水素エネルギーの多角的考察

目次

水素エネルギーの総括

人類はこれまで薪、石炭、石油、天然ガスへと主要エネルギー源を変化させながら文明を発展させてきた。そして現在、脱炭素社会の実現とエネルギー安全保障という二つの課題を背景に、水素は次世代エネルギーとして最も有力な候補の一つとなっている。水素は宇宙で最も豊富な元素であり、燃焼や燃料電池による発電時に二酸化炭素を排出せず、水だけを生成するという優れた特性を持つ。また、再生可能エネルギーによって製造すれば、ほぼ完全なゼロエミッション・エネルギー体系を構築できる可能性を秘めている。しかし、水素は天然に大量に存在するエネルギー資源ではなく、製造しなければならないエネルギーキャリアである。この点が石油や天然ガスとは根本的に異なる。

水素は万能のエネルギーではなく、製造コストや輸送・貯蔵、インフラ整備など多くの課題を抱えている。しかし、脱炭素化とエネルギー安全保障を同時に実現できる数少ない選択肢であり、再生可能エネルギーや原子力、蓄電池などと組み合わせることで、次世代エネルギー社会の中核を担う存在となる可能性が高い。21世紀後半のエネルギー体系は、水素を中心とした多様なエネルギーの融合によって形成され、人類の持続可能な発展を支える重要な基盤となるであろう。

水素が持つ圧倒的な利点

1.環境負荷の低さ

燃焼時にはCO₂を排出せず、大気汚染物質も極めて少ない。そのため発電、自動車、船舶、航空機、鉄鋼、化学産業など、電化だけでは脱炭素化が難しい分野に利用できる。

2.エネルギー安全保障

日本はエネルギーの約9割以上を海外から輸入しているが、水素は再生可能エネルギーや原子力、水力など様々な電源から国内でも製造できるため、海外資源への依存度を下げることが可能となる。

3.エネルギー貯蔵能力

太陽光や風力は天候によって発電量が変動するが、余剰電力を利用して水素を製造・貯蔵すれば、大規模な長期間エネルギー貯蔵が可能になる。これは蓄電池では対応が難しい季節単位の電力調整にも利用できる。更に水素は電気だけでなく熱や燃料としても利用できるため、一つのエネルギー媒体で電力・輸送・産業を結び付けられる点が大きな特徴である。

水素製造技術の進歩

現在、水素製造にはいくつかの方法が存在する。最も普及しているのは天然ガスから製造するグレー水素である。製造コストは安いが、製造時に大量のCO₂を排出する。次に、排出したCO₂を回収・貯留するCCS技術を組み合わせたブルー水素がある。現在、多くの国が実用化を進めている。そして将来の本命とされるのがグリーン水素である。太陽光や風力など再生可能エネルギーによる電気で水を電気分解して製造するため、理論上CO₂排出量はほぼゼロとなる。将来的には高温ガス炉や核融合発電による超高効率水素製造も期待されている。

燃料電池の革新技術

水素利用の中心技術が燃料電池である。燃料電池は水素と酸素を化学反応させて直接電気を発生させるため、通常の火力発電よりも高効率である。自動車分野では燃料電池車(FCV)が実用化されており、充填時間は数分程度で済み、航続距離も長い。家庭用燃料電池エネファームは発電と給湯を同時に行うことで高いエネルギー効率を実現している。更に大型トラック、鉄道、船舶、航空機などでは、重量や航続距離の面から蓄電池よりも水素の方が有利になる可能性が高い。

水素社会実現への課題

1.コスト

一方、水素には克服すべき課題も多い。最大の課題はコストである。現在のグリーン水素は天然ガスや石油より高価であり、大規模普及には製造コストを半分以下まで引き下げる必要がある。

2.輸送と貯蔵

水素は最も軽い元素であり、体積当たりのエネルギー密度が低いため、高圧ガスや液体水素として貯蔵しなければならない。液体水素はマイナス253℃という極低温で管理する必要があり、大量輸送には高度な断熱技術が必要となる。

3.インフラ整備

全国規模の水素ステーション、パイプライン、港湾設備などには莫大な投資が必要となる。

4.安全性への社会的理解

水素は可燃性が高いが、適切な設備設計と管理を行えば都市ガスやガソリンと同様に安全に利用できる。しかし一般市民の理解促進が不可欠である。

世界各国の戦略

世界では水素競争が急速に進んでいる。日本は世界で最も早く水素社会を国家戦略として掲げ、燃料電池車や家庭用燃料電池で先行してきた。欧州は再生可能エネルギーとグリーン水素を組み合わせた産業政策を推進している。アメリカはインフレ抑制法による巨額補助金で水素製造を加速している。中国は燃料電池車、電解装置、水素製造設備などの大量生産体制を整えつつあり、将来的な価格競争力を高めている。中東やオーストラリア、チリなどは豊富な太陽光や風力資源を活用し、水素輸出国を目指している。

水素と他の次世代エネルギーとの比較

次世代エネルギーには蓄電池、バイオ燃料、合成燃料、アンモニア、核融合など多くの候補が存在する。蓄電池は短時間の電力利用では優れているが、長期・大量貯蔵には限界がある。アンモニアは輸送しやすいが、燃焼時に窒素酸化物への対策が必要となる。合成燃料は既存インフラを利用できる利点があるが、製造効率が低い。核融合は究極のエネルギー源となる可能性があるが、本格実用化にはなお時間を要する。これらと比較すると、水素は発電、輸送、産業、熱利用を横断して活用できる汎用性が最大の強みであり、単独で全てを置き換えるというより、多様なエネルギーを結び付ける中核的なエネルギーキャリアとして重要な役割を果たす可能性が高い。

未来展望

今後20から30年間で、水素製造コストは再生可能エネルギー価格の低下と電解装置の大量生産によって大きく下がると予想されている。また、AIによるエネルギー需給最適化、スマートグリッド、超伝導送電、次世代原子力、核融合発電などとの組み合わせによって、水素はエネルギーシステム全体の柔軟性を高める役割を担うようになると考えられる。特に製鉄、化学工業、長距離輸送、航空・海運など、電化が困難な分野では、水素が脱炭素化の切り札となる可能性が極めて高い。

日本の取り組み

日本には、水素製造に関する世界初、世界最大級、世界最高水準の成果が複数存在する。特に大型アルカリ水電解、光触媒水分解、高温熱化学法、低電圧ハイブリッド電解などは、日本の科学技術力を示す重要な成果である。しかし、日本が世界に先駆けて、安い水素を大量に製造する方法を既に実用化したという説明は誇張を含む。正確には、日本は安価な大量生産につながり得る複数の技術を世界に先駆けて実証しているが、その多くはまだ商業化前であり、現在の水素価格は既存燃料より高い。今後の勝負は、世界初の実験に成功することではなく、その技術を大型化し、量産し、長期間運転し、補助金なしでも需要家が購入できる価格に下げることである。日本の研究成果は有望であるが、技術的成功を産業的成功へ転換できるかどうかは、これからの課題である。

1.水素を国家戦略とする日本

日本は、化石燃料資源に乏しく、エネルギーの多くを海外からの輸入に依存している。このため水素は、脱炭素化の手段であるだけでなく、エネルギー調達先と供給方法を多様化するための戦略的なエネルギー媒体として位置付けられている。日本政府は2017年、世界に先駆けて国としての水素基本戦略を策定し、2023年6月にこれを改定した。改定戦略では、水素とアンモニアを含む導入量について、2030年に最大年間300万トン、2040年に年間1,200万トン、2050年に年間2,000万トン程度を目標としている。また、水素供給コストを2030年に1立方メートル当たり30円、2050年に20円以下へ引き下げる方針を掲げている。日本の水素政策は、単に水素を製造することだけを目指すものではない。海外・国内での製造、海上輸送、港湾での受入れ、貯蔵、地域内配送、発電、製鉄、化学、運輸、家庭利用までを一つの産業体系として形成しようとしている点に特徴がある。

2.水素社会推進法による事業化支援

水素の普及を妨げている最大の要因は、既存の石油、天然ガス、石炭などと比較して価格が高いことである。この問題に対し、日本では2024年10月に水素社会推進法が施行された。同法では、国が認定した低炭素水素等の事業に対し、JOGMECを通じて価格差に着目した支援と拠点整備支援を実施する仕組が設けられた。前者は、低炭素水素の製造・輸送費と既存燃料価格との差を一定期間補填するものであり、後者は、タンク、パイプライン、港湾設備などの共同利用インフラの整備を支援するものである。これは、技術開発中心であった従来の政策から、実際に水素を製造し、購入し、利用する商業市場の形成へと政策の重点を移す試みである。2026年2月には、この価格差支援に関してJERAへの補助金交付が決定されており、制度は実行段階へ入りつつある。

3.海外水素サプライチェーンの構築

日本は国内に安価な再生可能エネルギー資源が十分にあるとはいえない。このため、国内製造だけでなく、オーストラリア、中東、東南アジア、北米などで製造した水素や水素由来燃料を日本へ輸送する構想を重視している。代表的な取り組みが、日本とオーストラリアを結ぶ液化水素サプライチェーンの実証である。川崎重工業を中心とする企業連合は、世界初の液化水素運搬船水素フロンティアを開発し、2022年にオーストラリアから日本への液化水素の国際輸送実証を完了した。液化水素はマイナス253度まで冷却することで、気体時の約800分の1の体積となり、大量輸送が可能になる。現在は、実証船より100倍以上の輸送能力を持つ大型液化水素運搬船や、大型貯蔵タンク、受入基地、液化装置などの商用化に向けた開発が進められている。ただし、海外で水素を製造して液化し、長距離輸送した後に再び気化する方式は、設備投資とエネルギー消費が大きい。将来、液化水素、アンモニア、メチルシクロヘキサン、合成メタンなどのうち、どの輸送方法が最も経済的になるかは、まだ確定していない。

4.国内グリーン水素の実証

国内では、再生可能エネルギーによって水を電気分解し、グリーン水素を製造する取り組みが進められている。代表例が福島県浪江町の福島水素エネルギー研究フィールド(通称FH2R)である。同施設では、大規模な太陽光発電と水電解装置を組み合わせ、再生可能エネルギーの発電量や電力需要の変動に応じて水素製造量を制御する実証が行われている。製造された水素は、福島県内外の公共施設、燃料電池車、イベントなどで利用されている。この実証の重要性は、水素を製造することだけではなく、太陽光や風力の余剰電力を水素に変換し、長期間貯蔵できる点にある。再生可能エネルギーの大量導入が進めば、発電量が需要を上回る時間帯が増えるため、余剰電力を水素に変えて利用する仕組の価値が高まる。一方で、日本の再生可能エネルギーによる発電コストは、広大な土地と豊富な日照・風況を持つ国々と比べて高い。そのため、国内グリーン水素は、海外から輸入する水素よりも高価になる可能性がある。

5.燃料電池技術とモビリティ

日本が水素分野で早くから実用化を進めてきた領域が燃料電池である。家庭用燃料電池のエネファームは、都市ガスなどから取り出した水素を使って家庭内で発電し、その際に生じる熱を給湯に利用する。発電と熱利用を組み合わせることで高い総合エネルギー効率を実現し、日本は家庭用燃料電池の実用化と普及で世界を先導してきた。自動車分野では、トヨタのMIRAIやホンダの燃料電池車をはじめ、燃料電池バス、トラック、フォークリフト、鉄道、船舶などへの展開が進められている。燃料電池車は、充填時間が短く、重量当たりの航続距離を長くしやすいため、長距離大型トラック、バス、商用車などで一定の優位性を持つ可能性がある。しかし、乗用車では電気自動車の性能向上と価格低下が急速に進んでいる。水素ステーションは建設費と運営費が高く、利用車両が少ない地域では採算が合わない。このため、今後の日本の水素モビリティ政策は、一般乗用車よりも、走行距離が長く、決まった拠点で充填できるトラック、バス、物流車両、港湾機械などへ重点を移す必要がある。

6.発電分野における水素とアンモニア

日本は、水素やアンモニアを火力発電所で利用する技術にも力を入れている。水素は天然ガス火力に混ぜて燃焼させることができ、将来的には水素だけを燃料とする専焼発電も想定されている。アンモニアは水素を含む化合物であり、液化や輸送が水素より比較的容易であるため、石炭火力発電所での混焼実証が進められている。政府は2030年までに石炭火力で20%程度のアンモニア混焼を導入・普及させ、年間300万トン程度の国内需要を想定している。2050年には年間3,000万トン程度まで需要を拡大する構想である。この取り組みの利点は、既存の発電所や港湾インフラをある程度活用できることである。一方、混焼率が低い段階ではCO₂排出削減効果が限定的であり、アンモニア燃焼に伴う窒素酸化物の抑制も必要となる。また、再生可能電力から直接電力を供給する場合と比べ、いったん水素やアンモニアに変換して発電する方式はエネルギー損失が大きい。したがって、水素・アンモニア発電は常時稼働する主力電源というより、再生可能エネルギーの変動を補う調整電源、長期備蓄燃料、既存火力設備を段階的に脱炭素化する移行手段として評価すべきである。

7.製鉄・化学産業への展開

水素が最も重要な役割を果たす可能性があるのは、電力だけでは脱炭素化が難しい産業分野である。鉄鋼業では、鉄鉱石から酸素を取り除く還元工程に石炭由来のコークスが使われ、大量のCO₂が排出される。これを水素で代替する水素還元製鉄が実現すれば、排出量を大幅に削減できる。日本製鉄、JFEスチール、神戸製鋼所などは、水素を用いた高炉のCO₂削減技術や、水素直接還元法の研究開発を進めている。化学産業でも、アンモニア、メタノール、石油精製などで既に水素が利用されているため、既存の化石燃料由来水素を低炭素水素へ置き換える需要が存在する。このような産業需要は、一つの工場で大量かつ継続的に発生する。そのため、多数の乗用車へ分散して供給するよりも、水素供給設備の稼働率を高めやすい。日本は今後、製鉄、化学、製油、発電、港湾物流などを一つの地域に集約した水素・アンモニア拠点を形成することが重要である。

8.港湾を中心とする水素拠点

日本政府は、複数企業が共同で水素を利用する大規模拠点と、中規模の地域拠点の形成を進めている。港湾地域には、発電所、製鉄所、製油所、化学工場、物流施設が集中しているため、海外から輸入した水素やアンモニアを大量に受け入れ、共同利用するのに適している。北海道、東北、京浜、中京、阪神、瀬戸内、北九州などでは、それぞれの産業構造を生かした水素・アンモニア拠点構想が進められている。拠点化には、水素の製造・輸入量と需要量を同時に拡大できる利点がある。複数企業がタンク、パイプライン、受入設備を共同利用すれば、企業ごとに設備を建設するよりもコストを下げられる。しかし、供給者は需要が確定しなければ設備投資できず、需要家は安定供給と価格が確定しなければ燃料転換できない。この供給と需要の同時立ち上げが、水素事業の最大の難しさである。

日本の技術的優位性

日本の優位性は、水素基本戦略を早期に策定した政策経験、燃料電池の実用化実績、液化水素の輸送・貯蔵技術、LNGで培った極低温・造船技術、ガスタービンや産業設備、素材・精密部品の厚い産業基盤にある。また、発電、製鉄、化学、自動車、造船、港湾という大規模需要産業が国内に存在することも強みである。これらを地域ごとに結び付ければ、水素の製造から利用までを一体化した産業クラスターを構築できる。日本が目指すべき立場は、世界で最も安く水素を生産する国ではない。水素を安全かつ効率的に運び、貯蔵し、産業で利用する高付加価値技術とシステムを輸出する国である。

1.一連の製造優位性

日本の第一の優位性は、水素をつくる、貯める、運ぶ、使うという一連の技術を持つ企業が国内に存在することである。水電解装置、燃料電池、圧縮機、高圧タンク、液化設備、極低温貯蔵タンク、液化水素運搬船、水素ガスタービン、計測機器、耐水素材料など、多様な技術を日本企業が保有している。

2.水素輸送体制

第二の優位性は、液化天然ガスの輸入で培った造船、極低温、港湾、貯蔵技術である。液化水素は液化天然ガスより更に低いマイナス253度で扱う必要があるが、日本企業はLNG運搬船や貯蔵タンクの経験を水素へ応用できる。川崎重工業による世界初の液化水素運搬船は、この技術蓄積を象徴している。

3.燃料電池

第三の優位性は、燃料電池の耐久性、制御技術、量産技術である。自動車、家庭、産業設備で長期間にわたり実証と実用化を行ってきたため、安全性や運用に関する知見が蓄積されている。

4.水素製造の産業基盤

第四の優位性は、素材、部品、精密機械の産業基盤である。水素機器には、漏洩を防ぐバルブ、シール、センサー、特殊鋼、炭素繊維、高性能触媒などが必要であり、日本の素材・部品企業が競争力を発揮できる領域である。

5.国際標準化における優位性

水素の国際取引を拡大するには、安全基準、炭素排出量の計算方法、品質基準、運搬船の設計基準などを国際的に統一する必要がある。日本は液化水素運搬船、燃料電池車、水素ステーションなどの実証を早期に行ってきたため、実運用から得たデータを国際標準の形成に反映できる立場にある。川崎重工業による液化水素輸送の経験も、安全な海上輸送に関する国際ルール形成につながる可能性がある。ただし、標準化で優位に立つためには、技術を保有するだけでは不十分である。国際機関、海外政府、エネルギー企業、金融機関と連携し、日本方式を国際的に採用させる外交力と市場形成力が必要である。

日本が抱えるコスト面の課題

日本の課題は、国内再生可能エネルギーのコスト、海外輸入への依存、変換・輸送時のエネルギー損失、需要形成の遅れ、インフラ投資の大きさ、補助金依存、意思決定の遅さにある。特に注意すべきなのは、水素そのものを普及させることが政策目的になってしまうことである。本来の目的は、温室効果ガスの削減、エネルギー安全保障、産業競争力の強化である。水素はそのための手段であり、蓄電池、再生可能エネルギー、原子力、CCS、合成燃料などと費用対効果を比較しながら利用しなければならない。

1.安価な低炭素水素の難点

日本の最大の課題は、安価な低炭素水素を大量に調達することが難しい点である。国内では、土地、建設、電力、系統接続などのコストが高く、大規模な太陽光発電や風力発電を低価格で整備できる地域が限られている。海外から輸入する場合も、製造、変換、液化、海上輸送、貯蔵、再気化、国内配送の各段階でコストとエネルギー損失が発生する。世界の低排出水素生産は増加しているものの、2025年時点でも世界全体の水素生産に占める割合は1%未満である。世界的にもクリーン水素市場はまだ初期段階であり、安価な水素が大量に流通する状況には至っていない。補助金によって価格差を埋めることは市場形成の初期段階では必要であるが、支援が長期間続けば国民負担が増大する。最終的には、製造・輸送コストを下げ、補助金なしでも利用できる産業を育てなければならない。

2.グリーン水素とブルー水素の選択

日本は、再生可能エネルギーから製造するグリーン水素だけでなく、天然ガスなどから水素を製造し、発生するCO₂を回収・貯留するブルー水素も活用する方針である。ブルー水素は、グリーン水素より早期に大量供給しやすい一方、天然ガスの採掘・輸送時に発生するメタン漏出や、CO₂回収率、貯留の永続性を厳格に評価する必要がある。水素を色の名称だけで評価するのではなく、原料の採取から製造、輸送、利用までを含むライフサイクル全体の温室効果ガス排出量によって評価することが重要である。

3.電化との使い分け

水素政策では、水素で技術的に実現できるかだけでなく、電気を直接使うより合理的かを検討しなければならない。再生可能電力から水素を製造し、それを運搬して燃料電池や発電所で再び電気に戻すと、各変換段階でエネルギーが失われる。そのため、乗用車、家庭暖房、一般的な電力利用など、直接電化が可能な分野では、蓄電池やヒートポンプの方が効率的となる場合が多い。水素の利用は、水素還元製鉄、高温産業熱、化学原料、長距離大型輸送、船舶、航空燃料、季節間エネルギー貯蔵など、直接電化が難しい分野に重点化すべきである。あらゆる用途に水素を広げるのではなく、水素でなければ脱炭素化が困難な用途を優先することが、経済合理性を高める。

4.海外競争の激化

日本は水素政策で先行したが、現在では欧州、米国、中国、中東、オーストラリアなどが大規模な支援策を展開している。60か国以上が国家水素戦略を策定するまでになり、日本だけが先行している状況ではなくなった。欧州は炭素規制と域内需要の創出、米国は税額控除と豊富な天然ガス・再生可能エネルギー、中国は電解装置や燃料電池機器の大量生産、中東とオーストラリアは低価格の再生可能エネルギーを強みとしている。これに対し日本は、装置単体の性能では優れていても、量産規模、製造コスト、事業決定の速度で後れを取る危険がある。特に中国企業が低価格の水電解装置や関連設備を大量供給すれば、日本企業が技術では優れていても市場占有率を失う可能性がある。

5.事業化の遅さと需要不足

日本では、多数の実証事業が行われてきたが、実証から商業化への移行が遅いとの指摘がある。技術実証が成功しても、長期購入契約、価格保証、設備投資、許認可、地域調整、資金調達が整わなければ事業は開始できない。水素は供給設備だけでも利用設備だけでも成立せず、複数の企業が同時に投資判断を行う必要があるため、プロジェクト形成が複雑になる。今後は実証事業の数を増やすだけでなく、一つの地域で年間数十万トン規模の確実な需要を形成し、長期契約によって事業採算を明確にする必要がある。

6.人材・規制・安全体制

水素社会の形成には、化学、機械、電気、造船、材料、消防、港湾、金融、国際取引など、多分野の専門家が必要である。水素は分子が小さく漏れやすいうえ、着火範囲が広く、炎が見えにくい特性を持つ。このため、漏洩検知、換気、耐水素材料、防爆設備、緊急時対応などを高度化しなければならない。安全規制を過度に緩和すれば事故の危険が高まり、逆に既存規制をそのまま適用すれば設備費が上昇し、普及が進まない。科学的なリスク評価に基づき、安全性と経済性を両立させる制度設計が必要である。

広く使うのではなく戦略的に使う

日本は、水素技術の研究開発と実証では世界の先頭集団にあり、液化水素輸送、燃料電池、極低温機器、産業利用技術などに明確な強みを持っている。しかし、今後の競争は技術実証ではなく、安価な供給、確実な需要、量産能力、国際標準、事業化速度をめぐる競争となる。日本が水素分野で優位性を維持するためには、用途を無制限に広げるのではなく、水素還元製鉄、化学原料、高温熱、大型商用輸送、船舶、長期エネルギー貯蔵など、水素の価値が最も高い分野に政策資金と企業投資を集中すべきである。その上で、国内の港湾・工業地域に大規模な需要拠点を形成し、海外の低価格水素供給国と長期的な関係を構築し、日本企業の輸送、貯蔵、燃焼、燃料電池、素材技術を国際市場へ展開することが重要である。日本の水素戦略の成否は、水素を単なる未来技術として扱うのではなく、採算の取れる産業としてどこまで早く確立できるかにかかっている。

産業と投資に関する考察

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