In the Studio
2015年刊
John Elderfield and Peter Galassi著
著者の経歴
ジョン・エルダーフィールドはイギリス生まれの美術史家であり、ニューヨーク近代美術館の主任学芸員を務めた20世紀美術研究の第一人者である。とりわけマティスやピカソ、デ・クーニング研究で知られ、近代絵画に関する数多くの著作を残している。
ピーター・ガラッシはアメリカを代表する写真史家であり、長年にわたりニューヨーク近代美術館写真部門の責任者を務めた。ウォーカー・エヴァンスやカルティエ=ブレッソンなどの研究で知られ、美術と写真との関係について深い洞察を示してきた。本書は、絵画史と写真史の専門家が共同で手がけたことによって、作品と制作空間との関係を多面的に読み解くことに書籍である。
本書の内容
1.アトリエという創造の舞台
本書は、画家のアトリエを単なる仕事場としてではなく、芸術家の精神と美意識が具体化された場所として捉えている。画家たちはアトリエの中で作品を制作するだけでなく、自らの世界観を空間全体に投影していたのである。
2.アトリエを描くという伝統
19世紀以降、多くの画家たちは自分自身のアトリエを絵画の主題として描いてきた。画家の背後に置かれた作品や家具、彫刻、布、植物などは、芸術家自身の精神風景を映し出す存在となっていた。本書はそのような作品群を通じて、アトリエが一種の自画像であることを示している。
3.創造と生活の境界
アトリエには生活の痕跡と制作の痕跡が共存している。整理された空間を好む画家もいれば、混沌の中に創造力を見いだす画家もいる。空間のあり方が作品の性格と深く結びついていることが、本書を通じて明らかにされている。
4.芸術家の内面を映す鏡
完成された作品だけではなく、創作が行われる場所を見ることによって、私たちは芸術家の精神世界に近づくことができる。本書は、アトリエを芸術家の人格と思想が可視化された空間として理解しようとしている。
画家たちのアトリエ
1.ジェローム
ジャン=レオン・ジェロームのアトリエは、単なる作業場ではなく、異国趣味、古代趣味、歴史趣味を凝縮した小さな博物館のような空間であった。絨毯、武具、彫刻、衣装、工芸品、東方的な装飾品は、彼の絵画に登場する世界を準備するための舞台装置であった。ジェロームの作品世界は、古代ローマ、オリエント、イスラム世界などを精密な描写で再現することに特徴がある。しかしその再現は、単なる写実ではない。アトリエに集められた物品は、現実の断片であると同時に、画家が構成した歴史劇の材料であった。ジェロームのアトリエは、歴史を目の前に呼び戻すための劇場であり、彼の絵画はその劇場から生まれた視覚的スペクタクルであった。


2.マティス
アンリ・マティスのアトリエは、布、家具、陶器、植物、屏風、モデル、窓から入る光によって満たされた、色彩と装飾の実験室であった。マティスにとってアトリエは、対象を観察する場所である以上に、色と形の関係を組み替える場所であった。彼の室内画では、人物、壁紙、布、花瓶、椅子、窓の外の風景が、遠近法的な奥行きよりも平面的な色彩の調和によって結びつく。アトリエそのものが、現実の部屋でありながら、すでに一枚の絵画のように構成されていた。マティスのアトリエは、生活空間を美の楽園へ変える装置であり、そこから生まれる作品は、現実の再現ではなく、現実を喜びと装飾へ変換する芸術であった。

3.ピカソ
パブロ・ピカソのアトリエは、作品、彫刻、仮面、道具、日用品、過去の制作物が堆積する混沌の空間であった。その雑然とした空間は、無秩序に見えながら、実際にはピカソの記憶と実験精神が積み重なった創造の倉庫であった。ピカソの作品世界は、常に変貌する。青の時代、バラ色の時代、キュビスム、新古典主義、シュルレアリスム的形象、晩年の奔放な絵画へと、彼は一つの様式にとどまらなかった。その変化を支えていたのが、アトリエに蓄積された無数の視覚的刺激である。ピカソにとってアトリエは、世界の断片を解体し、再構成する錬金術の場であった。

4.ブランクーシ
コンスタンティン・ブランクーシのアトリエは、他の多くの画家のアトリエとは異なり、制作途中の混乱よりも、完成された形態の静謐な配置によって特徴づけられる。彫刻と台座は厳密に配置され、空間全体が一つの作品のように構成されていた。ブランクーシにとって彫刻は、単体の物体ではなく、周囲の空間、台座、光、鑑賞者の視線とともに存在するものであった。そのため彼のアトリエは、彫刻を保存する場所ではなく、彫刻が互いに響き合う神殿のような場であった。空間の鳥や接吻に見られる単純化された形態は、アトリエ全体の清澄な秩序と深く結びついている。彼のアトリエは、作品が生まれる場所であると同時に、作品が最も完全に存在する場所でもあった。

5.ジャコメッティ
アルベルト・ジャコメッティのアトリエは、狭く、粗末で、石膏や粘土や絵具の痕跡に覆われた空間であった。そこには壮麗さも快適さもなく、むしろ人間存在を極限まで削り出すための修道院のような緊張感があった。ジャコメッティの細長い人物像は、単に人体を変形したものではない。彼のアトリエの狭さ、暗さ、堆積した制作の痕跡は、人間が世界の中に孤立して立っている感覚と深く重なっている。彼は同じ対象を何度も描き、何度も削り、何度もやり直した。アトリエはその反復と失敗の記録を抱え込んだ場所であり、作品世界に漂う孤独、不安、距離感は、この空間から生まれている。

6.アンソール
ジェームズ・アンソールのアトリエには、仮面、骸骨、人形、奇妙な小道具が並び、現実と幻想の境界が曖昧になる独特の雰囲気があった。彼のアトリエは、整然とした制作空間というより、内面の不安や諷刺精神が物質化した怪奇な舞台であった。アンソールの作品に頻繁に登場する仮面は、単なる装飾品ではない。それは社会の偽善、人間の滑稽さ、死への恐怖を象徴する存在である。アトリエに置かれた仮面や骸骨は、彼の想像力を刺激する道具であると同時に、彼自身の世界観そのものであった。アンソールのアトリエは、日常の背後に潜む不気味さを可視化する装置であり、そこから彼のグロテスクで風刺的な作品世界が生まれた。
7.シャルダン
ジャン=シメオン・シャルダンのアトリエは、ジェロームやピカソのような過剰な物の集積とは対照的に、簡素で静かな空間である。器、果物、台所道具、日用品など、彼が描いた対象はきわめて身近なものであった。しかしシャルダンにおいて重要なのは、ありふれた物が沈黙の中で深い存在感を帯びることである。彼のアトリエは、日常の物を劇的に演出する場所ではなく、物の重さ、質感、光の柔らかさを見つめるための沈黙の場であった。シャルダンの静物画が持つ品位と内省性は、この質素な制作空間と不可分である。彼にとってアトリエとは、世界を騒がしく語る場所ではなく、物が静かに語り始めるのを待つ場所であった。
8.ジャスパー・ジョーンズ
ジャスパー・ジョーンズのアトリエは、抽象表現主義以後のアメリカ美術における知的な転換を象徴する空間である。旗、標的、数字、地図といった既成の記号を用いる彼の作品は、感情の爆発よりも、見ること、読むこと、記号化することへの問いによって成り立っている。そのためジョーンズのアトリエは、画家の情念が噴出する場所というより、視覚記号を検証する実験室に近い。そこでは、既に誰もが知っているイメージが、絵画として再提示されることで、不思議な曖昧さを帯びる。アトリエは、日常的記号を芸術作品へ変換する思考の場であり、彼の作品世界はその冷静な検証作業から生まれている。
9.リキテンスタイン
ロイ・リキテンスタインのアトリエは、ポップアートの明快さと合理性を反映する空間である。そこでは漫画のコマや広告的イメージが拡大され、ベン・デイ・ドット(粒々の印刷技法のこと)を思わせる点描的処理によって、機械印刷のような絵画へと変換される。リキテンスタインの作品は、一見すると工業製品のように冷たく、個人的筆致を消し去っている。しかしその背後には、手作業によって機械的イメージを再現するという逆説がある。彼のアトリエは、感情を吐露する場所ではなく、イメージを分析し、単純化し、再構成する工房であった。作品世界の清潔さ、明快さ、人工性は、その制作空間の合理性と密接につながっている。
10.ラウシェンバーグ
ロバート・ラウシェンバーグのアトリエは、新聞、布、写真、廃材、日用品、拾得物などが集まる巨大な実験場であった。彼にとってアトリエは、外部世界から切り離された聖域ではなく、世界を取り込む開かれた場であった。ラウシェンバーグのコンバイン・ペインティング(絵画と三次元のオブジェを結合させた芸術様式)は、絵画と彫刻、芸術と日用品、個人表現と社会的現実の境界を曖昧にする。そのような作品は、清潔で閉じたアトリエからは生まれにくい。彼のアトリエには、偶然、廃棄物、都市の断片、メディアのイメージが流れ込み、それらが作品へと組み替えられていった。ラウシェンバーグのアトリエは、現代社会の雑多な現実を芸術へ変える変換装置であった。
アトリエは画家の精神
画家のアトリエは、それぞれの作品世界を準備する母胎である。ジェロームにおいては歴史劇の舞台であり、マティスにおいては色彩の楽園であり、ピカソにおいては創造の迷宮であり、ブランクーシにおいては純粋形態の神殿であった。ジャコメッティにおいては存在の不安を刻む狭い部屋であり、アンソールにおいては仮面と死の幻想劇場であり、シャルダンにおいては沈黙する物たちの空間であった。ジョーンズ、リキテンスタイン、ラウシェンバーグにおいては、アトリエはもはや伝統的な絵画制作の場を超え、記号、印刷、廃材、メディア、都市生活を作品へ変換する現代的な実験場となった。アトリエを知ることは、作品の背後にある制作技術を知ることにとどまらない。それは、画家が世界をどのように見ていたか、何を集め、何を排除し、どのような秩序や混沌の中から自らの芸術を生み出したかを知ることである。本書が示しているのは、アトリエとは作品の外側にある付属情報ではなく、作品世界を生み出す根源的な場所である。
