ミース・ファン・デル・ローエ

Mies van der Rohe
Writings, Lectures, Interviews
1986年刊
Ludwig Mies van der Rohe著

ミース・ファン・デル・ローエの経歴

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは1886年にドイツのアーヘンに生まれ、石工職人であった父の工房で建築材料や施工技術に親しみながら成長した。その後ベルリンへ移り、建築家ブルーノ・パウルの事務所を経て、ペーター・ベーレンスのもとで実務経験を積んだ。この時期には後に近代建築の巨匠となるル・コルビュジエやグロピウスとも同じ職場で働いていた。1920年代になるとガラスと鉄骨を用いた革新的な高層建築案を発表し、近代建築運動の中心人物となった。1929年のバルセロナ・パヴィリオン、1930年のトゥーゲントハット邸は近代建築史上の傑作として高く評価されている。1930年にはバウハウス最後の校長に就任したが、ナチス政権下で学校閉鎖を余儀なくされた。1938年にアメリカへ移住し、シカゴのイリノイ工科大学建築学部長として教育改革を行うとともに、シーグラム・ビルやファンズワース邸、新ナショナルギャラリーなどの代表作を設計した。Less is More(より少ないことは、より豊かなことである)という言葉で象徴される建築思想は、20世紀後半の建築界に決定的な影響を与えた。

ミースファンデルローエ

本書の内容

1.建築は時代精神の空間的表現である

本書の中心にあるのは、建築とは時代精神を空間として表現したものであるというミースの思想である。建築は歴史様式を模倣するものではなく、その時代の技術、社会、文化の本質を空間として具現化しなければならない。そのため鉄骨構造や大判ガラスといった近代工業技術は単なる材料ではなく、時代を表現する媒体として理解されている。

2.Less is Moreの真意

ミースの有名な言葉であるLess is Moreは単純なミニマリズムを意味していない。不要な装飾や恣意的な表現を削ぎ落とすことによって、構造、比例、素材、空間といった建築の本質を際立たせることを意味している。本書では彼が繰り返し秩序明快さ構築性という言葉を用いていることが紹介され、簡潔さの背後に極めて厳格な思考体系が存在することが明らかになる。

3.構造こそが建築を生む

ミースは建築を装飾芸術ではなく建てる技術であると考えていた。柱、梁、床、壁といった構造要素は単なる技術的装置ではなく、建築空間を形成する根源的な要素である。本書では、構造が明快であれば建築もまた明快になるという彼の信念が繰り返し語られている。

4.普遍空間という理想

ミースは用途ごとに固定された空間ではなく、利用者が自由に使い方を変えられる柔軟な空間を理想とした。大スパン構造による無柱空間や自由平面は、その思想から生まれている。建築は特定の機能に従属するのではなく、人間活動を受け入れる器として存在するべきであるという考え方である。

ミースファンデルローエ

5.建築教育への思想

本書にはイリノイ工科大学での教育に関する講演も多く収録されている。ミースは学生に対して流行や個性を追求する前に、まず構造、素材、製図、施工技術を徹底的に学ぶことを要求した。真の創造性は技術と規律の上にのみ成立すると考えていた。

本書が言いたかったこと

建築とは個人的な感情や装飾的趣味を表現する芸術ではなく、その時代の技術と精神を秩序ある空間として結晶化する行為である。建築家の役割は奇抜な形態を発明することではなく、時代が求める本質を見抜き、それを最も純粋な形で空間へと変換することである。ミースにとって少ないことは貧しさではなく、本質への到達を意味していた。

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