Philip Johnson
The Architect in His Own Words
1994年刊
Philip Johnson著
フィリップ・ジョンソンの経歴
フィリップ・ジョンソンは1906年にアメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドに生まれた。若くしてヨーロッパの近代建築に魅了され、1930年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)建築部門の初代ディレクターとなり、近代建築をアメリカへ紹介する重要な役割を果たした。1932年にはヘンリー=ラッセル・ヒッチコックと共にThe International Styleを刊行し、インターナショナル・スタイルという概念を広く普及させた。その後、自ら建築家として活動を開始し、代表作として自邸であるグラスハウス、シーグラムビルの内装設計、ポストモダン建築の象徴となったAT&Tビルなどを手掛けた。1979年には第1回のプリツカー賞を受賞し、20世紀アメリカ建築を代表する建築家の一人として評価されている。

本書の内容
1.建築家自身による20の建築作品の解説
本書の最大の特徴は、フィリップ・ジョンソン自身が自ら選んだ約20の建築作品について、その設計意図や背景を直接語っている点にある。通常の建築作品集が評論家や研究者の視点で書かれるのに対し、本書では建築家本人の言葉によって作品が解釈されるため、設計時の思考過程が生々しく伝わってくる。
2.モダニズムとの出会い
ジョンソンは若き日にヨーロッパを訪れ、コルビジェやグロピウス、そして特にミース・ファン・デル・ローエの建築に強い衝撃を受けたことを語る。建築を社会改革の道具として見るよりも、美と秩序を表現する芸術として理解した彼の姿勢は、本書全体を通じて一貫している。
3.ガラスの家という実験
ジョンソンはグラスハウスを単なる住宅ではなく、空間と自然との関係を探る実験装置として説明している。壁を消し去ることで内部と外部の境界を曖昧にし、人間が風景の一部として生活する新しい住居像を追求した。この住宅はミースの影響を受けながらも、より詩的で個人的な建築として語られている。

4.都市建築への挑戦
超高層建築や公共建築については、建築は単なる機能の器ではなく都市の舞台装置であると述べている。建築は人々の記憶に残る象徴性を持つべきであり、広場や街路との関係の中で都市体験を形成すると考えていた。
5.ポストモダニズムへの転換
ジョンソンは一つの様式に固執することを拒み、モダニズムからポストモダニズムへと積極的に移行した理由についても率直に語る。彼にとって建築様式は宗教ではなく言語であり、時代ごとに新しい語彙を獲得することこそ建築家の使命であった。
6.建築とパトロンの関係
建築は建築家だけで完成するものではなく、優れた施主の存在が不可欠である。優れた建築は建築家と依頼主との知的対話から生まれるという認識は、本書の重要な主題の一つとなっている。
本書が言いたかったこと
建築とは固定された思想や様式に従うものではなく、時代と社会の変化に応じて絶えず変化し続ける創造行為である。建築家は一つの理念に縛られるのではなく、美しさと新しさを追求する自由な精神を持たなければならない。建築は技術や機能だけでは成立せず、人間の感情や記憶、都市の文化と結びついた総合芸術である。
ジョンソンの建築実験場(付記)
1.富裕な建築家に与えられた建築実験場
フィリップ・ジョンソンは、裕福な実業家の家庭に生まれ、経済的な制約を受けることなく建築や芸術に没頭することができた。彼は建築家であると同時に、美術収集家、建築評論家、更にはニューヨーク近代美術館(MoMA)の建築部門創設者としても活躍した。そのため彼にとって、コネチカット州ニューケイナンに所有していた広大な敷地は、単なる住宅地ではなかった。それは、自らの建築思想を自由に試すことのできる私的な研究所であり、生涯をかけて建築を実験するためのキャンパスであった。
2.ガラスの家から始まった建築の実験
1949年に完成したGlass House(ガラスの家)は、その実験の出発点であった。壁をほぼ全面的にガラスとすることで、室内と風景との境界を消し去り、人間が自然の中に住むという新しい住宅のあり方を追求した。しかしジョンソンは一つの建築的答えに満足する人物ではなかった。以後半世紀近くにわたり、同じ敷地内に書斎、客室、池のパヴィリオン、彫刻ギャラリー、展望施設、フォリー的建築などを次々と建設し、それぞれ異なる建築言語を試みていった。最終的にこの敷地は、約49エーカーのランドスケープの中に14棟の建築が点在する、世界でも類を見ない建築実験場へと発展した。
3.絵画コレクションのためのPainting Gallery
1965年、ジョンソンは自らの絵画コレクションを鑑賞するための専用施設としてPainting Galleryを建設した。そのコレクションにはフランク・ステラ、アンディ・ウォーホル、ロバート・ラウシェンバーグ、ジュリアン・シュナーベル、シンディ・シャーマンなど、20世紀アメリカ美術を代表する作家たちの作品が含まれていた。これらの作品を単に保管するだけではなく、最も理想的な環境で鑑賞したいという願いが、この建築を生み出した。
4.地下の宝物庫という発想
Painting Galleryは一般的な美術館とは大きく異なっていた。ジョンソンは古代ギリシア・ミケーネのアトレウスの宝庫に着想を得て、建物の大部分を地下に埋め込んだ。外部から見ると、芝生に覆われた小さな丘のようにしか見えないが、内部に入ると静寂に包まれた展示空間が現れる。これは全面的に透明なGlass Houseとは対照的な建築であった。ガラスの家が風景を見るための建築であったとすれば、Painting Galleryは外界を遮断し、絵画の世界へ没入するための建築だった。ジョンソンは、一つの敷地の中で完全な透明性と完全な閉鎖性という、互いに正反対の空間体験を実験していた。
5.回転式展示装置というもう一つの実験
内部には、美術館や収蔵庫で用いられる回転式の大型パネルラックが設置された。絵画は壁に固定されるのではなく、本のページをめくるように次々と引き出して鑑賞することができた。これにより限られた空間の中で多数の大型作品を収蔵できるだけでなく、コレクター自身が作品との偶然の出会いを楽しむことも可能になった。この建築は、美術館でも住宅でもない、建築家であり同時に美術収集家でもあったジョンソンだからこそ実現できた、極めて個人的な芸術空間であった。
6.彫刻ギャラリーへの発展
1970年になると、増加する彫刻コレクションのためにSculpture Galleryも建設された。こちらは絵画ギャラリーとは対照的に、自然光の中を歩きながら彫刻を鑑賞することを目的として設計されている。ジョンソンはギリシアの島々の集落から着想を得て、階段や小路が連続する小さな都市のような内部空間を構成した。絵画が静かに向き合う芸術であるならば、彫刻は身体を動かしながら体験する芸術であるという理解が、この建築には反映されている。
7.建築家と美術収集家という二つの顔
ニューケイナンの敷地全体を振り返ると、それは一人の富裕な建築家が私財を投じて築き上げた巨大な建築研究所であったことが分かる。住むための建築、自然を見るための建築、思索するための建築、絵画を鑑賞するための建築、彫刻を歩きながら体験するための建築が、それぞれ異なる建築言語によって表現されていた。中でもPainting Galleryは、単に美術品を収蔵する建物ではなく、芸術作品には、それにふさわしい建築空間が必要であるというジョンソンの信念を具現化した建築であった。建築家と美術収集家という二つの顔を持つフィリップ・ジョンソンだからこそ到達できた、極めて贅沢で創造的な建築実験であった。
