半導体 尖端覇権の興亡
2026年5月刊
大鹿靖明著
大鹿靖明の経歴
大鹿靖明(1965年生まれ)は、日本を代表する経済・企業ノンフィクション作家、ジャーナリストである。早稲田大学政治経済学部を卒業後、1988年に朝日新聞社へ入社し、長年、日本の産業界、企業統治、行政、金融政策などを取材してきた。2026年に本格的にノンフィクション作家として活動している。企業の栄枯盛衰を、単なる経営論ではなく、政治・行政・金融・国際情勢まで含めた巨大な構造変化として描くことを得意としており、ヒルズ黙示録、東芝の悲劇。金融庁戦記、メルトダウンなど、多数の代表作を執筆している。とりわけメルトダウンでは東京電力福島第一原発事故を徹底取材し、講談社ノンフィクション賞を受賞した。本書では、30年以上に及ぶ日本のハイテク産業取材の集大成として、日本半導体産業の衰退と復活への挑戦を、国家戦略・国際政治・企業経営を横断する壮大なドキュメントとして描いている。
本書の内容
1.世界最強だった日本半導体の栄光
本書は、日本が1980年代に世界半導体市場を席巻していた時代から物語を始める。当時、日本企業はDRAMをはじめとするメモリー半導体、製造装置、材料分野で世界市場を支配し、日本が世界の半導体を制するとまで言われた。しかし、その成功体験が技術革新への対応を遅らせ、市場変化への適応力を失わせた。世界市場が急速にロジック半導体、設計重視、ファウンドリー中心へ移行する中、日本企業は垂直統合型経営から脱却できず、競争力を徐々に失っていく。
2.中国の資源戦略と経済安全保障の覚醒
著者は、2010年の尖閣諸島沖中国漁船衝突事件を重要な転換点として描く。中国政府はレアアース輸出規制という経済的手段を外交カードとして用い、日本政府は大きな衝撃を受けた。この出来事は、日本だけでなく欧米諸国にも経済安全保障という新しい国家戦略の必要性を認識させる契機となった。本書では、この事件が後の半導体政策やサプライチェーン再編へとつながる歴史的分岐点であったことが詳しく論じられている。
3.日本電機産業の凋落
著者は、エルピーダメモリ、シャープ、ニコンなど、日本を代表した企業の苦闘を丹念に追っている。エルピーダは世界有数のDRAMメーカーでありながら、リーマン・ショックや円高、設備投資競争に敗れて経営破綻し、最終的に米マイクロンへ買収された。シャープは液晶技術で世界を先導しながらも、台湾・鴻海精密工業の資本参加を受け入れるまでに追い込まれた。日本が先行していたEUV(極端紫外線)露光技術についても、日本企業が開発を躊躇する間にオランダのASMLが実用化を成功させ、世界唯一の供給企業となる過程が描かれる。著者はこれらを単なる企業経営の失敗ではなく、日本企業全体に共通する意思決定の遅さとリスク回避体質の結果として分析している。
4.半導体をめぐる米中覇権競争
本書の中心テーマは、半導体が単なる工業製品ではなく、国家安全保障そのものへ変貌したという事実である。AI、スーパーコンピュータ、宇宙開発、量子技術、兵器システムなど、現代のあらゆる先端技術は半導体なしでは成立しない。そのため米国は対中輸出規制を強化し、中国は巨額の国家資金を投入して半導体自立を進める。日本もまた、経済産業省を中心に半導体を国家戦略産業として位置付けるようになり、かつての市場競争とは異なる国家対国家の競争時代へ突入したことが描かれる。
5.TSMC誘致とラピダス構想
本書後半では、日本復活への挑戦としてTSMC熊本工場誘致とラピダス設立の舞台裏が詳細に描かれる。経済産業省は台湾TSMCを日本へ誘致するため巨額補助金を投入し、その後IBMとの技術提携を基盤としてラピダス構想が誕生する。当初は政府内にも懐疑論が存在したが、ロシアによるウクライナ侵攻、中国の台湾圧力など国際情勢の激変が、国家として最先端半導体を国内生産する必要性を強く認識させた。こうして日本政府は総額約10兆円規模ともいわれる国家的プロジェクトへ踏み出し、失われた30年からの巻き返しを図ろうとしている。本書はその政策形成過程や官僚・政治家・企業経営者たちの葛藤を、生々しい証言を交えながら描いている。
6.日本産業再生への問い
著者は最後に、日本が半導体だけを復活させれば問題が解決するわけではないと指摘する。半導体は素材、製造装置、ソフトウェア、人材育成、大学研究、防衛、エネルギー政策など広範な産業と密接につながっており、日本全体の産業政策を再設計しなければ世界競争には勝てない。半導体は日本産業復活の象徴であり、その成否は21世紀後半の日本経済を左右する国家的課題であると結論付けている。
本書が言いたかったこと
半導体はもはや一企業の利益を競う産業ではなく、国家の安全保障、経済力、技術力、そして国際政治の主導権を決定する戦略資産である。日本の衰退は技術力そのものよりも、長期的な国家戦略や迅速な意思決定の欠如に起因していた。一方で、TSMC誘致やラピダス構想は、その失敗を繰り返さないための国家的挑戦であり、日本が再び世界の技術競争に参加できるかどうかを占う試金石となる。半導体を通じて、日本が産業政策、経済安全保障、科学技術政策を一体として考える国家へ転換できるかどうかが未来を左右する。
