ロダン 創造の実験室

Rodin
The Laboratory of Creation
2014年刊
Chevillot/Marraud/Pinet著

著者とロダンの経歴

カトリーヌ・シュヴィヨは、19世紀後半から20世紀初頭のフランス彫刻を専門とする美術史家であり、フランス文化財総監を務めた人物である。グルノーブル美術館などで勤務した後、2012年にロダン美術館館長に就任し、パリのオテル・ビロンとムードンのロダン旧居・工房の再整備、研究活動、作品保存、国際展覧会を指揮した。本書刊行時にはロダン美術館館長として、ロダンの工房を完成作品の保管場所ではなく、造形上の発見が繰り返された実験空間として再評価した。

エレーヌ・マローは、ロダン美術館において彫刻作品を担当した学芸員・保存研究者である。ロダンの石膏、テラコッタ、粘土原型、型、組み立て作品などを調査し、完成したブロンズ像だけでは理解できない制作の各段階を研究してきた。本展では彫刻部門の担当者として、作品の接合、切断、再利用、拡大、縮小など、ロダン独特の造形操作を具体的な資料によって示す役割を担った。

エレーヌ・ピネは、ロダン美術館の研究、資料、図書館、写真コレクションを長く担当してきた美術史家である。ロダンと写真、ロダンの手の彫刻、カミーユ・クローデルなどに関する著作を発表し、彫刻作品だけでなく、写真が制作、記録、広報、作品解釈に果たした役割を研究してきた。本書では、工房写真、作品写真、作家自身が選択・修整した写真資料を用いて、ロダンが自作をどのように観察し、変更し、世間へ提示したかを明らかにしている。ロダン美術館にはロダンの作品、文書、写真を含む膨大な視覚資料が保存されており、写真は工房の変化と制作過程を知る重要な史料となっている。

オーギュスト・ロダン(本名フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン1840–1917年)は、フランス近代彫刻を代表する芸術家である。当初は装飾彫刻家として建築装飾や工芸的制作に従事し、ベルギーではアルベール=エルネスト・カリエ=ベルーズの工房にも関わった。1875年から翌年にかけてイタリアを旅行し、ミケランジェロの彫刻から強い影響を受けた。帰国後に発表した青銅時代によってロダンの名は広まり、1880年には装飾美術館の入口として地獄の門の制作を国家から依頼された。地獄の門は最終的に完成しなかったが、考える人、接吻、三つの影、ウゴリーノなど多数の作品を生み出す母体となった。その後、カレーの市民、バルザック記念像、歩く人をはじめ、肖像、記念碑、裸体像、断片彫刻を制作し、人体の表面、運動、未完成、断片、反復を近代彫刻の主要な表現手段へと変えた。晩年のロダンはパリ郊外ムードンの邸宅ヴィラ・デ・ブリヤンを大規模な工房として使用し、多くの助手、鋳造職人、石工、型取り職人とともに制作した。彼は自らの作品、素描、写真、古代美術コレクションなどをフランス国家へ寄贈し、それを基礎として1919年にロダン美術館が開館した。ムードンの工房には現在も大型石膏像や制作資料が保存され、ロダンの創造過程を知る重要な場所となっている。

ロダン接吻
接吻
ロダン

本書の内容

1.完成作品ではなく制作過程を見る

本書の最大の特色は、考える人、接吻、カレーの市民といった完成した代表作を鑑賞するだけではなく、それらが生まれる以前の粘土、石膏、テラコッタ、型、断片、試作を研究対象とする点にある。一般に彫刻は、完成した大理石像やブロンズ像を中心に評価される。しかしロダンの創造性は、最終的な材質へ移される前の石膏段階に最も明瞭に現れる。石膏は複製のための中間材料であると同時に、切断、接合、拡大、縮小、反転、反復を自由に試すことのできる実験材料であった。本書は、完成作品を創造の終点と考える見方を退ける。ロダンにとって作品は固定された一つの形ではなく、変形や再解釈を繰り返しながら、別の作品へ発展する可能性を持つ可変的な存在であった。

2.工房という創造の実験室

本書のタイトルにある実験室とは、比喩であると同時に、ロダンの工房の実態を正確に表す言葉である。工房には無数の頭部、腕、手、脚、胴体、小像、大型石膏、型が保存されていた。ロダンはそれらを完成済みの過去作品として整理するのではなく、新しい作品の素材として利用した。身体の一部を別の胴体へ接合し、同じ人物像を異なる方向に配置し、あるいは一つの小像を巨大化して新たな意味を与えた。したがって、ロダンの工房は作品を順番に完成させる職人の作業場ではなかった。それは人体の組み合わせと空間的効果を検証し続ける場所であり、今日の造形研究所や試作工房に近い性格を持っていた。

3.粘土から石膏へ

ロダンはモデルを前にして、まず粘土を用いて迅速に形を作った。粘土は指や道具の動きを直接受け止めるため、人体の姿勢、筋肉の緊張、表面の起伏を生々しく記録できる。しかし粘土は乾燥や崩壊に弱く、長期保存には向かない。そのため作品は型を取られ、石膏へ移された。石膏化された像は単なる保存用の複製ではなく、そこから新たな加工を始めるための原型となった。本書は、粘土から石膏へ移る過程で、形態が固定されるのではなく、むしろ次の創作段階が始まることを示す。石膏像には鉛筆や木炭による線、番号、切断位置、接合の印、拡大指示が残されており、それらはロダンの思考の痕跡である。

4.切断と接合による新しい身体

ロダンは人体像を完成した不可分の全体とは考えなかった。腕、脚、頭、胴体を切り離し、それぞれを独立した造形単位として保存した。本書では、これらの断片を別の身体へ接合するアサンブラージュが詳しく検討される。同じ胴体であっても、腕の位置、頭部の方向、脚の組み合わせが変われば、姿勢と感情はまったく異なるものになる。この方法によって、ロダンは一つのモデルから複数の作品を生み出した。身体を分解することは人体を破壊することではなく、そこに潜む新しい運動と感情を発見することであった。

5.断片を完成作品へ変える

古代彫刻の多くは、長い時間の中で腕や脚を失った断片として発見された。ロダンはそうした古代彫刻を収集し、断片であっても完全な美を持ち得ることを学んだ。本書は、ロダンが頭部のない胴体、腕のない人物、歩く脚だけの像を、未完成品ではなく独立した彫刻として提示した過程を説明する。歩く人は頭部も腕も持たないが、脚と胴体の運動だけによって前進する生命力を表している。ここでは、身体の欠如が作品の弱点ではなくなる。欠けた部分は鑑賞者の想像力によって補われ、断片はかえって身体の運動や量感を強く意識させる。

6.反復と差異

ロダンは同じ人物像や身体部分を何度も複製し、別の作品の中で再使用した。近代以降の芸術観では、反復は独創性に欠けるものと見なされることがある。しかし本書は、ロダンにとって反復が創造の主要な方法であったことを示す。同じ像を二体、三体と並べ、向きを変え、高さを変え、異なる台座へ置くことで、新しいリズムや意味が生まれる。三つの影では、基本的に同じ人物像が三度反復されることによって、単独像にはない集団的な悲劇性と圧迫感が生み出される。反復とは同一物の機械的複製ではない。配置、縮尺、光、周囲の像との関係を変えることで、同じ形から異なる感情を引き出す実験である。

7.拡大と縮小による意味の変化

ロダンの工房では、機械的な拡大装置を用いて小さな石膏像を巨大な記念碑へ拡大した。助手たちは計測点を基準として形を移したが、ロダンは拡大後の作品を確認し、表面や輪郭を修正した。本書が注目するのは、拡大が単なるサイズ変更ではない点である。小さな習作では親密に見えた姿勢も、巨大化されると記念碑的な力や威圧感を持つ。逆に大型像を縮小すれば、個人的に鑑賞できる小作品となる。縮尺を変えることは、作品と鑑賞者との身体的関係を変え、同じ形態に異なる心理的意味を与える。

8.地獄の門という巨大な作品倉庫

地獄の門は、本書においてロダンの創作方法を最もよく示す作品として扱われる。1880年に注文されたこの大作は、ダンテの神曲地獄篇から出発したが、ロダンは構成を何度も変更し、人物像を追加し、取り外し、別の位置へ移した。そこから考える人、接吻、三つの影、ウゴリーノなどが独立した作品として発展した。したがって、地獄の門は一つの完成を目指す閉じた計画ではなく、無数の作品を生み出す開かれた母体であった。門のために作られた小像が独立作品となり、独立作品が再び門の中へ戻されるという循環が続いた。

9.カレーの市民と群像の組み立て

カレーの市民についても、本書は完成した6人の英雄群像だけでなく、各人物の裸体習作、衣服を着せた石膏、頭部や手の研究、配置案を取り上げる。ロダンは最初から6人を一体の群像として造形したのではない。それぞれの人物を独立して制作し、配置を入れ替えながら、群像全体の心理的均衡を探った。6人は共通の英雄的動作を取るのではなく、恐怖、諦念、決意、悲しみをそれぞれ異なる姿勢で示す。個別像の組み合わせによって集団の物語を作る方法にも、ロダンの実験的思考が表れている。

10.バルザック記念像と試作の蓄積

バルザック記念像の制作では、ロダンは作家の肖像写真、伝記、身体的特徴を調べ、頭部、裸体、衣服を着た姿など数多くの試作を行った。本書は、最終像だけを見ると単純な外套の塊に見える作品が、実際には膨大な人体研究と肖像研究の上に成立していることを示す。ロダンはバルザックの外見を正確に再現することより、作家の創造力と精神的エネルギーを一つの巨大な形へ凝縮しようとした。試作は最終形へ至るために捨てられる失敗作ではない。それぞれが別の可能性を保持し、最終作品の意味を支える独立した研究成果である。

11.偶然を受け入れる創作方法

ロダンの制作では、型取りによるずれ、石膏の破損、接合の不自然さ、表面の粗さなどが生じた。しかし彼は、それらを常に修正して消去した訳ではない。本書は、ロダンが偶然に現れた形や不規則な表面を観察し、そこから新しい表現を発見したことを示す。破損した像が断片作品となり、不自然な接合が新しい運動を生み、型の跡が表面に生命感を与える場合があった。創造とは最初に決めた構想を正確に実現することではなく、制作中に生じる偶然と対話しながら作品の方向を変えていく行為である。

12.助手と職人による共同制作

ロダンは孤独に石を刻み続けた芸術家というイメージで語られがちである。しかし実際の工房では、型取り職人、石膏職人、石工、鋳造職人、拡大作業の助手など多くの人々が働いていた。1900年前後のムードンでは多数の協力者が制作に携わっていた。本書は、この分業がロダンの芸術性を否定するものではないと説明する。ロダンは基本となる粘土像を制作し、作品の選択、切断、接合、配置、表面処理を指示し、最終的な造形判断を下した。彼の独創性は、すべての工程を自分の手で行ったことではなく、工房全体を巨大な造形装置として動かし、多数の技術と人材を一つの創造体系へ統合した点にあった。

13.写真を用いた作品研究

ロダンは写真を単なる記録手段としてではなく、作品を検討するための道具として使用した。異なる角度から撮影された像の写真を見ることで、彫刻の輪郭や光の当たり方を比較できた。また、写真の上へ線を引き、作品の一部を消し、配置や台座を検討することもあった。写真は更に、展覧会や出版物を通じて作品のイメージを世界へ広める手段となった。ロダンは撮影者や撮影角度を選び、自らの彫刻がどのように見られるかを意識的に管理していた。ロダン美術館に残る写真資料は、1877年頃から1917年までの工房活動を知る重要な記録である。

14.素材ごとに異なる作品

ロダンの作品は、粘土、テラコッタ、石膏、ブロンズ、大理石など複数の素材で存在する。本書は、それらを一つの原型から作られた同一作品とは考えない。粘土には手の動きと即興性が残り、石膏には切断や接合の痕跡が現れる。ブロンズは光を反射し、輪郭と表面の起伏を強調する。大理石は人体を石の塊から現れ出る存在として見せる。素材が変わるたびに作品の感触、重さ、光、心理的印象も変化する。複製とは単なるコピーではなく、素材による再解釈である。

15.未完成という完成

ロダンの大理石作品には、人物の一部が粗い石の塊に埋もれたまま残されているものがある。これは技術不足や作業中断の結果ではなく、形態が素材から生まれる過程を見せる意識的表現である。滑らかに磨かれた人体と荒い石肌が対比されることで、生命が物質から出現しようとする瞬間が示される。作品は完全に閉じた形になるのではなく、これからも生成を続けるように見える。本書は、この生成感覚こそがロダンを20世紀彫刻へ結び付けた重要な要素であると評価する。

本書が言いたかったこと

ロダンの偉大さは、有名な完成作品の形態だけではなく、作品を生み出す方法にあった。ロダンにとって彫刻は、最初に考えた完成像へ一直線に進む作業ではなかった。身体を作り、分解し、複製し、拡大し、別の部分と結び付け、異なる素材へ移し、写真によって見直すという循環の中から作品が生まれた。完成と未完成、原作と複製、全身像と断片、芸術家本人と助手の仕事という境界は、彼の工房では絶えず揺れ動いていた。この視点に立てば、ロダンは単に大理石やブロンズで生命感のある人体を作った彫刻家ではない。形態を固定されたものから、再利用と変形が可能な開かれた存在へ変えた芸術家である。過去の作品は保存されるだけでなく、新しい創作の部品となり、一つの像が複数の作品へ分岐していく。本書は、孤独な天才が一人で傑作を完成させるというロダン神話を修正する。彼の創造は、モデル、助手、型取り職人、石工、鋳造職人、写真家との協働によって支えられていた。ただそれによってロダンの作者性が弱まるのではない。むしろ、多数の人間、素材、技術、複製工程を統合し、偶然まで創造へ取り込む能力こそが、ロダンの独創性であった。彫刻とは完成された一個の物体ではなく、素材、身体、技術、時間、他者の手が交差する絶え間ない生成の過程である。ロダンの工房はその意味で、近代彫刻だけでなく、反復、複製、断片、アサンブラージュを重視する現代美術を先取りした創造の実験室だった。

未来の輪郭