低下していた。ここで証明されたのは、イランが海峡を物理的に完全封鎖し続けられることではなく、ミサイル、無人機、機雷、小型艇、臨検、船舶攻撃の可能性を組み合わせ、民間船会社と保険会社に航行を断念させる拒否能力を持っていることである。米軍は海上交通路を一時的に確保できても、すべてのタンカーを無期限に護衛し、沿岸全域からの攻撃を完全に防ぐことは困難である。また、イラン自身もホルムズ海峡から石油を輸出するため、完全封鎖を長期間続ければ自国経済を傷つける。したがって、イランが望んでいるのは必ずしも恒久的な全面封鎖ではなく、誰が、どの航路を、どの条件で通過できるかを左右する政治的支配力である。実際、過去の暫定合意でもイランは一定期間の通航を認めながら、通航船舶と航路を管理する権限は保持すると主張していた。
米国がとるべき方策
1.放棄すべき体制転覆という幻想
停戦への第一歩は、米国が体制転覆を目的としないことを明確に宣言することである。これはイラン体制を支持することでも、人権問題を無視することでもない。軍事行動によって政権を崩壊させる意図がないと保証しなければ、イラン側は停戦を再攻撃への準備期間と判断し、核武装とミサイル増強を急ぐからである。米国はイランの政治体制を決めるのはイラン国民であり、米国の軍事目的は政権交代ではないと公式に表明すべきである。そのうえで、最高指導部や政府中枢を狙う攻撃を停止し、イランも米軍基地、湾岸諸国、民間船舶への攻撃を停止する相互措置へ移る必要がある。体制転覆という目標を残したまま核放棄を要求すれば、イランにとって核兵器は体制存続の最後の保険になる。反対に、体制の存続を交渉対象から外せば、核兵器を持たずに安全を確保する選択肢を提示できる。
2.一括合意でなく段階的停戦
現在の米国とイランの間には、核問題、ホルムズ海峡、米軍基地への攻撃、イランへの経済制裁、弾道ミサイル、親イラン武装組織、イスラエルの安全保障など、あまりにも多くの問題が存在する。これらすべてを一度に解決しようとすれば、交渉は必ず破綻する。したがって、停戦は段階的に進めなければならない。第一段階では、米国とイスラエルによるイラン本土への攻撃、イランによる米軍基地と民間船舶への攻撃を同時に停止する。ホルムズ海峡については、イランの主権を否定する象徴的要求を避け、すべての民間船舶の無差別通航、安全航路の設定、機雷敷設の禁止、攻撃発生時の共同調査を暫定的に合意する。
第二段階では、IAEA査察官の復帰、核物質在庫の再確認、60%濃縮の停止を実施する。その見返りとして、米国は一定量のイラン原油輸出を認め、凍結資産の一部を医薬品、食料、民生インフラに限定して解除する。核施設の全面解体を最初から条件にするのではなく、核兵器化までの時間を延ばし、監視可能性を回復することを優先すべきである。
第三段階では、イランの濃縮活動を低濃縮の民生利用に限定し、濃縮ウランの国外搬出または国際管理、遠心分離機の上限、長期査察を合意する。その代わり、米国は段階的な制裁解除と再攻撃しないという安全保障上の保証を与える。
3.交渉を壊さないための保証と仲介
過去の暫定停戦が崩壊した最大の理由は、双方が相手の約束を信用せず、小さな事件が直ちに報復の連鎖へ発展したことである。2026年6月から7月にかけても、合意と交渉の動きがありながら、船舶攻撃と報復空爆によって停戦が崩れた。したがって、米国とイランだけの口約束では足りない。オマーン、カタール、サウジアラビア、トルコなどを仲介国とし、国連とIAEAを加えた履行監視の仕組が必要である。特に、海上で船舶が攻撃された際、直ちに相手国の犯行と断定せず、第三者調査が完了するまで報復を停止する事故管理条項を設けるべきである。また、イスラエル、イラクの武装組織、イエメンのフーシ派など、米国とイランが完全には統制できない主体による攻撃も想定しなければならない。第三者の攻撃を口実に米国とイランが全面戦争を再開しないよう、攻撃主体の特定と責任範囲を明確にする必要がある。
4.双方に勝利の物語が必要
現実の終戦交渉では、相手を完全に屈服させることよりも、双方が国内向けに一定の成果を説明できることが重要である。米国は、イランの60%濃縮停止、IAEA査察の復活、核物質の管理、ホルムズ海峡の民間航行回復を成果として示すことができる。これにより核兵器取得を防ぎ、国際航路を回復したと説明できる。イランは、体制存続、民生用濃縮権の限定的維持、米国による体制転覆の否定、制裁の段階的解除、米軍による攻撃停止を成果として示すことができる。これにより米国の攻撃に耐え、国家主権と核技術を守ったと説明できる。このような相互に異なる勝利の物語を認めることは、欺瞞ではない。戦争を終わらせるための政治的技術である。米国がイランの無条件降伏だけを勝利と定義し、イランが米軍の中東からの全面撤退だけを勝利と定義すれば、戦争は終わらない。
終わらせ方を誤れば負ける戦争
米国はイラン軍を通常戦力で圧倒できるが、空爆だけで核技術を消去し、体制を転覆し、巨大な国家を服従させることはできない。イランも米国を軍事的に打ち破ることはできないが、ミサイル、無人機、海峡封鎖能力、地域の武装組織を通じて、戦争の費用を長期化させることができる。したがって、現在の戦争は、米国が勝ち、イランが負けるという単純な構図ではない。米国は戦場では優勢でありながら、目的を拡大し続ければ戦略的に敗北する可能性がある。イランも体制を維持すれば政治的敗北を回避できるが、戦争が長期化すれば国家経済と国民生活が破壊される。米国が取るべき最も現実的な道は、体制転覆と核能力の完全消去を放棄し、核兵器を製造させないこと、核活動を監視可能にすること、ホルムズ海峡の通常航行を回復すること、米軍と同盟国への攻撃を止めることに目的を限定することである。その代わりに、イランの体制存続と限定的な民生用核活動を事実上認め、段階的な制裁解除を提示する。これは理想的な勝利ではない。しかし、米国が更なる人的損失と世界経済の混乱を避け、イランの核武装を実際に抑制できる唯一の現実的な終戦策である。戦争の成功とは、敵をどれほど破壊したかではなく、戦後に開戦前より安全な状態をつくれたかによって判断されるべきである。
米国の戦略転換と新たな構図(付記)
1.湾岸基地の脆弱性と米軍再配置の可能性
今回の米国とイランの戦争では、バーレーン、クウェート、カタール、サウジアラビアなど湾岸諸国に展開する米軍基地が、イランの弾道ミサイルや無人機による継続的な攻撃に晒され、従来想定されていた以上に脆弱であることが明らかになった。米軍は迎撃能力において依然として世界最高水準を維持しているものの、すべての攻撃を完全に防ぐことはできず、基地の運用や兵站活動に継続的な負担が生じている。この経験は、冷戦後に構築されてきた湾岸前方展開型の軍事体制を見直す契機となっている。こうした状況を受け、米国防総省や米中央軍では、湾岸地域の基地配置を再検討する動きが報じられている。その中では、指揮機能や航空戦力の一部をより安全な地域へ分散配置する案が検討されており、その候補の一つとしてイスラエルが取り上げられている。実際には、固定された大規模基地への依存を減らし、部隊を分散させる分散配置と機能移転が主眼であると考えられる。
2.イスラエルは湾岸基地を一部移転
最っとも、イスラエルは湾岸基地の完全な代替とはなり得ない。米海軍第五艦隊の最大の任務は、ホルムズ海峡からペルシャ湾に至る海上交通路を維持することであり、そのためにはバーレーンやカタールなど湾岸諸国に近接した港湾や航空基地が依然として不可欠である。イスラエルへ主要部隊を全面移転すれば、ホルムズ海峡までの距離が大きく伸び、迅速な対応能力は低下する。そのため、現実的には湾岸に必要最小限の前方展開部隊を残しながら、司令部機能や一部航空戦力をイスラエルなど後方へ分散する体制が有力視されている。
3.米国は中東政策の転換を模索
より重要なのは、今回の戦争を契機として、米国が中東全体における戦略を転換しようとしている可能性である。米国は近年、アフガニスタンから撤退し、イラクやシリアでも駐留規模を縮小してきた。その背景には、中国との戦略競争を最優先課題と位置付け、中東への軍事的関与を相対的に縮小しようとする大きな国家戦略が存在する。この観点から見ると、米国はイランとの直接対決から徐々に距離を置き、地域の安全保障を中東諸国自身により多く担わせようとする可能性がある。国際政治学では、このような考え方はオフショア・バランシングと呼ばれ、米軍自身が最前線で恒常的に対峙するのではなく、地域同盟国を支援しながら後方から均衡を維持する戦略として知られている。
4.サウジアラビアを中心とした地域秩序へ
その中で最も重要な役割を担うと考えられるのが、スンニ派最大の大国であるサウジアラビアである。サウジアラビアは経済力、外交力、湾岸協力会議(GCC)における影響力を持ち、米国とも長年にわたり安全保障協力を維持してきた。そのため、米国が第一線から一歩退き、サウジアラビアを中心とする湾岸諸国が地域の安全保障をより主体的に担う構図へ移行する可能性は十分考えられる。しかし、それはサウジアラビアが米国に代わってイランと全面戦争を行うことを意味するものではない。サウジアラビア自身もビジョン2030やNEOM計画など国家の経済改革を最優先課題としており、イランとの全面戦争は避けたいと考えている。実際、近年は中国の仲介によるイランとの国交正常化など、対立管理を重視する外交も展開している。湾岸諸国は、今回の戦争でも軍事的緊張の拡大を望まず、米国に対しても事態のエスカレーションを避けるよう働きかけている。
5.米国は前面の当事者から後方へ
今後最も現実味のあるシナリオは、米軍が湾岸における大規模な固定基地への依存を減らし、基地を分散・小規模化するとともに、一部の指揮機能をイスラエルなど比較的安全な地域へ移すことである。そして、中東の安全保障については、サウジアラビアを中心とする湾岸諸国とイスラエルが第一線の抑止力を担い、米国は情報、ミサイル防衛、航空・海軍戦力などを通じて後方から支援する体制へ徐々に移行する可能性が高い。このような戦略は、中東からの完全撤退を意味するものではない。また、イランとの対立を放棄することでもない。むしろ、米国自身が前面で直接イランと対峙する時代から、地域諸国が主体となる安全保障体制を支援する立場へと役割を変えることで、中国との競争を含む世界全体の戦略資源を再配分しようとする試みと位置付けることができる。最も、この方向性が実際に定着するかどうかは、今後の戦況、イランの行動、そして湾岸諸国自身がどこまで防衛能力と政治的責任を引き受ける意思を示すかに大きく左右されるであろう。
ミサイル戦と迎撃能力の限界(付記)
1.迎撃ミサイル不足
現在の米国イスラエル・イラン戦争では、従来の航空優勢や精密攻撃能力だけでは勝敗を決められず、迎撃ミサイルの備蓄と生産能力が戦略上の重要な要素となりつつある。イスラエルはアロー2・アロー3、ダビデ・スリング、アイアンドームから成る多層防空網を運用し、米国もTHAADやパトリオットなどを投入してこれを支援している。しかし、弾道ミサイル迎撃用ミサイルは極めて高価であり、生産にも長い時間を要するため、大量かつ継続的な攻撃を想定した備蓄には限界がある。近年では、米軍とイスラエル軍の迎撃ミサイル在庫が大きく減少しているとの分析が相次ぎ、米国政府も迎撃ミサイル関連部品の生産能力拡大を急ぐなど、補充体制の強化に乗り出している。
2.イランは攻撃側として有利な立場
これに対し、イランは迎撃側ではなく攻撃側であるため、防空用ミサイルを大量に消耗する必要がない。地下施設や分散配置された発射拠点を利用しながら弾道ミサイルを保有・生産し、必要に応じて攻撃を継続できるという構造的な利点を持っている。そのため、長期戦となれば、防御側であるイスラエルと米国の迎撃能力を徐々に消耗させる戦略が成立し得る。ただし、イランも空爆によって発射施設や製造拠点に損害を受けており、ミサイルを無制限に生産・発射できる訳ではない。イランも発射ペースを調整しながら備蓄を管理していると考えられる。
3.コスト交換比は防御側に不利
今回の戦争で浮き彫りになったのは、コスト交換比の問題である。迎撃ミサイルは攻撃ミサイルより高価な場合が多く、迎撃成功率を高めるために一つの目標へ複数発の迎撃ミサイルを発射することも珍しくない。その結果、攻撃側が多数の弾道ミサイルや無人機を継続的に投入すれば、防御側は迎撃ミサイルを急速に消耗することになる。この現象はロシア・ウクライナ戦争や紅海でのフーシ派による攻撃でも確認されており、防空戦全般に共通する課題となっている。
4.イスラエルは国家存亡の危機か
一部では、イスラエルは迎撃ミサイルの不足によって国家滅亡の危機に直面しているとの見方も示されている。確かにイスラエルは国土が狭く、人口、政府機関、産業施設が集中しているため、多数の弾道ミサイルが防空網を突破すれば甚大な被害を受ける可能性がある。その意味で、防空能力は国家存続に直結する重要な要素である。しかし一方で、イスラエルは多層防空システムに加え、地下指揮施設、充実した民間シェルター、高度な情報・監視能力、そして米軍との共同防衛体制を備えている。迎撃ミサイルの備蓄が減少している可能性は高いものの、防空能力が崩壊し、直ちに国家存亡の危機へ直結していると現時点では判断できない。問題は、防空網を長期間維持できるかどうかという継戦能力にある。
5.米国も弾薬戦争という現実に直面
今回の戦争は、米国にとっても重要な教訓を与えている。ロシア・ウクライナ戦争では砲弾不足が注目されたが、イラン戦争では迎撃ミサイルや長距離精密兵器の備蓄が新たな戦略資源となった。米軍はイラン戦争においてTHAADやパトリオット、長距離精密兵器を大量に投入し、その結果として在庫の減少が懸念されている。これを受けて米国は、防空ミサイルや精密誘導兵器の生産能力を大幅に強化する政策へ転換しつつある。従来のように高性能兵器だけを重視するのではなく、長期間戦い続けられる生産力が国家戦略上の重要課題となっている。
6.勝敗を左右する迎撃能力の持続性
現在の戦況から判断すれば、イスラエルと米国が迎撃ミサイル不足という現実の制約に直面していることは確かである。しかし、それをもってイランがミサイル戦で決定的優位を確立した、あるいはイスラエルが国家滅亡の危機に瀕していると断定することはできない。一方で、今回の戦争は、現代戦において航空優勢や精密攻撃能力だけでは十分ではなく、防空ミサイルをどれだけ生産し、備蓄し、長期間維持できるかが戦略上の決定的要素になりつつあることを明らかにした。今後の中東における軍事バランスは、攻撃能力と同様に、防空能力の持続性と軍需生産力によって左右される時代へ移行しつつあると考えられる。
淡水化プラントが左右する戦争(付記)
1.水インフラは湾岸諸国最大の戦略的弱点
中東における米国・イラン戦争を考える際、石油施設への攻撃ばかりが注目されがちである。しかし、実際には湾岸諸国にとって更に深刻な戦略的脆弱性は海水淡水化プラントにある。サウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタール、クウェート、バーレーンなどの湾岸産油国では、生活用水や工業用水の大部分を海水淡水化設備に依存している。国によって割合は異なるものの、湾岸諸国全体として世界最大級の海水淡水化能力を有し、都市機能や産業活動はこれらの施設なしには維持できない。したがって、海水淡水化プラントは石油施設以上に国家機能を支える基幹インフラであり、その防護は国家安全保障の根幹を成している。
2.海水淡水化施設への攻撃
仮にイランが本格的に海水淡水化プラントを攻撃した場合、その影響は石油施設への攻撃とは質的に異なる。石油施設は生産停止による経済的損失が中心となるが、水供給施設が破壊されれば、都市生活、医療、発電、工業、港湾機能など社会全体が短期間で深刻な影響を受けることは自明である。特に人口が集中する湾岸都市では、飲料水の供給停止は国家機能を揺るがす事態へ発展する。最も、湾岸諸国もこうした脆弱性を認識しており、近年は施設の分散化、地下設備の導入、送水網の多重化、大規模貯水施設の整備などを進めてはいる。そのため、直ちに国家全体が機能停止すると断定することはできないが、水インフラへの大規模かつ継続的な攻撃が極めて重大な安全保障上の脅威であることに反論の余地はない。
3.イランが脅威を与える能力
この観点から見ると、イランの最大の強みは、米軍を通常戦力で打ち破ることではなく、湾岸諸国の重要インフラに重大な損害を与え得る能力を保持している点にある。弾道ミサイル、巡航ミサイル、無人機を組み合わせれば、石油施設だけでなく発電所、海水淡水化プラント、港湾などを同時に狙う能力を一定程度有していると考えられる。海水淡水化プラントへの攻撃は、湾岸諸国に甚大な被害を与える一方で、サウジアラビアやUAEなどとの全面対立を招き、国際社会から極めて強い非難を受ける可能性が高い。また、イラン自身も湾岸地域を通じた貿易やエネルギー輸出に依存しており、全面的なインフラ破壊は自国にも深刻な経済的打撃を及ぼす。このため、海水淡水化プラントへの攻撃能力は、実際に行使するためというよりも、相手の軍事行動を抑制するための戦略的抑止力としての意味合いが大きい。
4.米国軍事的エスカレーションの制約
こうした状況は、米国の軍事行動にも大きな制約を与える。米国は軍事力では依然として圧倒的優位に立つものの、攻撃をエスカレートさせることでイランが湾岸インフラへの本格攻撃に踏み切れば、世界経済全体に極めて深刻な影響が及ぶ。石油価格の急騰だけではなく、水供給の停止による湾岸諸国の社会不安、港湾機能の混乱、物流網の停滞などが連鎖的に発生する可能性がある。したがって、米国にとって重要なのは、軍事的勝利そのものではなく、イランがこうした戦略インフラ攻撃の段階へ踏み込まないよう抑止することである。この意味では、軍事力だけでなく、エスカレーション管理が戦略の中心課題となる。
5.海水淡水化プラントの死守と終戦
戦争を終結へ導く上では、海水淡水化プラントをはじめとする民生インフラを交戦対象から除外することが重要である。石油施設、発電所、送電網、水供給施設、港湾など、一般市民の生活を支える施設への攻撃を双方が停止することは、停戦交渉における最優先課題となり得る。そのためには、湾岸諸国自身が停戦仲介に積極的な役割を果たすことが重要である。サウジアラビア、UAE、カタール、オマーンなどは、自国の水インフラを守るという共通利益を持つため、米国とイラン双方に対し、インフラ攻撃の自制を求める強い動機を有している。これらの国々が仲介役となり、海水淡水化施設を含む重要民生インフラを非攻撃対象とする枠組を構築することは、停戦への第一歩となる可能性がある。
石油だけでなく水の戦争
今回の米国・イラン戦争は、従来のような石油をめぐる戦争という側面に加え、水資源をめぐる戦略的重要性を改めて浮き彫りにした。湾岸諸国にとって海水淡水化プラントは国家存続を支える生命線であり、その安全が失われれば社会機能全体が深刻な危機に直面する。最も、海水淡水化プラントへの攻撃は、イラン自身にとっても湾岸諸国や国際社会との全面対立を招く極めて高リスクな選択肢であり、強力な抑止力である一方で、実際に行使するには大きな政治的・戦略的代償を伴う。したがって、戦争終結への現実的な道筋は、海水淡水化プラントを含む民生インフラを交戦対象から明確に除外し、湾岸諸国を仲介役としたエスカレーション管理の仕組を構築することである。中東の安定は、石油施設を守るだけでは実現できず、人々の生活を支える水の安全保障を確保して初めて持続的な和平へ近づくことができる。米国に湾岸諸国の人命を守るための勇気ある停戦が切に望まれる。
