The Andy Warhol Diaries
1989年刊
Andy Warhol著
ウォーホルの経歴
ウォーホルは1928年、アメリカ・ピッツバーグ生まれの芸術家であり、ポップアートを代表する存在として二十世紀美術史に決定的な影響を与えた。商業イラストレーターとして出発した後、キャンベル・スープ缶やマリリン・モンローなど大量消費社会の象徴を作品化し、芸術と商品、高級文化と大衆文化の境界を曖昧にした。ニューヨークのファクトリーを拠点に、絵画だけでなく映画、音楽、出版、ファッションなど幅広い領域で活動し、現代のメディア社会を先取りした芸術家である。
本書の内容
1.ニューヨーク社交界の巨大な記録
ウォーホル日記は単なる個人的日記ではない。それは1970年代後半から1980年代ニューヨーク文化圏全体を映し出した巨大な時代記録である。ウォーホルは毎日のようにパーティーへ出席し、画廊、レストラン、高級ホテル、慈善イベント、映画上映会を巡りながら、政治家、俳優、モデル、富豪、ミュージシャン、デザイナーたちと接触していく。本書には、時代を象徴する人物たちが次々と登場する。ウォーホルは彼らとの会話、服装、金銭感覚、噂話、健康状態まで細かく記録し、それらを極めて乾いた口調で並べていく。しかし、その表面的な軽さの背後には、消費社会と名声の世界の空虚さが静かに漂っている。
2.お金と名声への異様な執着
本書で際立つ特徴の一つは、ウォーホルが驚くほど頻繁に金額を記録している点である。タクシー代、食事代、作品価格、寄付金額、売上、オークション価格などが絶えず登場し、芸術家の日記というより企業経営者の会計メモのような印象すら与える。ウォーホルは芸術と商業を切り離さなかった。むしろ彼は、売れること自体を現代芸術の本質の一部と考えていた。本書では、美術市場が1980年代に急速に金融化していく様子も克明に描かれている。アート作品は精神性の象徴であると同時に、富裕層のステータス商品として扱われ始める。ウォーホルはその世界の中心にいながら、同時にどこか冷めた観察者でもあった。
3.バスキアとの関係と孤独
本書の中でも特に重要なのが、バスキアとの交流である。若き天才として登場したバスキアに対し、ウォーホルは強い興味と愛情を抱き、共同制作も行う。しかし世間からは商業的すぎると批判され、二人の関係は次第にぎくしゃくしていく。ウォーホルは一見すると常に人々に囲まれている。しかし本書を読み進めると、彼の深い孤独感が浮かび上がってくる。彼は有名人たちと毎夜のように交流しながら、本当に心を許せる相手をほとんど持っていない。周囲への警戒心、加齢への不安、病気への恐怖、人気低下への怯えが、断片的な文章の中に何度も現れる。1980年代後半になると、その孤独感はいっそう強くなる。友人たちは老い、死に、薬物に沈み、ニューヨークの華やかな世界にも陰りが見え始める。
4.日常の断片から浮かび上がる時代精神
ウォーホル日記は文学的な構成を持つ作品ではない。むしろ電話の記録を積み重ねたような断片の集積である。しかし、その無数の断片が積み重なることで、一つの巨大な時代の肖像が形成されていく。レーガン時代のアメリカ、消費社会の拡大、ブランド文化、セレブリティ経済、エイズ危機、美術市場の高騰、メディア支配の強化など、1980年代を特徴づける要素が自然に浮かび上がってくる。ウォーホル自身は大きな思想を語らない。しかし、淡々とした記録の積み重ねによって、現代社会の姿が逆に鮮明になる。
本書が言いたかったこと
現代社会においては、名声や消費が人間の存在を規定するようになった。ウォーホルはその世界を批判的に断罪するのではなく、むしろ内部から冷静に観察し続けた。人々は絶えずパーティーを開き、ブランドを身につけ、有名人と交際し、作品を売買する。しかし、その華やかさの奥には、老いへの恐怖、孤独、不安、空虚さが静かに潜んでいる。ウォーホルは、その矛盾を感情的に語ることなく、あえて無機質な記録として提示することで、現代文明の本質を読者に突きつけている。本書は、単なる芸術家の私生活ではなく、メディア化された現代人の生き方を映し出した巨大な鏡である。
ありふれたものの変容(書評)
The Transfiguration of the Commonplace
A Philosophy of Art
1981年刊
Arthur C. Danto著
アーサー・コールマン・ダントー(1924–2013年)は、米国ミシガン州アナーバーに生まれた哲学者、美術批評家である。20世紀後半の分析哲学と現代美術の理論に大きな影響を与えた。第二次世界大戦中に米陸軍に従軍した後、ウェイン州立大学で美術と歴史を学び、コロンビア大学大学院で哲学を研究した。その後、パリに留学し、ヨーロッパの哲学や芸術思想にも接した。ダントーは当初、画家として活動することを志したが、次第に絵画制作そのものよりも、芸術とは何か、人間はいかにして世界を理解するのかという哲学的問題に強く惹かれるようになった。1951年にコロンビア大学で教職に就き、哲学の研究に従事した。ダントーの芸術哲学に決定的な影響を与えたのは、1964年にニューヨークで発表されたアンディ・ウォーホルのブリロ・ボックスであった。この作品は、米国で販売されていたブリロという洗剤付きスチールウール製品の包装箱を模したものであり、外見上はスーパーマーケットの商品の箱とほとんど区別がつかなかった。ダントーは、この作品を見て、ウォーホルが制作した箱は芸術作品なのかという疑問を抱いた。もし芸術作品と日用品が外見上区別できないのであれば、芸術を形態、色彩、素材、美しさなどの視覚的特徴だけによって定義することはできない。この問題を契機として、ダントーは1964年に論文アートワールド(The Artworld)を発表し、芸術作品を理解するためには芸術理論や美術史の知識が不可欠であると論じた。

ウォーホル作
1.芸術作品と日用品の違い
本書の中心的な問題は、芸術作品と単なる現実の物体を区別するものは何かということである。伝統的な芸術観では、芸術作品は美しい形態、優れた技巧、独創的な構図などによって、日常的な物体とは異なるものと考えられてきた。しかし、20世紀に登場した現代美術は、こうした考え方を根本から揺るがした。マルセル・デュシャンは1917年、既製品の男性用小便器を泉という作品として提示した。また、アンディ・ウォーホルは1964年、スーパーマーケットの商品箱を模したブリロ・ボックスを芸術作品として発表した。これらの作品では、従来の絵画や彫刻に求められてきた高度な手仕事や美的な造形が、必ずしも芸術作品の成立条件となっていない。ダントーは、ここから、芸術作品の本質をその物理的な外見だけに求めることはできないと考える。例えば、外見が完全に同じ二つの箱が存在し、一方は商品を運搬するための包装箱であり、他方は芸術家によって制作された作品であるとする。両者は同じように見えても、前者は商品を保管・運搬するための道具であり、後者は大量生産、消費社会、商業デザインと芸術との関係などを考察する対象となり得る。この違いは、箱の表面を詳しく観察するだけでは明らかにならない。芸術作品を理解するためには、その物体が何を意味し、なぜそのような形態で提示され、どのような芸術的な問題を扱っているのかを考える必要がある。ダントーは、このように外見上は区別できない二つのものを比較する方法によって、芸術の本質を明らかにしようとする。
2.外見が同じでも意味は異なる
ダントーは、外見上は同じであっても、それぞれが異なる意味を持つ複数の絵画を想定する。例えば、画面全体が赤一色に塗られた複数の絵画が存在するとする。ある作品は夕暮れの海を表現したものであり、別の作品は政治的な思想を象徴したものであり、更に別の作品は宗教的な情熱を表現したものであるかもしれない。また、それらと外見がまったく同じ赤いキャンバスが、単なる塗装済みの材料として存在している場合も考えられる。これらは視覚的には区別できないにもかかわらず、芸術作品としての意味はそれぞれ異なっている。ある作品を理解するためには、赤という色彩だけでなく、作品の題名、制作意図、表現上の背景などを考慮しなければならない。更に、赤く塗られた単なる材料には、芸術作品としての意味を読み取る必要がない場合もある。この思考実験によってダントーが示そうとするのは、芸術作品の意味は、その物理的な性質から自動的に決まるものではないということである。作品が何についての表現であるのかという内容と、それがどのような方法で表現されているのかという関係を理解することが重要である。
3.アートワールド
ダントーは、芸術作品が成立するためには、それを芸術として理解することを可能にする理論的・歴史的な背景が必要であると考える。この背景を説明する重要な概念がアートワールド(Artworld)である。アートワールドとは、単に美術館、画廊、批評家、美術商などによって構成される社会的な組織を意味するものではない。ダントーが重視するのは、ある物体を芸術作品として理解するために必要な芸術理論、美術史、表現上の慣習などが存在する世界である。例えば、ウォーホルのブリロ・ボックスを芸術作品として理解するためには、既製品を芸術として提示したデュシャンの試みや、商業広告、大量生産品、大衆文化を芸術の主題として取り入れたポップアートの歴史を知ることが重要となる。こうした背景を理解することによって、鑑賞者は、単なる商品の包装箱とウォーホルの作品との違いを認識できるようになる。ここで重要なのは、美術館に展示されたから芸術になる、あるいは美術評論家が認めたから芸術になるという単純な説明ではない。ダントーの関心は、芸術作品を芸術作品として理解することを可能にする、理論的な条件を明らかにすることにある。その意味で、芸術作品は、物理的な対象であると同時に、芸術の歴史や理論との関係の中で意味を持つ存在である。
4.解釈が芸術作品を成立させる
本書において、解釈は芸術作品を理解するための補助的な行為ではなく、芸術作品が何であるかを明らかにするための本質的な働きとして位置づけられている。例えば、あるキャンバスに黒い線が一本描かれているとする。その線は、単なる幾何学的な形態であるかもしれないし、地平線を表現したものであるかもしれない。また、ある思想や感情を象徴するものとして描かれている可能性もある。同じ線であっても、それが作品の中で何を表しているのかによって、芸術作品としての意味は変化する。鑑賞者は、作品の題名、制作された時代、芸術家の表現方法などを手がかりとして、その線が何を意味しているのかを理解しようとする。このような解釈によって、単なる線や色彩の集合が、意味を持つ芸術作品として認識される。芸術作品は、物理的な対象だけに還元することも、鑑賞者の主観的な感想だけに還元することもできない存在である。
5.芸術と美しさは同じではない
ダントーは、芸術の本質を考える際に、芸術哲学と美学を区別する必要があると論じる。伝統的な美学では、芸術作品が鑑賞者に与える美的な快楽や感動が重視されてきた。しかし、すべての芸術作品が美しい訳ではない。また、美しいものがすべて芸術作品である訳でもない。例えば、美しい夕焼けや自然の風景は、人間に強い美的感動を与える。しかし、それだけで自然の風景が芸術作品になる訳ではない。反対に、戦争の悲惨さや人間の苦悩を表現した芸術作品は、鑑賞者に不快感や恐怖を与えることがある。それでも、そうした作品は芸術として成立し得る。芸術作品であるために、美しさや快適な鑑賞経験が必ずしも必要ではない。美的な性質だけによって、芸術作品と日用品を区別することはできない。芸術の本質を考えるためには、美しいかどうかという問題と、そもそも芸術作品とは何かという問題を区別しなければならない。
6.芸術は何を表現するのか
ダントーは、芸術作品が何かを表現するのかについて、哲学的な考察を展開する。例えば、人物の肖像画と、その人物を撮影した証明写真は、同じ人物の姿を表しているかもしれない。しかし、両者が持つ意味は同じではない。証明写真は、人物を識別するための記録として作られる。一方、肖像画は、その人物の性格、社会的地位、精神性、あるいは画家自身の人物観を表現するものとして制作されることがある。ここで重要なのは、芸術作品が何を描いているのかということだけでなく、それをどのような意味を持つものとして提示しているのかという点である。ダントーは、対象を単に指し示したり、記録したりすることと、芸術作品として表現することを区別する。芸術作品における表象は、対象の外見を再現するだけではなく、その対象についての考え方や意味を、特定の表現形式によって示すものである。この考え方によれば、写実的な絵画であっても、対象を正確に再現することだけが作品の目的とは限らない。同じ人物を描いた二枚の肖像画が、外見上は似ていても、異なる意味を持つ作品として成立することがある。芸術を理解するためには、何が描かれているかという問題と、その描かれたものが作品の中でどのような意味を持っているかという問題の双方を考える必要がある。
7.芸術が生み出す新しい意味
本書の後半では、メタファー(隠喩)が芸術作品において果たす役割が重要な問題として取り上げられる。メタファーとは、あるものを別のものとして表現することによって、新しい意味や理解を生み出す表現方法である。例えば、ある人物をライオンとして描いた絵画が存在するとする。この作品は、その人物が実際にライオンであると主張している訳ではない。ライオンが持つ勇敢さ、力強さ、威厳などの性質を通じて、その人物の特徴を表現している。このような表現では、鑑賞者は、単に描かれた対象を認識するだけでなく、対象と別のものとの関係を理解することによって、新しい意味を発見する。芸術作品を理解することと、その作品に含まれるメタファーを理解することとの間に深い関係がある。例えば、ある絵画が孤独を表現している場合、そこに孤独という言葉が直接書かれている必要はない。画面に描かれた人物の姿勢、周囲の空間、光と影、色彩などの関係を通じて、鑑賞者は孤独という意味を理解する。このように、芸術は、対象についての情報を単純に伝達するのではなく、鑑賞者が対象を新しい観点から理解するように働きかける。ダントーにとって、芸術作品の重要な働きは、目の前のものを、それまでとは異なる意味を持つものとして理解させることにある。
8.芸術家の個性はどこに現れるか
ダントーは、芸術作品が何を意味するかという問題に加えて、その意味がどのような方法で表現されるかという問題を考察する。例えば、同じ戦争を主題とした二人の画家が存在するとする。一人は、戦場の光景を写実的に描くことによって、戦争の悲惨さを表現するかもしれない。もう一人は、人物の形態を大きく変形し、激しい色彩や不安定な構図を用いることによって、戦争に対する恐怖や怒りを表現するかもしれない。両者は同じ主題を扱っていても、表現方法が異なることによって、鑑賞者に伝わる意味も異なる。ダントーは、芸術作品において、何が表現されているかという内容と、それがどのように表現されているかという様式を切り離して考えることはできないと論じる。様式とは、単なる装飾的な特徴や、画家が好んで用いる技法の集合ではない。それは、芸術家が世界をどのように捉え、その世界をどのような方法で表現するかという、芸術家自身のあり方と深く結びついている。したがって、芸術作品の独創性を理解するためには、描かれた主題だけでなく、その主題がどのような独自の表現形式によって提示されているのかを考える必要がある。芸術家の個性は、何を描くかという選択だけでなく、それをどのように描くかという表現方法にも現れる。
9.ありふれたものの変容とは何か
本書の題名にある変容とは、日常的な物体の外見や物質的な性質が、芸術作品になることによって変化するという意味ではない。ウォーホルのブリロ・ボックスは、芸術作品として提示されたからといって、その外見が商品箱とは異なるものになる訳ではない。変化するのは、その物体が持つ意味と、私たちがそれを理解する方法である。商店に置かれた商品箱は、商品を包装し、運搬し、販売するための道具である。しかし、ウォーホルが同じような箱を芸術作品として提示した時、その箱は、消費社会、大量生産、商業デザイン、芸術と日常生活との関係などについて考察するための対象となる。鑑賞者は、商品箱というありふれた物体を通じて、それまで当然のものとして受け入れていた日常世界を、新しい視点から捉え直すことになる。この意味で、ありふれたものの変容とは、日用品が物理的に別のものに変わることではなく、芸術的な意味を持つ存在として理解されるようになる。ダントーは、この問題を通じて、芸術作品の本質は、単なる物質的な性質や視覚的な特徴だけでは説明できないことを明らかにしようとした。そして、芸術作品とは、何かについての意味を持ち、その意味が具体的な形態や素材、表現方法によって具現化された存在である。
