自然なデッサンの方法


The Natural Way to Draw

A Working Plan for Art Study
1941年刊
Kimon Nicolaïdes著

著者の経歴

キモン・ニコライデスは1891年にアメリカのワシントンD.C.に生まれたギリシャ系アメリカ人の画家・美術教育者である。若い頃は家族の反対を受けながらも芸術家を志し、ニューヨーク・アート・スチューデンツ・リーグに学んだ。第一次世界大戦中にはアメリカ陸軍に従軍し、迷彩画家としてフランス戦線で活動した経験を持つ。戦後は母校で教鞭を執り、多数の学生を指導する中で独自のデッサン教育法を確立した。

ニコライデスは1938年に47歳という若さで死去したが、本書の原稿は既にほぼ完成していた。死後の1941年に出版された。本書はその後、アメリカのみならず世界中の美術学校で採用され、多くの画家やイラストレーターに影響を与えた。

本書の内容

1.描くことは見ることを学ぶことである

ニコライデスは、多くの初心者が知っている形を描こうとすることを最大の問題と考えた。人は目の前の人物を見ているつもりでも、実際には頭の中にある顔・手・木といった記号を描いてしまう。本書は、その習慣を破壊し、実際に存在している形や重さや動きを感じ取る能力を育てることを目的としている。

2.動きを掴む訓練

本書で最も有名なのがジェスチャー・ドローイングである。これは人体の輪郭を正確に写すことではなく、身体全体を流れる力や方向性、重心移動や緊張感を数十秒から数分で描き取る訓練である。ニコライデスは、人体を骨格や筋肉の集合として見るのではなく、動きの流れとして捉えるべきだと考えた。踊る人物ならばその躍動感を、立つ人物ならば重力に抗する力を描くのである。この考え方は後のアニメーションやコンセプトアート教育にも大きな影響を与えた。

3.触れるように見る

次に重要なのがコンター・ドローイングである。これは対象物の輪郭を目でゆっくりと追いながら、鉛筆も同じ速度で動かしていく訓練である。特に有名なのがブラインド・コンターであり、描き手は紙を見ずに対象だけを見続ける。これにより手は脳の命令ではなく視覚情報と直接結びつき、見ることと描くことが一体化していく。

4.重量感と量塊を描く

線だけでは物体は存在しない。人体には重さがあり、物体には質量があり、それらは空間の中に存在している。そのため彼は陰影による明暗表現よりも先に、そこに何キログラムの物体が存在しているかを感じる訓練を重視した。人体が椅子に座れば重さは椅子に伝わり、立てば床に伝わる。その圧力や重量を感じることが、写実表現の基礎になる。

5.記憶によるデッサン

本書の独創的な部分の一つがメモリー・ドローイングである。モデルを観察した後、モデルが去ってから記憶だけで描くという訓練である。これによって描き手は、単に目で写していた部分と、本当に理解していた部分との違いを知ることになる。忘れてしまった箇所は理解していなかった箇所であり、再観察によって理解を深めていく。ニコライデスはこの方法を知識を経験へ変える方法と考えていた。

6.一年間に及ぶ実践カリキュラム

本書は理論書ではなく実践書であり、約一年間にわたる訓練計画が詳細に組まれている。毎日数時間の練習を前提としており、数千枚に及ぶジェスチャードローイングやコンタードローイングを通じて、描く身体そのものを鍛えていく構成となっている。

本書が言いたかったこと

デッサンとは技法の習得ではなく、世界を感じ取る能力の訓練である。上手な線を引くことや正確な形を再現することは目的ではなく、その背後に存在する生命の動きや重さや空間との関係を身体で理解することこそが重要である。彼にとって芸術教育とは、描き方を教えることではなく、自分自身で見る方法を学ばせることであった。画家は教師から答えを受け取る存在ではなく、自ら観察し、発見し、世界との接触を深めていく存在である。この思想こそが、本書が80年以上経った現在でも古びない理由である。

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