2026年6月現在
大イスラエル主義の矛盾
大イスラエル主義とは、イスラエル国家の領域やユダヤ民族の歴史的権利を、現在の国境線より広く考える思想である。狭義には、ヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザ、場合によってはヨルダン川東岸までを含む聖書的イスラエルの回復を目指す考えを指す。広義には、正式な併合を唱えなくても、入植地拡大、軍事支配、治安管理、パレスチナ国家樹立の阻止を通じて、実質的にイスラエルの支配圏を広げようとする政策傾向を含む。
現代イスラエル国家が公式に大イスラエル主義を国家理念として掲げている訳ではない。イスラエル社会には、世俗派、リベラル派、軍・情報機関出身者、和平派、宗教右派、入植者運動など多様な勢力が存在する。しかし近年、ネタニヤフ政権を支える宗教ナショナリズム勢力や極右政党の影響力が強まり、ヨルダン川西岸での入植拡大やパレスチナ国家否認の傾向が強くなっている。2026年6月にも、西岸入植地拡大のための大規模予算案がイスラエル政府内で検討されており、国際社会からは将来の和平を困難にする動きと見られている。
大イスラエル主義的な発想が強まれば、イスラエルは民主国家であり続けることと、ユダヤ人国家であり続けることと、占領地を支配し続けることの三つを同時に満たせなくなる。多数のパレスチナ人を支配下に置きながら完全な政治的権利を与えなければ、民主主義の正統性は損なわれる。逆に完全な市民権を与えれば、ユダヤ人国家としての人口的基盤が揺らぐ。ここに現代イスラエルの根本的矛盾がある。
イスラエルと米国の関係について
イスラエルと米国の関係は、単なる同盟ではなく、軍事、情報、技術、宗教、政治、世論が複雑に絡み合った特別な関係である。米国はイスラエルを中東における最重要同盟国の一つと位置づけ、長年にわたり巨額の軍事支援、最新兵器供与、国連安全保障理事会での外交的保護を与えてきた。イスラエル側も、米国の中東戦略、対イラン政策、情報収集、軍事技術開発に深く組み込まれている。この関係の背景には、冷戦期以来の地政学がある。イスラエルは中東における親米・高技術・軍事強国として、米国にとってアラブ民族主義、ソ連影響力、イラン革命後の反米勢力に対抗する拠点であった。また米国内には強い親イスラエル世論、ユダヤ系コミュニティ、キリスト教福音派、議会ロビーが存在し、イスラエル支援は長く超党派的政策であった。
しかし近年、この関係には変化が生じている。ガザ戦争、西岸入植、民間人犠牲、人道危機をめぐり、米国国内でもイスラエル政府への批判が拡大している。特に若年層、リベラル派、大学、民主党支持層の一部では、イスラエルを無条件に支援することへの疑問が強まっている。米国政府は依然としてイスラエルの安全保障を重視するが、イスラエルの軍事行動が米国の中東政策全体を難しくしている面がある。更に、2026年時点では米国とイスラエルの戦略目標が完全には一致していない。米国はイランとの戦争拡大を抑え、地域安定やエネルギー市場を重視する一方、イスラエルはイランの核・ミサイル・代理勢力を根本的に弱体化させたいと考える。米国とイランの停戦・交渉をめぐっても、イスラエルが交渉の外に置かれ、不満を示している。
イスラエルは米国を巻き込んでいると同時に、米国に依存している。米国の軍事支援、外交的庇護、技術協力なしに、現在の戦略を維持することは難しい。しかし米国世論が変わり、米国の国益とイスラエル右派政権の構想が乖離すれば、この特別関係は長期的に揺らぐことになる。イスラエルにとって最大の危険は、米国を当然の後ろ盾と考え続けることである。
イスラエルが抱えるリスク
1. 長期戦争による経済疲弊
イスラエルは高度な技術経済を持つが、長期戦争には大きな代償が伴う。予備役の長期動員は労働力を奪い、ハイテク企業、観光、建設、農業に影響を与える。ガザ戦争以降、軍事費、国境地域の復旧、防空費用が財政を圧迫している。ロイターは、2023年10月以降の戦争費用が430億ドル規模に達したと報じ、イスラエルの債務比率も上昇していると伝えている。イスラエル経済の強さは、スタートアップ、サイバー、軍事技術、医療、半導体関連にある。しかし戦争が常態化すれば、海外投資家はリスクを織り込み、若い技術者や起業家の国外流出も起こる。戦争経済は短期的には防衛産業を刺激するが、長期的には社会保障、教育、インフラへの投資を削る。イスラエルの破滅は突然の軍事敗北ではなく、慢性的な戦時国家化による活力低下として現れる可能性がある。
2. 国際的孤立の拡大
イスラエルは建国以来、国際的批判を受けながらも、米国と欧州の支持を軸に外交的基盤を維持してきた。しかしガザ戦争以降、民間人被害、人道危機、西岸入植、入植者暴力への批判が急速に強まっている。欧州諸国の一部は入植者暴力に関係する団体や個人への制裁を進め、国際司法裁判所や国際刑事裁判所をめぐる圧力も強まっている。国際的孤立は、すぐに国家崩壊を意味しない。イスラエルには米国、インド、一部欧州諸国、アラブ諸国との実利関係がある。しかし、文化、投資、国際機関での孤立が広がれば、国の正統性が少しずつ損なわれる。特にイスラエルが民主主義国家として西側の一員であるという自己像を保てなくなることは重大である。軍事的勝利を重ねても、国際社会から道徳的に孤立すれば、長期的安全保障はむしろ弱まる。
3. 米欧との価値観の乖離
イスラエルは自らを中東唯一の自由民主主義国家と位置づけてきた。この自己像は、米欧からの支持を得る重要な根拠であった。しかし近年、司法改革問題、極右政党の政権参加、宗教ナショナリズムの台頭、パレスチナ人への支配継続により、米欧社会との価値観の乖離が深まっている。米欧は安全保障上イスラエルを支援しつつも、人権、国際法、法の支配を重視する。イスラエルが軍事的必要を理由にこれらを後景化すれば、同じ価値観を共有する同盟国という説明が難しくなる。とりわけ若い世代にとって、イスラエルはホロコースト後の避難国家というより、占領と軍事支配を続ける国として見られやすくなっている。これは長期的には米欧政治の変化となって現れる。イスラエルの最大の外交資産は軍事力ではなく、民主主義国家としての正統性である。その資産が摩耗している。
4. 国内の宗教・世俗対立
イスラエル国内には、世俗派、伝統派、宗教シオニスト、超正統派が共存している。問題は、人口構成と政治力の変化により、宗教勢力の影響が増していることである。2025年時点の統計では、イスラエルのユダヤ人のうち世俗派は約4割強、伝統派が約3割強、宗教派と超正統派が合わせて2割強を占めるとされる。超正統派は出生率が高く、将来的に人口比率がさらに上昇すると予測されている。彼らの一部は兵役、世俗教育、労働市場参加をめぐって他の国民と緊張を生む。世俗派から見れば、自分たちが納税し兵役に就く一方で、宗教政党が国家予算や家族法、教育制度に大きな影響を与える構図は不公平に映る。司法改革反対デモに見られたように、イスラエルの内部対立は単なる政策論争ではなく、国家の性格をめぐる争いである。外敵よりも内部分裂が国家の持続性を損なう可能性がある。
5. 人口構成変化による社会不安
イスラエルの人口問題は、単純なユダヤ人対アラブ人の比率だけではない。国内のユダヤ人社会そのものが、世俗派、高学歴ハイテク層、宗教シオニスト、超正統派、ミズラヒ系、アシュケナジー系、ロシア語系などに分かれている。更にイスラエル国民であるアラブ人、東エルサレム住民、西岸・ガザのパレスチナ人を含めると、支配と権利の問題は一層複雑になる。イスラエル中央統計局系の数字では、イスラエル人口はユダヤ人が約7割強、アラブ系市民が約2割強であるが、西岸とガザを政治的現実として含めれば、ユダヤ人多数という前提はより不安定になる。イスラエルが占領地を保持し続ける限り、人口的多数を守るために政治的権利を制限するという矛盾から逃れられない。人口構成の変化は、軍事では解決できない。むしろ教育、労働、兵役、福祉、参政権をめぐる長期的な社会不安として現れる。
6. 周辺勢力との終わりなき非対称戦争
イスラエルは通常戦力では周辺諸国を圧倒している。しかし現在の脅威は、国家軍同士の正面戦争だけではない。ハマス、ヒズボラ、イラン系民兵、フーシ派、ドローン、ミサイル、地下トンネル、国際世論戦が複合化している。2026年にも、フーシ派が紅海でイスラエル関連船舶への脅威を強め、地域の海上交通に影響を与えている。非対称戦争の厄介さは、イスラエルが戦術的に勝っても、敵を完全には消滅させられない。軍事作戦で指導者や拠点を破壊しても、占領、封鎖、民間人被害が新たな憎悪と動員を生む。イスラエルは攻撃されるたびに強硬化し、相手側は被害を抵抗の物語に変える。この循環が続けば、イスラエルは常に警戒態勢に置かれ、社会は軍事化し、外交的余地は狭まる。終わりなき非対称戦争は、イスラエル自身をも疲弊させる。
イスラエルの優位点
1.軍事力と情報能力
イスラエル国防軍、モサド、軍情報部隊は、中東で最も高度な作戦能力を持つ組織である。防空システム、精密誘導兵器、サイバー能力、電子戦、無人機、特殊作戦能力は世界的水準にある。国土は狭いが、脅威認識が鋭く、意思決定が速いことも特徴である。
2.技術力
イスラエルは人口規模に比べて異常に高いスタートアップ密度を持ち、サイバーセキュリティ、AI、医療技術、農業技術、水処理、防衛技術で強い競争力を持つ。軍で培われた技術人材が民間に移り、起業と投資の循環を生む構造がある。これは単なる経済力ではなく、国家安全保障を支える基盤である。
3.ディアスポラとの結合
米国、欧州、その他地域のユダヤ人コミュニティは、政治、金融、学術、慈善の面でイスラエルと深いつながりを持つ。もちろんユダヤ人全体がイスラエル政府を無条件に支持している訳ではないが、世界的ネットワークはイスラエルの重要な資産である。
4.周辺アラブ諸国との実利関係
エジプト、ヨルダンとの平和条約、UAEやバーレーンとのアブラハム合意、サウジアラビアとの潜在的正常化交渉は、イスラエルが完全に孤立していないことを示す。アラブ諸国の多くはパレスチナ問題に同情しつつも、イラン封じ込め、技術協力、米国との関係、経済近代化を重視している。
5.国家としての危機対応能力
イスラエル社会は強い動員力を持ち、戦争、テロ、移民、経済危機に繰り返し対応してきた。イスラエルは危険な道を歩みながらも、同時に極めて強靱な国家である。その強さが長期的な政治的知恵に結びつかず、力への過信に変わる懸念がある。
イスラエルの今後
1. パレスチナ問題をどう処理するか
イスラエルの将来を決定する最大問題は、パレスチナ問題である。ガザを軍事的に制圧しても、ハマスを弱体化しても、パレスチナ人の民族的要求は消えない。西岸で入植を拡大し、ガザを封鎖し、東エルサレムを支配し続ければ、イスラエルは恒久的な管理国家となる。これは安全保障上も道徳上も持続しにくい。二国家解決は現実性を失いつつあるが、完全に放棄すれば一国家内の権利問題が前面化する。パレスチナ人に国家を与えないなら、権利をどう保障するのかという問いが残る。権利を与えなければアパルトヘイト批判が強まり、与えればユダヤ人国家の性格が揺らぐ。したがってイスラエルは、軍事作戦ではなく政治的出口を必要としている。パレスチナ問題を管理可能な治安問題と見なす発想こそ、最大の危険である。
2. 宗教ナショナリズムをどこまで制御できるか
イスラエルの正念場は、宗教ナショナリズムを国家理性の範囲内に抑えられるかである。宗教的信念は国民を結束させる力を持つが、領土を神から与えられたものと考える政治思想は、妥協を困難にする。外交交渉、国境線、入植撤退、パレスチナ人の権利は、すべて現実的な政治の対象である。しかし宗教的絶対性が入り込むと、譲歩は裏切りと見なされる。イスラエルが民主国家であり続けるには、宗教政党や入植者運動を完全に排除する必要はないが、国家全体を彼らの終末論的・領土的思想に従属させてはならない。軍、司法、教育、財政、外交が宗教ナショナリズムに引きずられれば、イスラエルは近代国家から部族的要塞国家へ変質する。これは外敵による破壊ではなく、内側からの変質である。
3. 米国依存からどう自立するか
イスラエルは軍事的には強大だが、米国依存は深い。兵器、弾薬、防空、国連外交、金融市場での信用、技術協力の多くが米国との関係に支えられている。戦争費用に関しても、米国の軍事支援はイスラエル財政の重要な緩衝材である。しかし米国は永遠に同じではない。米国世論は世代交代し、中東への関与を減らしたいという潮流も強い。米国が中国、国内分断、財政問題に集中すれば、イスラエルへの無条件支援は政治的負担になる。イスラエルが真に自立するには、米国の軍事力を前提とした強硬政策を見直し、欧州、インド、アラブ諸国、アジアとの多層的関係を築く必要がある。米国依存からの自立とは、米国を捨てることではなく、米国に頼らなければ成り立たない政策を減らすことである。
4. イランとの関係をどう処理するのか
イランはイスラエルにとって最大の戦略的脅威である。核開発、弾道ミサイル、ヒズボラ、シリア・イラク民兵、フーシ派を通じた包囲網は、イスラエルの安全保障を根底から揺さぶる。イスラエルがイランの核武装を絶対に阻止しようとするのは、国家生存の論理から見れば理解できなくはないが、イラン問題を軍事だけで解決することは難しい。核施設を攻撃しても知識は消えず、体制を追い詰めれば核保有への動機が強まるばかりである。米国とイランの停戦・核交渉をめぐり、イスラエルが不満を示す構図が報じられている。イスラエルに必要なのは、軍事抑止、秘密工作、防空、外交圧力を組み合わせつつ、米国の対イラン戦略と完全に乖離しない現実主義である。イランを過小評価しても、過剰に挑発しても危険である。
5. 周辺アラブ諸国との現実的共存を築けるか
イスラエルが長期的に生き残るには、周辺アラブ諸国との現実的共存が不可欠である。エジプト、ヨルダンとの和平はイスラエルの安全保障を大きく改善した。UAE、バーレーンとの正常化は、アラブ世界にもイスラエルとの経済・技術協力を重視する潮流があることを示した。しかしガザ戦争とパレスチナ問題は、この正常化の進展を大きく妨げている。アラブ諸国の指導者は、イラン封じ込めや技術協力ではイスラエルと利害を共有し得る。しかし自国民世論はパレスチナ問題に敏感であり、イスラエルがガザや西岸で強硬政策を続ければ、正常化は政治的に困難になる。イスラエルが真に地域に受け入れられるには、軍事的恐怖によって沈黙させるのではなく、アラブ諸国が公然と協力できる政治環境を作る必要がある。現実的共存とは、敵を倒すことではなく、敵を永遠に増やさないことである。イスラエルの正念場はまさにそこにある。
パレスチナの民族浄化(書評)
The Ethnic Cleansing of Palestine
2006年(日本語版2017年)刊
Ilan Pappé著
イラン・パペは1954年、イスラエル北部のハイファに生まれた歴史学者である。両親はナチスによる迫害を逃れてドイツからパレスチナへ移住したユダヤ人であり、パペ自身はイスラエル建国後の社会で育った。エルサレムのヘブライ大学で学んだ後、英国オックスフォード大学で博士号を取得した。その後、イスラエルのハイファ大学で教鞭を執り、イスラエル建国史、パレスチナ問題、中東の民族紛争などを研究した。2007年にハイファ大学を離れ、英国エクセター大学に移った。パペは、1980年代以降、イスラエルの公文書や軍事記録を利用して建国史を再検討した新しい歴史家(ニュー・ヒストリアンズ)と呼ばれる研究者である。従来のイスラエル建国史では、1948年の戦争は、独立を宣言したユダヤ人国家が周辺アラブ諸国の攻撃から生き延びるための戦争として描かれることが多かった。また、パレスチナ人の大量難民化については、戦争の混乱やアラブ側の指導者による避難指示などが強調されていた。パペは、イスラエル側の軍事記録や政治指導者の発言、パレスチナ人の証言などを検討し、こうした説明だけでは住民追放の実態を十分に理解できないと主張した。特に、イスラエル建国に伴うパレスチナ人の大量追放を、国家建設の過程で意図的に実行された民族浄化として捉える立場を明確にしている。パペの研究は、イスラエル建国の歴史をパレスチナ人の視点から再検証するものである。
1.シオニズムとユダヤ人国家の構想
本書は、19世紀末に欧州で発展したシオニズム運動の歴史から議論を始める。シオニズムとは、ユダヤ人の民族的自決と故郷の建設を目指す政治運動である。欧州で反ユダヤ主義や迫害が続く中、ユダヤ人が自らの国家を持つことによって安全と民族的な自立を確保しようとする思想として発展した。1897年、テオドール・ヘルツルらによって第1回シオニスト会議が開催され、パレスチナにユダヤ人の民族的な拠点を建設する運動が組織化された。しかし、当時のパレスチナには、アラブ系住民を中心とする既存の社会が存在していた。ユダヤ人の移住と国家建設の構想は、土地の所有、政治的主権、人口構成などをめぐって、現地住民との対立を生むことになった。パペは、ユダヤ人国家の建設を目指す運動の一部に、アラブ系住民の存在を国家建設の障害として捉え、住民の移住や移転を検討する思想が存在したことに注目する。著者によれば、パレスチナ人の排除は1948年の戦争中に突然生まれた政策ではなく、それ以前の国家建設構想と密接に結びついていた。
2.英国委任統治とパレスチナの分割
第一次世界大戦後、オスマン帝国の支配下にあったパレスチナは英国の委任統治領となった。1917年のバルフォア宣言で、英国政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を建設することへの支持を表明していた。その後、欧州からのユダヤ人移住が進み、現地のアラブ系住民との間で土地や政治的権利をめぐる対立が激化した。第二次世界大戦後、英国はパレスチナ問題の解決を国際連合に委ねた。1947年11月、国連総会はパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する決議第181号を採択した。ユダヤ人指導部は分割案を国家建設の基盤として受け入れた一方、アラブ側は人口構成や土地の配分、住民の民族自決権などを理由に反対した。パペは、この分割案がパレスチナの既存の人口分布や土地所有の実態と必ずしも一致していなかったことを重視する。著者によれば、ユダヤ人国家に割り当てられた地域にも多数のアラブ系住民が生活しており、ユダヤ人国家の建設を進める指導部にとって、領土の確保と人口構成の問題が重要な政治的課題となった。パペは、この人口構成をめぐる問題が、その後の住民追放政策を理解する上で不可欠であると論じている。
3.ベン=グリオンと住民移転構想
本書で重要な役割を占める人物が、後にイスラエル初代首相となるダヴィド・ベン=グリオンである。パペは、ベン=グリオンをユダヤ人国家建設の中心的な政治指導者として位置づけ、その国家構想と軍事政策を検証する。1947年の国連分割決議後、パレスチナではユダヤ人勢力とアラブ人勢力の武力衝突が拡大した。パペは、ベン=グリオンとその周辺の政治・軍事指導者が、戦争の進展を見据えながら、ユダヤ人国家の領域を確保し、そこに居住するアラブ系住民を排除する構想を具体化させたと論じる。本書では、ベン=グリオンの周囲で政策決定に関与した政治・軍事関係者を取り上げ、住民排除に関する方針がどのように形成されていったのかを検討している。また、ユダヤ人側の軍事組織が作成したパレスチナ各地の村落に関する資料にも注目する。そこには、村落の位置、人口、道路、地形、住民の政治的傾向などの情報が記録されていた。パペは、こうした情報収集が、1948年の軍事作戦と住民追放を実行する際に利用されたと解釈している。
4.ダレット計画と民族浄化の実行
本書の中心的な論点が、1948年3月にユダヤ人側の軍事組織ハガナーによって策定されたダレット計画である。この計画は、英国の委任統治終了と周辺アラブ諸国との戦争を見据え、ユダヤ人国家の領域や交通路を確保するための軍事作戦計画であった。計画には、戦略上重要な地域の占領、敵対勢力の拠点の制圧、状況に応じた村落の破壊や住民の追放などが含まれていた。パペは、ダレット計画を単なる防衛計画ではなく、パレスチナ人を組織的に排除するための軍事的な基本計画であったと解釈する。著者によれば、ユダヤ人国家の領土を確保するという軍事目的と、その地域に居住するパレスチナ人を排除するという政治目的が結びつくことで、大規模な住民追放が進められた。1948年4月以降、ハガナーなどのユダヤ人武装組織は、エルサレム周辺やパレスチナ各地で軍事作戦を展開し、多数の村落を占領した。パペは、こうした作戦によって住民が追放され、村落が破壊され、帰還が困難になっていった過程を詳しく記述している。
5.1948年の戦争とパレスチナ人の大量追放
1948年5月14日、イスラエルは独立を宣言した。翌15日には周辺アラブ諸国の軍隊が旧英国委任統治領パレスチナに進入し、第一次中東戦争は国家間戦争へと拡大した。しかし、パレスチナ人の避難と追放は、イスラエルの独立宣言以前から始まっていた。パペは、1947年末から1948年にかけて実施された軍事作戦を詳しく追跡し、住民追放が戦争の進展に伴ってどのように拡大したのかを検証する。ハイファ、ヤッファ、エルサレム周辺などでは、戦闘、砲撃、住民への威嚇、直接的な追放などによって、多数のパレスチナ人が住居を離れた。また、1948年4月のデイル・ヤシーン村での住民殺害事件は、周辺地域のパレスチナ人に大きな恐怖を与え、避難を促す要因となった。パペは、こうした暴力と恐怖が住民を移動させる効果を持ち、軍事作戦と人口構成の変化が密接に結びついていたと論じる。戦争全体を通じて、およそ70万人のパレスチナ人が故郷を離れ、難民となったと推計されている。パペは、これらの住民の移動を、戦闘からの自発的な避難だけでは説明できず、軍事的な威嚇、直接的な追放、村落の破壊、帰還の禁止などが組み合わされた結果であると主張する。本書は、イスラエル側の軍事的な勝利と国家建設が、パレスチナ人にとっては故郷と生活基盤の喪失を伴う出来事であったことを明らかにしようとしている。
6.村落の破壊と土地の再編
パペが重視するのは、パレスチナ人の追放が戦争中の一時的な住民移動にとどまらなかったことである。1948年の戦争によって、多数のパレスチナ人の村落が無人化し、その多くが破壊された。住民が故郷を離れた後、イスラエル政府は帰還を制限し、難民となったパレスチナ人の土地や財産を国家の管理下に置く政策を進めた。その後、旧パレスチナ人村落の土地には、新たなユダヤ人入植地、農業施設、森林、公園などが建設された。パペは、こうした土地利用の変化を、単なる戦後復興や国土開発としてではなく、パレスチナ人の生活空間をイスラエル国家の領土へと再編する過程として捉える。著者によれば、村落の破壊と地名の変更、土地所有制度の変更、住民の帰還禁止が組み合わされることで、パレスチナ人が故郷に戻る可能性は次第に失われていった。本書は、民族浄化を住民の物理的な追放だけでなく、その地域に存在した社会、文化、歴史的な記憶を消し去る過程としても分析している。
7.ナクバと歴史的記憶の対立
1948年のイスラエル建国は、イスラエルのユダヤ人社会では独立と民族的自決の実現として記憶されてきた。一方、パレスチナ人は同じ出来事をナクバ(大惨事)と呼び、故郷の喪失、難民化、共同体の崩壊として記憶している。パペは、この二つの歴史的記憶の間に存在する大きな隔たりを検証する。著者によれば、イスラエルの公的な歴史叙述では、建国に伴うパレスチナ人の追放や村落の破壊が十分に取り上げられず、パレスチナ人が自発的に故郷を離れたという説明が強調されてきた。パペは、こうした歴史叙述によってパレスチナ人の経験が社会的な記憶から排除されてきたと批判する。本書では、村落の跡地、地名の変更、記念施設、教育などを通じて、1948年の出来事がどのように記憶され、あるいは忘却されてきたのかを検討している。イスラエル建国の歴史を理解するためには、ユダヤ人の民族的自決という側面だけでなく、同じ土地に生活していたパレスチナ人の故郷の喪失という側面も歴史の中心に据える必要がある。
8.難民の帰還権と和平問題
1948年の戦争によって故郷を離れたパレスチナ人の多くは、現在のヨルダン川西岸地区、ガザ地区、ヨルダン、レバノン、シリアなどに難民として移住した。イスラエル政府は、難民の大規模な帰還が国家の人口構成や安全保障に影響するとして、帰還を制限してきた。一方、パレスチナ人にとって、故郷への帰還や失われた財産に対する補償は、民族的な権利と歴史的な正義に関わる問題である。パペは、イスラエルとパレスチナの和平交渉において、1948年の住民追放と難民問題が十分に解決されてこなかったことを批判する。著者によれば、紛争を1967年の第三次中東戦争以降の占領問題だけに限定して理解すると、1948年の建国に伴うパレスチナ人の故郷の喪失という、より根本的な問題が見えなくなる。そのため、パペは、パレスチナ人の帰還権、財産、歴史的な被害の承認を、紛争解決に不可欠な課題として位置づけている。本書は、1948年の歴史を再検証することが、過去の出来事を明らかにするだけでなく、現在のイスラエル・パレスチナ紛争の構造を理解することにもつながると論じている。
パレスチナの百年戦争(書評)
The Hundred Years’ War on Palestine
2020年刊
Rashid Khalidi著
ラシード・ハーリディーは1948年、米国ニューヨークに生まれたパレスチナ系米国人の歴史学者である。ハーリディーは1970年に米国イェール大学を卒業し、1974年に英国オックスフォード大学で博士号を取得した。その後、ベイルート・アメリカン大学、ジョージタウン大学、シカゴ大学などで教鞭を執り、2003年からコロンビア大学で現代アラブ研究を担当した。現在は同大学のエドワード・サイード現代アラブ研究名誉教授である。専門分野は中東近現代史、パレスチナ民族運動、アラブ民族主義、米国の中東政策などである。また、学術研究だけでなく、1991年から1993年にかけてマドリード会議およびワシントンでの中東和平交渉に参加したパレスチナ代表団の顧問を務めた。ハーリディー家は、エルサレムを中心に政治、宗教、教育、行政などの分野で活動してきたパレスチナの名家である。著者の高祖父に当たるユースフ・ディヤー・アル=ハーリディーは、オスマン帝国時代にエルサレム市長などを務め、1899年にはシオニズム運動の指導者テオドール・ヘルツルに対して、パレスチナには既に住民が存在しており、ユダヤ人国家の建設は現地住民との対立を生む可能性があると警告する書簡を送っている。著者は、この一族の歴史を通じて、パレスチナ人が近代以前から独自の社会、文化、政治的な共同体を形成していたことを示している。
1.百年戦争という歴史認識
本書は、1917年のバルフォア宣言から2017年までの約100年間を、パレスチナ人の民族自決と国家建設をめぐる長期的な闘争として捉える。ハーリディーは、この歴史を、同じ土地に対する権利を主張する二つの民族の対等な争いとして説明するだけでは不十分であると考える。著者によれば、パレスチナ人は、英国の委任統治、シオニズム運動による国家建設、イスラエルの軍事占領、米国の中東政策という、時代ごとに異なる政治的・軍事的な力に直面してきた。その結果、パレスチナ人は自らの土地において政治的な主権を確立できず、国家建設を繰り返し阻まれてきた。本書は、この歴史を六つの重要な転換点に分け、それぞれをパレスチナ人に対する宣戦布告と位置づけている。
2.最初の宣戦布告(1917-1939年)
1917年11月、英国の外相アーサー・バルフォアは、パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を建設することへの支持を表明した。当時、パレスチナはオスマン帝国の領土であり、アラブ系住民を中心とする社会が存在していた。ハーリディーは、英国政府が現地住民の政治的な意思を十分に反映させることなく、パレスチナの将来について重大な方針を決定したことを問題視する。第一次世界大戦後、英国は国際連盟の委任統治制度の下でパレスチナを統治し、ユダヤ人の移住と民族的郷土の建設を支援した。一方、パレスチナのアラブ系住民は、独立と民族自決を求める政治運動を展開した。1920年代から1930年代にかけて、ユダヤ人の移住、土地の取得、政治的な主権をめぐる対立が激化した。1936年には、英国の統治とシオニズム運動に反対するパレスチナ・アラブ人の大規模な反乱が始まった。英国は軍事力を投入して反乱を鎮圧し、パレスチナ人の政治的・軍事的な組織は大きな打撃を受けた。著者は、この時期にパレスチナ側の政治組織が弱体化したことが、1947年から1948年にかけての戦争における不利な条件につながったと分析する。同時に、パレスチナ側の指導者間の対立や政治的な判断の誤りも、民族運動の結束を弱めた要因として取り上げている。
3.第二の宣戦布告(1947-1948年)
第二次世界大戦後、英国はパレスチナ問題の解決を国際連合に委ねた。1947年11月、国連総会はパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する決議第181号を採択した。ユダヤ人指導部は分割案を受け入れたが、アラブ側は、人口構成や土地の配分、現地住民の民族自決権などを理由に反対した。その後、パレスチナではユダヤ人勢力とアラブ人勢力の武力衝突が拡大した。1948年5月、イスラエルは独立を宣言し、周辺アラブ諸国の軍隊が旧英国委任統治領パレスチナに進入したことで、戦争は国家間の軍事衝突へと拡大した。戦争の結果、イスラエルは国連分割案で割り当てられた地域を超える領土を支配し、約70万人のパレスチナ人が故郷を離れて難民となった。ハーリディーは、この出来事を、パレスチナ人が自らの国家を建設する機会を失い、社会的・政治的な共同体が大きく破壊された歴史的転換点として捉える。パレスチナ人は、この出来事をナクバ(大惨事)と呼んでいる。著者は、イスラエル建国をユダヤ人の民族的自決の実現として理解するだけでなく、同じ出来事がパレスチナ人にとっては土地、財産、故郷、政治的主権の喪失を意味したことを重視する。また、アラブ諸国の指導者がパレスチナ人の民族自決よりも、それぞれの国家利益を優先したことについても検証している。
4.第三の宣戦布告(1967年)
1967年6月、イスラエルとエジプト、シリア、ヨルダンなどの間で第三次中東戦争が勃発した。イスラエルは短期間の戦闘によって、ヨルダン川西岸地区、東エルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ゴラン高原を占領した。この戦争によって、1948年の戦争後にイスラエルの支配下に入らなかったヨルダン川西岸地区とガザ地区も、イスラエルの軍事占領下に置かれることとなった。ハーリディーは、1967年をパレスチナ問題の新たな転換点として位置づける。イスラエルは占領地域で軍事的な支配を継続し、ヨルダン川西岸地区や東エルサレムではユダヤ人入植地の建設を進めた。一方、パレスチナ人は、自らの国家を持たないまま、イスラエルの軍事的な管理下で生活することとなった。著者は、1967年以降の紛争を占領地域の返還という領土問題だけに限定すると、1948年に故郷を失った難民の帰還や、パレスチナ人全体の民族自決という問題が十分に扱われなくなると論じる。また、1967年の戦争後、パレスチナ解放機構(PLO)が民族運動の中心的な組織として台頭し、パレスチナ人自身による政治的・軍事的な抵抗が拡大した過程も検証している。
5.第四の宣戦布告(1982年のレバノン侵攻)
1982年6月、イスラエル軍はレバノンへ大規模な侵攻を開始した。当時、パレスチナ解放機構はレバノンを主要な活動拠点としており、イスラエル北部への攻撃などを行っていた。イスラエル政府は、北部地域の安全確保とPLOの軍事力排除を掲げて侵攻したが、軍事作戦はレバノンの首都ベイルートにまで拡大した。ハーリディーは、この時期にベイルートで生活しており、戦争を直接経験した。本書では、イスラエル軍によるベイルート包囲、砲撃、住民の被害、PLO指導部の対応などが、著者自身の経験と歴史資料を交えて描かれている。PLOは最終的にベイルートから撤退し、指導部はチュニジアへ移転した。その後、ベイルートのサブラ・シャティーラ難民キャンプでは、イスラエル軍の包囲下でレバノンのキリスト教系民兵によるパレスチナ人らの大量殺害事件が発生した。ハーリディーは、1982年の戦争を、パレスチナ民族運動の政治的・軍事的な基盤を破壊する重大な出来事として位置づけている。同時に、PLO指導部がレバノン国内の政治的対立に深く関与し、軍事活動の拠点を維持したことが、パレスチナ民族運動に新たな問題をもたらした。
6.第五の宣戦布告(1987-1995年)
1987年、イスラエル占領下のヨルダン川西岸地区とガザ地区で、パレスチナ人による大規模な民衆蜂起、第一次インティファーダが始まった。それまでのパレスチナ民族運動は、国外に拠点を置くPLOによる外交活動や武装闘争が中心であったが、インティファーダでは占領地域に暮らす住民自身が抵抗運動の中心となった。抗議活動、ストライキ、商店の閉鎖、イスラエル製品の不買運動など、さまざまな形態の抵抗が展開された。一方、投石や武力行使も発生し、イスラエル軍による鎮圧や逮捕が行われた。ハーリディーは、この民衆蜂起によってパレスチナ問題が国際社会の注目を集め、和平交渉の機運が高まったと説明する。1993年、イスラエル政府とPLOはオスロ合意に調印し、相互承認とパレスチナ暫定自治の実施に合意した。しかし、著者は、この合意がパレスチナ人の独立国家建設を保障するものではなかったことを問題視する。パレスチナ自治政府が設立された一方、イスラエルは国境、入植地、安全保障などに関する重要な権限を保持し、占領の最終的な解消は将来の交渉に委ねられた。著者は、パレスチナ側が国家建設に必要な権限を十分に確保しないまま暫定自治を受け入れたことを、重大な外交上の問題として捉えている。また、米国が和平交渉の仲介役を務めながら、イスラエルとの強い政治的・軍事的関係を維持していたことについても批判的に検証している。
7.第六の宣戦布告(2000-2014年)
2000年、イスラエルとパレスチナの和平交渉が行き詰まる中、第二次インティファーダが始まった。第一次インティファーダと比較して、第二次インティファーダでは武力衝突が激化し、パレスチナ側の武装組織による自爆攻撃や、イスラエル軍による大規模な軍事作戦などによって、多数の民間人が犠牲となった。ハーリディーは、和平交渉の停滞、入植地の拡大、占領地域における生活環境の悪化などが、パレスチナ人の不満を高めた背景として重要であると論じる。2005年、イスラエルはガザ地区から入植者と常駐地上部隊を撤退させたが、ガザ地区の境界、空域、海域などに対する管理をめぐる問題は残された。2006年のパレスチナ立法評議会選挙ではハマスが勝利し、その後、ファタハとの対立が激化した。2007年にはハマスがガザ地区を掌握し、パレスチナの政治体制は分裂した。イスラエルとエジプトはガザ地区への人や物資の移動を制限し、ガザ地区の住民は厳しい生活環境に置かれることとなった。その後、イスラエルとハマスなどのパレスチナ武装組織との間で軍事衝突が繰り返された。特に2008年から2014年のガザ地区での戦闘では、多数の民間人が犠牲となり、住宅や社会基盤にも大きな被害が発生した。ハーリディーは、こうした軍事衝突を、イスラエルの安全保障とパレスチナ人の民族自決をめぐる未解決の問題が繰り返し表面化したものとして捉えている。一方、パレスチナ側の武装組織による民間人への攻撃や、パレスチナ指導部の分裂についても、民族運動の政治的な課題として取り上げている。
8.米国の中東政策と和平交渉の限界
本書を通じて繰り返し取り上げられる問題が、米国の中東政策である。英国が20世紀前半にパレスチナの政治的な将来を左右したのに対し、第二次世界大戦後は米国がイスラエルを支援する主要な大国となった。米国はイスラエルに対して軍事援助、外交的支援、経済的な協力を提供する一方、イスラエルとパレスチナの和平交渉では仲介役を務めてきた。著者は、こうした米国の二重の役割が、和平交渉の公平性に影響を及ぼしたと主張する。特に、パレスチナ側が独立国家の建設を目指す一方、イスラエル側は軍事的・経済的に優位な立場から交渉に臨むことができたため、双方の交渉力には大きな格差が存在した。また、パレスチナ側の政治指導者が米国の仲介に過度な期待を寄せ、国家建設に必要な具体的な条件を十分に確保しないまま交渉を進めたことについても批判している。著者は、米国の政策を単なる中立的な仲介として理解するのではなく、イスラエルとの戦略的関係や国内政治上の事情を踏まえて検証する必要があると主張している。
9.パレスチナ指導部の失敗と民族運動の課題
本書の特徴は、英国、イスラエル、米国の政策を批判するだけでなく、パレスチナ側の政治的な判断についても検証している。ハーリディーは、パレスチナ民族運動が長期間にわたって国家建設を実現できなかった背景には、外部の大国との力の格差に加え、指導部の分裂、外交戦略の不足、政治組織の弱体化などが存在したと論じる。1930年代のパレスチナ・アラブ人指導部の対立、1948年の戦争におけるアラブ諸国との利害の不一致、1982年のレバノン戦争におけるPLOの判断、1993年のオスロ合意における交渉上の問題などが、その具体例として取り上げられている。また、ファタハとハマスの政治的対立によってパレスチナの統一的な政治体制が失われたことも、民族自決を実現する上での障害として論じられている。著者は、パレスチナ人が直面してきた外部からの政治的・軍事的圧力を重視する一方、自らの政治組織や外交戦略を検証する必要性も指摘している。この点において、本書はパレスチナ人を一方的な被害者として描くだけではなく、民族運動の主体として、その選択と責任を歴史的に考察する著作となっている。
