赤と黒

Le Rouge et le Noir
1830年刊
Stendhal著

目次

スタンダールの経歴

スタンダールは19世紀フランス文学を代表する作家であり、近代心理小説の先駆者として高く評価されている。ナポレオン崇拝者でもあった彼は、情熱、野心、恋愛、人間心理の分析を鋭く描いた。代表作にはパルムの僧院などがある。彼の文学は、外面的事件よりも人物の内面の葛藤を精密に描く点に特徴があり、赤と黒では特に、社会的野心と真実の感情との対立が深く掘り下げられている。

本書の内容

1.ジュリアン・ソレルという青年

主人公ジュリアン・ソレルは、フランス地方都市ヴェリエールの貧しい製材屋の息子である。彼は身体が弱く、粗野な父や兄たちから軽蔑されて育った。しかしその一方で、非常に高い知性と強烈な野心を持っている。ジュリアンはナポレオンに強く憧れている。しかしナポレオンの時代は終わり、復古王政下のフランスでは、軍人としての出世の道は閉ざされている。そのため彼は聖職者の道を利用して社会的上昇を目指そうとする。題名の赤は軍服、黒は僧服を象徴している。作品全体には、情熱と野心、革命精神と保守社会との対立が込められている。

2.レーナル夫人との恋愛

ジュリアンは町長レーナル氏の家庭教師として雇われる。そこで彼は、美しく優しいレーナル夫人と出会う。当初ジュリアンは、この恋愛を一種の攻略として考えている。彼にとって恋愛は、上流社会に対する勝利の証でもある。しかしレーナル夫人の純粋な愛情に触れるうちに、彼自身も次第に本当の感情を抱き始める。レーナル夫人は敬虔で善良な女性であり、ジュリアンとの関係に苦悩する。しかし彼女は彼を深く愛してしまう。この関係には、情熱と罪悪感が常に共存している。ジュリアンにとって初めての真実の愛でもあるが、同時にそれは社会的に許されない関係でもある。やがて二人の関係は発覚し、ジュリアンは町を去ることになる。

3.神学校と偽善

ジュリアンは神学校へ進むが、そこでは宗教的信仰よりも権力争いや偽善が支配していることを知る。彼は知性ゆえに周囲から孤立し、内心では宗教に冷笑的でありながら、出世のために従順さを演じなければならない。スタンダールはここで、復古王政期フランス社会の偽善を鋭く描いている。能力や情熱よりも、服従と体面が重視される社会の中で、ジュリアンは強い息苦しさを感じている。しかし彼はその世界を軽蔑しながらも、野心のために利用しようとする。この矛盾が彼の内面を更に複雑にしていく。

4.マチルドとの関係

やがてジュリアンはパリの有力貴族ラ・モール侯爵の秘書となり、上流社会へ足を踏み入れる。そこで彼は、侯爵の娘マチルド・ド・ラ・モールと出会う。マチルドは高貴で知的な女性であり、平凡な貴族社会に退屈している。彼女はジュリアンの危険な魅力と野心に惹かれていく。二人の関係は、レーナル夫人との愛とは異なる。そこには愛情だけでなく、誇り、支配欲、階級意識、虚栄が複雑に絡み合っている。ジュリアンはマチルドとの関係によって、ついに貴族社会への上昇を実現しかける。しかしその成功は決して安定したものではない。

5.破滅

ラ・モール侯爵は当初、ジュリアンを認め、娘との結婚すら許そうとする。しかしそこへレーナル夫人からの手紙が届く。その手紙には、ジュリアンが野心のために女性を誘惑する危険な人物であると書かれていた。激怒したジュリアンは故郷へ戻り、教会でレーナル夫人を銃撃する。彼女は死ななかったものの、ジュリアンは逮捕され、裁判にかけられる。裁判の場でジュリアンは、社会への怒りを爆発させる。彼は、自分が罪人として裁かれる本当の理由は犯罪ではなく、貧しい身分でありながら上流社会へ入ろうとしたことだと語る。最終的に彼は死刑判決を受け、断頭台へ向かう。そして処刑を目前にした時、彼は初めてレーナル夫人への純粋な愛を深く自覚する。

本書が言いたかったこと

赤と黒は、才能と情熱を持つ個人が、偽善と階級制度に支配された社会の中でいかに押し潰されていくかを描いだしている。ジュリアン・ソレルは傲慢で野心的な青年である。しかし彼は同時に、時代に適応できないほど純粋な情熱も持っていた。彼は社会を軽蔑しながら、その社会の成功を求めてしまう。その矛盾が彼を破滅へ導く。スタンダールは、この作品で恋愛を単なる感情ではなく、人間の本質を暴き出すものとして描いた。レーナル夫人との愛は純粋で精神的であり、マチルドとの関係は野心や虚栄と結びついている。ジュリアンは最後になって初めて、本当に価値ある愛が何だったのかを理解する。赤と黒は、近代社会における個人の孤独と野心、そして愛の真実を描いた作品である。人間は社会的成功を追い求めても、最後に残るのは真実の感情だけなのだということを、スタンダールは鋭く描き出した。

パルムの僧院(1839年)

1.ナポレオンに憧れる青年
主人公ファブリス・デル・ドンゴは北イタリアの貴族の青年であり、ナポレオンに強く憧れている。ナポレオンがエルバ島から帰還すると、ファブリスは彼の軍隊に加わろうとしてフランスへ向かい、ワーテルローの戦いに遭遇する。ところがファブリスには、巨大な歴史的事件の全体像がまったく理解できない。自分が本当に戦争に参加したのかさえ判然としない。

2.宮廷という小さな戦場
その後ファブリスはイタリアへ戻り、パルマ公国の宮廷政治に巻き込まれる。彼を守ろうとする叔母のサンセヴェリーナ公爵夫人、その恋人モスカ伯爵などを中心に、権力闘争、陰謀、恋愛が複雑に展開する。やがてファブリスは殺人事件を起こして投獄される。

3.獄中で発見した愛
牢獄に入ったファブリスは、監獄長の娘クレリアと出会い、恋に落ちる。自由を奪われた牢獄の中で、逆にファブリスは人生で最も純粋な幸福を経験する。この逆説がパルムの僧院の大きな魅力である。ナポレオン戦争という世界史的事件から小国の宮廷政治、更に一人の男女の恋愛へと物語が収斂していく。スタンダールはここで、歴史を動かす巨大な権力より、一人の人間が感じる恋愛や幸福の方が本人にとっては重大なのではないかという問題を描いている。

アルマンス(1827年)

1.愛しながら愛せない青年
スタンダール最初の長編小説である。主人公オクターヴ・ド・マリヴェールは若く、知的で、社会的にも恵まれている。しかし彼には他人に明かすことのできない深刻な秘密がある。彼は従妹のアルマンスを愛しているが、その秘密のために自分には彼女を幸福にすることができないと考え、愛情を素直に表現できない。

2.誇りが二人を引き離す
オクターヴとアルマンスは互いに強く惹かれているにもかかわらず、自尊心、誤解、社会的慣習によって関係を複雑にしていく。スタンダール文学では、人間は単純に恋をするのではない。常に相手は自分をどう見ているのか自分の誇りは傷つかないかという自意識が介在する。

3.恋愛と自己意識
アルマンスでは、後の赤と黒で完成する心理分析の方法が既に現れている。愛することと、自分自身について考えることが切り離せない。過剰な自意識が幸福を破壊するというスタンダール文学の重要な主題を示す作品である。

スタンダールを貫くもの(付記)

幸福を求める自我
スタンダールの文学を最もよく表しているのは、人間は自分自身の幸福をどこまで自由に追求できるのかという問いである。赤と黒のジュリアンは階級社会を才能によって突破しようとし、パルムの僧院のファブリスは歴史と政治に翻弄されながら恋愛に幸福を見いだす。アルマンスでは自意識が恋愛を破壊する。その根底にあるのは、社会が要求する生き方と、自分が本当に望む生き方との対立である。その意味で赤と黒はスタンダール文学の核心を最も鮮明に示している。ジュリアンは社会的成功を幸福だと思って上へ上へと進む。しかしすべてを失い、死を目前にしたとき、初めて自分が本当に求めていたものに気づく。スタンダールが描いたのは野心家や恋愛者だけではない。自分は本当は何を望んでいるのかを探し続ける近代的人間であった。

座右の書


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